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都鄙問答 / 卷之二・鬼神ヲ遠ト云事ヲ問ノ段

答、中庸ニ、所謂鬼神爲德其盛矣乎、體物而不可遺ト云ヘリ、鬼神トハ、天地陰陽ノ神ヲ云、體物不可遺トハ、造化ハ鬼神ノ功用ニシテ、鬼神ハ萬物ヲ總主レルヲ云、又我朝ノ神明モ、伊弉諾尊伊弉冊尊ヨリ受玉ヒ、日月星辰ヨリ、萬物ニ至マデ、總主玉ヒ、殘所ナキユヘニ、唯一ニシテ神國トハ云ヘリ、コヽハ工夫有ベキ所ナリ、然レドモ唐土ニ替、我朝ニハ、太神宮ノ御末ヲ繼セ玉ヒ、御位ニ立セ玉フ、依テ天照皇太神宮ヲ、宗廟トアガメ奉リ、一天ノ君ノ御先祖ニテワタラセ玉ヘバ、下萬民ニ至マデ、參宮ト云テ、盡ク參詣スルナリ、唐土ニハ此例ナシ、此國ニハ宗廟ト尊ユヘニ、神樂初穗ヲ捧奉ル、今日天下ノ萬民ヨリ、君ヘ貢物ヲ捧ルガ如シ、

新字:答、中庸ニ、所謂鬼神為徳其盛矣乎、体物而不可遺ト云ヘリ、鬼神トハ、天地陰陽ノ神ヲ云、体物不可遺トハ、造化ハ鬼神ノ功用ニシテ、鬼神ハ万物ヲ総主レルヲ云、又我朝ノ神明モ、伊弉諾尊伊弉冊尊ヨリ受玉ヒ、日月星辰ヨリ、万物ニ至マデ、総主玉ヒ、残所ナキユヘニ、唯一ニシテ神国トハ云ヘリ、コヽハ工夫有ベキ所ナリ、然レドモ唐土ニ替、我朝ニハ、太神宮ノ御末ヲ継セ玉ヒ、御位ニ立セ玉フ、依テ天照皇太神宮ヲ、宗廟トアガメ奉リ、一天ノ君ノ御先祖ニテワタラセ玉ヘバ、下万民ニ至マデ、参宮ト云テ、尽ク参詣スルナリ、唐土ニハ此例ナシ、此国ニハ宗廟ト尊ユヘニ、神楽初穂ヲ捧奉ル、今日天下ノ万民ヨリ、君ヘ貢物ヲ捧ルガ如シ、

書き下し

答、中庸に、所謂鬼神の徳たる其れ盛んなるかな、物に体して遺すべからずと云へり。鬼神とは、天地陰陽の神を云。物に体して遺すべからずとは、造化は鬼神の功用にして、鬼神は万物を総主れるを云。又我朝の神明も、伊弉諾尊伊弉冊尊より受玉ひ、日月星辰より、万物に至まで、総主玉ひ、残所なきゆへに、唯一にして神国とは云へり。こゝは工夫有べき所なり。然れども唐土に替、我朝には、太神宮の御末を継せ玉ひ、御位に立せ玉ふ。依て天照皇太神宮を、宗廟とあがめ奉り、一天の君の御先祖にてわたらせ玉へば、下万民に至まで、参宮と云て、尽く参詣するなり。唐土には此例なし。此国には宗廟と尊ゆへに、神楽初穂を捧奉る。今日天下の万民より、君へ貢物を捧るが如し。

現代語訳

梅岩「『中庸』に『鬼神の徳たる、其れ盛んなるかな。物に体して遺すべからず』とあります。鬼神とは天地陰陽の神のことです。物に体して遺すべからずとは、万物の生成は鬼神の働きであり、鬼神は万物を統べ主っているということです。わが国の神々も、伊弉諾尊・伊弉冊尊から受け継がれ、日月星辰から万物に至るまで統べ主って余すところがないので、唯一であって神国と言うのです。ここはよく考えるべきところです。けれども中国と違って、わが国では太神宮の御子孫が位を継いで即位されます。そこで天照皇太神宮を宗廟とあがめ奉り、天下の君の御先祖でいらっしゃるので、下々の万民に至るまで参宮と言ってみな参詣するのです。中国にはこの例がありません。この国では宗廟として尊ぶから神楽や初穂を捧げるのです。今日、天下の万民が君に貢物を捧げるのと同じです。」

解説

梅岩は『中庸』第十六章の「鬼神の徳たる、其れ盛んなるかな。物に体して遺すべからず」を引き、鬼神を天地陰陽の働きと解します。これは朱子の注に沿った理解で、日本の神々もまた万物を統べる働きとして同じものだと言います。そのうえで日本の特殊性として、天照大神が天皇の祖先神=宗廟であることを挙げ、万民の伊勢参宮は君への貢物と同じ礼だと説明します。儒学の普遍的な鬼神論と、日本固有の宗廟観を両立させようとする、江戸中期の神儒一致の典型的な論法です。

この章句が説くこと

鬼神中庸宗廟伊勢神儒

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