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中朝事実 / 神知章・武内宿禰の讒言と知人の道

應神帝九年夏四月。遣武內宿禰於筑紫。以監察百姓。時武內宿禰弟甘美內宿禰。廢兄。卽讒言于天皇。武內宿禰常有望天下之情。今聞。在筑紫而密謀之曰。獨裂筑紫。招三韓令朝於己。遂將有天下。於是天皇則遣使以令殺武內宿禰。時武內宿禰歎之曰。吾無貳心。以忠事君。今何禍矣。無罪而死耶。於是有壹伎直眞根子者。其爲人能似武內宿禰之形。獨惜武內宿禰無罪而空死。便語武內宿禰曰。今大臣以忠事君。既無黑心。天下共知。願密避之。參赴于朝。親辨無罪。而後死不晩也。且時人每云。僕形似大臣。故今我代大臣而死之。以明大臣之丹心。則伏劔自死焉。時武內宿禰獨大悲之。竊避筑紫。浮海以從南海廻之。泊紀水門。僅得逮朝。乃辨無罪。天皇則推問武內宿禰與甘美內宿禰。於是二人各堅執而爭之。是非難決。天皇勅之令請神祇探湯。是以武內宿禰與甘美內宿禰。共出于磯城川濱爲探湯。武內宿禰勝之。便執橫刀。以毆仆甘美內宿禰。遂欲殺矣。天皇勅之令釋。仍賜紀伊直等之祖也。 謹按。良臣與奸臣相對。君子與小人相敵。故何世無姦臣乎。蓋奸讒之行。未嘗無所其因。今謀其遠出。以蠱蓋其心。以塗其耳目。以陰狡之質。構瀾翻之辨。況其親戚乎。況其兄弟乎。帝之過不亦宜乎。凡武內弼亮六世。師言嘉績多于當世。尤壽者之老臣也。上閱世久而涉歷深。先王之政。祖宗之典。古今興衰治亂文武之迹。當時沿革廢擧之由。莫不知之行之。故瞭然於見聞之際。粲然於指畫之頃。可謂天下之具瞻也。因一朝之讒。望必死之地。吁危哉。眞根子是何人乎。感其忠激其讒。速死以充焉。天又佑善人也。帝尙不決。終有探湯之誓。以明寃。讒口所以顚倒於是非。混淆於邪正如此。狹穗彥王因外親欲危垂仁帝之社稷。平群眞鳥擅國政欲簒武烈帝之寳祚。刺領巾殺王子。眉輪王弑天皇。皆非一朝一夕之事。僭〔與譖同〕始既涵也。故根使主之奸謀。歷十四年而後發覺。以受赤族誅。金村臣之大忠。輔六有世。亦恤衆口。而蟄住吉宅矣。人君不錯志於此。姦雄簒國之慚。憸邪罔上之譖。佞幸擅權之私。聚斂媚諛之欲。剝床以膚不覺。小人得志。君子受屈。爲鬼爲蜮。營營靑蠅。可不愼乎。〔以上。戒奸臣之譖。〕 以上論知人之道。愚謂。天下之治道。莫大於得人。不得其人。則勞而無功。得其人則垂拱仰成。猶耳目四支聰明健强。而心思使令之也。夫萬機之繁。人君臨決。則蘭膏以繼。亦竟不可得。天下之大。人君兼巡。則皸瘃以求。亦竟不可盡也。明君繼天建極。良臣代君分職。是至誠之道也矣。凡官惟百。職惟庶。而總在大臣守司近親之三。三者一不得。則不可謂治也。大臣不一。有文臣。有武臣。有舊老臣。有勳功臣。各得其道。則政體正。而衆備豫。禮樂興。而風俗厚矣。守司不一。有國主郡縣司。人物事儀。各有其司。其撰得其人。則民人化。土地辟。事物得其處矣。近親不一。有侍衞。有給事。有左右親戚之分。非止一類。各得其撰。則左右之涵養。朝夕之恪勤。番直之衞儀正。而宗子惟城。親戚惟屏。故大明安枕於泰山。拱手於北辰。四海以朝。一天皆共。非不勞而功成乎。蓋得人之道。在知人。知人太難。知之在內主其知德。外察其言行。試之久之也。若純必知。貴敏以言。則利口喋喋。而其俗靡弊輕薄也。純必德。尙篤以行。則沉默唯唯。而其俗墨面理遺也。奸佞喩於利。無所不至。人君深居高坐。於事不自裁。淵默寡言。於人不叩繫。不察功能之實。