弟子規 / 餘力學文・房室清
房室清、牆壁淨、几案潔、筆硯正 墨磨偏、心不端、字不敬、心先病
新字:房室清、牆壁浄、几案潔、筆硯正 墨磨偏、心不端、字不敬、心先病
書き下し
房室は清く、牆壁は浄く、几案は潔く、筆硯は正しくせよ。 墨磨ること偏なれば、心端しからず。字敬せざれば、心先ず病む。
現代語訳
部屋は清らかに、壁はきれいに、机は清潔に、筆や硯は整えて置きなさい。 墨のすり方が偏っているのは、心が正しくないからです。字を書くのに敬いがなければ、心がまず病んでいるのです。
解説
学ぶ場所と道具を整えることを説く条です。部屋、壁、机、筆と硯を清め、墨を偏りなくすり、字を敬って書く。外の整いを、心の整いと結びつけているのが特徴です。『朱子家訓』にも掃除を重んじる条があり、身の回りを整えることが修養の入口という考えは、東洋の古典に広く見られます。現代なら、机の上やデスクトップ、道具の手入れに当たります。散らかった環境では判断も散らかりやすく、整えること自体が、仕事を始める前の心の準備になります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
房室几案筆硯墨敬心
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