大学或問 / 『大学或問』旱の備えと池堤の築き方
(問)旱の備は如何、 (答)日損所には大かた池所ありと雖ども是は猶以て仁政ならではなしがたし、西國にて日損所に大なる池數多普請したり、仁政にてなしたれば成就す、今は三十年餘になれども度々の大旱に日損せず、洪水にも堤やぶれず、よき池所に池をなしても仕樣あしければ、洪水に堤破れて、其下の古池永荒になるものなれば大事なり、其あらまし少許こゝに記す、堤は自然の山のごとく土をかたくし、岩根は天然の流のごとくする時はいかなる大雨洪水にも破損する事なし、先つ池の底を入るといふ事あり、谷深く水溜るべき所を見立て爰に堤をせんと思ふ所を根切すべし、砂沙礫地ならば其下は眞土と知るべし、眞土にあたるまで砂を掘除け、兼て近所に眞土を見立て其砂をのけたる所を埋むを底を入といふなり、其上に堤を築かんとするに常は水なき谷なれども、三町も五町も奧より水うきて流るゝものなり、それは底をくゞる水をとめられたる故なり、故に樋をふせんとおもふ所をあけて此水を通すなり、又石河原なれば底は多く一枚岩なり、石を殘らずのけて眞土にて埋む事前のごとし、大抵の池堤ならば根置十間ならんと思はゞ二十間にすべし、世間には堤の上に繩張し何間に何間高さ何尺何人役として土をもたする故に堤堅固ならず、大事の堤は土取所に繩張し何間に何間深さ何間何人役として土をもたせ、堤の上にてはかさの上りかぬるやうに見ゆるがよし、堤の中に竪に繩張し、一方へかたつけてもたせ一と持籠だけ一通り持て後又一方へもたす、其內に鍬取の者持たる土をくだきならし、石竹木茅の樣までもはねのけ是を取除る役人あり、何にても土に雜るものあればよわみになる故なり、さてならしたる上へ又土をもたする時、東の土は西へもたせ西の土は東へもたせてよし、役人は一倍多く入れども堤を自然と山のごとく堅固にせんとなり、惣じて役人は世の常なれば三萬入るべきといふ所には九萬も拾萬も入るべし、然らざれは堅からず、又役人はかろくつかふものなり、一人一日に米一升五合扶持を下とす、朝五つ時よりはじめて晩は七つ時に仕廻すべし、其內一時は休なり、是も仁政の一つなり、荒手は堤の兩方にて岩を切ぬき、小川のごとくにして餘る水を通すべし、近所に山のたわみあらばまはりて山のたわみを切ぬきてもよし、是大數なり、
新字:(問)旱の備は如何、 (答)日損所には大かた池所ありと雖ども是は猶以て仁政ならではなしがたし、西国にて日損所に大なる池数多普請したり、仁政にてなしたれば成就す、今は三十年余になれども度々の大旱に日損せず、洪水にも堤やぶれず、よき池所に池をなしても仕様あしければ、洪水に堤破れて、其下の古池永荒になるものなれば大事なり、其あらまし少許こゝに記す、堤は自然の山のごとく土をかたくし、岩根は天然の流のごとくする時はいかなる大雨洪水にも破損する事なし、先つ池の底を入るといふ事あり、谷深く水溜るべき所を見立て爰に堤をせんと思ふ所を根切すべし、砂沙礫地ならば其下は真土と知るべし、真土にあたるまで砂を掘除け、兼て近所に真土を見立て其砂をのけたる所を埋むを底を入といふなり、其上に堤を築かんとするに常は水なき谷なれども、三町も五町も奥より水うきて流るゝものなり、それは底をくゞる水をとめられたる故なり、故に樋をふせんとおもふ所をあけて此水を通すなり、又石河原なれば底は多く一枚岩なり、石を残らずのけて真土にて埋む事前のごとし、大抵の池堤ならば根置十間ならんと思はゞ二十間にすべし、世間には堤の上に縄張し何間に何間高さ何尺何人役として土をもたする故に堤堅固ならず、大事の堤は土取所に縄張し何間に何間深さ何間何人役として土をもたせ、堤の上にてはかさの上りかぬるやうに見ゆるがよし、堤の中に竪に縄張し、一方へかたつけてもたせ一と持籠だけ一通り持て後又一方へもたす、其内に鍬取の者持たる土をくだきならし、石竹木茅の様までもはねのけ是を取除る役人あり、何にても土に雑るものあればよわみになる故なり、さてならしたる上へ又土をもたする時、東の土は西へもたせ西の土は東へもたせてよし、役人は一倍多く入れども堤を自然と山のごとく堅固にせんとなり、惣じて役人は世の常なれば三万入るべきといふ所には九万も拾万も入るべし、然らざれは堅からず、又役人はかろくつかふものなり、一人一日に米一升五合扶持を下とす、朝五つ時よりはじめて晩は七つ時に仕廻すべし、其内一時は休なり、是も仁政の一つなり、荒手は堤の両方にて岩を切ぬき、小川のごとくにして余る水を通すべし、近所に山のたわみあらばまはりて山のたわみを切ぬきてもよし、是大数なり、
書き下し
