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中朝事実 / 祭祀章・淫祀を問う・神国の祭り

中朝者神國也。以天神地祇爲皇祖。天地乃宗廟之神也。後世別社稷宗廟爲二矣。鬼神之幽。而無迹可視聽。亦設此社廟。萃其靈於此。則鬼神之精不分散。祭祀之誠有著。祭祀又有時。煩乃褻。疎乃忘。各致其道。而後如在之實明也。否則鬼神何享之乎。不可享而祭焉。所謂淫祀也。或疑。中朝所祭之神祠甚多。殆淫祠之謂乎。愚謂淫祠者不可祀而祀之也。凡祭祀之制或有功於民。或有功於事。或始祖于其事物。或當難捍患。或致忠孝於君父。或其鬼無所歸而爲厲。皆祀之。是乃八十萬神也。如外朝四方百物無不祭。貓虎昆蟲亦與焉。況吾神國之靈乎。或疑。外朝有七廟。而我國不然何也。愚謂。郊祀天神。祭祀內侍所。是乃祭祀社稷宗廟也。如七廟者外朝之禮也。中朝又有中朝之禮。況神祭之義。天子自盡其誠。重臣相其事。神官守往古之法。則更無可擬議之。或疑。社稷之祭祀得聞之。如祭其祖考。未與聞之。愚謂。伊弉冊尊神退去。葬於紀伊國熊野之有馬村焉。土俗祭此神之魂。是上古祭魂之始也。天祖高皇產靈尊曰。吾當爲吾孫奉齋矣。是示祭祀宗廟之敎也。祭其祖考之禮。豈外于之乎。後世修飾其節文。明于舊紀。其不一於外朝者。因水土國俗之殊。是乃天地之勢也。近世雜浮屠之法。大變上古之制。尤可歎也。

新字:中朝者神国也。以天神地祇為皇祖。天地乃宗廟之神也。後世別社稷宗廟為二矣。鬼神之幽。而無迹可視聴。亦設此社廟。萃其霊於此。則鬼神之精不分散。祭祀之誠有著。祭祀又有時。煩乃褻。疎乃忘。各致其道。而後如在之実明也。否則鬼神何享之乎。不可享而祭焉。所謂淫祀也。或疑。中朝所祭之神祠甚多。殆淫祠之謂乎。愚謂淫祠者不可祀而祀之也。凡祭祀之制或有功於民。或有功於事。或始祖于其事物。或当難捍患。或致忠孝於君父。或其鬼無所帰而為厲。皆祀之。是乃八十万神也。如外朝四方百物無不祭。貓虎昆虫亦与焉。況吾神国之霊乎。或疑。外朝有七廟。而我国不然何也。愚謂。郊祀天神。祭祀内侍所。是乃祭祀社稷宗廟也。如七廟者外朝之礼也。中朝又有中朝之礼。況神祭之義。天子自尽其誠。重臣相其事。神官守往古之法。則更無可擬議之。或疑。社稷之祭祀得聞之。如祭其祖考。未与聞之。愚謂。伊弉冊尊神退去。葬於紀伊国熊野之有馬村焉。土俗祭此神之魂。是上古祭魂之始也。天祖高皇産霊尊曰。吾当為吾孫奉斎矣。是示祭祀宗廟之教也。祭其祖考之礼。豈外于之乎。後世修飾其節文。明于旧紀。其不一於外朝者。因水土国俗之殊。是乃天地之勢也。近世雑浮屠之法。大変上古之制。尤可嘆也。

