大学或問 / 『大学或問』水損をなくす仁政と人柱
五諸國水損の憂なく、日損少かるべき事、 (問)川堤の地理を得て、水損已むべき事は何ぞや、 (答)諸國今の川堤の普請は、俗に飯上の蠅を追ふといふが如し、今の地理の勢に叶はず、永久の道は山林茂り川深くなるにありといへども、大君大道の眞志おはしまして、仁政を行ひ給はざれば成就する事かたし、たとひ仁政にて永久のはかりことおはしますとも、五十年六十年の間には其しるしを見るべからず、業をはじめ統をたれて永久をはかり給ふべくば、しばらく五六十年の間水損のうれへなかるべき仕樣あり、諸國の川々の地形を見て知るべきなり、書にしるしがたし、然かりといへども、淀川にて此法を行はれば諸國の手本とも成べきか、是を行ふに先仁政あり、今の川ちがへ水よけは多くの人の歎となれり、平清盛十人餘の人柱をとりたるだに數百歲の人心をいたましむ、後世は直にとりてうちはめぬばかりなり、數千百人地をとられ產を失ひて流浪し、終には飢饉にあひて餓死す、是人柱にあらずや、是故に事はよくても成就せず、况して凡人の小智にてする事なれば時の地理にあたらず、昔或人予に問、三十年巳前に古地の上田三萬石餘水入て沼と成れり、此水を海へぬきて三萬石の古地を與し、又下に三萬石餘の新田出來る積りあり、此水ぬきの新川堤に古地壹萬石許の費あれども、壹萬石失て六萬石出來れば人を養ふ事多し、よき事ならずや、予曰く、壹萬石を失て六萬石得といふは利なり、沼と成たる所の民は流浪し餓死し、殘りたるものも今はとかくありつきて居住せり、殘たる者ども昔の地を得は悅ぶべきのみ、昔の事なれば今は得ざるとてもくるしからず、一萬石の上田に昔より在付たる民妻子ともに大凡千人餘ならん、此者俄に所を失ひ上田を取られて流浪し餓死せん事は不便なる事なり、
新字:五諸国水損の憂なく、日損少かるべき事、 (問)川堤の地理を得て、水損已むべき事は何ぞや、 (答)諸国今の川堤の普請は、俗に飯上の蠅を追ふといふが如し、今の地理の勢に叶はず、永久の道は山林茂り川深くなるにありといへども、大君大道の真志おはしまして、仁政を行ひ給はざれば成就する事かたし、たとひ仁政にて永久のはかりことおはしますとも、五十年六十年の間には其しるしを見るべからず、業をはじめ統をたれて永久をはかり給ふべくば、しばらく五六十年の間水損のうれへなかるべき仕様あり、諸国の川々の地形を見て知るべきなり、書にしるしがたし、然かりといへども、淀川にて此法を行はれば諸国の手本とも成べきか、是を行ふに先仁政あり、今の川ちがへ水よけは多くの人の嘆となれり、平清盛十人余の人柱をとりたるだに数百歳の人心をいたましむ、後世は直にとりてうちはめぬばかりなり、数千百人地をとられ産を失ひて流浪し、終には飢饉にあひて餓死す、是人柱にあらずや、是故に事はよくても成就せず、況して凡人の小智にてする事なれば時の地理にあたらず、昔或人予に問、三十年巳前に古地の上田三万石余水入て沼と成れり、此水を海へぬきて三万石の古地を与し、又下に三万石余の新田出来る積りあり、此水ぬきの新川堤に古地壱万石許の費あれども、壱万石失て六万石出来れば人を養ふ事多し、よき事ならずや、予曰く、壱万石を失て六万石得といふは利なり、沼と成たる所の民は流浪し餓死し、残りたるものも今はとかくありつきて居住せり、残たる者ども昔の地を得は悦ぶべきのみ、昔の事なれば今は得ざるとてもくるしからず、一万石の上田に昔より在付たる民妻子ともに大凡千人余ならん、此者俄に所を失ひ上田を取られて流浪し餓死せん事は不便なる事なり、
書き下し