(問)旱の備は如何、 (答)日損所には大かた池所ありと雖ども是は猶以て仁政ならではなしがたし、西國にて日損所に大なる池數多普請したり、仁政にてなしたれば成就す、今は三十年餘になれども度々の大旱に日損せず、洪水にも堤やぶれず、よき池所に池をなしても仕樣あしければ、洪水に堤破れて、其下の古池永荒になるものなれば大事なり、其あらまし少許こゝに記す、堤は自然の山のごとく土をかたくし、岩根は天然の流のごとくする時はいかなる大雨洪水にも破損する事なし、先つ池の底を入るといふ事あり、谷深く水溜るべき所を見立て爰に堤をせんと思ふ所を根切すべし、砂沙礫地ならば其下は眞土と知るべし、眞土にあたるまで砂を掘除け、兼て近所に眞土を見立て其砂をのけたる所を埋むを底を入といふなり、其上に堤を築かんとするに常は水なき谷なれども、三町も五町も奧より水うきて流るゝものなり、それは底をくゞる水をとめられたる故なり、故に樋をふせんとおもふ所をあけて此水を通すなり、又石河原なれば底は多く一枚岩なり、石を殘らずのけて眞土にて埋む事前のごとし、大抵の池堤ならば根置十間ならんと思はゞ二十間にすべし、世間には堤の上に繩張し何間に何間高さ何尺何人役として土をもたする故に堤堅固ならず、大事の堤は土取所に繩張し何間に何間深さ何間何人役として土をもたせ、堤の上にてはかさの上りかぬるやうに見ゆるがよし、堤の中に竪に繩張し、一方へかたつけてもたせ一と持籠だけ一通り持て後又一方へもたす、其內に鍬取の者持たる土をくだきならし、石竹木茅の樣までもはねのけ是を取除る役人あり、何にても土に雜るものあればよわみになる故なり、さてならしたる上へ又土をもたする時、東の土は西へもたせ西の土は東へもたせてよし、役人は一倍多く入れども堤を自然と山のごとく堅固にせんとなり、惣じて役人は世の常なれば三萬入るべきといふ所には九萬も拾萬も入るべし、然らざれは堅からず、又役人はかろくつかふものなり、一人一日に米一升五合扶持を下とす、朝五つ時よりはじめて晩は七つ時に仕廻すべし、其內一時は休なり、是も仁政の一つなり、荒手は堤の兩方にて岩を切ぬき、小川のごとくにして餘る水を通すべし、近所に山のたわみあらばまはりて山のたわみを切ぬきてもよし、是大數なり、
現代語訳
問う。日照りへの備えはどうか。 答える。日照りの害にあう所には、たいてい池を作る場所があるけれども、これはなお仁政でなければ成し得ない。西国で日損所に大きな池を数多く普請した。仁政で行ったので成就した。今は三十年余りになるが、たびたびの大旱でも日損せず、洪水でも堤は破れない。よい池所に池を作っても、仕方が悪ければ、洪水で堤が破れて、その下の古い池が永荒れになるものなので、大事である。そのあらましを少しだけここに記す。堤は自然の山のように土を固くし、岩根は天然の流れのようにするとき、どんな大雨や洪水にも破損することはない。まず池の底を入れるということがある。谷が深く水が溜まるはずの所を見立て、ここに堤を作ろうと思う所を根切りする。砂や礫の地であれば、その下は真土と知るべきである。真土に当たるまで砂を掘りのけ、前もって近所に真土を見立てておいて、その砂をのけた所を埋めることを、底を入れるという。その上に堤を築こうとすると、普段は水のない谷でも、三町も五町も奥から水が湧き出て流れるものである。それは、底をくぐる水を止められたからである。だから樋を伏せようと思う所を開けて、この水を通す。また、石河原であれば、底は多く一枚岩である。石を残らずのけて、真土で埋めることは前のとおりである。たいてい池堤であれば、根置十間にしようと思うなら二十間にするべきである。世間では、堤の上に縄張りをして、何間に何間、高さ何尺、何人役と決めて土を持たせるので、堤が堅固にならない。大事な堤は、土取り場に縄張りをして、何間に何間、深さ何間、何人役と決めて土を持たせ、堤の上では嵩が上がりかねるように見えるのがよい。堤の中に縦に縄張りをし、一方へ片付けて持たせ、一持ち籠分だけ一通り持ったあと、また一方へ持たせる。その間に、鍬を取る者が持った土を砕きならし、石・竹・木・茅の類までもはね除ける役人がいる。何であっても土に雑じるものがあれば弱みになるからである。さて、ならした上へ、また土を持たせるとき、東の土は西へ、西の土は東へ持たせるのがよい。役人は一倍多く要るけれども、堤を自然と山のように堅固にしようとするのである。総じて役人は世の常の数で三万要るはずという所には、九万も十万も入れるべきである。そうしなければ堅くならない。また、役人は軽く使うものである。一人一日に米一升五合の扶持を下とする。朝五つ時から始めて、晩は七つ時に仕舞うべきである。その間、一時は休みである。これも仁政の一つである。荒手は堤の両方で岩を切り抜き、小川のようにして余る水を通すべきである。近所に山のたわみがあれば、まわりこんで山のたわみを切り抜いてもよい。これは大筋である。
解説

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