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中朝事実 / 禮儀章・隋使裴世清の来朝と国書の応酬

推古帝十五年秋七月戊申朔庚戌。大禮小野臣妹子遣以於大唐。以鞍作福利爲通事。十六年夏四月。小野臣妹子至自大唐。唐國號妹子臣曰蘇因高。卽大唐使人裴世清。下客十二人。從妹子臣至於筑紫。遣難波吉師雄成。召大唐客裴世清等。爲唐客。更造新館於難波高麗館之上。六月壬寅朔。丙辰。客等泊于難波津。是日以餝船三十艘。迎客等于江口。安置新館。於是以中臣宮地連麻呂。大河內直糠手。船史王平爲掌客。爰妹子臣奏之曰。臣參還之時。唐帝以書授臣。然經過百濟國之日。百濟人探以掠取。是以不得上。於是群臣議之曰。夫使人雖死之不失旨。是使矣何怠之失大國之書哉。則坐流刑。時天皇勅之曰。妹子雖有失書之罪。輒不可罪。其大國客等聞之亦不良。乃赦之不坐也。秋八月辛丑朔。癸卯。唐客入京。是日。遣餝騎七十五疋。而迎唐客於海石榴市衢。額田部連比羅夫以告禮辭焉。壬子。召唐客於朝廷。令奏使旨。時阿倍鳥臣・物部依網連抱二人爲客之導者也。於是大唐之國信物置於庭中。時使主裴世清親持書。兩度再拜。言上使旨而立之。其書曰。皇帝問倭皇。使人長吏大禮蘇因高等至具狀。朕欽承寶命。臨仰區宇。思弘德化。覃被含靈。愛育之情。無隔遐邇。知皇介居海表。撫寧民庶。境內安樂。風俗融和。深氣至誠。遠修朝貢。丹款之美。朕有嘉焉。稍暄比如常也。故遣鴻臚寺掌客裴世清等。指宣往意。并送物如別。時阿倍臣出進以受其書而進行。大伴囓連迎出承書。置於大門前机上而奏之。事畢而退焉。是時皇子諸王諸臣。悉以金髻華著頭。亦衣服皆用錦紫繡織及五色綾羅。〔一云。服色皆用冠色。〕丙辰。饗唐客等於朝。九月辛未朔。乙亥。饗客等於難波大郡。辛巳。唐客裴世清罷歸。則復以小野妹子臣爲大使。吉士雄成爲小使。福利爲通事。副于唐客而遣之。爰天皇聘唐帝。其辭曰。東天皇敬白西皇帝。使人鴻臚寺掌客裴世清等至。久憶方解。季秋薄冷。尊何如。想淸念。此卽如常。今遣大禮蘇因高・大禮乎那利等往。謹白不具。

新字:推古帝十五年秋七月戊申朔庚戌。大礼小野臣妹子遣以於大唐。以鞍作福利為通事。十六年夏四月。小野臣妹子至自大唐。唐国号妹子臣曰蘇因高。即大唐使人裴世清。下客十二人。従妹子臣至於筑紫。遣難波吉師雄成。召大唐客裴世清等。為唐客。更造新館於難波高麗館之上。六月壬寅朔。丙辰。客等泊于難波津。是日以餝船三十艘。迎客等于江口。安置新館。於是以中臣宮地連麻呂。大河内直糠手。船史王平為掌客。爰妹子臣奏之曰。臣参還之時。唐帝以書授臣。然経過百済国之日。百済人探以掠取。是以不得上。於是群臣議之曰。夫使人雖死之不失旨。是使矣何怠之失大国之書哉。則坐流刑。時天皇勅之曰。妹子雖有失書之罪。輒不可罪。其大国客等聞之亦不良。乃赦之不坐也。秋八月辛丑朔。癸卯。唐客入京。是日。遣餝騎七十五疋。而迎唐客於海石榴市衢。額田部連比羅夫以告礼辞焉。壬子。召唐客於朝廷。令奏使旨。時阿倍鳥臣・物部依網連抱二人為客之導者也。於是大唐之国信物置於庭中。時使主裴世清親持書。両度再拝。言上使旨而立之。其書曰。皇帝問倭皇。使人長吏大礼蘇因高等至具状。朕欽承宝命。臨仰区宇。思弘徳化。覃被含霊。愛育之情。無隔遐邇。知皇介居海表。撫寧民庶。境内安楽。風俗融和。深気至誠。遠修朝貢。丹款之美。朕有嘉焉。稍暄比如常也。故遣鴻臚寺掌客裴世清等。指宣往意。并送物如別。時阿倍臣出進以受其書而進行。大伴囓連迎出承書。置於大門前机上而奏之。事畢而退焉。是時皇子諸王諸臣。悉以金髻華著頭。亦衣服皆用錦紫繍織及五色綾羅。〔一云。服色皆用冠色。〕丙辰。饗唐客等於朝。九月辛未朔。乙亥。饗客等於難波大郡。辛巳。唐客裴世清罷帰。則復以小野妹子臣為大使。吉士雄成為小使。福利為通事。副于唐客而遣之。爰天皇聘唐帝。其辞曰。東天皇敬白西皇帝。使人鴻臚寺掌客裴世清等至。久憶方解。季秋薄冷。尊何如。想清念。此即如常。今遣大礼蘇因高・大礼乎那利等往。謹白不具。