五諸國水損の憂なく、日損少かるべき事、 (問)川堤の地理を得て、水損已むべき事は何ぞや、 (答)諸國今の川堤の普請は、俗に飯上の蠅を追ふといふが如し、今の地理の勢に叶はず、永久の道は山林茂り川深くなるにありといへども、大君大道の眞志おはしまして、仁政を行ひ給はざれば成就する事かたし、たとひ仁政にて永久のはかりことおはしますとも、五十年六十年の間には其しるしを見るべからず、業をはじめ統をたれて永久をはかり給ふべくば、しばらく五六十年の間水損のうれへなかるべき仕樣あり、諸國の川々の地形を見て知るべきなり、書にしるしがたし、然かりといへども、淀川にて此法を行はれば諸國の手本とも成べきか、是を行ふに先仁政あり、今の川ちがへ水よけは多くの人の歎となれり、平清盛十人餘の人柱をとりたるだに數百歲の人心をいたましむ、後世は直にとりてうちはめぬばかりなり、數千百人地をとられ產を失ひて流浪し、終には飢饉にあひて餓死す、是人柱にあらずや、是故に事はよくても成就せず、况して凡人の小智にてする事なれば時の地理にあたらず、昔或人予に問、三十年巳前に古地の上田三萬石餘水入て沼と成れり、此水を海へぬきて三萬石の古地を與し、又下に三萬石餘の新田出來る積りあり、此水ぬきの新川堤に古地壹萬石許の費あれども、壹萬石失て六萬石出來れば人を養ふ事多し、よき事ならずや、予曰く、壹萬石を失て六萬石得といふは利なり、沼と成たる所の民は流浪し餓死し、殘りたるものも今はとかくありつきて居住せり、殘たる者ども昔の地を得は悅ぶべきのみ、昔の事なれば今は得ざるとてもくるしからず、一萬石の上田に昔より在付たる民妻子ともに大凡千人餘ならん、此者俄に所を失ひ上田を取られて流浪し餓死せん事は不便なる事なり、
現代語訳
五 諸国で水害の憂いがなく、日照りの害が少なくなるようにすること。 問う。川や堤の地形をよく得て、水害を止められることとは何か。 答える。諸国の今の川や堤の普請は、俗に飯の上の蠅を追う、というようなものである。今の地理の勢いにかなわない。永久の道は、山林が茂り川が深くなることにあるが、大君が大道への真の志をもって仁政を行われなければ、成就することは難しい。たとえ仁政で永久の計画を立てられても、五十年、六十年の間には、その効果は見られない。事業を始めて後の世に伝え、永久を計られるなら、しばらく五、六十年の間、水害の憂いがないようにする方法がある。諸国の川々の地形を見て知るべきことで、書き記すことは難しい。そうは言っても、淀川でこの方法を行えば、諸国の手本ともなるだろうか。これを行うにはまず仁政がある。今の川違えや水除けは、多くの人の嘆きの種となっている。平清盛が十人余りの人柱を取ったことでさえ、数百年の人の心を痛ませた。後世は、ただ取って打ち込まないだけである。数千、数百の人が土地を取られ、生業を失って流浪し、ついには飢饉にあって餓死する。これは人柱ではないか。だから、事業はよくても成就しない。まして凡人の小智でする事なので、時の地理に当たらない。昔、ある人が私に問うた。三十年前に古い土地の上田三万石余りが水に入って沼となった。この水を海へ抜いて三万石の古地を与え、また下に三万石余りの新田ができる見込みがある。この水抜きの新川と堤に、古地一万石ほどの費用がかかるが、一万石を失って六万石が出来れば、人を養うことが多い。よいことではないか、と。私は言った。一万石を失って六万石を得るというのは利である。沼となった所の民は流浪し餓死し、残った者も今はとにかく落ち着いて暮らしている。残った者たちは、昔の地を得れば喜ぶだけだろう。昔のことなので、今は得なくても苦しくはない。一万石の上田に昔から住み着いた民は、妻子ともにおよそ千人余りだろう。この者が急に所を失い、上田を取られて流浪し餓死することは、不憫なことである。
解説

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