而信毀譽之偏。不規恒久之情。而取一旦之事。則竟不可得其實。故往古之人君。躬覽萬機以察其事物。日接群臣以考其人材。大臣以下各奉職陳言。勤忠不隱。猶未嘗無其差。乾靈之神。每其登庸。必以衆議。以試任。可幷鑒焉也。抑任使之道又不易。親則有瀆之失。遠則有塞之過。既得大臣。則盡其禮。嚴其制。豐其祿。高其位。任事以不疑。是敬大臣也。如守令。制任限。明考課。正監巡之察。明其禮。則賢賢之道立矣。如近親。正風俗。避佞奸。重世臣。慰老臣。明親戚之分。是親親體群臣也。夫得其人而不用。則人才必屈。用其人而不致其制。則佞奸窺釁。讒者得間也。臣士登庸。使令之難。豈不偉哉。外朝聖主堯舜。既以知人爲難。其登用也。必咨若以試焉。皐陶歌而舜拜之。益進昌言而禹拜之。周公獻卜而成王拜之者。非敬大臣乎。唐虞之四岳十二牧。三代之方伯連者。非撰守令乎。文武之聰明齊聖。小大之臣。咸懷忠良。則待漸染之補。不又切乎。況百官庶司之任。各無不盡其心。可幷按也。或疑。知近臣易。而知遠臣之難。愚謂。近臣難知之。遠臣易知焉。夫遠臣者懼人君之威。而重大臣之命。故所其爲不大違也。近臣者褻君之親。慢己之近。察大明之間。阿大臣之意。以蠱其膚。蠱其心。其害太深。人君之暴昏。振古無未繫近親之邪惡。是非。近臣易知乎。近臣者君自試之。所其及最狹。如遠臣者。所其友。所其宗。所其學。所其爲。人人以毀譽之。而後黜陟焉。所其索太廣。故曰。近臣難。遠臣易。或疑。奸讒不行。愚謂。人君之使令。正其禮。嚴其制。以致其道。恒敎令。恒省察。則臣竟不可得顯其私。若一任不規。詳命而不省。從其譽而不試之。重其功而不察之。則猶新柱久而朽。清水塞而穢。夫彼之罪乎。

新字:応神帝九年夏四月。遣武内宿祢於筑紫。以監察百姓。時武内宿祢弟甘美内宿祢。廃兄。即讒言于天皇。武内宿祢常有望天下之情。今聞。在筑紫而密謀之曰。独裂筑紫。招三韓令朝於己。遂将有天下。於是天皇則遣使以令殺武内宿祢。時武内宿祢嘆之曰。吾無貳心。以忠事君。今何禍矣。無罪而死耶。於是有壱伎直真根子者。其為人能似武内宿祢之形。独惜武内宿祢無罪而空死。便語武内宿祢曰。今大臣以忠事君。既無黒心。天下共知。願密避之。参赴于朝。親弁無罪。而後死不晩也。且時人毎云。僕形似大臣。故今我代大臣而死之。以明大臣之丹心。則伏剣自死焉。時武内宿祢独大悲之。窃避筑紫。浮海以従南海廻之。泊紀水門。僅得逮朝。乃弁無罪。天皇則推問武内宿祢与甘美内宿祢。於是二人各堅執而争之。是非難決。天皇勅之令請神祇探湯。是以武内宿祢与甘美内宿祢。共出于磯城川浜為探湯。武内宿祢勝之。便執横刀。以殴仆甘美内宿祢。遂欲殺矣。天皇勅之令釈。仍賜紀伊直等之祖也。 謹按。良臣与奸臣相対。君子与小人相敵。故何世無姦臣乎。蓋奸讒之行。未嘗無所其因。今謀其遠出。以蠱蓋其心。以塗其耳目。以陰狡之質。構瀾翻之弁。況其親戚乎。況其兄弟乎。帝之過不亦宜乎。凡武内弼亮六世。師言嘉績多于当世。尤寿者之老臣也。上閲世久而渉歴深。先王之政。祖宗之典。古今興衰治乱文武之迹。当時沿革廃挙之由。莫不知之行之。故瞭然於見聞之際。粲然於指画之頃。可謂天下之具瞻也。因一朝之讒。望必死之地。吁危哉。真根子是何人乎。感其忠激其讒。速死以充焉。天又佑善人也。帝尚不決。終有探湯之誓。以明冤。讒口所以顛倒於是非。混淆於邪正如此。狭穂彦王因外親欲危垂仁帝之社稷。平群真鳥擅国政欲簒武烈帝之宝祚。刺領巾殺王子。眉輪王弑天皇。皆非一朝一夕之事。