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中朝事実 / 禮儀章・文字と和訓・書画の礼

聖旣有唱和嘖讓誓約之義。太玉命之稱讚。天兒屋命之太諄辭。況天神之聖勅乎。至素戔鳴尊於稻田姫也。彥火火尊於豐玉姫也。神武帝之御謠。道臣命之諷歌。乃有章有句有文有藻乎。夫文字之作也。因其言語音聲。象其事物之形氣。造端於其始。修飾楷模。備完於其後。蓋往古有假名字。〔俗曰伊呂波。〕是乃文字之父母。言語之音象也。以通其事。以表其情。後世因循增益。爲千變萬化之文字。爲天下之用。音聲之委曲婉轉也。人情之精微幽玄也。莫不繕寫而盡之。及應神帝。外朝之文字相通。字畫規楷殆類中華之文字。五音之平上去入亦不異於此。和漢之字相通用。譯外國以漢字。詳言語以倭訓。然乃中華之文字。其實在倭字。以倭漢字互相用。以爲天下之利也。或疑。今所用之文字。皆外國之文字。不知上古之文字何有形象乎。愚謂。凡文字之制必與時變化。往古之文書。鞍作亂悉爲灰。其時旣不可知之。況後世乎。且外朝之文字相通爾來。文學之史生。留學之博士。專好外書。所其記所其言悉用漢語。是倭漢之事義。筆畫互相因也。鯛鯔年魚堅魚鰶魚爲魚也。槇椿梶櫻楓爲木也。或不同外朝之字義。或外書無其字之類甚多。皆國俗之制也。或疑。然乃何無中國之字編乎。愚謂。外國與中國。一天地之氣候。同神聖之揆。而人物事義殆不異。漢語之相襲。猶水流濕火就燥。少頃天下之人人皆倭字漢字相用。不異外朝治平之遼遠。人物之敏其事。文書史編字畫悉致之。故中州乃因之以補益之。假借之來。是措其短就其長之道也。竊按。往古之言語名字。其說其義。而今不可審之。强解之則似附會來。或有上古之辭。或有後世之訛言。或有漢字通用之語。或有方言。或有時俗之辭相製。大抵中朝之言語者悉用訓故。言辭之間。事物尤易通。不足盡文章辭令矣。外朝反之。言語盡用音。故雖一事不贍于文字難明辨焉。於此文章及辭令日繁年累矣。夫外朝之古。鳥迹以代結繩。科斗以代鳥形。篆籕以代科斗。隷書以代篆籕。而後草書飛白之類相續起。漢時去周未遠。而科斗之文字人不得解之。然乃上古近代字畫之不同。外朝尙爾。況武后作圀字。〔國字。昌黎作犯字。音敦上聲。收錢了訖。〕庵隋唐作奄。十唐音爲平聲。〔唐詩爲平聲。音當爲諶。謂之長安語音。否則詩不叶。〕□字梵音。詩人用之。〔□伊字。佛書用之。唐王維詩三點成伊。猶有想。〕綱字無之。升庵用之。〔綱字書無之。楊升庵有綱巾之義。〕廉編有字無音無義。如此之類尤多。故經史有不出之字。音義有不可知之字。或有奇字近作。或有釋梵俗字。或有叶韻假借。然外朝文字之祖。以易爲本。以奇偶爲畫。以形事意聲爲體。只日趨便簡。字楷失古意。豈字畫之爾乎。事物之修飾。不以其道。則其實泯沒而失其古。可并案也。或疑。因此則文學必以外朝爲長乎。愚謂。漢語之文學者。不倚外朝不可知之。故推古帝修好善隣之後。外國通信不已。置留學生以令講肆漢語。外朝之典籍無不來。至其如吉備眞備阿倍仲滿。與盛唐文人詩仙相並不愧。其慕風繼塵相興者。世世不乏人。詩賦文章之集以爲册。亦何異乎彼矣。抑文學者我文學。而不必彼。大底朝廷之紀錄史書勅集。皆假借漢字訓倭語也。其間專有以漢語。有倭漢相襍。有以倭字。如日本書紀萬葉集古今集。及六條宮以眞字模謄伊勢物語。菅爲長訓倭語。諺說貞觀政要是也。不知中朝之文學。而學漢文。猶未能事人問事鬼神矣。或問。書畫亦有中朝之法乎。愚謂。旣有文字。則未嘗無模楷。上古之事迹。今不可知之。中古以來。眞行艸之精秀。或入于神。或入于聖。鬼神亦感之。木石亦動之。其勢飛於龍鳳。其機通於未然之輩。相續連綿。各興一家之風。又相並於外朝。故藤道長藤佐理及野人若愚之善書之稱。見彼國之書。況畫手之妙。更不愧于彼也。凡文字之形象日變。其壯于觀者。殆失古意。筆資之縱意。點楷之任手。凌雲垂露之逞。可是可。而字畫所繇參差。俗字所由興起也。外朝善書者亦然。字變爲楷。大背古體。而鍾繇王羲之以善楷名家者。吁修飾之禮。非君子不可得其實也矣。〔以上論文書之禮。〕

