中朝事実 / 禮儀章・文字と和訓・書画の礼
聖旣有唱和嘖讓誓約之義。太玉命之稱讚。天兒屋命之太諄辭。況天神之聖勅乎。至素戔鳴尊於稻田姫也。彥火火尊於豐玉姫也。神武帝之御謠。道臣命之諷歌。乃有章有句有文有藻乎。夫文字之作也。因其言語音聲。象其事物之形氣。造端於其始。修飾楷模。備完於其後。蓋往古有假名字。〔俗曰伊呂波。〕是乃文字之父母。言語之音象也。以通其事。以表其情。後世因循增益。爲千變萬化之文字。爲天下之用。音聲之委曲婉轉也。人情之精微幽玄也。莫不繕寫而盡之。及應神帝。外朝之文字相通。字畫規楷殆類中華之文字。五音之平上去入亦不異於此。和漢之字相通用。譯外國以漢字。詳言語以倭訓。然乃中華之文字。其實在倭字。以倭漢字互相用。以爲天下之利也。或疑。今所用之文字。皆外國之文字。不知上古之文字何有形象乎。愚謂。凡文字之制必與時變化。往古之文書。鞍作亂悉爲灰。其時旣不可知之。況後世乎。且外朝之文字相通爾來。文學之史生。留學之博士。專好外書。所其記所其言悉用漢語。是倭漢之事義。筆畫互相因也。鯛鯔年魚堅魚鰶魚爲魚也。槇椿梶櫻楓爲木也。或不同外朝之字義。或外書無其字之類甚多。皆國俗之制也。或疑。然乃何無中國之字編乎。愚謂。外國與中國。一天地之氣候。同神聖之揆。而人物事義殆不異。漢語之相襲。猶水流濕火就燥。少頃天下之人人皆倭字漢字相用。不異外朝治平之遼遠。人物之敏其事。文書史編字畫悉致之。故中州乃因之以補益之。假借之來。是措其短就其長之道也。竊按。往古之言語名字。其說其義。而今不可審之。强解之則似附會來。或有上古之辭。或有後世之訛言。或有漢字通用之語。或有方言。或有時俗之辭相製。大抵中朝之言語者悉用訓故。言辭之間。事物尤易通。不足盡文章辭令矣。外朝反之。言語盡用音。故雖一事不贍于文字難明辨焉。於此文章及辭令日繁年累矣。夫外朝之古。鳥迹以代結繩。科斗以代鳥形。篆籕以代科斗。隷書以代篆籕。而後草書飛白之類相續起。漢時去周未遠。而科斗之文字人不得解之。然乃上古近代字畫之不同。外朝尙爾。況武后作圀字。〔國字。昌黎作犯字。音敦上聲。收錢了訖。〕庵隋唐作奄。十唐音爲平聲。〔唐詩爲平聲。音當爲諶。謂之長安語音。否則詩不叶。〕□字梵音。詩人用之。〔□伊字。佛書用之。唐王維詩三點成伊。猶有想。〕綱字無之。升庵用之。〔綱字書無之。楊升庵有綱巾之義。〕廉編有字無音無義。如此之類尤多。故經史有不出之字。音義有不可知之字。或有奇字近作。或有釋梵俗字。或有叶韻假借。然外朝文字之祖。以易爲本。以奇偶爲畫。以形事意聲爲體。只日趨便簡。字楷失古意。豈字畫之爾乎。事物之修飾。不以其道。則其實泯沒而失其古。可并案也。或疑。因此則文學必以外朝爲長乎。愚謂。漢語之文學者。不倚外朝不可知之。故推古帝修好善隣之後。外國通信不已。置留學生以令講肆漢語。外朝之典籍無不來。至其如吉備眞備阿倍仲滿。與盛唐文人詩仙相並不愧。其慕風繼塵相興者。世世不乏人。詩賦文章之集以爲册。亦何異乎彼矣。抑文學者我文學。而不必彼。大底朝廷之紀錄史書勅集。皆假借漢字訓倭語也。其間專有以漢語。有倭漢相襍。有以倭字。如日本書紀萬葉集古今集。及六條宮以眞字模謄伊勢物語。菅爲長訓倭語。諺說貞觀政要是也。不知中朝之文學。而學漢文。猶未能事人問事鬼神矣。或問。書畫亦有中朝之法乎。愚謂。旣有文字。則未嘗無模楷。上古之事迹。今不可知之。中古以來。眞行艸之精秀。或入于神。或入于聖。鬼神亦感之。木石亦動之。其勢飛於龍鳳。其機通於未然之輩。相續連綿。各興一家之風。又相並於外朝。故藤道長藤佐理及野人若愚之善書之稱。見彼國之書。況畫手之妙。更不愧于彼也。凡文字之形象日變。其壯于觀者。殆失古意。筆資之縱意。點楷之任手。凌雲垂露之逞。可是可。而字畫所繇參差。俗字所由興起也。外朝善書者亦然。字變爲楷。大背古體。而鍾繇王羲之以善楷名家者。吁修飾之禮。非君子不可得其實也矣。〔以上論文書之禮。〕
新字:聖既有唱和嘖譲誓約之義。太玉命之称讃。天児屋命之太諄辞。況天神之聖勅乎。至素戔鳴尊於稲田姫也。彦火火尊於豊玉姫也。神武帝之御謡。道臣命之諷歌。乃有章有句有文有藻乎。夫文字之作也。因其言語音声。象其事物之形気。造端於其始。修飾楷模。備完於其後。蓋往古有仮名字。〔俗曰伊呂波。〕是乃文字之父母。言語之音象也。以通其事。以表其情。後世因循增益。為千変万化之文字。為天下之用。音声之委曲婉転也。人情之精微幽玄也。莫不繕写而尽之。及応神帝。外朝之文字相通。字画規楷殆類中華之文字。五音之平上去入亦不異於此。和漢之字相通用。訳外国以漢字。詳言語以倭訓。然乃中華之文字。其実在倭字。以倭漢字互相用。以為天下之利也。或疑。今所用之文字。皆外国之文字。不知上古之文字何有形象乎。愚謂。凡文字之制必与時変化。往古之文書。鞍作乱悉為灰。其時既不可知之。況後世乎。且外朝之文字相通爾来。文学之史生。留学之博士。専好外書。所其記所其言悉用漢語。是倭漢之事義。筆画互相因也。鯛鯔年魚堅魚鰶魚為魚也。槇椿梶桜楓為木也。或不同外朝之字義。或外書無其字之類甚多。皆国俗之制也。或疑。然乃何無中国之字編乎。愚謂。外国与中国。一天地之気候。同神聖之揆。而人物事義殆不異。漢語之相襲。猶水流湿火就燥。少頃天下之人人皆倭字漢字相用。不異外朝治平之遼遠。人物之敏其事。文書史編字画悉致之。故中州乃因之以補益之。仮借之来。是措其短就其長之道也。窃按。往古之言語名字。其説其義。而今不可審之。強解之則似附会来。或有上古之辞。或有後世之訛言。或有漢字通用之語。或有方言。或有時俗之辞相製。大抵中朝之言語者悉用訓故。言辞之間。事物尤易通。不足尽文章辞令矣。外朝反之。言語尽用音。故雖一事不贍于文字難明弁焉。於此文章及辞令日繁年累矣。夫外朝之古。鳥迹以代結縄。