童子問 / 卷上
予往年過爲諸友所推。自開門戶以待學者。從此四方之士。從遊日衆。問道不巳。予雖時叩兩端以竭。然學者多狃於舊聞。牽於意見。卒無以得孔孟之正宗。不高則不樂。不奇則不悅。厭常而喜新。舍邇而取遠。予深憫焉。乃綴輯鄙言。以爲答問之資。且以明鄒魯之正傳。亦不得巳之心也。宋歐陽子及輔漢卿氏。有易詩童子問。予亦命之以童子問。要明非所以告于大方也。元祿六年癸酉冬十月既望。洛陽伊藤維楨原佐謹識。
新字:予往年過為諸友所推。自開門戸以待学者。従此四方之士。従遊日衆。問道不巳。予雖時叩両端以竭。然学者多狃於旧聞。牽於意見。卒無以得孔孟之正宗。不高則不楽。不奇則不悦。厭常而喜新。舎邇而取遠。予深憫焉。乃綴輯鄙言。以為答問之資。且以明鄒魯之正伝。亦不得巳之心也。宋欧陽子及輔漢卿氏。有易詩童子問。予亦命之以童子問。要明非所以告于大方也。元禄六年癸酉冬十月既望。洛陽伊藤維楨原佐謹識。
書き下し
予往年過つて諸友の推す所と為り、自ら門戸を開きて以て学者を待つ。此れより四方の士、従遊日に衆し。道を問うて已まず。予時に両端を叩きて以て竭くすと雖も、然れども学者多く旧聞に狃れ、意見に牽かれ、卒に以て孔孟の正宗を得ること無し。高からざれば則ち楽しまず、奇ならざれば則ち悦ばず。常を厭うて新を喜び、邇きを舎てて遠きを取る。予深く焉を憫む。乃ち鄙言を綴輯して、以て答問の資と為し、且つ以て鄒魯の正伝を明らかにす。亦た已むを得ざるの心なり。宋の欧陽子及び輔漢卿氏に、易・詩の童子問有り。予も亦た之に命くるに童子問を以てす。要は大方に告ぐる所以に非ざることを明らかにするなり。元禄六年癸酉冬十月既望、洛陽伊藤維楨原佐謹んで識す。
現代語訳
私は先年、身に過ぎることに友人たちに推されて、自ら門戸を開いて学ぶ者を迎えることになった。それ以来、四方の士が日ごとに多く従い学び、道を問うてやむことがない。私はその時々に問いの両端を叩いて、知るかぎりを尽くして答えたが、学ぶ者の多くは以前に聞いたことに慣れきり、自分の考えに引きずられて、ついに孔子・孟子の正しい流れをつかむことができない。高遠でなければ楽しまず、奇抜でなければ喜ばない。平常を嫌って新奇を好み、身近なものを捨てて遠いものを取る。私はこれを深く憐れんだ。そこで拙い言葉を綴り集めて問答の材料とし、あわせて鄒(孟子)と魯(孔子)の正しい伝えを明らかにしようとした。これもやむにやまれぬ心からである。宋の欧陽脩と輔漢卿には、易と詩についての『童子問』がある。私もこの書を『童子問』と名づけた。要するに、これは大家に向けて説くものではないことを明らかにするためである。元禄六年癸酉の冬十月十六日、洛陽の伊藤維楨(字は原佐)が謹んで記す。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『文武訓』文訓上之末一世に、文学なくしてみだりに道を説く人あり。孝弟忠信などの道を行ふことは、一文不通の愚夫愚婦も、其はしをば知りやすく行ひやすし。是を以て、学なき人に説ききかするはよし。かなの書をよみ、人の物語をきき覚えても、浅近なることは知りやすし。草医の、近世の名医の作れる国字書の方書を読みても、軽き病をばいやすが如し。しかるに、義理の学は、天地人の大道を知る事なれば、まづ文字をしり、四書五経以下、歴代の聖賢の書に通じ、三史、通鑑など、古今の事にもひろく通じてやうやく知るべし。かくの如く、博く書を見ても道をしらざる人は多し。聖賢の書に通ぜず、文学つたなくしては大道に通じがたし。文学なくして道を知りがたき事、たとへば通事なくして異国の人の言語に通じがたきが如く、又、小刀にて大厦を作らんとするがごとし。文学つたなく経伝にくらくしては、大道は知りがたかるべし。
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『文武訓』文訓下一文学ひろく、聖賢の書をあまねく読んでも、道を知らざる人古今多し。斯くひろく聖賢の書を読んでは、道を知るべくして知らざるは、志なく聰明なきゆゑなり。文学に通ぜず、聖賢の書を多く読まずして、道を知れらん人は古今これなし。是道理のなき所なり。舟橋なくして海河をわたり、梯なくして高きに登らんとするが如し。近世、種の学問文学をせずして、聖学をせんとするも、文学して義理を知らざるも同じ。たとへば歌学をせずして、和歌のあしき人はあり。歌学なくしてうたよく詠む人はなきが如し。但学問なく、すこし師の口伝をききて、頗心ををさめんとする人あり。是亦聴かざるに遥にまされり。稊稗の熟するは、五穀の熟せざるにまされるが如し。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段曰く、其所は、師たる人も、さつぱりとは済ねども、此は聖人のことにて、今の学者の知るべき所に非ず、忠恕のことなりと云て、此うへのことは、決して沙汰なきことなり。答、汝は今の学者の知るべき所に非ずと云。聖人の教は、古今に通じて変ことなし。今と古とを分るは、仏氏の末世と云教なり。混雑すべからず。扨孔子、適も無く莫も無しとの玉ひ、又顔淵の、前に在りと思へば忽焉として後に在りとの玉ひ、孟子、道は一のみとの玉ふ。加様の類多し。汝はいかゞ心得居られ候や。
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『慎思録』巻之四食は以て生を養ふ。饕餮なる者は此を以て生を傷る。薬は以て人を救ふ。庸医は此を以て人を殺す。学は以て性を治む。小人は此を以て性を傷る。此の三者は、本是れ人を益するの物事なり。然り而して人を害すること此の如きは、之を用ふるの其の道を失ふに由るなり。
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『慎思録』巻之一人生まれて学ばざれば、生まれざると同じ。学びて道を知らざれば、学ばざると同じ。知りて行ふこと能はざれば、知らざると同じ。故に人為る者は、必ず学ばざるべからず。学を為す者は、必ず道を知らざるべからず。道を知る者は、必ず行はざるべからず。道を知ること至つて難し。古より英才敦行の士、多からずと為さず。然れども道を知る者は鮮し。学問思弁の功、闕くべからざる所以なり。
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『五常訓』巻之一・総論一およそ人となるものは、万物にすぐれ、五常の性を生れつき、道あるものなれども、食を飽くまでくらひ、衣を暖かに著、家をかまへて、身を安くしたるまでにて、道の教なければ、形は人なりといへども、其心、其行は、禽獣に近きこそうらめしけれ。古の聖人、是をうれひ給ひて、学校をたて、師をたてて、人たるの道を教へ学ばしめ給ふ。されば事の急ならざるやうにて、いたりて大切なる事は、学問よりおもきは無し。如何となれば、道はしばらくも離るべからず。人学問なく、道を知らざれば、人の道たたず。人と斯く生れつきたるかひなし。人生ふたたび得がたし。道を学ばずして、空しく過すべからず。ここを以て、朝に道を聞きては、夕に死すとも可なりと聖人ものたまへり。
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