書き下し

推古帝十五年秋七月戊申朔庚戌、大禮小野臣妹子を以て大唐に遣はす。鞍作福利を以て通事と爲す。十六年夏四月、小野臣妹子大唐より至る。唐國、妹子臣を號して蘇因高と曰ふ。卽ち大唐の使人裴世清、下客十二人、妹子臣に從ひて筑紫に至る。難波吉師雄成を遣はして、大唐の客裴世清等を召さしむ。唐の客の爲に、更に新館を難波の高麗館の上に造る。六月壬寅朔丙辰、客等難波津に泊まる。是の日、餝船三十艘を以て客等を江口に迎へ、新館に安置す。是に中臣宮地連麻呂・大河內直糠手・船史王平を以て掌客と爲す。爰に妹子臣奏して曰く、臣參り還る時、唐帝書を以て臣に授く。然るに百濟國を經過する日、百濟人探りて以て掠取す。是を以て上ること得ず、と。是に群臣議して曰く、夫れ使人は死すと雖も旨を失はず。是れ使ひなるに何ぞ怠りて大國の書を失ふや、と。則ち流刑に坐す。時に天皇勅して曰く、妹子、書を失ふの罪有りと雖も、輒く罪すべからず。其の大國の客等聞かば亦良からじ、と。乃ち赦して坐せざるなり。秋八月辛丑朔癸卯、唐の客京に入る。是の日、餝騎七十五疋を遣はして、唐の客を海石榴市の衢に迎ふ。額田部連比羅夫、禮辭を以て告ぐ。壬子、唐の客を朝廷に召し、使の旨を奏せしむ。時に阿倍鳥臣・物部依網連抱の二人、客の導者たり。是に大唐の國信物、庭中に置く。時に使主裴世清、親ら書を持ち、兩度再拜し、使の旨を言上して立つ。其の書に曰く、皇帝、倭皇に問ふ。使人長吏大禮蘇因高等至りて、具さに狀す。朕、欽んで寶命を承け、區宇に臨仰す。德化を弘め、含靈に覃び被らしめんことを思ふ。愛育の情、遐邇を隔つること無し。皇の介居して海表にあり、民庶を撫寧し、境內安樂にして、風俗融和し、深き氣至誠にして、遠く朝貢を修むるを知る。丹款の美、朕嘉する有り。稍に暄かなること比ごろ常の如し。故に鴻臚寺の掌客裴世清等を遣はし、往意を指宣し、并せて物を送ること別の如し、と。時に阿倍臣出で進みて其の書を受けて進み行く。大伴囓連迎へ出でて書を承け、大門の前の机の上に置きて奏す。事畢りて退く。是の時、皇子諸王諸臣、悉く金の髻華を以て頭に著く。亦衣服は皆錦紫繡織及び五色の綾羅を用ゐる。〔一に云ふ、服色は皆冠の色を用ゐる、と。〕丙辰、唐の客等を朝に饗す。九月辛未朔乙亥、客等を難波の大郡に饗す。辛巳、唐の客裴世清罷り歸る。則ち復た小野妹子臣を以て大使と爲し、吉士雄成を小使と爲し、福利を通事と爲し、唐の客に副へて遣はす。爰に天皇、唐帝に聘す。其の辭に曰く、東の天皇、敬みて西の皇帝に白す。使人鴻臚寺の掌客裴世清等至り、久しき憶ひ方に解く。季秋薄冷、尊何如。清念を想ふ。此れ卽ち常の如し。今、大禮蘇因高・大禮乎那利等を遣はして往かしむ。謹んで白す、不具、と。

