文武訓 / 文訓下之末
一仁義は道の體なり。文武は仁義の發用なり。文武其事同じからず、其道理は一なり。文は仁の發なり、武は義の發なり。文は人を愛し、衆を和ぐるの道なり。文にあらざれば、民をなつけ衆を安んずる事なし。武は人を戒め衆を嚴にするの道なり。
新字:一仁義は道の体なり。文武は仁義の発用なり。文武其事同じからず、其道理は一なり。文は仁の発なり、武は義の発なり。文は人を愛し、衆を和ぐるの道なり。文にあらざれば、民をなつけ衆を安んずる事なし。武は人を戒め衆を厳にするの道なり。
書き下し
一仁義は道の体なり。文武は仁義の発用なり。文武其事同じからず、其道理は一なり。文は仁の発なり、武は義の発なり。文は人を愛し、衆を和ぐるの道なり。文にあらざれば、民をなつけ衆を安んずる事なし。武は人を戒め衆を厳にするの道なり。
現代語訳
仁義は道の本体です。文武は仁義が外に現れたはたらきです。文と武とはその事は同じではありませんが、その道理は一つです。文は仁の発露であり、武は義の発露です。文は人を愛し、人々を和らげる道です。文でなければ、民をなつけ人々を安んずることはできません。武は人を戒め、人々を厳しく引き締める道です。
解説
文武訓全体を貫く考えを短くまとめた一節です。仁義が道の本体で、文と武はそこから現れるはたらきだと益軒は説きます。文は仁(人を愛する心)から出て人々を和らげ、武は義(正しさを守る心)から出て人々を引き締めます。形は違っても根は一つなので、どちらかだけでは足りません。組織の運営でも、励ましや思いやりと、規律や厳しさの両方が要ります。どちらも同じ正しい心から出ていれば、矛盾せずに使い分けられるという教えです。
この章句が説くこと
文武仁義道組織
関連する章句
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『童子問』卷中問ふ。喩を承く。論語は宇宙第一の書たり、而して仁は孔門第一の字たり、と。然るに大学のごときは、敬を以て要と為し、中庸は誠を以て主と為す。及び詩の思ひ邪無き、書の中、易の時、一書各一書の綱領有り。如何。曰く、人道の仁義有るは、猶ほ天道の陰陽有るがごときなり。仁義を外にして、豈に復た道有らんや。而して仁の義を包むは、猶ほ陽の陰を統ぶるがごとし。故に孔門は仁を以て宗と為し、而して義を以て輔と為す。敬とは此を敬するなり。誠とは此を誠にするなり。詩の思ひ邪無き、書の中、易の時、皆然り。道は本多端無し。故に曰く、吾が道は一以て之を貫く、と。
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『童子問』卷上問ふ、何をか人の外に道無しと謂ふと。曰く、人とは何ぞ。君臣なり、父子なり、夫婦なり、昆弟なり、朋友なり。夫れ道は一のみ。君臣に在りては之を義と謂ひ、父子には之を親と謂ひ、夫婦には之を別と謂ひ、昆弟には之を叙と謂ひ、朋友には之を信と謂ふ。皆人に由りて顕はる。人無ければ則ち以て道を見ること無し。故に曰く、人の外に道無しと。何をか道の外に人無しと謂ふ。曰く、道とは何ぞ。仁なり、義なり、礼なり、智なり。人其の中に囿まれて、須臾も離るることを得ず。離るれば則ち人に非ざるなり。故に曰く、道の外に人無しと。凡そ天地の外・古今の遠きを説きて、人倫に資すること無く、天下国家の治に益すること無き者は、皆邪説の魁なり。設令宇宙の外に復た宇宙有りとも、苟も人其の間に生まるること有らば、必ず当に君臣父子夫婦の倫有りて、仁義礼智の道に循ふべし。故に曰く、人に由りて顕はる、人無ければ則ち以て道を見ること無しと。謹んで此の説を聴き、異説の惑はす所と為ること勿かれ。