科斗以代鳥形。篆籕以代科斗。隷書以代篆籕。而後草書飛白之類相続起。漢時去周未遠。而科斗之文字人不得解之。然乃上古近代字画之不同。外朝尚爾。況武后作圀字。〔国字。昌黎作犯字。音敦上声。収銭了訖。〕庵隋唐作奄。十唐音為平声。〔唐詩為平声。音当為諶。謂之長安語音。否則詩不叶。〕□字梵音。詩人用之。〔□伊字。仏書用之。唐王維詩三点成伊。猶有想。〕綱字無之。升庵用之。〔綱字書無之。楊升庵有綱巾之義。〕廉編有字無音無義。如此之類尤多。故経史有不出之字。音義有不可知之字。或有奇字近作。或有釈梵俗字。或有叶韻仮借。然外朝文字之祖。以易為本。以奇偶為画。以形事意声為体。只日趨便簡。字楷失古意。豈字画之爾乎。事物之修飾。不以其道。則其実泯没而失其古。可并案也。或疑。因此則文学必以外朝為長乎。愚謂。漢語之文学者。不倚外朝不可知之。故推古帝修好善隣之後。外国通信不已。置留学生以令講肆漢語。外朝之典籍無不来。至其如吉備真備阿倍仲満。与盛唐文人詩仙相並不愧。其慕風継塵相興者。世世不乏人。詩賦文章之集以為册。亦何異乎彼矣。抑文学者我文学。而不必彼。大底朝廷之紀録史書勅集。皆仮借漢字訓倭語也。其間専有以漢語。有倭漢相襍。有以倭字。如日本書紀万葉集古今集。及六条宮以真字模謄伊勢物語。菅為長訓倭語。諺説貞観政要是也。不知中朝之文学。而学漢文。猶未能事人問事鬼神矣。或問。書画亦有中朝之法乎。愚謂。既有文字。則未嘗無模楷。上古之事迹。今不可知之。中古以来。真行艸之精秀。或入于神。或入于聖。鬼神亦感之。木石亦動之。其勢飛於竜鳳。其機通於未然之輩。相続連綿。各興一家之風。又相並於外朝。故藤道長藤佐理及野人若愚之善書之称。見彼国之書。況画手之妙。更不愧于彼也。凡文字之形象日変。其壮于観者。殆失古意。筆資之縦意。点楷之任手。凌雲垂露之逞。可是可。而字画所繇参差。俗字所由興起也。外朝善書者亦然。字変為楷。大背古体。而鍾繇王羲之以善楷名家者。吁修飾之礼。非君子不可得其実也矣。〔以上論文書之礼。〕
書き下し
聖旣に唱和・嘖讓・誓約の義有り。太玉命の稱讚、天兒屋命の太諄辭。況んや天神の聖勅をや。素戔鳴尊の稻田姫に於けるや、彥火火尊の豐玉姫に於けるや、神武帝の御謠、道臣命の諷歌に至りては、乃ち章有り句有り文有り藻有らんや。夫れ文字の作るや、其の言語音聲に因りて、其の事物の形氣を象り、端を其の始めに造り、修飾楷模、其の後に備完す。蓋し往古に假名字有り。〔俗に伊呂波と曰ふ。〕是れ乃ち文字の父母にして、言語の音象なり。以て其の事を通じ、以て其の情を表す。後世因循增益して、千變萬化の文字と爲り、天下の用と爲る。音聲の委曲婉轉なること、人情の精微幽玄なること、繕寫して之を盡くさざる莫し。應神帝に及びて、外朝の文字相通じ、字畫の規楷、殆ど中華の文字に類す。五音の平上去入も亦た此に異ならず。和漢の字相通用し、外國を譯するに漢字を以てし、言語を詳らかにするに倭訓を以てす。然れば乃ち中華の文字は、其の實倭字に在り。倭漢の字を以て互ひに相用ゐ、以て天下の利と爲すなり。或ひと疑ふ、今用ゐる所の文字は、皆外國の文字なり。上古の文字は何ぞ形象有りしかを知らず、と。愚謂へらく、凡そ文字の制は必ず時と與に變化す。往古の文書は、鞍作の亂に悉く灰と爲り、其の時、旣に之を知るべからず。況んや後世をや。且つ外朝の文字相通じてより爾來、文學の史生、留學の博士、專ら外書を好み、其の記する所、其の言ふ所、悉く漢語を用ふ。是れ倭漢の事義、筆畫互ひに相因るなり。鯛・鯔・年魚・堅魚・鰶魚を魚と爲し、槇・椿・梶・櫻・楓を木と爲す。或いは外朝の字義に同じからず、或いは外書に其の字無きの類甚だ多し。皆國俗の制なり。或ひと疑ふ、然れば乃ち何ぞ中國の字編無きや、と。愚謂へらく、外國と中國とは、天地の氣候を一にし、神聖の揆を同じくして、人物事義、殆ど異ならず。漢語の相襲ふこと、猶ほ水は濕に流れ火は燥に就くがごとし。少頃にして天下の人人、皆倭字漢字を相用ゐ、外朝の治平遼遠、人物の其の事に敏き、文書史編の字畫、悉く之を致すに異ならず。故に中州乃ち之に因りて以て補益す。假借の來たること、是れ其の短を措き其の長に就くの道なり。竊かに按ずるに、往古の言語名字は、其の說其の義、今審らかにすべからず。强ひて之を解けば附會に似たり。或いは上古の辭有り、或いは後世の訛言有り、或いは漢字通用の語有り、或いは方言有り、或いは時俗の辭の相製するもの有り。大抵、中朝の言語は悉く訓故を用ゐ、言辭の間、事物尤も通じ易し。文章辭令を盡くすに足らず。外朝は之に反し、言語盡く音を用ゐる。故に一事と雖も文字に贍らざれば、明辨し難し。此に於て文章辭令、日に繁く年に累なる。夫れ外朝の古は、鳥迹以て結繩に代へ、科斗以て鳥形に代へ、篆籕以て科斗に代へ、隷書以て篆籕に代へ、而して後、草書・飛白の類相續いで起こる。漢の時、周を去ること未だ遠からずして、科斗の文字、人解くを得ず。然れば乃ち上古近代の字畫の同じからざること、外朝すら尙ほ爾り。況んや武后の圀字を作る、〔國字。昌黎の作れる犯字、音は敦の上聲。收錢了訖。〕庵を隋唐に奄と作る、十を唐音に平聲と爲す、〔唐詩に平聲と爲す。音は當に諶と爲すべし。之を長安の語音と謂ふ。否れば則ち詩叶はず。〕□字は梵音、詩人之を用ゐる、〔□は伊字、佛書に之を用ゐる。唐の王維の詩に三點伊を成すと、猶ほ想有り。〕綱字は之無し、升庵之を用ゐる、〔綱字は書に之無し。楊升庵に綱巾の義有り。〕廉編は字有りて音無く義無し。此の如きの類尤も多し。故に經史に出でざるの字有り、音義に知るべからざるの字有り。或いは奇字近作有り、或いは釋梵の俗字有り、或いは叶韻假借有り。