大学或問 / 『大学或問』使者と服装を簡素にする式
寒國は二月中式は三月はじめに國を出、道中日數の積りあり、五畿內の諸矦の使者なれば鎌倉まで十一二日に到る、或は水出るか病氣かにて遲きは苦しからず、日數よりはやく着く事を禁ず、道中難所多きは是より日數延るなり、遠近推て知るべし、式定る時は逐一くはしく記さるゝなり、凡使者一日に九里十里十一里、或は七八里なり、飛脚は十二三四五里なり、三十六町を一里にしての積りなり、使者は一年に一度の外來る事を禁ず、故あれば執政所より指南あり、故なくして使者の到るは禮にあらずとし諂りとす、飛脚も大身は一月に一度、中は二月に一度、小は三月五月に一度、鎌倉の安否を問ひ、國中の有事無事を告、飛脚狀は執政所に到らず、旗本の內しるべ〳〵に到るなり、使者飛脚毎に遲きをゆるして、はやきを戒めざれば、次第に早くなりて亂世の凶を告るかごとし、定の外を戒めざれば次第にしげくなるものなり、ます〳〵しげく、次第にはやき時は諸國困窮す、或は病氣に成、或は夭死するものあり、いにしへは貴賤色を以て分つ、高直下直を以て別たず、貴くして貧なる人あり、賤くして富るものあり、家屋諸道具並に衣服富るもの美なり、色は玄衣は士已上の朝服なり、故に庶人並に歩行若黨は着せず、今なれば中小姓己上着すべし、白衣は官位ある人着す、烏帽子直垂袴の禮服にかへらば、下襲の美惡に心あらじ、易簡にして禮備はるべし、內外ともちひさ刀一腰にて足れり、事ある時は其上に太刀を帶す、今の鐔なき脇指は庶人並に歩行若黨小者まで指たる者なり、事あるときは庶人歩行若黨は今の刀とさせり、小者は脇指ばかりなり、禮備はる時は道具も多からず、儉約をいはずして易簡なり、式の本意は世の中無事にして貴賤やすく、代々長久ならん事を欲するなり、
新字:寒国は二月中式は三月はじめに国を出、道中日数の積りあり、五畿内の諸矦の使者なれば鎌倉まで十一二日に到る、或は水出るか病気かにて遅きは苦しからず、日数よりはやく着く事を禁ず、道中難所多きは是より日数延るなり、遠近推て知るべし、式定る時は逐一くはしく記さるゝなり、凡使者一日に九里十里十一里、或は七八里なり、飛脚は十二三四五里なり、三十六町を一里にしての積りなり、使者は一年に一度の外来る事を禁ず、故あれば執政所より指南あり、故なくして使者の到るは礼にあらずとし諂りとす、飛脚も大身は一月に一度、中は二月に一度、小は三月五月に一度、鎌倉の安否を問ひ、国中の有事無事を告、飛脚状は執政所に到らず、旗本の内しるべ〳〵に到るなり、使者飛脚毎に遅きをゆるして、はやきを戒めざれば、次第に早くなりて乱世の凶を告るかごとし、定の外を戒めざれば次第にしげくなるものなり、ます〳〵しげく、次第にはやき時は諸国困窮す、或は病気に成、或は夭死するものあり、いにしへは貴賤色を以て分つ、高直下直を以て別たず、貴くして貧なる人あり、賤くして富るものあり、家屋諸道具並に衣服富るもの美なり、色は玄衣は士已上の朝服なり、故に庶人並に歩行若党は着せず、今なれば中小姓己上着すべし、白衣は官位ある人着す、烏帽子直垂袴の礼服にかへらば、下襲の美悪に心あらじ、易簡にして礼備はるべし、内外ともちひさ刀一腰にて足れり、事ある時は其上に太刀を帯す、今の鐔なき脇指は庶人並に歩行若党小者まで指たる者なり、事あるときは庶人歩行若党は今の刀とさせり、小者は脇指ばかりなり、礼備はる時は道具も多からず、倹約をいはずして易簡なり、式の本意は世の中無事にして貴賤やすく、代々長久ならん事を欲するなり、
書き下し
寒國は二月中式は三月はじめに國を出、道中日數の積りあり、五畿內の諸矦の使者なれば鎌倉まで十一二日に到る、或は水出るか病氣かにて遲きは苦しからず、日數よりはやく着く事を禁ず、道中難所多きは是より日數延るなり、遠近推て知るべし、式定る時は逐一くはしく記さるゝなり、凡使者一日に九里十里十一里、或は七八里なり、飛脚は十二三四五里なり、三十六町を一里にしての積りなり、使者は一年に一度の外來る事を禁ず、故あれば執政所より指南あり、故なくして使者の到るは禮にあらずとし諂りとす、飛脚も大身は一月に一度、中は二月に一度、小は三月五月に一度、鎌倉の安否を問ひ、國中の有事無事を告、飛脚狀は執政所に到らず、旗本の內しるべ〳〵に到るなり、使者飛脚毎に遲きをゆるして、はやきを戒めざれば、次第に早くなりて亂世の凶を告るかごとし、定の外を戒めざれば次第にしげくなるものなり、ます〳〵しげく、次第にはやき時は諸國困窮す、或は病氣に成、或は夭死するものあり、いにしへは貴賤