書き下し

中朝は神国なり。天神地祇を以て皇祖と為す。天地は乃ち宗廟の神なり。後世、社稷宗廟を別ちて二と為す。鬼神の幽にして、迹の視聴すべき無きも、亦此の社廟を設け、其の霊を此に萃めば、則ち鬼神の精分散せず、祭祀の誠著はる有り。祭祀に又時有り。煩はしければ乃ち褻れ、疎ければ乃ち忘る。各々其の道を致して、而る後に如在の実明らかなり。否ざれば鬼神何ぞ之を享けむ。享くべからずして祭る。所謂淫祀なり。或ひと疑ふ、中朝の祭る所の神祠甚だ多し、殆ど淫祠の謂ならむかと。愚謂へらく、淫祠とは、祀るべからずして之を祀るなり。凡そ祭祀の制は、或いは民に功有り、或いは事に功有り、或いは始めて其の事物を祖とし、或いは難に当たり患を捍ぎ、或いは忠孝を君父に致し、或いは其の鬼帰する所無くして厲を為す、皆之を祀る。是れ乃ち八十万神なり。外朝の如きは、四方百物祭らざる無く、猫・虎・昆虫も亦与る。況んや吾が神国の霊をや。或ひと疑ふ、外朝に七廟有り、而して我が国は然らず、何ぞやと。愚謂へらく、郊に天神を祀り、内侍所を祭祀するは、是れ乃ち社稷宗廟を祭祀するなり。七廟の如きは外朝の礼なり。中朝には又中朝の礼有り。況んや神祭の義は、天子自ら其の誠を尽くし、重臣其の事を相け、神官は往古の法を守れば、則ち更に之を擬議すべき無し。或ひと疑ふ、社稷の祭祀は聞くを得たり。其の祖考を祭るが如きは、未だ与り聞かずと。愚謂へらく、伊弉冊尊、神退去りたまひ、紀伊国熊野の有馬村に葬る。土俗、此の神の魂を祭る。是れ上古の祭魂の始めなり。天祖高皇産霊尊曰はく、吾は当に吾が孫の為に奉斎すべしと。是れ宗廟を祭祀するの教を示すなり。其の祖考を祭るの礼、豈に之に外ならむや。後世、其の節文を修飾して、旧紀に明らかなり。其の外朝に一ならざるは、水土国俗の殊なるに因る。是れ乃ち天地の勢なり。近世、浮屠の法を雑へて、上古の制を大いに変ふ。尤も歎くべきなり。

現代語訳

中朝(日本)は神国である。天神地祇を皇祖とする。天地こそ宗廟の神である。後の世に、社稷と宗廟を分けて二つとした。鬼神は幽かで、目や耳でとらえられる跡はないが、それでもこの社や廟を設けてその霊をここに集めれば、鬼神の精は分散せず、祭祀の誠が現れる。祭祀にはまた時がある。回数が多ければなれなれしくなり、疎かにすれば忘れる。それぞれがその道を尽くしてはじめて、そこに神が在すかのような実が明らかになる。そうでなければ鬼神がどうして供物を受けようか。受けるはずのないものを祭る、それがいわゆる淫祀である。ある人は疑う。中朝の祭る神祠はあまりに多く、ほとんど淫祠というものではないかと。私が思うに、淫祠とは祀るべきでないものを祀ることである。およそ祭祀の制は、民に功があるもの、事に功があるもの、その事物の始祖であるもの、難に当たり災いを防いだもの、君父に忠孝を尽くしたもの、行き場がなく祟りをなす霊、これらはみな祀る。これが八十万の神である。外朝(中国)では、四方のあらゆる物を祭らないものはなく、猫や虎や昆虫までも与かっている。まして我が神国の霊についてはなおさらである。ある人は疑う。外朝には七廟があるのに、我が国はそうでないのはなぜかと。私が思うに、郊で天神を祀り、内侍所を祭ることこそ、社稷と宗廟を祭ることである。七廟は外朝の礼である。中朝にはまた中朝の礼がある。まして神祭の義は、天子が自ら誠を尽くし、重臣がその事を助け、神官が昔の法を守るのであるから、もう論議すべきことはない。ある人は疑う。社稷の祭祀はわかったが、祖先を祭るということはまだ聞いていないと。私が思うに、伊弉冊尊が神として退き去ったとき、紀伊国熊野の有馬村に葬った。土地の人々はこの神の魂を祭っている。これが上古の祭魂の始めである。天祖の高皇産霊尊は言った。「私は私の孫のために奉斎しよう」と。これは宗廟を祭る教えを示している。祖先を祭る礼は、これ以外にあろうか。後の世にその儀礼を整えたことは、旧記に明らかである。外朝と同じでないのは、風土と国俗の違いによる。これは天地の勢である。近世は仏教の法を雑え、上古の制を大きく変えてしまった。とりわけ嘆かわしい。

解説

日本の祭りが多すぎて淫祀ではないか、中国の七廟と違うのはなぜか、といった問いに素行が答える段です。素行は、民や事に功があった者、災いを防いだ者、忠孝を尽くした者などは祀ってよいとし、淫祀とは祀るべきでないものを祀ることだと定義します。礼は風土や国俗によって違うという考え方は、中国の形式を絶対視しない立場の表れです。ただし神国の優位を前提にした論で、素行の主張です。自分の組織の儀礼を、他社の形に合わせず、実情から考え直す際の参考になります。
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この章句が説くこと

神国淫祀八十万神七廟祭魂水土国俗

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