然れども外朝文字の祖は、易を以て本と爲し、奇偶を以て畫と爲し、形・事・意・聲を以て體と爲す。只だ日に便簡に趨き、字楷古意を失ふ。豈に字畫のみ爾らんや。事物の修飾、其の道を以てせざれば、則ち其の實泯沒して其の古を失ふ。并せ案ずべきなり。或ひと疑ふ、此に因れば則ち文學は必ず外朝を以て長ずと爲すか、と。愚謂へらく、漢語の文學は、外朝に倚らざれば之を知るべからず。故に推古帝、好を修め隣を善くせしより後、外國通信已まず。留學生を置き、以て漢語を講肆せしむ。外朝の典籍、來たらざる無し。吉備眞備・阿倍仲滿の如き、盛唐の文人詩仙と相並びて愧ぢざるに至る。其の風を慕ひ塵を繼ぎて相興る者、世世人に乏しからず。詩賦文章の集、以て册と爲す。亦た何ぞ彼に異ならんや。抑も文學は我が文學にして、必ずしも彼ならず。大底、朝廷の紀錄・史書・勅集は、皆漢字を假借し倭語を訓ず。其の間、專ら漢語を以てするもの有り、倭漢相襍ふるもの有り、倭字を以てするもの有り。日本書紀・萬葉集・古今集、及び六條宮の眞字を以て伊勢物語を模謄し、菅爲長の倭語を訓じて貞觀政要を諺說するが如き是れなり。中朝の文學を知らずして漢文を學ぶは、猶ほ未だ人に事ふること能はずして鬼神に事ふるを問ふがごとし。或ひと問ふ、書畫にも亦た中朝の法有りや、と。愚謂へらく、旣に文字有れば、則ち未だ嘗て模楷無くんばあらず。上古の事迹は、今之を知るべからず。中古以來、眞・行・艸の精秀、或いは神に入り、或いは聖に入り、鬼神も亦た之に感じ、木石も亦た動く。其の勢ひ龍鳳より飛び、其の機未然に通ずるの輩、相續き連綿として、各々一家の風を興し、又た外朝に相並ぶ。藤道長・藤佐理及び野人若愚の善書の稱、彼の國の書を見て、況んや畫手の妙、更に彼に愧ぢざるをや。凡そ文字の形象日に變じ、其の觀に壯なる者は、殆ど古意を失ふ。筆資の意を縱にし、點楷の手に任するに、凌雲・垂露の逞しきは、是なるは是なれども、字畫の繇つて參差する所、俗字の由りて興起する所なり。外朝の善書者も亦た然り。字、變じて楷と爲り、大いに古體に背く。而して鍾繇・王羲之、楷を善くするを以て名家たり。吁、修飾の禮は、君子に非ざれば其の實を得べからざるなり。〔以上、文書の禮を論ず。〕
現代語訳
(前の章句の末尾「往古の神」につづく)聖はすでに唱和・嘖譲(責めて問い詰めること)・誓約の義を備えていた。太玉命の稱讃、天児屋命の太諄辞(祝詞)がある。まして天神の聖なる勅はなおさらである。素戔嗚尊が稲田姫に対して、彦火火尊が豊玉姫に対して詠み、神武天皇の御謡、道臣命の諷歌に至っては、章があり句があり文があり彩りがあるではないか。そもそも文字が作られるのは、言葉や音声に基づいて、事物の形や気をかたどり、始めに端緒を作り、飾りや手本が後に整い備わるのである。思うに往古に仮名の字があった。(俗にいろはという。)これは文字の父母であり、言葉の音を象るものである。それによって事を伝え、情を表した。後世、引き継いで増やし、千変万化の文字となり、天下の用となった。音声の曲折や婉転、人情の精微で幽玄なことも、書き写してこれを尽くさないものはない。応神天皇の時代になって、外朝の文字が通じ、字画の手本はほとんど中華の文字と同じようになった。五音の平上去入も異ならない。和と漢の字が互いに通用し、外国を訳すには漢字を用い、言葉を詳しく述べるには倭訓を用いた。そうであるなら、中華の文字は実は倭字にあるのだ。倭字と漢字を互いに用いて、天下の利としたのである。ある人は疑う。今用いている文字はみな外国の文字だ。上古の文字がどのような形象であったのか知らない、と。私は考える。およそ文字の制度は必ず時とともに変化する。往古の文書は、鞍作の乱で悉く灰となり、その時すでにわからなくなっていた。まして後世はなおさらである。その上、外朝との文字の相通以後、文学の史生や留学の博士は、もっぱら外国の書を好み、記すところ言うところをすべて漢語で行った。これは倭と漢の事柄や道理、筆画が互いに因っているということである。鯛・鯔・年魚・堅魚・鰶魚を魚の字とし、槇・椿・梶・桜・楓を木の字とする。外朝の字義に同じでなかったり、外国の書にその字がなかったりするものが非常に多い。みな国俗の制である。ある人は疑う。ではなぜ中国の字書がないのか、と。私は考える。外国と中国とは、天地の気候を同じくし、神聖の道を同じくして、人物・事柄・道理もほとんど異ならない。漢語を受け継ぐことは、水が湿った所へ流れ火が乾いた所へ就くようなものである。やがて天下の人々は、みな倭字と漢字を併用し、外朝の治平の遼遠さ、人物が事に敏いこと、文書・史書・字画のすべてを達成するのと違わなくなる。だから中州(日本)はこれによって補い益すのである。借りて来ることは、短所を捨てて長所に就く道である。ひそかに考えるに、往古の言葉や名や字は、その説やその意味を今は詳しく知ることができない。無理に解こうとすればこじつけになる。上古の言葉があり、後世の訛った言葉があり、漢字を通用した語があり、方言があり、世間の言葉が互いに作り合ったものがある。おおむね中朝(日本)の言葉は訓による解釈を用い、言葉のあいだで物事が最も通じやすい。しかし文章や辞令を尽くすには足りない。外朝はこれと反対で、言葉はすべて音を用いる。そのため一つの事でも文字が足りなければ明らかに区別しにくい。そこで文章や辞令は日々繁く、年々積み重なった。外朝の古は、鳥の足跡の文字が結縄に代わり、科斗文字が鳥の形に代わり、篆書・籀文が科斗に代わり、隷書が篆籀に代わり、その後、草書・飛白などが相次いで起こった。漢の時代は周を去ってまだ遠くないのに、科斗の文字は人が読み解くことができなかった。