弟子規 / 信・凡出言
凡出言、信為先、詐與妄、奚可焉 話說多、不如少、惟其是、勿佞巧 奸巧語、穢污詞、市井氣、切戒之
新字:凡出言、信為先、詐与妄、奚可焉 話説多、不如少、惟其是、勿佞巧 奸巧語、穢汚詞、市井気、切戒之
書き下し
凡そ言を出だすは、信を先と為す。詐と妄と、奚ぞ可ならんや。 話説くこと多きは、少なきに如かず。惟だ其の是なるのみ、佞巧する勿かれ。 奸巧の語、穢污の詞、市井の気は、切に之を戒めよ。
現代語訳
言葉を口にするときは、誠実であることをまず第一にしなさい。偽りやでたらめが、どうして許されるでしょうか。 話は多いより少ないほうがよい。ただ道理にかなったことだけを言い、口先巧みに取り入ってはなりません。 ずる賢い言葉、汚らわしい言葉、街の俗っぽい調子は、固く慎みなさい。
解説
ここから弟子規は「信」の部に入ります。言葉の基本を信に置き、偽り、でたらめ、へつらい、品のない物言いを順に戒めています。弟子規は清の李毓秀の作とされる子どもの躾の韻文で、三字ずつの句は暗唱しやすいようにできています。幼い子への教えですが、内容は大人の職場にそのまま届きます。報告や見積もりで少し盛った一言は、あとで必ず自分の信用を削ります。口数を減らして事実と道理だけを言う人は、短い言葉にも重みが出ます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
言葉信詐妄佞巧奸巧の語市井の気
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