大学或問 / 『大学或問』山川の荒れと山を休ませる策
十諸國山林茂り、川深くなるべき事、附民困窮故山川荒るゝ事、 (問)山川は國の本なり、近年山荒川淺くなれり、是國の大荒なり、昔よりかくのごとくならば亂世となり、百年も二百年も戰國にて人多く死し、其上軍兵の扶持米難義すれば奢るべき力もなく、材木薪をとる事格別すくなく、堂寺を作る事もならざる間に、山々本のごとくしげり、川々深くなるといへり、亂世をまたず政にて山茂り川深くなる事あらんか、 (答)戰國にて昔の山川とならんは百五十年二百年を經べし、仁政にては百年の間には本の山川に歸るべし、仁政始まりて五六年せば天下の借金なくなるべければ、此米多くあまれり、是を以て山川の政をせん事易し、吉野熊野木曾其外山々にて材木を伐事をやめて、杣の產なきをは國々にて餘米を以て扶持すべし、近邊に山ある在所にては山にかゝりて草を刈、薪を採者田畠の作物のからを燒、山にかゝらざる仕樣あり、渡世なりがたき故にわらを賣て用を達し、薪なければ山にかゝるなり、是には米を遣はし、わらをうらせずば山にとらざるものあるべし、里中に山はなけれども薪も買はずして朝夕をとゝのへるは作物のからのみなり、又山近き在所、田畠よりは人多くて作物のから薪に不足なる所は、たとへば家數五拾の村ならば二十を他へ出し、其田畠を殘る三十家に合せ、其上に免を五分か一寸さげて山をからで薪の用達するもあるべし、他へはぶくといふ事は九州は地廣く人少し、他領より五十人一萬人迯來りたるものをさへ馳走して隱し置習ひなり、かくのごときの所へ五十人百人づゝ一組にしてつかはさば、九州は上田畠にて年貢やすし、先にて屋を作り在付までの用は餘米を以て澤山に遣すべし、此方にて一ト在所の者一所に行事なれば、さのみうひ〱しき事もあらじ、在付ては此方よりはまさるべし、
新字:十諸国山林茂り、川深くなるべき事、附民困窮故山川荒るゝ事、 (問)山川は国の本なり、近年山荒川浅くなれり、是国の大荒なり、昔よりかくのごとくならば乱世となり、百年も二百年も戦国にて人多く死し、其上軍兵の扶持米難義すれば奢るべき力もなく、材木薪をとる事格別すくなく、堂寺を作る事もならざる間に、山々本のごとくしげり、川々深くなるといへり、乱世をまたず政にて山茂り川深くなる事あらんか、 (答)戦国にて昔の山川とならんは百五十年二百年を経べし、仁政にては百年の間には本の山川に帰るべし、仁政始まりて五六年せば天下の借金なくなるべければ、此米多くあまれり、是を以て山川の政をせん事易し、吉野熊野木曽其外山々にて材木を伐事をやめて、杣の産なきをは国々にて余米を以て扶持すべし、近辺に山ある在所にては山にかゝりて草を刈、薪を採者田畠の作物のからを焼、山にかゝらざる仕様あり、渡世なりがたき故にわらを売て用を達し、薪なければ山にかゝるなり、是には米を遣はし、わらをうらせずば山にとらざるものあるべし、里中に山はなけれども薪も買はずして朝夕をとゝのへるは作物のからのみなり、又山近き在所、田畠よりは人多くて作物のから薪に不足なる所は、たとへば家数五拾の村ならば二十を他へ出し、其田畠を残る三十家に合せ、其上に免を五分か一寸さげて山をからで薪の用達するもあるべし、他へはぶくといふ事は九州は地広く人少し、他領より五十人一万人迯来りたるものをさへ馳走して隠し置習ひなり、かくのごときの所へ五十人百人づゝ一組にしてつかはさば、九州は上田畠にて年貢やすし、先にて屋を作り在付までの用は余米を以て沢山に遣すべし、此方にて一ト在所の者一所に行事なれば、さのみうひ〱しき事もあらじ、在付ては此方よりはまさるべし、
書き下し