上古と近代で字画が同じでないことは、外朝でさえこうである。まして武后が圀の字を作ったこと、(これは国の字である。昌黎の作った犯の字、音は敦の上声。収銭了訖。)庵を隋唐では奄と書いたこと、十を唐音では平声とすること、(唐詩では平声とする。音は諶とすべきである。これを長安の語音という。そうでなければ詩が叶わない。)□字は梵音で詩人が用いること、(□は伊の字で仏書に用いる。唐の王維の詩に三点が伊を成す、とあるのは、なお想いがある。)綱の字は字書にないが升庵が用いたこと、(綱の字は書にない。楊升庵に綱巾の義がある。)廉編は字があって音も義もないこと。このような類は特に多い。だから経史に出てこない字があり、音義が知れない字がある。珍しい字や最近作られた字、釈氏・梵語の俗字、韻に叶えるための仮借もある。しかし外朝文字の祖は、易を本とし、奇偶を画とし、形・事・意・声を体とする。ただ日々簡便に趨って、字の楷が古意を失った。字画だけがそうだろうか。事物の飾りも、その道によらなければ、その実は消え失せて古を失う。あわせて考えるべきである。ある人は疑う。これによれば、文学は必ず外朝を優れたものとするのか、と。私は考える。漢語の文学は、外朝に頼らなければ知ることができない。だから推古天皇が好を修め隣と親しんだ後、外国との通信は止まなかった。留学生を置いて漢語を講義させた。外朝の典籍は来ないものがなかった。吉備真備・阿倍仲麻呂のように、盛唐の文人・詩仙と並んで恥じない者に至った。その風を慕い、跡を継いで興る者は、代々人に乏しくなかった。詩賦文章の集は冊となった。これも彼らと何ほど異なろうか。そもそも文学は我が文学であって、必ずしも彼のものではない。おおむね、朝廷の記録・史書・勅撰集は、みな漢字を借りて倭語を訓じている。その間には、もっぱら漢語で書くもの、倭と漢を混ぜるもの、倭字で書くものがある。日本書紀・万葉集・古今集、および六条宮が真字(漢字)で伊勢物語を写したこと、菅為長が倭語を訓じて貞観政要を俗説したことなどがそれである。中朝の文学を知らずに漢文を学ぶのは、人に仕えることがまだできないのに鬼神に仕えることを問うようなものである。ある人は問う。書画にも中朝の法があるか、と。私は考える。すでに文字がある以上、手本がなかったことはない。上古の事績は今は知ることができない。中古以来、真・行・草の精秀は、神に入り聖に入り、鬼神もこれに感じ、木石も動く。その勢いは龍鳳より飛び、その機は未然に通ずる者たちが、相続いて連綿と、それぞれ一家の風を興し、また外朝にも並んだ。藤原道長・藤原佐理および野人若愚が書をよくするという評判は、彼の国の書を見て、まして絵の妙は、彼に恥じない。およそ文字の形は日々変じ、見た目が勇ましいものは、ほとんど古意を失う。筆に任せて意を縦にし、点や楷を手に任せ、凌雲・垂露の筆法をほしいままにするのは、正しいといえば正しいが、字画が不揃いになる原因となり、俗字が興起する原因となる。外朝の書の名人もまた同じである。字が変じて楷書となり、大いに古体に背いた。しかも鍾繇・王羲之は、楷書に巧みなことで名家となった。ああ、飾りを修める礼は、君子でなければその実を得ることができない。(以上、文書の礼を論じた。)
解説

人生を、一行の式にしてみた。
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『中朝事実』禮儀章・国史・憲法・詔書と文字の起こり其の後、中朝、遣唐使を置き、外朝に通信す。然れども外朝の書簡は、多く諸侯王を以てす。世衰へ人訛り、此を以て足れりと爲す。其の失は何にか在る。唯だ記誦文字の俗儒に造端し、以て我が國の我が國たるを知らざるに至る。噫、家雞を輕んじ野雉を愛す、何ぞ德の衰へたるや。〔以上、善隣の禮を論ず。〕 應神帝二十八年秋九月、高麗王、使を遣はして朝貢す。因りて以て表を上る。其の表に曰く、高麗王、日本國に敎ふ、と。時に太子菟道稚郞子、其の表を讀みて之を怒り、高麗の使を責む。表狀無禮なるを以て、則ち其の表を破る。 謹んで按ずるに、是れ表狀の禮を正すなり。凡そ太子、外朝の典籍を讀むこと此に十五年。然れども乃ち外朝の文字の相通ずること未だ遠からずして、太子の聰明、通達せざる莫しと雖も、中州は同氣相應ずるに非ず、如何ぞ速やかに弘文の盛を得んや。高麗は我が屬國にして、表狀無禮なれば、太子、表を破り使を責む。其の嚴なること此くの如し。志氣德量、并せ按ずべきなり。 履中帝四年秋八月辛卯朔戊戌、始めて諸國に國史を置く。言事を記し、四方の志を達す。 謹んで按ずるに、是れ國史を置くの禮なり。 推古帝十二年夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親ら肇めて憲法十七條を作る。 謹んで按ずるに、是れ憲章の書を作るの初めなり。 十六年、唐帝に聘す。其の辭に曰く、東の天皇、敬みて西の皇帝に白す、と。 謹んで按ずるに、是れ詔書の禮なり。此の後、公式の禮大いに行はる。〔詳しくは善隣の禮を論ずる條の上に見ゆ。〕新羅王・渤海王に璽書を賜ふに、天皇敬みて某國の王に問ふを以てす。是れ乃ち天子の諸侯王に賜ふ書の禮なり。凡そ文辭命令は、國家の大禮なり。文字言辭の褒貶に因りて、以て尊卑親疎の禮を存し、後世國史の例と爲す。草創・討論・潤色の義、更に忽にすべからざるなり。 二十八年、皇太子・島大臣共に議し、天皇記及び國記、臣・連・伴造・國造・百八十部并せて公民等の本記を錄す。〔蘇我稻目宿禰の子馬子、家を飛鳥河の傍に置き、乃ち庭中に小池を開き、仍りて小島を池の中に興す。故に時人曰く、島大臣、と。