色を以て分つ、高直下直を以て別たず、貴くして貧なる人あり、賤くして富るものあり、家屋諸道具並に衣服富るもの美なり、色は玄衣は士已上の朝服なり、故に庶人並に歩行若黨は着せず、今なれば中小姓己上着すべし、白衣は官位ある人着す、烏帽子直垂袴の禮服にかへらば、下襲の美惡に心あらじ、易簡にして禮備はるべし、內外ともちひさ刀一腰にて足れり、事ある時は其上に太刀を帶す、今の鐔なき脇指は庶人並に歩行若黨小者まで指たる者なり、事あるときは庶人歩行若黨は今の刀とさせり、小者は脇指ばかりなり、禮備はる時は道具も多からず、儉約をいはずして易簡なり、式の本意は世の中無事にして貴賤やすく、代々長久ならん事を欲するなり、
現代語訳
寒い国は二月中、式は三月の初めに国を出る。道中の日数には見積もりがある。五畿内の諸侯の使者であれば、鎌倉まで十一、二日で着く。あるいは川が出水したり病気だったりして遅れるのはかまわない。日数より早く着くことは禁じる。道中に難所が多い場合は、これより日数が延びる。遠近は推して知るべきである。式が定まるときは、逐一くわしく記される。およそ使者は一日に九里、十里、十一里、あるいは七、八里である。飛脚は十二、三、四、五里である。三十六町を一里とする見積もりである。使者は一年に一度のほか、来ることを禁じる。事情があれば執政所から指示がある。事情なく使者が到るのは、礼にあらずとし、へつらいとする。飛脚も、大身は一月に一度、中は二月に一度、小は三月か五月に一度、鎌倉の安否を問い、国中の有事無事を告げる。飛脚状は執政所には届けず、旗本の内、知り合いの者それぞれに届ける。使者や飛脚について、遅いのを許し、早いのを戒めなければ、だんだん早くなり、乱世の凶事を告げるようなことになる。定めの外を戒めなければ、だんだん頻繁になるものだ。ますます頻繁に、だんだん早くなれば、諸国は困窮する。あるいは病気になり、あるいは若死にする者も出る。昔は貴賤を色で分けた。高い安いの値段では区別しなかった。身分が貴くて貧しい人もおり、賤しくて富んでいる者もいる。家屋・諸道具・衣服は、富む者が立派にした。色は黒(玄)、衣は士以上の朝服であった。だから庶民や歩行・若党は着なかった。今であれば、中小姓以上が着るべきである。白衣は官位のある人が着る。烏帽子・直垂・袴の礼服に戻れば、下襲の良し悪しに心を奪われることはなくなる。簡易で礼が備わるだろう。内でも外でも小刀一腰で足りる。事があるときは、その上に太刀を帯びる。今の鍔のない脇差は、庶民、歩行、若党、小者まで差している。事があるときは、庶民・歩行・若党は今の刀を差す。小者は脇差だけである。礼が備わるときは、道具も多くならない。倹約を言わずとも簡易である。式の本意は、世の中が無事で、貴賤が安らかで、代々長く続くことを願うことである。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
大学或問・『大学或問』礼の贈答と使者の定め(問)式の條目古今に用ふべきありや、 (答)君臣に賜ふ事あれば拜して受、使者を門內迄送る、使者歸て後君所に往て忝き事を拜す、大臣士に賜する時は受て拜す、使者を戶口まで送る、行て拜せず、もし他行の時來れば往て拜す、病を問喪を吊は互の事なり、報禮の義なし、人禮有て來る時は我も禮有て往く、禮の贈りものは返し、志の贈りものは返しせず、我か家に冠婚などの事ありて人贈りものする時は、又人の家に冠婚ある時贈り物す、德ある人は人に贈るに言を以てす、富るものは人を助るに財を以てす、老者は勞を用ひず、貧者は財の報せず、人無音をとふときは我も亦後日無音を問べし、人來て我家になき時は往て拜す、先の人亦家になしといへども又來るべからず、使にも及ばず、人を訪て家になき時報禮に來るべからず、後日に約して參會せんといはゞ其意に任せて可なり、禮は三度を極とす、一度を禮辭といふ、二度を固辭といふ、三度を終辭といふ、主人客を禮す、客着べき座なれども一度は辭す、是禮なり、主人又禮するときは客辭せずして座につく、客重て辭するを固辭とす、主人强て禮す、客辭すべからず、故ありて三度する時は終辭なり、主人强ずして客の下につく、着すべき座を終辭するは禮にあらず、主人を病しむといふ、人の賜を辭し官祿を辭するも同し、受まじき義あれば終辭す、受べきものなれば終辭せず、他は推して知るべし、式定る時は逐一條數あり、鎌倉の時代の大名の家に鎌倉の式を用ひて記せるあり、其中に今も用ふべき事あらん、諸矦三番にして三年に一度參府あり、農業の時を除て遠近の定めあり、道中時を同しうせず、路をいそがす、在國のときは一年に一度の使者を以て太刀馬代を獻ず、正月中に府に到る、
