大学或問 / 『大学或問』浪人の扶持と救済
九諸浪人殘らず在付、遊民並に產なきもの片付、困窮人盡く救はるべき事、 (問)諸大名家中の人餘りあり、其上に此大勢の浪人に本知遣はし、本知なきにも父母妻子養ふほどの祿をあたへば、遣はすべき知行なからん歟、 (答)まからず、浪人の間公儀のめぐみなれば、本知にかゝはらず各浪人の家口をかぞへて、十人の家人あるには二十人扶持の積りにして、浪人百人に二千人扶持なり、米四千石餘か其中千石巳上或は格よき浪人名ある歷々は人口によらず、家內十五人ありとも二十人有とも五七十人扶持も給はるべし、小身の浪人家口五六人のもあるべし、外に男一人女一人の給分宿賃など遣はすとも米五千石餘ならん、右の積にて事たらずとも萬石餘にはさのみ出すべからず、四萬石の積米ある諸侯には六七千石一萬石の扶持米を出させて預け給ふべし、此積りにて他は知べし、其中呼出し度と思はるゝものあらば、本知をあたへるか、又は親の跡知行ならば相對次第に知行遣はして拘らるべし、浪人自分に在付あらば斷を言、扶持をあげてゆくべし、かねて貯ありて引込居る浪人、又はよき親類知音ありて合力あるものは其通りたるべし、國々へ呼給はん事は屋を作り引越騷動なれば、今迄宿かり居たる所に其まゝさし置、其中にて歷々なる人一二人惣名代に禮に行て目見し、其外は江戶參府の徃來近き所にて目見致すべし、ゆく〱は勢次第にて其主人の國所へも引越事もあらんか、是大數なり、くはしき事は其時所に隨ふべし、今天下貴賤共に困窮難義は借金なり、是を盡くすまし下され、已來借金なき樣ならば、諸人のくつろぎ大慶是に過べからず、無告の諸浪人飢寒の氣遣ひなくならば、此二つはさしあたり仁政の大なるものなり、
新字:九諸浪人残らず在付、遊民並に産なきもの片付、困窮人尽く救はるべき事、 (問)諸大名家中の人余りあり、其上に此大勢の浪人に本知遣はし、本知なきにも父母妻子養ふほどの禄をあたへば、遣はすべき知行なからん歟、 (答)まからず、浪人の間公儀のめぐみなれば、本知にかゝはらず各浪人の家口をかぞへて、十人の家人あるには二十人扶持の積りにして、浪人百人に二千人扶持なり、米四千石余か其中千石巳上或は格よき浪人名ある歴々は人口によらず、家内十五人ありとも二十人有とも五七十人扶持も給はるべし、小身の浪人家口五六人のもあるべし、外に男一人女一人の給分宿賃など遣はすとも米五千石余ならん、右の積にて事たらずとも万石余にはさのみ出すべからず、四万石の積米ある諸侯には六七千石一万石の扶持米を出させて預け給ふべし、此積りにて他は知べし、其中呼出し度と思はるゝものあらば、本知をあたへるか、又は親の跡知行ならば相対次第に知行遣はして拘らるべし、浪人自分に在付あらば断を言、扶持をあげてゆくべし、かねて貯ありて引込居る浪人、又はよき親類知音ありて合力あるものは其通りたるべし、国々へ呼給はん事は屋を作り引越騷動なれば、今迄宿かり居たる所に其まゝさし置、其中にて歴々なる人一二人惣名代に礼に行て目見し、其外は江戸参府の往来近き所にて目見致すべし、ゆく〱は勢次第にて其主人の国所へも引越事もあらんか、是大数なり、くはしき事は其時所に随ふべし、今天下貴賤共に困窮難義は借金なり、是を尽くすまし下され、已来借金なき様ならば、諸人のくつろぎ大慶是に過べからず、無告の諸浪人飢寒の気遣ひなくならば、此二つはさしあたり仁政の大なるものなり、
書き下し