十諸國山林茂り、川深くなるべき事、附民困窮故山川荒るゝ事、 (問)山川は國の本なり、近年山荒川淺くなれり、是國の大荒なり、昔よりかくのごとくならば亂世となり、百年も二百年も戰國にて人多く死し、其上軍兵の扶持米難義すれば奢るべき力もなく、材木薪をとる事格別すくなく、堂寺を作る事もならざる間に、山々本のごとくしげり、川々深くなるといへり、亂世をまたず政にて山茂り川深くなる事あらんか、 (答)戰國にて昔の山川とならんは百五十年二百年を經べし、仁政にては百年の間には本の山川に歸るべし、仁政始まりて五六年せば天下の借金なくなるべければ、此米多くあまれり、是を以て山川の政をせん事易し、吉野熊野木曾其外山々にて材木を伐事をやめて、杣の產なきをは國々にて餘米を以て扶持すべし、近邊に山ある在所にては山にかゝりて草を刈、薪を採者田畠の作物のからを燒、山にかゝらざる仕樣あり、渡世なりがたき故にわらを賣て用を達し、薪なければ山にかゝるなり、是には米を遣はし、わらをうらせずば山にとらざるものあるべし、里中に山はなけれども薪も買はずして朝夕をとゝのへるは作物のからのみなり、又山近き在所、田畠よりは人多くて作物のから薪に不足なる所は、たとへば家數五拾の村ならば二十を他へ出し、其田畠を殘る三十家に合せ、其上に免を五分か一寸さげて山をからで薪の用達するもあるべし、他へはぶくといふ事は九州は地廣く人少し、他領より五十人一萬人迯來りたるものをさへ馳走して隱し置習ひなり、かくのごときの所へ五十人百人づゝ一組にしてつかはさば、九州は上田畠にて年貢やすし、先にて屋を作り在付までの用は餘米を以て澤山に遣すべし、此方にて一ト在所の者一所に行事なれば、さのみうひ〱しき事もあらじ、在付ては此方よりはまさるべし、
現代語訳
十、諸国の山林が茂り、川が深くなるべきこと。付けたり、民が困窮しているために山川が荒れること。 問う。山川は国の本である。近年は山が荒れ、川が浅くなった。これは国の大荒廃である。昔からこのようであれば乱世となり、百年も二百年も戦国で人が多く死に、そのうえ軍兵の扶持米に難儀して奢る力もなく、材木・薪を取ることが格別に少なく、堂や寺を造ることもできない間に、山々は元のように茂り、川々は深くなるという。乱世を待たず、政治によって山が茂り川が深くなることがあるだろうか。 答える。戦国で昔の山川になるには、百五十年、二百年を経るだろう。仁政であれば百年のうちには元の山川に帰る。仁政が始まって五六年もすれば天下の借金がなくなるはずだから、この米は多く余る。これで山川の政治を行うことは易しい。吉野・熊野・木曽、そのほか山々で材木を切ることをやめて、杣の生業のなくなった者は、国々で余り米をもって扶持すべきである。近辺に山がある在所では、山に入って草を刈り、薪を採る者が、田畑の作物の殻(藁など)を焼いて、山に入らない方法がある。暮らしが立ちがたいので藁を売って用を足し、薪がなければ山に入るのである。これには米を与え、藁を売らせなければ、山に入らない者もあるだろう。里の中に山はないが、薪も買わずに朝夕を調えているのは、作物の殻だけである。また山に近い在所で、田畑に比べて人が多く、作物の殻では薪に不足する所は、たとえば家数五十の村なら二十を他へ出し、その田畑を残る三十家に合わせ、そのうえ税率を少し下げて、山を刈らずに薪の用を足すこともあろう。他へ移すということは、九州は土地が広く人が少なく、他領から五十人、一万人逃げてきた者さえもてなして匿う習いである。このような所へ五十人百人ずつ一組にして遣わせば、九州は上等の田畑で年貢は安く、先で家を作り、落ち着くまでの用は余り米で沢山与えるべきである。こちらでは一在所の者が一緒に行くのだから、さほど不慣れなこともあるまい。落ち着いてからは、こちらよりまさるだろう。
解説

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