弟子規 / 入則孝・喪三年
喪三年、常悲咽、居處變、酒肉絕 喪盡禮、祭盡誠、事死者、如事生
新字:喪三年、常悲咽、居処変、酒肉絶 喪尽礼、祭尽誠、事死者、如事生
書き下し
喪は三年、常に悲咽し、居処変じ、酒肉絶つ。 喪には礼を尽くし、祭には誠を尽くし、死者に事うること、生けるに事うるが如くせよ。
現代語訳
喪は三年、いつも悲しみにむせび、住まいのありようを改め、酒と肉を断ちます。 喪には礼を尽くし、祭りには誠を尽くし、亡くなった人に仕えるのを、生きている人に仕えるのと同じようにしなさい。
解説
入則孝の結びで、親を亡くしたあとの務めを述べます。喪を三年とするのは『論語』陽貨篇にも見える儒家の古い礼で、後半の「死者に事うること生けるに事うるが如く」も、『中庸』に見える言葉と近い趣旨です。酒肉を断つなど、生活を慎む作法まで具体的に定めている点に、礼を形で示す儒教らしさが出ています。今日、同じ期間や作法を求めることはできません。それでも、故人を思い、祭りや節目の行事を誠実に営む心は、創業者や先人を敬う企業の慰霊や社史の継承にも通じます。孝は、亡き後まで続くという考え方です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
喪三年悲咽礼祭誠事死如事生
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