-
大学或問・『大学或問』式は法度ではなく恥で守る(問)式は何と定むべきや、 (答)武士より出たる者の道を知て人情事變に達せる人を式を定る司とし、和洋の事に博學なるものをまじへ、數十箇條を記し、君及び老臣上士中士下士近く坐して議論講明し、損益の思ひ寄を述、君と司と道理の定る所を决して謄書せしむ、猶又諸國に下知して所と人情との同異を聞、賢才の者の昌言を得て損益す、世の中五十年には小變し、五百年には大變す、古の式今に用ふべきことあり、用ふべからざる事あり、式は法度に非ず、法度は數少きを善なりとす、漢の高祖法三章を約して天下大に定れり、或は委しければ、世の中無事に成て貴賤共に安し、法に背きたるものは罰あり、式に背たるものは罰なし、恥とするのみ、恥かさなれば人前なりがたし、故に罰せざれどもたつものなり、
-
『政談』制度の事制度を立つる仕方上大名より下小身の諸士に至るまて、衣服より家居器物食事供廻はり役席官禄のかぎりを以て立つへし、役儀の品席の高下官の高下禄の多少によりて其法極まるときは分に過きたる奢りは仕たくてもならぬことなり、器物家居は永久のものなれは禄によるへし、衣服供廻はりは役席官によりて変り有へし、座敷の上は衣服の品によりて役席官禄明かに見ゆるときは自から無礼なし、途中は供廻はりの装束乗物馬具道具の品にて役席官禄明かに見ゆる時は是れ亦自から途中の無礼なし、当時の如く供廻り大勢連れて込み合ひ騒かしく無用の日用傭ひ者にて備へを立つるやうなること自から已むへし、但し衣服の制度は鳥帽子直垂を用ゆるにあらずんは制度は立たぬなり、其の仔細は当時の姿、上下長上下と雖も皆白衣の姿なり、上下を着ても小袖も見ゆる、小袖はひやくえなり、地も色々ありて人々の物好き世のはやりことにて変るは制度立ぬなり、
-
『政談』制度の事女の奨束も五つきぬのやうなることを拵へて地も色も大小長短に一定の法を定め、人父の禄官に応すへし、斯の如くなる時は人々の物好きと世のはやりことはなくなるへし、下々の装束も中げんには六尺のことく頭をつゝませ、元結きやらの油も入らす禄にすへし、何れにも股引きをはかすへし、当時は大名の供も主人の鼻先へ尻をむき出して礼儀にすることあるましきことなり、若党は引立ゑぼしにすわうを神はかまをみなかくして是も色も定めなるほと簡易に質素にすへし、供まはりは大勢召連るゝこと大名にても無用たるへし、国持ち大名も当時の一万石位の供まはりにし、夫より下段々に減少し、二三百石以下は供一人と云程のことに仕りたきことなり、
-
『山鹿語類』士道・明衣服之制又朝廷燕居外出、各其服あるべし。朝廷は天下の礼義相定まり、君臣敬み守るの地也。分を守て乱るべからず。燕居して人に不交時は、褻の衣と号して私居の服あり。是は人に対面せぬ内宮に入ての服也。又朋友に会しては別なるべし。度々に衣服改ためんことも、ことわづらはしきに似たりといへども、礼服を常に着せんは、礼を軽んずるの失あり。褻の衣を着て人に交らんは、彼を侮るに同じ。且己れが威儀を以て下の情をも制して、法とらしむること、上下の道也、是利害を以て云にあらず。褻裘長、短右袂、非衣裳必殺之と云へる、各その服に品々多きを以て也。次に冠婚喪祭賓客饗応軍旅のことに因て、其服其制あるべし。士冠礼に三加の品を出せり、本朝又其礼あり。婚礼に婿婦服の法を出す。尤喪に斬斉衰斉大功緦麻等の制あり。祭に明衣浄衣等あり。賓客饗応に従て、其服の品あるべし。軍旅の容貌戎衣甲冑あり。幷に弓馬に宜しき衣服あり。其服の制一挙不可仕。具に究明して其宜に可従也。
-
『政談』制度の事其仔細は下々の病ひと云ふことあるとき供廻りの人数をのく格極まるときは兎角傭人をすることになり、夫より皆日用になることなり、唯々供の衣服乗物馬具の飾り立傘等の飾り道具の飾りに階級を付けて、官禄役席の見ゆるやうにすへし、但し当時の人数多く召し連れて賑かなるを立派と思ふ目くせを換ゆるために供のていたらくなるほと立派なるやうに制度を立てたきことなり、少々は異国にて旗にても持たせ凉傘にても持たする程のことに大名をは仕りたきことなり、但し古の堂上方の法にかゝはるへからす、公家の世の武士特の外に下賤なり、今其の法を用ゆるときは今日の宜きに非す、又鳥帽子直垂と云ふものは当上方の礼にあらす、古武家の作法なり、之に当時の格にあふやうに階級を付たる分は如何程に付けても苦しからさることなり、