新字:聖既有唱和嘖譲誓約之義。太玉命之称讃。天児屋命之太諄辞。況天神之聖勅乎。至素戔鳴尊於稲田姫也。彦火火尊於豊玉姫也。神武帝之御謡。道臣命之諷歌。乃有章有句有文有藻乎。夫文字之作也。因其言語音声。象其事物之形気。造端於其始。修飾楷模。備完於其後。蓋往古有仮名字。〔俗曰伊呂波。〕是乃文字之父母。言語之音象也。以通其事。以表其情。後世因循增益。為千変万化之文字。為天下之用。音声之委曲婉転也。人情之精微幽玄也。莫不繕写而尽之。及応神帝。外朝之文字相通。字画規楷殆類中華之文字。五音之平上去入亦不異於此。和漢之字相通用。訳外国以漢字。詳言語以倭訓。然乃中華之文字。其実在倭字。以倭漢字互相用。以為天下之利也。或疑。今所用之文字。皆外国之文字。不知上古之文字何有形象乎。愚謂。凡文字之制必与時変化。往古之文書。鞍作乱悉為灰。其時既不可知之。況後世乎。且外朝之文字相通爾来。文学之史生。留学之博士。専好外書。所其記所其言悉用漢語。是倭漢之事義。筆画互相因也。鯛鯔年魚堅魚鰶魚為魚也。槇椿梶桜楓為木也。或不同外朝之字義。或外書無其字之類甚多。皆国俗之制也。或疑。然乃何無中国之字編乎。愚謂。外国与中国。一天地之気候。同神聖之揆。而人物事義殆不異。漢語之相襲。猶水流湿火就燥。少頃天下之人人皆倭字漢字相用。不異外朝治平之遼遠。人物之敏其事。文書史編字画悉致之。故中州乃因之以補益之。仮借之来。是措其短就其長之道也。窃按。往古之言語名字。其説其義。而今不可審之。強解之則似附会来。或有上古之辞。或有後世之訛言。或有漢字通用之語。或有方言。或有時俗之辞相製。大抵中朝之言語者悉用訓故。言辞之間。事物尤易通。不足尽文章辞令矣。外朝反之。言語尽用音。故雖一事不贍于文字難明弁焉。於此文章及辞令日繁年累矣。夫外朝之古。鳥迹以代結縄。科斗以代鳥形。篆籕以代科斗。隷書以代篆籕。而後草書飛白之類相続起。漢時去周未遠。而科斗之文字人不得解之。然乃上古近代字画之不同。外朝尚爾。況武后作圀字。〔国字。昌黎作犯字。音敦上声。収銭了訖。〕庵隋唐作奄。十唐音為平声。〔唐詩為平声。音当為諶。謂之長安語音。否則詩不叶。〕□字梵音。詩人用之。〔□伊字。仏書用之。唐王維詩三点成伊。猶有想。〕綱字無之。升庵用之。〔綱字書無之。楊升庵有綱巾之義。〕廉編有字無音無義。如此之類尤多。故経史有不出之字。音義有不可知之字。或有奇字近作。或有釈梵俗字。或有叶韻仮借。然外朝文字之祖。以易為本。以奇偶為画。以形事意声為体。只日趨便簡。字楷失古意。豈字画之爾乎。事物之修飾。不以其道。則其実泯没而失其古。可并案也。或疑。因此則文学必以外朝為長乎。愚謂。漢語之文学者。不倚外朝不可知之。故推古帝修好善隣之後。外国通信不已。置留学生以令講肆漢語。外朝之典籍無不来。至其如吉備真備阿倍仲満。与盛唐文人詩仙相並不愧。其慕風継塵相興者。世世不乏人。詩賦文章之集以為册。亦何異乎彼矣。抑文学者我文学。而不必彼。大底朝廷之紀録史書勅集。皆仮借漢字訓倭語也。其間専有以漢語。有倭漢相襍。有以倭字。如日本書紀万葉集古今集。及六条宮以真字模謄伊勢物語。