〕 謹んで按ずるに、是れ皇記・國記・本記の始めと爲す。孝德帝四年、鞍作の事有り。〔蘇我臣入鹿、更の名は鞍作。〕父の蘇我臣蝦夷、誅に臨みて、悉く天皇記・國記を燒く。船史惠尺、卽ち疾く燒かるる所の國記を取りて、中大兄に奉る。〔天智帝なり。〕此の時、往古の典籍悉く燒失す。其の後、天武帝詔して群臣に帝紀及び上古の諸事を記定せしめ、境部連石積等に命じて、更に肇めて新字一部四十四卷を造らしむ。是れより連綿として典籍日に造られ、文書大いに世に行はる。然れども中國往古の實記は火に入り、舊紀明らかならず。唯だ灰殘の燼竹を摘みて、以て間ま此の往事を存す。亦た萬世の戒と爲すに足る。吁、惜しいかな。或ひと言語文字を疑ふ。愚謂へらく、人旣に口舌有れば、則ち音聲有り。故に情の發する所、自ら言語有り。言語有れば、則ち終に文字の象有り。其の直ちに出づるを聲と曰ひ、曲節有るを音と曰ふ。其の形象の以て通ずべきを字と曰ひ、其の條理の節有るを文と曰ふ。共に是れ天地人物自然の勢ひなり。豈に唯だ中國外朝のみならんや。四夷の侏離、禽獸の嘷吼も亦た然り。直だ其の正を得ざるのみ。往古の神
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『文武訓』文訓下之末一わが日の本上古の言は、もとより風雅にして、中臣祓の詞の如く、又歌の言葉に似て、今の俗の俚語に、大にかはりていやしからざるべし。神功皇后新羅を征し給ひしよりこのかた、ひとの国とわが国と、やうやく交り通じて、漢字伝り来り、太子以下、聖経を読みならひ給ふ。其後、漢字の音は、わが国の人の口にかなはずして、和音五十字の相通を以て、五音を相かなへて、別に和音をつけて、漢音を改めて和音とす。今の漢字の音是なり。ここを以て、文字は中華の字にして、音は唐音にあらず和音なり。和音なれども、五音相通する道ありてしかり。其後、又仏書伝り来り、これを誦する者多し。是より後は、上古の和語はやうやくすたり、仏書の連続せる文字を以て、俗語とすること多し。
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『中朝事実』禮儀章・和歌の起こりと中国の詩との並び素戔鳴尊、遂に出雲の淸地に到る。〔淸地、此には素鵞と云ふ。〕乃ち言ひて曰く、吾が心淸淸し、と。〔今此の地を呼びて淸と曰ふ。〕彼の處に宮を建つ。時に素戔鳴尊、歌ひて曰く、夜句茂多菟。伊都毛夜覇餓岐。菟磨語味爾。夜覇餓枳菟倶盧。贈廼夜覇餓岐廻。 謹んで按ずるに、是れ詠歌の始めなり。初め二神旣に唱和有りて、憙哉の辭を爲す。是れ乃ち歌曲の父母と雖も、未だ章句に及ばず。此に至りて三十一字相備はり、萬世詠歌の基と爲る。此の後、下照姬の夷曲、彥火火尊の擧歌、人皇に及び、此の道日に隆んにして、以て天地を動かし、鬼神を感ぜしめ、上下を和し、人倫を正し、事物の情に通ずるに至る。是れ乃ち樂律の其の一なり。蓋し內は七情の蘊に因り、外は其の言辭を發して以て其の懷ひを述ぶるは、人情の道なり。旣に言辭有れば、則ち章有り句有り。章句有りて、以て詠ずべくすれば、則ち諷して之に託する有り、〔諷歌と曰ふ。乃ち外國の風なり。〕陳べて之を直にする有り、〔加堵倍歌と曰ふ。乃ち外國の賦なり。〕喩へて之に比ぶる有り、〔準擬歌と曰ふ。乃ち外國の比なり。〕起こして之を引く有り、〔譬歌と曰ふ。乃ち外國の興なり。〕正して之を平らかにする有り、〔正言歌と曰ふ。乃ち外國の雅なり。〕祝ひて之を壽ぐ有り。〔祝歌と曰ふ。乃ち外國の頌なり。〕詞林言葉の繁き、文海筆藻の廣き、千變萬態、亦た此の六義を出でず。波流れて派を分かち、天下皆此に詠歌す。柿本人丸・山邊赤人は、古今に獨歩し、當道に神仙たり。朝廷以て敎化を佐け、以て其の賢愚を試み、人臣以て諷諫し、以て衷を表し、鬼神以て之に感じ、人民以て之に和す。其の繁き所甚だ重く、其の基く所太だ深し。長歌・短歌・旋頭・混本の類を制するに、雜體も又た少なからず。況んや二神の唱和に因り、上問ひ下答ふる連歌、〔日本武尊に筑波の詠有り、乘燭者九夜十日の答を獻ず。〕洋洋乎として耳に盈つ。是れ中國の文物にして、猶ほ外國の詩のごとし。代代の勅選、家家の別集、五車も亦た轄を折るべし。且つ歌林の良材を集め、詞海の浮藻を聚め、文人之を書に筆し、女史之を册に著す。豈に三萬軸のみならんや。後世漢語相通ずるに及び、外國の詩賦文章も亦た大いに世に行はる。凡そ李翰林・王右丞は、盛唐の詩人にして、天下之を稱す。而して阿倍仲滿、相並びて贈答唱和す。陸龜蒙・皮日休は文人なり、詩人なり。高致有り、聰悟有りて、釋の圓載、交りを金蘭に擬す。仲麻呂の如き者は、中國の一書生なり。唐の肅宗の上元中に、左散騎常侍・安南都護に擢せられ、累遷して北海郡開國公となり、食邑三千戶。遂に唐に卒す。是れ人才の外國に愧ぢざるなり。況んや吉備眞備の博洽なるをや。菅・江の名を其の家にし、文藻・詩集及び國史・家集の廣く世に布かるること、以て洛紙の價を貴からしむ。豈に外國の下風に立たんや。且つ詩文の禪に入る、南禪の信義堂、〔周信。空華集有り。〕相國の津絕海、〔中津。蕉堅藁有り。〕少林の岩、〔得巖有り。〕惟肖、〔東海璜華有り。〕建仁の江西、〔龍派。〕東福の鍊虎關、〔師鍊。濟北集有り。〕嚴東沼、〔周殿。流水集有り。〕澤天隱、〔龍澤。〕三橫川、〔景三。京華集有り。〕及び村庵・月舟の等、各々橫行して並び馳す。又た枚擧すべからず。或ひと疑ふ、先人曰く、中朝の文士、名を外國に發する者は、粟田・阿倍のみ、と。然れば乃ち粟田・阿倍の才は吉備より賢きか、と。愚謂へらく、粟田は唐に入り、武后、宴を麟德殿に賜ひ、外國の史を見る。粟田眞人は養老三年に卒し、遺行の稱すべき無し。今に於て、仲滿は名を外國に播くと雖も、中朝には又た其の才を知るべき無し。吉備眞備は唐に入りて唐禮を詳らかにし、經史に博涉して、以て審思明辨し、大いに儒風釋典の禮を興し、武義兵法に通じて、以て賊を籌平す。其の功尤も懿し。故に從八位下より正二位右大臣に轉じ、下道を改めて吉備の姓を賜ふ。凡そ入唐の輩、此の上に立つべき無し。竊かに按ずるに、仲麻呂は之に反す。夫れ信に美なりと雖も、吾が土に非ざるは、人の情なり。仲麻呂は其の還郷を放ちて去らず、唐に卒し、終に父母を省みず、王政を輔けず。家乏しく、葬禮に闕有り。又た其の賻賵を賜ひ眷遇すること此くの如し。而るに其の本を忘る。豈に是れ才の實ならんや。唐帝之を賞するに美官大祿を以てす。外國の衰へも亦た并せ按ずべきなり。
