大学或問 / 『大学或問』神主の扶持と茶園の薪
(問)出家は得度の法にて戒律正しくならば、次第にすくなくなり、町屋寺はあき侍らん、神社すくなくならば禰宜は妻子ありいかゞすべき、 (答)在々の神社にしかとしたる禰宜あるは稀なり、大かた百姓の中に彼れは神主筋といふものあるばかりなり、是に社跡の地をあたへても可ならん、社家禰宜などゝてあらば公儀より扶持給はり、學問させ學校の役人ともなすべし、民屋には木多く入らず、大かた村廻りの木にても事足る躰なり、其上何かたにも松山多ければ、町在の修理は事足るべし、土よき山の松は自然に用木に伐て其跡雜木となすべし、又松ならではそだゝぬ赤ざり山あり、是は後までも松山たるべし、近年は男女共に積氣多し、此故にせんじ茶を好めり、國々の茶園むかしに百倍せり、是に薪を盡す事亦かぎりなし、仁政にて鬱氣はれ、學校のをしへにて人無病にならば、昔のごとく冬日には湯をのみ、夏日には水をのみて足るべし、茶園多くは五穀となりて、食物增すのみならず薪すくなく入べし、彼是貴賤ともに所帶ゆるやかに、無用のいそがはしさやみて、男女ともに家職のつとめよかるべし、
新字:(問)出家は得度の法にて戒律正しくならば、次第にすくなくなり、町屋寺はあき侍らん、神社すくなくならば祢宜は妻子ありいかゞすべき、 (答)在々の神社にしかとしたる祢宜あるは稀なり、大かた百姓の中に彼れは神主筋といふものあるばかりなり、是に社跡の地をあたへても可ならん、社家祢宜などゝてあらば公儀より扶持給はり、学問させ学校の役人ともなすべし、民屋には木多く入らず、大かた村廻りの木にても事足る体なり、其上何かたにも松山多ければ、町在の修理は事足るべし、土よき山の松は自然に用木に伐て其跡雑木となすべし、又松ならではそだゝぬ赤ざり山あり、是は後までも松山たるべし、近年は男女共に積気多し、此故にせんじ茶を好めり、国々の茶園むかしに百倍せり、是に薪を尽す事亦かぎりなし、仁政にて鬱気はれ、学校のをしへにて人無病にならば、昔のごとく冬日には湯をのみ、夏日には水をのみて足るべし、茶園多くは五穀となりて、食物增すのみならず薪すくなく入べし、彼是貴賤ともに所帯ゆるやかに、無用のいそがはしさやみて、男女ともに家職のつとめよかるべし、
書き下し
(問)出家は得度の法にて戒律正しくならば、次第にすくなくなり、町屋寺はあき侍らん、神社すくなくならば禰宜は妻子ありいかゞすべき、 (答)在々の神社にしかとしたる禰宜あるは稀なり、大かた百姓の中に彼れは神主筋といふものあるばかりなり、是に社跡の地をあたへても可ならん、社家禰宜などゝてあらば公儀より扶持給はり、學問させ學校の役人ともなすべし、民屋には木多く入らず、大かた村廻りの木にても事足る躰なり、其上何かたにも松山多ければ、町在の修理は事足るべし、土よき山の松は自然に用木に伐て其跡雜木となすべし、又松ならではそだゝぬ赤ざり山あり、是は後までも松山たるべし、近年は男女共に積氣多し、此故にせんじ茶を好めり、國々の茶園むかしに百倍せり、是に薪を盡す事亦かぎりなし、仁政にて鬱氣はれ、學校のをしへにて人無病にならば、昔のごとく冬日には湯をのみ、夏日には水をのみて足るべし、茶園多くは五穀となりて、食物增すのみならず薪すくなく入べし、彼是貴賤ともに所帶ゆるやかに、無用のいそがはしさやみて、男女ともに家職のつとめよかるべし、
現代語訳
問う。出家が得度の法で戒律正しくなれば次第に少なくなり、町なかの寺は空くでしょう。神社が少なくなれば、禰宜には妻子があります。どうすればよいですか。 答える。村々の神社にきちんとした禰宜がいるのは稀である。たいていは百姓の中に、あれは神主の家筋だという者がいるだけである。この者に社の跡地を与えてもよいだろう。社家や禰宜といった者があれば、幕府から扶持を与え、学問をさせ、学校の役人にもすべきである。民家には木はそれほど要らず、たいてい村のまわりの木で事足りる。そのうえどこにも松山が多いので、町や村の修理は足りるだろう。土のよい山の松は、自然に用材として伐り、その跡を雑木の山にすればよい。また松でなければ育たない赤禿の山がある。これは後々まで松山のままにするのがよい。近年は男女とも積気(胸や腹の病)が多い。このため煎じ茶を好む。国々の茶園は昔の百倍になった。これに薪を費やすこともまた限りがない。仁政で気鬱が晴れ、学校の教えで人が病気にならなくなれば、昔のように冬は白湯を飲み、夏は水を飲んで足りるだろう。茶園の多くは五穀の畑となり、食物が増すだけでなく、薪も少なくて済む。あれこれで身分の上下とも暮らし向きがゆるやかになり、無用の慌ただしさがやんで、男女とも家業の務めがよくなるだろう。
解説

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