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『童子問』卷上道とは何ぞ。父子に在りては之を親と謂ひ、君臣には之を義と謂ひ、夫婦には之を別と謂ひ、昆弟には之を序と謂ひ、朋友には之を信と謂ふ。天下古今の同じく然る所なり。諸子百家各其の道を以て道と為して、性に循ふと否とを論ぜず。異端為る所以なり。苟も人の性に循ひて、得て離るべからざれば、則ち道と為し、否ざれば則ち道に非ず。故に聖人の道は、性を離れて独立するに非ず、亦た性より出づと謂ふに非ざるなり。晦菴謂ふ、人物各其の性の自然に循へば、則ち日用の間、各当に行ふべきの路有らざること莫しと。是れ倒説なり。蓋し性とは、己に有るを以て言ひ、道とは、天下に達するを以て言ふ。易に曰く、人の道を立つ、曰く仁と義と、是れなり。故に人有れば則ち性有り、人無ければ則ち性無し。道とは、人有ると人無きとを待たず、本来自ら有るの物にして、天地に満ち、人倫に徹し、時として然らざること無く、処として在らざること無し。豈に人物各其の性の自然に循ふことを待ちて、而る後に之有りと謂ふを容れんや。晦菴の所謂の若きは、則ち是れ性本にして道末、性先にして道後なり。豈に倒説に非ずや。
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『童子問』卷下問ふ、老氏の虚無と、釈氏の寂滅と、亦異なる所有りや。曰く、浅深有るがごとしと雖も、然れども其の帰は則ち一なり。老氏は天地万物を以て皆虚無と為し、釈氏は天地万物を以て総べて寂滅と為す。後漢書に云ふ、其の道虚無を以て宗と為すと。是れのみ。其の他種種奇特神通を説くは、皆方便の説のみ。老氏に至つては反つて之無し。仏は慈悲済度を以て主と為す。禅に至つては、則ち一向に棄て去る。理を説くこと至つて高ければ、必ず此に到らざることを得ず。其の慈悲済度を主とするは、仁に似たり。然れども義を知らざるは、則ち一なり。殊に知らず、義は天下の大路にして、一日も離るべからざることを。老氏も亦然り。
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『五常訓』巻之四・義一尚書に、礼を以て心を制し、義を以て事を制すといへり。礼は敬のみ。敬して心の私曲を制するなり。義を以て事を制すとは、万事を行ふに、其事に宜しく制するなり。制すとは、たとへば長きを断ちてよき程にし、多きをへらしてよき程にするが如し。物を裁判してよきやうにするを云ふ。是仁をたすくるなり。一年の功も、春夏生長するは仁なり。秋冬収蔵するは義なり。収蔵とは、草木零落し、生気をさまりて、根にかへるを云ふ。仁ありて、義なければ、たとへば春夏の生長するばかりにて、秋冬の収蔵なければ、万物成就せざるが如し。子を育つる一事を以ていはば、子を愛するは仁なり。子の悪を戒むるは義なり。愛せざれば、恩なくして他人の如し。愛のみにて戒めざれば、其子不義にながれ、悪におち入りて、わざはひとなる故、姑息して愛するが、かへりてあたとなりて、真の愛にあらず。
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『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・義に過ぐれば固くなる而して又たここに予の、更に此問題に就きて一引証を加ふることを許せ。されば近時独逸皇帝の、コブレンツに於てせる演説の一句を挙げんか。曰く、『神恩によつて王たるものは、之に伴ふ重大なる責任あり。而してひとり、造物主に対して甚大なる責務を有し、人も大臣も国会も、君王をして能く此れより免れしむること能はず』と。仁は温和なる徳なり、母の心なり。端正なる節義、厳厲なる公正を以て男性的なりとせば、仁愛の柔和にして人を服するは、即ち女性的なりと云ふを得べきか。されど仁愛に加ふるに正義を以てせずして、漫に之に流るるは、人の深く戒むべき所にして、伊達政宗の言にも是れあり、『義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる』と。仁は美はしくて又た遍し。
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