僭〔与譖同〕始既涵也。故根使主之奸謀。歴十四年而後発覚。以受赤族誅。金村臣之大忠。輔六有世。亦恤衆口。而蟄住吉宅矣。人君不錯志於此。姦雄簒国之慚。憸邪罔上之譖。佞幸擅権之私。聚斂媚諛之欲。剥床以膚不覚。小人得志。君子受屈。為鬼為蜮。営営青蠅。可不慎乎。〔以上。戒奸臣之譖。〕 以上論知人之道。愚謂。天下之治道。莫大於得人。不得其人。則労而無功。得其人則垂拱仰成。猶耳目四支聰明健強。而心思使令之也。夫万機之繁。人君臨決。則蘭膏以継。亦竟不可得。天下之大。人君兼巡。則皸瘃以求。亦竟不可尽也。明君継天建極。良臣代君分職。是至誠之道也矣。凡官惟百。職惟庶。而総在大臣守司近親之三。三者一不得。則不可謂治也。大臣不一。有文臣。有武臣。有旧老臣。有勲功臣。各得其道。則政体正。而衆備予。礼楽興。而風俗厚矣。守司不一。有国主郡県司。人物事儀。各有其司。其撰得其人。則民人化。土地辟。事物得其処矣。近親不一。有侍衛。有給事。有左右親戚之分。非止一類。各得其撰。則左右之涵養。朝夕之恪勤。番直之衛儀正。而宗子惟城。親戚惟屏。故大明安枕於泰山。拱手於北辰。四海以朝。一天皆共。非不労而功成乎。蓋得人之道。在知人。知人太難。知之在内主其知徳。外察其言行。試之久之也。若純必知。貴敏以言。則利口喋喋。而其俗靡弊軽薄也。純必徳。尚篤以行。則沈黙唯唯。而其俗墨面理遺也。奸佞喩於利。無所不至。人君深居高坐。於事不自裁。淵黙寡言。於人不叩繋。不察功能之実。而信毀誉之偏。不規恒久之情。而取一旦之事。則竟不可得其実。故往古之人君。躬覧万機以察其事物。日接群臣以考其人材。大臣以下各奉職陳言。勤忠不隠。猶未嘗無其差。乾霊之神。毎其登庸。必以衆議。以試任。可幷鑒焉也。抑任使之道又不易。親則有瀆之失。遠則有塞之過。既得大臣。則尽其礼。厳其制。豊其禄。高其位。任事以不疑。是敬大臣也。如守令。制任限。明考課。正監巡之察。明其礼。則賢賢之道立矣。如近親。正風俗。避佞奸。重世臣。慰老臣。明親戚之分。是親親体群臣也。夫得其人而不用。則人才必屈。用其人而不致其制。則佞奸窺釁。讒者得間也。臣士登庸。使令之難。豈不偉哉。外朝聖主堯舜。既以知人為難。其登用也。必咨若以試焉。皐陶歌而舜拝之。益進昌言而禹拝之。周公献卜而成王拝之者。非敬大臣乎。唐虞之四岳十二牧。三代之方伯連者。非撰守令乎。文武之聰明斉聖。小大之臣。咸懐忠良。則待漸染之補。不又切乎。況百官庶司之任。各無不尽其心。可幷按也。或疑。知近臣易。而知遠臣之難。愚謂。近臣難知之。遠臣易知焉。夫遠臣者懼人君之威。而重大臣之命。故所其為不大違也。近臣者褻君之親。慢己之近。察大明之間。阿大臣之意。以蠱其膚。蠱其心。其害太深。人君之暴昏。振古無未繋近親之邪悪。是非。近臣易知乎。近臣者君自試之。所其及最狭。如遠臣者。所其友。所其宗。所其学。所其為。人人以毀誉之。而後黜陟焉。所其索太広。故曰。近臣難。遠臣易。或疑。奸讒不行。愚謂。人君之使令。正其礼。厳其制。以致其道。恒教令。恒省察。則臣竟不可得顕其私。若一任不規。詳命而不省。従其誉而不試之。重其功而不察之。則猶新柱久而朽。清水塞而穢。夫彼之罪乎。

書き下し