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『中朝事実』禮儀章・対等の隣交と属国の別一書に曰く、群臣議して曰く、妹子懈怠して、蕃國の表を失ふ。罪、流刑に合ふ。具さに狀して聞奏す。天王、聖惠太子に問ふ。太子奏して曰く、妹子の罪は寔に寬すべからず。然れども好を修め隣を善くするは、妹子の功なり。加ふるに隋國の使共に來たる。思ふに復た如何、と。天皇大いに悅びて罪を免す。又曰く、隋帝の書に曰く、皇帝、倭王に問ふ、云云。天皇、太子に問ひて曰く、此の書如何、と。太子奏して曰く、天子の諸侯王に賜ふ書式なり。然れども皇帝の字は天下に一のみ。而るに皇の字を用ふるは、彼に其の禮有るなり、と。天皇、太子以下を召して答書の辭を議す。太子、筆を握りて之を書して曰く、東の天皇、敬みて西の皇帝に問ふ、云云。帝、謹んで白す、不具、と。〔通鑑綱目集覽に曰く、隋の煬帝大業四季戊辰三月、倭國入貢す。倭王書を遣はして曰く、日出づる處の天子、書を日沒する處の天子に致す、恙無きや、と。〕 謹んで按ずるに、是れ隣好を修むるの始めなり。隣とは何ぞ。以て相對すべきなり。好を修むとは何ぞ。氣候・水土・人物・事義、以て之を好みすべく、以て之を通ずべきなり。氣を同じくすれば相求め、類を同じくすれば相應ず。金は終に山に止まり、玉は終に水に入る。各々其の類に從ふは、天の道なり。天地の博く、宇宙の渺たる、泛泛乎として此の州島あり。唯だ外國の事義を中華に一にす。故に好を修め隣を善くすること、猶ほ石水の相投じ、膠漆の相入るがごとし。千載の神聖、一日にして之に遇ふ。萬里の遠波、一葦にして之を航る。是れより隣交の道大いに啓け、互ひに聘禮す。外朝の經典、廣く世に行はれ、人人、聖賢の事迹を知り、文字言語の用乏しからず。大いに中國の治平を補ふ。是れ風は虎に從ひ、雲は龍に從ひ、雲行き雨施して、品物大いに成る所以なり。善隣の時、其の資、懿からずや。蓋し國の大小を以てすれば則ち彼は大なり。人治の遠近を以てすれば則ち彼は遼かなり。土地廣し、故に人物衆庶なり。治平遼かなり、故に事義疆り無し。當時初めて書を制するに、東の天皇、敬みて西の皇帝に問ふを以てす。唯だ太子の大手筆に非ざれば、其の志氣洪量、能く本朝を中華と爲す所以を知らんや。夫れ外朝は其の地博くして約ならず。治敎盛んなれば則ち畫する所惟れ泛く、守文明らかならざれば則ち戎狄之に據る。吳・越・荊・楚の僭して諸侯に列し、平王の東のかた洛に遷り、或いは十六州を割きて以て契丹に賂ひ、或いは臨安に退きて臣を醜虜に稱す。皆是れ戎狄に逼らるる所なり。是れ一大土中に地を畫り城を築き、以て封域を立て、境を四夷に接するなり。故に天下の勢ひ、或いは南北に袤くして東西蹙まり、或いは東西長くして南北縮む。或いは九州・十二州有り、或いは十道・二十三路を以てして、經畫一ならず。王統數々姓を易ふ。是れ博くして約ならざるの失なり。人主治世の來ること久しければ、治亂盈虛、大いに變じ、人心悉く澆訛す。春秋の時、古を去ること未だ遠からずして、亂臣賊子、君父を弑すること、猶ほ草を薙ぐがごとし。大臣・世臣、妖事を行ふこと禽獸の如し。是れ治道の變化し、微言の日に隱るるの失に非ずや。唯だ中國は之に反す。卓として巨海に立ち、封域自ら天險有り。神聖、天を繼ぎ極を立てしより爾來、四夷竟に藩籬をも窺ふを得ず。皇統連綿として天壤と窮まり無し。況んや神代の治悠久にして、人皇の祥、永算なるをや。今日の澆季も、亦た尙ほ周の末よりも優れり。〔凡そ帝堯より今に至るまで四千有餘年、神武帝より今に至るまで二千三百餘年、堯より周の末に至るまで殆ど二千餘年。〕言ふと雖も、若し果たして澆訛ならば當に鬼魅と爲るべし。上古は人少なくして氣淳し。治久しくして人多ければ、則ち氣漓して人澆なるは、天地の數なり。後世は誠に古に及ばざること遠し。然れども乃ち人物も亦た厚からざらんや。且つ往古の神化、人皇の聖治、神勅の明敎、歷世の法令、知仁の行ひ、威武の嚴、何事か外朝に乏しからん。故に彼と相對して自ら皇帝と稱し、好を修め隣を善くするを、更に恥ぢざる所以なり。或ひと疑ふ、高麗・百濟・新羅の來朝も、亦た好を修め隣を善くするに非ざるか、と。愚謂へらく、新羅の王子來朝し、任那來貢すること、旣に崇神・垂仁帝の朝に在り。其の後、住吉の大神、高麗・百濟・新羅・任那等を譽田天王、及び若櫻宮に賜ふ。壹たび戎衣して各々面縛し、櫬を輿にし圖籍を封じて降る。阿利那禮河を指して以て誓ひ、神祇に請ひて以て盟ふ。伏して飼部と爲り、船の拖を乾さず、每歲朝貢を絕えず。初め國每に官家を置き、海表の蕃屏と爲す。是より歷代子弟を以て質と爲し、常に朝貢す。否れば乃ち征伐して以て不逞を懲らす。然れば是れ海外の諸蕃は、皆中國の屬と爲る。唯だ外朝のみ以て通信すべきのみ。諸蕃は隣と稱するに足らず。中華は終に聘禮を彼の地に行はず、往くこと厚く來ること薄くして、以て遠人を柔らげ外國を懷くるのみ。或ひと疑ふ、外朝も亦た來聘するか、と。愚按ずるに、推古朝に隋の煬帝、文林郞裴世清を遣はして來聘せしむ。天智朝に唐の客郭務悰等來聘す。其の書に曰く、大唐帝、敬みて日本國天皇に問ふ、と。天武朝に郭務悰又來聘す。