九諸浪人殘らず在付、遊民並に產なきもの片付、困窮人盡く救はるべき事、 (問)諸大名家中の人餘りあり、其上に此大勢の浪人に本知遣はし、本知なきにも父母妻子養ふほどの祿をあたへば、遣はすべき知行なからん歟、 (答)まからず、浪人の間公儀のめぐみなれば、本知にかゝはらず各浪人の家口をかぞへて、十人の家人あるには二十人扶持の積りにして、浪人百人に二千人扶持なり、米四千石餘か其中千石巳上或は格よき浪人名ある歷々は人口によらず、家內十五人ありとも二十人有とも五七十人扶持も給はるべし、小身の浪人家口五六人のもあるべし、外に男一人女一人の給分宿賃など遣はすとも米五千石餘ならん、右の積にて事たらずとも萬石餘にはさのみ出すべからず、四萬石の積米ある諸侯には六七千石一萬石の扶持米を出させて預け給ふべし、此積りにて他は知べし、其中呼出し度と思はるゝものあらば、本知をあたへるか、又は親の跡知行ならば相對次第に知行遣はして拘らるべし、浪人自分に在付あらば斷を言、扶持をあげてゆくべし、かねて貯ありて引込居る浪人、又はよき親類知音ありて合力あるものは其通りたるべし、國々へ呼給はん事は屋を作り引越騷動なれば、今迄宿かり居たる所に其まゝさし置、其中にて歷々なる人一二人惣名代に禮に行て目見し、其外は江戶參府の徃來近き所にて目見致すべし、ゆく〱は勢次第にて其主人の國所へも引越事もあらんか、是大數なり、くはしき事は其時所に隨ふべし、今天下貴賤共に困窮難義は借金なり、是を盡くすまし下され、已來借金なき樣ならば、諸人のくつろぎ大慶是に過べからず、無告の諸浪人飢寒の氣遣ひなくならば、此二つはさしあたり仁政の大なるものなり、
現代語訳
九、諸浪人が残らず落ち着き、遊民や生業のない者が身を固め、困窮人がことごとく救われるべきこと。 問う。諸大名の家中の人は余っている。そのうえ、この大勢の浪人に本知(元の知行)を与え、本知のない者にも父母妻子を養えるほどの禄を与えれば、与えるべき知行がないのではないか。 答える。心配ない。浪人の間は幕府の恵みなのだから、本知にかかわらず、各浪人の家族を数えて、十人の家人があれば二十人扶持の見積もりとして、浪人百人で二千人扶持である。米四千石余りだが、その中で千石以上の者、あるいは格のよい浪人で名のある人々は、人数によらず、家内が十五人でも二十人でも、五、七十人扶持をいただいてもよい。小身の浪人で家族が五六人のこともあろう。ほかに男一人女一人の給分や宿賃などを出しても、米五千石余りだろう。右の見積もりで不足しても、一万石余りにはさほど出さずに済む。四万石の積み米のある大名には、六七千石から一万石の扶持米を出させて預けなさるべきである。この見積もりで他は推して知るべきである。その中で呼び出したいと思う者があれば、本知を与えるか、親の跡知行であれば、相対次第に知行を与えて召し抱えるがよい。浪人が自分で落ち着き先を得たならば、届け出て、扶持を返上してゆくべきである。かねて貯えがあって引きこもっている浪人、または良い親類知人があって援助を受ける者は、そのままでよい。国々へ呼び寄せることは、家を作り引っ越しの騒動となるので、今まで宿を借りていた所にそのまま置き、その中の立派な人一二人を総代として、礼に行かせて目見えさせ、そのほかは江戸参府の往来に近い所で目見えさせるべきである。ゆくゆくは情勢次第で、その主人の国元へ引っ越すこともあろうか。これは大筋である。詳しいことは、その時その所に従う。今、天下の貴賤ともに困窮難儀しているのは借金である。これをことごとくお済ませになり、今後借金がないようになれば、人々の安らぎ、大慶はこれに過ぎるものはない。訴えるすべのない諸浪人が、飢えや寒さの心配がなくなれば、この二つは、差し当たり仁政の大きなものである。
解説

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