應神帝九年夏四月、武内宿禰を筑紫に遣はし、以て百姓を監察せしむ。時に武内宿禰の弟甘美内宿禰、兄を廢せんとして、卽ち天皇に讒言す、「武内宿禰、常に天下を望むの情有り。今聞く、筑紫に在りて密かに謀りて曰く、『獨り筑紫を裂き、三韓を招き己に朝せしめ、遂に天下を有たん』と」と。是に於て天皇則ち使を遣はし、以て武内宿禰を殺さしむ。時に武内宿禰歎じて曰く、「吾貳心無く、忠を以て君に事ふ。今何の禍ぞ。罪無くして死なんや」と。是に壹伎直眞根子といふ者有り。其の人と爲り、能く武内宿禰の形に似たり。獨り武内宿禰の罪無くして空しく死ぬを惜しみ、便ち武内宿禰に語りて曰く、「今大臣、忠を以て君に事ふ。既に黑心無きこと、天下共に知る。願はくは密かに之を避け、朝に參赴し、親しく罪無きを辨ぜよ。而る後に死すとも晩からず。且つ時人每に云ふ、『僕の形は大臣に似たり』と。故に今我、大臣に代はりて死し、以て大臣の丹心を明らかにせん」と。則ち劔に伏して自ら死す。時に武内宿禰獨り大いに之を悲しむ。竊かに筑紫を避け、海に浮かび、南海より廻りて以て從ひ、紀の水門に泊まる。僅かに朝に逮ぶことを得て、乃ち罪無きを辨ず。天皇則ち武内宿禰と甘美内宿禰とを推問したまふ。是に二人各々堅く執りて之を爭ふ。是非決し難し。天皇勅して、神祇に請ひて探湯せしむ。是を以て武内宿禰と甘美内宿禰と、共に磯城川の濱に出でて探湯を爲す。武内宿禰勝つ。便ち橫刀を執りて、以て甘美内宿禰を毆ち仆し、遂に殺さんと欲す。天皇勅して釋さしむ。仍りて紀伊直等の祖に賜ふ。 謹んで按ずるに、良臣と奸臣は相對し、君子と小人は相敵す。故に何れの世にか姦臣無からん。蓋し奸讒の行ひ、未だ嘗て其の因る所無くんばあらず。今其の遠出を謀り、以て其の心を蠱し、以て其の耳目を塗り、陰狡の質を以て、瀾翻の辨を構ふ。況んや其の親戚をや。況んや其の兄弟をや。帝の過つこと亦宜ならずや。凡そ武内六世を弼亮し、師言嘉績當世に多し。尤も壽者の老臣なり。上は世を閲すること久しく涉歷深く、先王の政、祖宗の典、古今興衰治亂文武の迹、當時沿革廢擧の由、知り行はざる莫し。故に見聞の際に瞭然、指畫の頃に粲然たり。天下の具瞻と謂ふべきなり。一朝の讒に因りて、必死の地を望む。吁、危ふいかな。眞根子は是れ何人ぞや。其の忠に感じ其の讒に激し、速やかに死して以て充つ。天又善人を佑くるなり。帝尙ほ決せず、終に探湯の誓有りて、以て寃を明らかにす。讒口の是非に顚倒し、邪正に混淆する所以、此の如し。狹穗彥王は外親に因りて垂仁帝の社稷を危ふくせんと欲し、平群眞鳥は國政を擅にして武烈帝の寳祚を簒はんと欲し、領巾を刺して王子を殺し、眉輪王天皇を弑す。皆一朝一夕の事に非ず。僭〔譖と同じ〕の始め、既に涵せるなり。故に根使主の奸謀、十四年を歷て後に發覺し、以て赤族の誅を受く。金村臣の大忠、六世を輔けて、亦衆口を恤へて、住吉の宅に蟄す。人君此に志を錯かざれば、姦雄の國を簒ふ慚、憸邪の上を罔ふ譖、佞幸の權を擅にする私、聚斂媚諛の欲、床を剝ぎて膚に以ぶも覺らず、小人志を得、君子屈を受く。鬼と爲り蜮と爲り、營營たる靑蠅、愼まざるべけんや。〔以上。奸臣の譖を戒む。〕 以上、知人の道を論ず。愚謂へらく、天下の治道は人を得るより大なるは莫し。其の人を得ざれば則ち勞して功無く、其の人を得れば則ち垂拱して成るを仰ぐ。猶ほ耳目四支聰明健强にして、心思之を使令するがごとし。夫れ萬機の繁きを、人君臨決すれば、則ち蘭膏以て繼ぐも、亦竟に得べからず。天下の大なるを、人君兼ね巡れば、則ち皸瘃して以て求むるも、亦竟に盡くすべからざるなり。明君は天を繼ぎ極を建て、良臣は君に代はりて職を分かつ。