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『中朝事実』附錄・神聖と修飾、自然と当然或ひと疑ふ、神聖の天縦、一挙を尽くして万目を備ふ。後世の修飾を待ちて、而る後に潤色せむやと。 愚謂へらく、事物の生成には、必ず時有り勢有り。機微の予め備はるも、時勢未だ及ばざれば、則ち著明に乗り行ふべからず。能く時勢と屈伸する者は、神聖なり。凡そ卵仁既に備はれば、時夜・棟梁の機あり、而るに卵仁に向かひて之を求むるは、太だ早計なる者は、時勢の然らしむるなり。卵仁に未だ嘗て其の機無くんばあらず。蓋し神聖の知なり、徳なり。既に太極含蓄し、草昧未だ遠からず、時勢屯蒙、未だ微を発すべからず。皇統連綿の後、人情の恒、事物の感、掩ふべからず。而して品節修飾して、此の道至らざる無し。紅藍に染むれば紅、線は藍より紅なり。青藍に染むれば青、色は藍より青きは、其の染練の久しきに在り。故に穴居野処より棟宇閣楼に至り、汙尊杯飲より簠簋罍爵に訖るまで、〔祭器〕結縄鳥跡より科斗篆隷に届るまで、〔書体の名〕皆其の初めは太だ疎にして、経歴の漸く、飾文潤色して、竟に善を尽くし美を尽くすに及ぶ。然れば乃ち太上は素樸を以て称す。若し修飾を求むれば、則ち太だ早計なるのみ。 或ひと疑ふ、後世修飾の礼は、殆ど神聖自然の誠に非ざるかと。 愚謂へらく、天地人物は、皆自然当然互ひに根とす。蓋し陰陽積累して距ること多くして、而る後に此の天地有り、此の人物有り。是れ当然の則なり。陰自ら降り、陽自ら昇るは、天地万物自然の道なり。若し必ず自然ならば、虚無に本づき、悲絲に薄れむ。若し専ら当然ならば、脩飾を要とし、驪黄に投ぜむ。神聖の道は、自然当然有り、其の事物に因りて、其の道を致すのみ。故に草業潤色相因りて、而る後に天下の礼行はる。 或ひと疑ふ、中華に典籍の証すべき無し、而るに今学教を以てするは、庶幾くは附会ならむかと。 愚謂へらく、学とは、授受効習の名なり。既に人物有れば、則ち未だ嘗て授受効習の義無くんばあらず。謹按。太古、天神に、宜しく汝往きて循ふべしの教有り、二神之を受けて業を伝へ、乃ち唱和の効有り。天孫又神勅を受けて其の志を継ぎ、人皇は殿を同じくし床を共にして、以て神霊の教に効習し、惕若として小心し、以て如在の誠を存す。皆是れ授受効習の義なり。典籍とは、史氏の其の事を記すのみ。何ぞ必ずしも書を読み簡を執るのみならむや。況んや入鹿の乱に、書厄有るをや。夫れ外朝は文を優ぶ水土にして、学の字は伊訓に始めて出づ。然れば乃ち五帝の盛、大夏の謨、学無しと為すや。俗学は未だ学を知らず、故に文書に蠢くを以て学と為す。是れ章句の末なり。 或ひと疑ふ、外朝及び高麗、中華の人材に比して、其の優劣如何と。 愚謂へらく、地に東西の阻有り、世に前後の差有り。而して中華の神聖と、外国の聖人とは、其の揆を一にする者は、上知の移らざるに、天地の秀気を同じくすればなり。夫れ往古の神勅は、以て堯・舜・禹の授受に比すべし。清廟の茅屋、粢食の鑿らざるは、以て神廟の制に比すべし。〔春秋伝に云ふ、清廟は茅屋、大路は越席、大羹は致せず、粢食は鑿らず、其の倹を昭らかにすと。〕人統の授時は、以て夏の時を用ゐるに比すべし。故に之を舎きて論ぜず。其の中人に逮びては、外朝の人材は、更に抗すべからず。中華なり。凡そ春秋伝に載する所の乱臣賊子、及び名家胄族の悪を冒し婬に沈む、中華に未だ曽て有らざるの属乏しからず。況んや伝の前後をや。詩賦章句の如きは、皆外国を祖とす。而して中華の文士、此に鳴る者、枚挙すべからず。仲満・円載・金蘭は、盛唐の李・王・皮・陸に於いて、唯だ此に鳴るのみに非ず。彼に愧ぢず。粟田・阿倍は、中朝の微臣にして、或いは麟徳に陪宴し、或いは粛宗に寵を禀く。唯だ文章に愧ぢざるのみに非ず。並び按ずべし。書画百工の技、剣刀器械の芸も、亦多く外国に愧ぢず。高麗とは、本は我が属国なり。文と云ひ武と云ひ、又外朝に比すべからず。況んや中華に於いてをや。故に表を慢りて愧ぢを受け、鉄楯・的并びに羽表を献じて、共に恐懼す。中華の文武は、後世の橘正通、少くして硯席に事へ、対馬守親光は虎を射る。而して麗王各々美官厚禄を授くるの属は、其の人物、言はずして知るべきなり。
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『中朝事実』神敎章・王仁の渡来と外朝の学を採る度量誉田天皇十五年秋八月壬戌朔丁卯、百済王、阿直岐を遣はして良馬二匹を貢ぐ。即ち軽の坂上の厩に養はしむ。因りて阿直岐をして飼を掌らしむ。故に其の馬を養ふ処を号けて厩坂と曰ふ。阿直岐は亦能く経典を読む。即ち太子菟道稚郎子、師とす。是に天皇、阿直岐に問ひて曰く、如し汝に勝れる博士、亦有りや、と。対へて曰く、王仁といふ者有り、是れ秀れたり、と。時に上毛野君の祖荒田別・巫別を百済に遣はし、仍りて王仁を徴す。其の阿直岐は阿直岐史の始祖なり。十六年春二月、王仁来る。則ち太子菟道稚郎子、之を師とし、諸の典籍を王仁に習ひ、通達せざること莫し。故に所謂王仁は、是れ書首等の始祖なり。 百済王眞道〔後に菅野の姓を賜ふ。〕表を上りて〔延暦の朝。〕曰く、眞道等、本系は百済国の貴須王より出づ。