菅為長訓倭語。諺説貞観政要是也。不知中朝之文学。而学漢文。猶未能事人問事鬼神矣。或問。書画亦有中朝之法乎。愚謂。既有文字。則未嘗無模楷。上古之事迹。今不可知之。中古以来。真行艸之精秀。或入于神。或入于聖。鬼神亦感之。木石亦動之。其勢飛於竜鳳。其機通於未然之輩。相続連綿。各興一家之風。又相並於外朝。故藤道長藤佐理及野人若愚之善書之称。見彼国之書。況画手之妙。更不愧于彼也。凡文字之形象日変。其壮于観者。殆失古意。筆資之縦意。点楷之任手。凌雲垂露之逞。可是可。而字画所繇参差。俗字所由興起也。外朝善書者亦然。字変為楷。大背古体。而鍾繇王羲之以善楷名家者。吁修飾之礼。非君子不可得其実也矣。〔以上論文書之礼。〕

書き下し

聖旣に唱和・嘖讓・誓約の義有り。太玉命の稱讚、天兒屋命の太諄辭。況んや天神の聖勅をや。素戔鳴尊の稻田姫に於けるや、彥火火尊の豐玉姫に於けるや、神武帝の御謠、道臣命の諷歌に至りては、乃ち章有り句有り文有り藻有らんや。夫れ文字の作るや、其の言語音聲に因りて、其の事物の形氣を象り、端を其の始めに造り、修飾楷模、其の後に備完す。蓋し往古に假名字有り。〔俗に伊呂波と曰ふ。〕是れ乃ち文字の父母にして、言語の音象なり。以て其の事を通じ、以て其の情を表す。後世因循增益して、千變萬化の文字と爲り、天下の用と爲る。音聲の委曲婉轉なること、人情の精微幽玄なること、繕寫して之を盡くさざる莫し。應神帝に及びて、外朝の文字相通じ、字畫の規楷、殆ど中華の文字に類す。五音の平上去入も亦た此に異ならず。和漢の字相通用し、外國を譯するに漢字を以てし、言語を詳らかにするに倭訓を以てす。然れば乃ち中華の文字は、其の實倭字に在り。倭漢の字を以て互ひに相用ゐ、以て天下の利と爲すなり。或ひと疑ふ、今用ゐる所の文字は、皆外國の文字なり。上古の文字は何ぞ形象有りしかを知らず、と。愚謂へらく、凡そ文字の制は必ず時と與に變化す。往古の文書は、鞍作の亂に悉く灰と爲り、其の時、旣に之を知るべからず。況んや後世をや。且つ外朝の文字相通じてより爾來、文學の史生、留學の博士、專ら外書を好み、其の記する所、其の言ふ所、悉く漢語を用ふ。是れ倭漢の事義、筆畫互ひに相因るなり。鯛・鯔・年魚・堅魚・鰶魚を魚と爲し、槇・椿・梶・櫻・楓を木と爲す。或いは外朝の字義に同じからず、或いは外書に其の字無きの類甚だ多し。皆國俗の制なり。或ひと疑ふ、然れば乃ち何ぞ中國の字編無きや、と。愚謂へらく、外國と中國とは、天地の氣候を一にし、神聖の揆を同じくして、人物事義、殆ど異ならず。漢語の相襲ふこと、猶ほ水は濕に流れ火は燥に就くがごとし。少頃にして天下の人人、皆倭字漢字を相用ゐ、外朝の治平遼遠、人物の其の事に敏き、文書史編の字畫、悉く之を致すに異ならず。故に中州乃ち之に因りて以て補益す。假借の來たること、是れ其の短を措き其の長に就くの道なり。竊かに按ずるに、往古の言語名字は、其の說其の義、今審らかにすべからず。强ひて之を解けば附會に似たり。或いは上古の辭有り、或いは後世の訛言有り、或いは漢字通用の語有り、或いは方言有り、或いは時俗の辭の相製するもの有り。大抵、中朝の言語は悉く訓故を用ゐ、言辭の間、事物尤も通じ易し。文章辭令を盡くすに足らず。外朝は之に反し、言語盡く音を用ゐる。故に一事と雖も文字に贍らざれば、明辨し難し。此に於て文章辭令、日に繁く年に累なる。夫れ外朝の古は、鳥迹以て結繩に代へ、科斗以て鳥形に代へ、篆籕以て科斗に代へ、隷書以て篆籕に代へ、而して後、草書・飛白の類相續いで起こる。