現代語訳

推古天皇十五年(607)秋七月三日、大礼の小野臣妹子を大唐に遣わした。鞍作福利を通訳とした。十六年夏四月、小野臣妹子が大唐から帰り着いた。唐の国では妹子臣を蘇因高と呼んでいた。大唐の使者の裴世清と随員十二人が、妹子臣に従って筑紫に着いた。難波吉師雄成を遣わして、大唐の客の裴世清らを迎えさせた。唐の客のために、新たに館を難波の高麗館の上手に造った。六月十五日、客たちが難波津に停泊した。この日、飾り立てた船三十艘で客たちを川口に出迎え、新しい館に落ち着かせた。そこで中臣宮地連麻呂・大河内直糠手・船史王平を接待役とした。さて妹子臣は奏上した。臣が帰ってくるとき、唐の皇帝は書を臣に授けました。ところが百済国を通り過ぎた日、百済人が探って奪い取りました。そのため差し上げることができません、と。そこで群臣が議して言った。使者というものは死んでも任務の趣旨を失わないものだ。使者でありながら、どうして怠って大国の書を失ったのか、と。そして流刑に処すことになった。そのとき天皇は勅して言った。妹子は書を失った罪があるとはいえ、軽々しく罪してはならない。大国の客たちが聞いても、よくは思わないだろう、と。そこで赦して罪に問わなかった。秋八月、唐の客が都に入った。この日、飾った騎馬七十五頭を遣わして、唐の客を海石榴市の辻で迎えた。額田部連比羅夫が礼の言葉を述べた。十二日、唐の客を朝廷に召し、使者の趣旨を奏上させた。このとき阿倍鳥臣・物部依網連抱の二人が客の案内役であった。そこで大唐の国の贈り物を庭の中に置いた。使主の裴世清は自ら書を持ち、二度再拝して使いの趣旨を申し上げて立った。その書には次のようにあった。皇帝が倭皇に問う。使人の長吏の大礼蘇因高らが来て、詳しく状況を述べた。朕は謹んで天命を受け、天下に臨んでいる。徳による教化を広め、すべての生き物にまで及ぼしたいと思う。慈しみ育てる心は、遠い近いを隔てることがない。皇が海の彼方にあって、民を安んじ、国内は安らかで、風俗は和らぎ、深い誠の心で、遠く朝貢を修めていることを知った。その真心の美しさを、朕は喜ばしく思う。このごろは次第に暖かく、例年のとおりである。そこで鴻臚寺の掌客の裴世清らを遣わし、このたびの意を伝え、あわせて別紙のとおり品物を送る、と。そのとき阿倍臣が進み出てその書を受け、進んで行った。大伴囓連が迎え出て書を受け取り、大門の前の机の上に置いて奏上した。事が終わって退いた。このとき皇子・諸王・諸臣は、みな金の髻華を頭に着けた。衣服はみな錦・紫・刺繍・織物および五色の綾羅を用いた。(ある書には、服の色はみな冠の色を用いた、とある。)十六日、唐の客らを朝廷でもてなした。九月、客らを難波の大郡でもてなした。五日、唐の客の裴世清が帰国した。そこでまた小野妹子臣を大使とし、吉士雄成を小使とし、福利を通訳とし、唐の客に付き添わせて遣わした。ここに天皇は唐の皇帝に使いを送った。その文に言う。東の天皇が謹んで西の皇帝に申し上げる。使人の鴻臚寺の掌客の裴世清らが来て、長く思っていた気持ちがようやく解けた。晩秋で少し冷えるが、御身いかがか。お変わりないことと思う。こちらは常のとおりである。今、大礼の蘇因高・大礼の乎那利らを遣わして行かせる。謹んで申し上げる、意を尽くさない、と。

解説

推古朝の隋使往来の記録です。使者が国書を奪われたと報告しても、天皇は大国の客に聞こえが悪いと罪を赦し、迎えの船や騎馬、衣服の色まで整えて客を遇しました。素行はここから、対等に隣国と交わる礼の始まりを見ています。彼は中国の書物ばかりを尊ぶ当時の学者に対し、日本の朝廷が最初から自国の立場で応対した証拠として引きます。現代の仕事でも、取引先や外部の相手と向き合うとき、迎え方や言葉づかいの整い、失敗した部下への扱い方に、その組織の足場が表れます。
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この章句が説くこと

小野妹子裴世清国書迎賓の礼東天皇敬白西皇帝善隣

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