貴須王は、百済始興第十六世の王なり。夫れ百済の太祖都慕大王は、日神霊を降し、扶余を奄ひて国を開く。天帝籙を授け、諸韓を総べて王と称す。降りて近肖古王に及び、遥かに聖化を慕ひ、始めて貴国に聘ふ。是れ則ち神功摂政の年なり。其の年、応神天皇、上毛野氏の遠祖荒田別に命じて百済に使ひせしめ、有識者を捜し聘ふ。国主貴須王、恭みて使者を奉じ、宗族を採択して、其の孫辰孫王〔一名は智宗王。〕を遣はし、使に随ひて入朝せしむ。天皇、焉を嘉し、特に寵命を加へ、以て皇太子の師と為す。是に始めて書籍を伝へ、大いに儒風を闢く。文教の興、誠に是に在り。仁徳天皇、辰孫王の長子阿郎王を以て近侍と為す。桓武の朝、武生連眞象等言す、漢の高祖の後を鸞と曰ふ。鸞の後は王狗、転じて百済に至る。久素王の時、聖朝、使を遣はして文人を徴召す。久素王即ち狗の孫王仁を以て貢ぐ。是れ又武生等の祖なり、と。 謹んで按ずるに、是れ中国、外国の経典を学ぶの始めなり。学者は修己治人を以て本と為す。修己治人の道、人情事物に通ぜざれば、即ち其の誠を得ず。夫れ天神の生知は通ぜざる無く、天祖の明教は尽くさざる無し。故に神武帝は洪基を建て、綏靖帝は至孝、崇神帝は日々に慎むこと一日より慎み、垂仁帝は矯飾する所無く、景行帝は雄謀、成務帝は兢惕す。皆是れ乾霊の正徳に従ひ、大神の明教を繹ね、以て人物の情を詳らかにし、当世の急務に施す。天秩以て叙び、人物処を得たり。是れ乃ち中州神聖の学の原にして、往古に著明にして、万世以て法るに足るなり。仲哀帝に及び、住吉大神、有宝国を賜ふ。神功帝親ら三韓を征し、三韓面縛して服従し、武徳を外国に耀かす。是より三韓毎年朝聘し、貢を献ずること船楫乾かず。故に外国の諸器及び経典、具はらざる無し。百済王の懇款の余り、博士・女工等を貢ず。是に於て中州始めて漢字を知る。応神帝は聖武にして聡達、博く外国の事に通ぜんと欲し、王仁を徴し、典籍を読ましめ、太子之を師とし、以て能く漢籍に通達す。凡そ外朝の三皇・五帝・禹・湯・文・武・周公・孔子の大聖も、亦中州往古の神聖と其の揆を一にす。故に其の書を読めば、則ち其の義通じ、間隔する所無し。其の趣向、猶ほ符節を合はすがごとし。採挹斟酌すれば、則ち又以て王化を補助するに足る。竊かに按ずるに、誉田帝、己を虚しくして百済の博士を徴し、後、中国広く外朝の典籍に通じ、聖賢の言行を知る。是れ乃ち住吉大神の賚なり。或ひと疑ふ、外朝は我に通ぜずして文物明らかなり。我は外朝に因りて其の用を広む。則ち外朝は我より優れるか、と。愚按ずるに、否。開闢の神聖の徳行、明教より、兼備せざる無し。漢籍を知らずと雖も、更に一介の闕くること無し。幸ひに外朝の事に通じ、其の長ずる所を取りて以て王化を輔くるは、亦寛容ならずや。何ぞ唯だ外朝のみならんや。凡そ天下の間、詳らかに知り並び畜へ、短を校べ長を考へ、用を待ちて遺す無く、事に従ひて是れ適するは、量の大なるなり。内外相持して、人物以て成る。若し短を護り外を拒むは、君子の為す所に非ず。況んや外朝は我と其の致を一にして、其の歴世尤も久しきをや。其の封域太だ広きをや。其の人物衆多にして、政事損益あるをや。足れる共に以て之を覩んや。是れ中州の八紘に冠たる所以なり。後世、勘合絶えて鄰交の好を脩めざるも、亦我に足らざる無し。並び考ふべし。或ひと疑ふ、王仁は徳高く、且つ毛詩に善し。故に難波津の詠を為し、遂に以て仁徳帝の聖を成す、と。愚按ずるに、否。王仁は漢籍に通ずる博士なり。此の時、人未だ漢字に通ぜず。故に端を彼に造るのみ。後に阿知使主と王仁とをして官物の出納を記さしむ。〔古語拾遺に見ゆ。〕則ち其の職掌知るべきなり。難波帝は、謙徳寛仁の明主にして、時に遺賢無く、朝に謬挙無し。古今以て聖帝と為す。王仁の才徳、国史に著れず、食禄は唯だ文首たるのみ。則ち恥づべきの至りなり。俗学末儒の中国を蔑して以て外邦を信ずるは、是れ耳を貴び目を賤しむの徒、附益助長の弊なり。〔以上、外朝の文を学ぶ。〕 以上、教学の淵源を致す。謹んで按ずるに、学とは効なり。其の知らず能はざるを効ふなり。近き者は見て之を知り、遠き者は聞きて之を知る。人の生まるるや、幼孩より壮老に至るまで、未だ嘗て教学に由らずんばあらず。蓋し人の万物に長たるは、知有るなり。知の霊なり。思ひて通ぜざる無く、致して尽くさざる無し。故に其の小人たるも、其の君子たるも、皆学の習ふ所に因る。夫れ火に然ゆべきの質有るも、薪柴を用ひて加ふるに風を以てせざれば、則ち其の威を長ずる能はず。水に流るべきの素有るも、卑下に因りて以て疏導せざれば、則ち其の源を深くするを得ず。或いは之を暴にし、或いは之を鑿てば、則ち其の害、人物に及ぶ。豈に水火のみならんや。学の人に於ける、慎まざるべけんや。故に天神の生知は、動きて感じ言ひて通ずるが如くなるも、猶ほ思兼の議謀の詳らかなる有り。天孫の臨降に及び、神勅の嚴なる有り、神器の常に守るべき有り、二神以て輔養する有り。其の身を修め人を治むるの道、至れり尽くせり。是れ後世聖教の淵源に非ずや。或ひと疑ふ、中朝は書史に乏しく、久しく学校進士の設を絶つ。故に人才未だ成るを得ざるか、と。愚謂ふ、神聖は見て之を知り、後世は聞きて之を知る。其の差謬を恐れ、記録相続く。其の筆削聖人に非ざれば、臆説を免れず。編簡日々に盛んにして、人は書を以て学と為し、聖教漸く隠れ、日用大いに晦し。其の端を異にし、其の白を堅くして、空虚を彫り、氷水に刻む。況んや学校進士の設、其の実を得ざれば、則ち詐偽を競ひ、利勢に趨くのみ。夫れ博識を以てすれば、則ち華夷の書を尽くすも、未だ多しと為すべからず。能く其の道に通ずれば、則ち一言も以て少しと為すべからず。況んや史編の闕けざるをや。