漢の時、周を去ること未だ遠からずして、科斗の文字、人解くを得ず。然れば乃ち上古近代の字畫の同じからざること、外朝すら尙ほ爾り。況んや武后の圀字を作る、〔國字。昌黎の作れる犯字、音は敦の上聲。收錢了訖。〕庵を隋唐に奄と作る、十を唐音に平聲と爲す、〔唐詩に平聲と爲す。音は當に諶と爲すべし。之を長安の語音と謂ふ。否れば則ち詩叶はず。〕□字は梵音、詩人之を用ゐる、〔□は伊字、佛書に之を用ゐる。唐の王維の詩に三點伊を成すと、猶ほ想有り。〕綱字は之無し、升庵之を用ゐる、〔綱字は書に之無し。楊升庵に綱巾の義有り。〕廉編は字有りて音無く義無し。此の如きの類尤も多し。故に經史に出でざるの字有り、音義に知るべからざるの字有り。或いは奇字近作有り、或いは釋梵の俗字有り、或いは叶韻假借有り。然れども外朝文字の祖は、易を以て本と爲し、奇偶を以て畫と爲し、形・事・意・聲を以て體と爲す。只だ日に便簡に趨き、字楷古意を失ふ。豈に字畫のみ爾らんや。事物の修飾、其の道を以てせざれば、則ち其の實泯沒して其の古を失ふ。并せ案ずべきなり。或ひと疑ふ、此に因れば則ち文學は必ず外朝を以て長ずと爲すか、と。愚謂へらく、漢語の文學は、外朝に倚らざれば之を知るべからず。故に推古帝、好を修め隣を善くせしより後、外國通信已まず。留學生を置き、以て漢語を講肆せしむ。外朝の典籍、來たらざる無し。吉備眞備・阿倍仲滿の如き、盛唐の文人詩仙と相並びて愧ぢざるに至る。其の風を慕ひ塵を繼ぎて相興る者、世世人に乏しからず。詩賦文章の集、以て册と爲す。亦た何ぞ彼に異ならんや。抑も文學は我が文學にして、必ずしも彼ならず。大底、朝廷の紀錄・史書・勅集は、皆漢字を假借し倭語を訓ず。其の間、專ら漢語を以てするもの有り、倭漢相襍ふるもの有り、倭字を以てするもの有り。日本書紀・萬葉集・古今集、及び六條宮の眞字を以て伊勢物語を模謄し、菅爲長の倭語を訓じて貞觀政要を諺說するが如き是れなり。中朝の文學を知らずして漢文を學ぶは、猶ほ未だ人に事ふること能はずして鬼神に事ふるを問ふがごとし。或ひと問ふ、書畫にも亦た中朝の法有りや、と。愚謂へらく、旣に文字有れば、則ち未だ嘗て模楷無くんばあらず。上古の事迹は、今之を知るべからず。中古以來、眞・行・艸の精秀、或いは神に入り、或いは聖に入り、鬼神も亦た之に感じ、木石も亦た動く。其の勢ひ龍鳳より飛び、其の機未然に通ずるの輩、相續き連綿として、各々一家の風を興し、又た外朝に相並ぶ。藤道長・藤佐理及び野人若愚の善書の稱、彼の國の書を見て、況んや畫手の妙、更に彼に愧ぢざるをや。凡そ文字の形象日に變じ、其の觀に壯なる者は、殆ど古意を失ふ。筆資の意を縱にし、點楷の手に任するに、凌雲・垂露の逞しきは、是なるは是なれども、字畫の繇つて參差する所、俗字の由りて興起する所なり。外朝の善書者も亦た然り。字、變じて楷と爲り、大いに古體に背く。而して鍾繇・王羲之、楷を善くするを以て名家たり。吁、修飾の禮は、君子に非ざれば其の實を得べからざるなり。〔以上、文書の禮を論ず。〕

現代語訳

(前の章句の末尾「往古の神」につづく)聖はすでに唱和・嘖譲(責めて問い詰めること)・誓約の義を備えていた。太玉命の稱讃、天児屋命の太諄辞(祝詞)がある。まして天神の聖なる勅はなおさらである。素戔嗚尊が稲田姫に対して、彦火火尊が豊玉姫に対して詠み、神武天皇の御謡、道臣命の諷歌に至っては、章があり句があり文があり彩りがあるではないか。そもそも文字が作られるのは、言葉や音声に基づいて、事物の形や気をかたどり、始めに端緒を作り、飾りや手本が後に整い備わるのである。思うに往古に仮名の字があった。(俗にいろはという。)これは文字の父母であり、言葉の音を象るものである。それによって事を伝え、情を表した。後世、引き継いで増やし、千変万化の文字となり、天下の用となった。音声の曲折や婉転、人情の精微で幽玄なことも、書き写してこれを尽くさないものはない。応神天皇の時代になって、外朝の文字が通じ、字画の手本はほとんど中華の文字と同じようになった。五音の平上去入も異ならない。和と漢の字が互いに通用し、外国を訳すには漢字を用い、言葉を詳しく述べるには倭訓を用いた。そうであるなら、中華の文字は実は倭字にあるのだ。倭字と漢字を互いに用いて、天下の利としたのである。ある人は疑う。今用いている文字はみな外国の文字だ。上古の文字がどのような形象であったのか知らない、と。私は考える。およそ文字の制度は必ず時とともに変化する。往古の文書は、鞍作の乱で悉く灰となり、その時すでにわからなくなっていた。まして後世はなおさらである。その上、外朝との文字の相通以後、文学の史生や留学の博士は、もっぱら外国の書を好み、記すところ言うところをすべて漢語で行った。これは倭と漢の事柄や道理、筆画が互いに因っているということである。鯛・鯔・年魚・堅魚・鰶魚を魚の字とし、槇・椿・梶・桜・楓を木の字とする。外朝の字義に同じでなかったり、外国の書にその字がなかったりするものが非常に多い。みな国俗の制である。ある人は疑う。ではなぜ中国の字書がないのか、と。私は考える。外国と中国とは、天地の気候を同じくし、神聖の道を同じくして、人物・事柄・道理もほとんど異ならない。漢語を受け継ぐことは、水が湿った所へ流れ火が乾いた所へ就くようなものである。やがて天下の人々は、みな倭字と漢字を併用し、外朝の治平の遼遠さ、人物が事に敏いこと、文書・史書・字画のすべてを達成するのと違わなくなる。だから中州(日本)はこれによって補い益すのである。借りて来ることは、短所を捨てて長所に就く道である。ひそかに考えるに、往古の言葉や名や字は、その説やその意味を今は詳しく知ることができない。無理に解こうとすればこじつけになる。上古の言葉があり、後世の訛った言葉があり、漢字を通用した語があり、方言があり、世間の言葉が互いに作り合ったものがある。おおむね中朝(日本)の言葉は訓による解釈を用い、言葉のあいだで物事が最も通じやすい。しかし文章や辞令を尽くすには足りない。外朝はこれと反対で、言葉はすべて音を用いる。そのため一つの事でも文字が足りなければ明らかに区別しにくい。そこで文章や辞令は日々繁く、年々積み重なった。外朝の古は、鳥の足跡の文字が結縄に代わり、科斗文字が鳥の形に代わり、篆書・籀文が科斗に代わり、隷書が篆籀に代わり、その後、草書・飛白などが相次いで起こった。漢の時代は周を去ってまだ遠くないのに、科斗の文字は人が読み解くことができなかった。上古と近代で字画が同じでないことは、外朝でさえこうである。まして武后が圀の字を作ったこと、(これは国の字である。昌黎の作った犯の字、音は敦の上声。収銭了訖。)庵を隋唐では奄と書いたこと、十を唐音では平声とすること、(唐詩では平声とする。音は諶とすべきである。これを長安の語音という。そうでなければ詩が叶わない。)□字は梵音で詩人が用いること、(□は伊の字で仏書に用いる。唐の王維の詩に三点が伊を成す、とあるのは、なお想いがある。)綱の字は字書にないが升庵が用いたこと、(綱の字は書にない。楊升庵に綱巾の義がある。)廉編は字があって音も義もないこと。このような類は特に多い。だから経史に出てこない字があり、音義が知れない字がある。珍しい字や最近作られた字、釈氏・梵語の俗字、韻に叶えるための仮借もある。しかし外朝文字の祖は、易を本とし、奇偶を画とし、形・事・意・声を体とする。ただ日々簡便に趨って、字の楷が古意を失った。字画だけがそうだろうか。事物の飾りも、その道によらなければ、その実は消え失せて古を失う。あわせて考えるべきである。ある人は疑う。これによれば、文学は必ず外朝を優れたものとするのか、と。私は考える。漢語の文学は、外朝に頼らなければ知ることができない。だから推古天皇が好を修め隣と親しんだ後、外国との通信は止まなかった。留学生を置いて漢語を講義させた。外朝の典籍は来ないものがなかった。吉備真備・阿倍仲麻呂のように、盛唐の文人・詩仙と並んで恥じない者に至った。その風を慕い、跡を継いで興る者は、代々人に乏しくなかった。詩賦文章の集は冊となった。これも彼らと何ほど異なろうか。そもそも文学は我が文学であって、必ずしも彼のものではない。おおむね、朝廷の記録・史書・勅撰集は、みな漢字を借りて倭語を訓じている。その間には、もっぱら漢語で書くもの、倭と漢を混ぜるもの、倭字で書くものがある。日本書紀・万葉集・古今集、および六条宮が真字(漢字)で伊勢物語を写したこと、菅為長が倭語を訓じて貞観政要を俗説したことなどがそれである。中朝の文学を知らずに漢文を学ぶのは、人に仕えることがまだできないのに鬼神に仕えることを問うようなものである。ある人は問う。書画にも中朝の法があるか、と。私は考える。すでに文字がある以上、手本がなかったことはない。上古の事績は今は知ることができない。中古以来、真・行・草の精秀は、神に入り聖に入り、鬼神もこれに感じ、木石も動く。その勢いは龍鳳より飛び、その機は未然に通ずる者たちが、相続いて連綿と、それぞれ一家の風を興し、また外朝にも並んだ。藤原道長・藤原佐理および野人若愚が書をよくするという評判は、彼の国の書を見て、まして絵の妙は、彼に恥じない。およそ文字の形は日々変じ、見た目が勇ましいものは、ほとんど古意を失う。筆に任せて意を縦にし、点や楷を手に任せ、凌雲・垂露の筆法をほしいままにするのは、正しいといえば正しいが、字画が不揃いになる原因となり、俗字が興起する原因となる。外朝の書の名人もまた同じである。字が変じて楷書となり、大いに古体に背いた。しかも鍾繇・王羲之は、楷書に巧みなことで名家となった。ああ、飾りを修める礼は、君子でなければその実を得ることができない。(以上、文書の礼を論じた。)

解説

文字と書の礼の後半です。素行は、日本の文学は外国の借り物ではなく漢字を借りて倭語を表した自国のものであり、漢文だけ学び自国の文学を知らないのは本末転倒だと論じます。言葉は訓で通じるが、中国は音ゆえに文字を増やしたという比較も、素行自身の見立てで、学術的な定説ではありません。取り入れた外のものを自分の足場から使いこなす発想は、現代の知識や技術の導入にも通じます。外の流行を学ぶ前に、自社の言葉と実績を自分で語れるかが問われます。
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この章句が説くこと

文字仮名和漢相通倭訓文学書画

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