是れ至誠の道なり。凡そ官は惟れ百、職は惟れ庶、而して總べて大臣・守司・近親の三に在り。三者の一も得ざれば、則ち治と謂ふべからず。大臣は一ならず、文臣有り、武臣有り、舊老臣有り、勳功臣有り。各々其の道を得れば、則ち政體正しく、衆備豫まり、禮樂興りて、風俗厚し。守司は一ならず、國主・郡縣の司有り、人物・事儀、各々其の司有り。其の撰其の人を得れば、則ち民人化し、土地辟け、事物其の處を得るなり。近親は一ならず、侍衞有り、給事有り、左右・親戚の分有りて、止だ一類に非ず。各々其の撰を得れば、則ち左右の涵養、朝夕の恪勤、番直の衞儀正しくして、宗子は惟れ城、親戚は惟れ屏たり。故に大明は枕を泰山に安んじ、手を北辰に拱き、四海以て朝し、一天皆共す。勞せずして功成るに非ずや。蓋し人を得るの道は、人を知るに在り。人を知ること太だ難し。之を知るは、内は其の德を主として知り、外は其の言行を察し、之を試みること久しきに在り。若し純ら知を必とし、敏を言に貴べば、則ち利口喋喋として、其の俗靡弊輕薄なり。純ら德を必とし、篤を行に尙べば、則ち沈默唯唯として、其の俗墨面して遺を理む。奸佞は利に喩りて至らざる所無し。人君深居高坐して、事に於て自ら裁せず、淵默寡言にして、人に於て叩繫せず、功能の實を察せずして毀譽の偏を信じ、恒久の情を規らずして一旦の事を取れば、則ち竟に其の實を得べからず。故に往古の人君は、躬ら萬機を覽て以て其の事物を察し、日に群臣に接して以て其の人材を考ふ。大臣以下各々職を奉じ言を陳べ、勤忠隱さず。猶ほ未だ嘗て其の差無くんばあらず。乾靈の神、其の登庸する每に、必ず衆議を以てし、試任を以てす。幷せ鑒みるべきなり。抑も任使の道又易からず。親しめば則ち瀆るるの失有り、遠ざくれば則ち塞がるの過ち有り。既に大臣を得れば、則ち其の禮を盡くし、其の制を嚴にし、其の祿を豐かにし、其の位を高くし、事に任じて疑はず。是れ大臣を敬ふなり。守令の如きは、任限を制し、考課を明らかにし、監巡の察を正し、其の禮を明らかにすれば、則ち賢を賢とするの道立つ。近親の如きは、風俗を正し、佞奸を避け、世臣を重んじ、老臣を慰め、親戚の分を明らかにす。是れ親を親とし群臣を體するなり。夫れ其の人を得て用ゐざれば、則ち人才必ず屈す。其の人を用ゐて其の制を致さざれば、則ち佞奸釁を窺ひ、讒者間を得るなり。臣士の登庸、使令の難、豈に偉ならずや。外朝の聖主堯・舜は、既に人を知るを以て難しと爲す。其の登用や、必ず咨りて試みる。皐陶歌ひて舜之を拜し、益昌言を進めて禹之を拜し、周公卜を獻じて成王之を拜するは、大臣を敬ふに非ずや。唐虞の四岳・十二牧、三代の方伯・連帥は、守令を撰ぶに非ずや。文武の聰明齊聖、小大の臣、咸な忠良を懷くは、則ち漸染の補を待つこと、又切ならずや。況んや百官庶司の任、各々其の心を盡さざる無きをや。幷せ按ずべきなり。或ひと疑ふ、近臣を知るは易く、遠臣を知るは難し、と。愚謂へらく、近臣は知り難く、遠臣は知り易し。夫れ遠臣は人君の威を懼れ、大臣の命を重んず。故に其の爲す所大いには違はず。近臣は君の親しきに褻れ、己の近きに慢り、大明の間を察し、大臣の意に阿り、以て其の膚を蠱し、其の心を蠱す。其の害太だ深し。人君の暴昏、振古より近親の邪惡に繫らざる無し。是れ近臣は知り易きに非ずや。近臣は君自ら之を試む。其の及ぶ所最も狹し。遠臣の如きは、其の友とする所、其の宗とする所、其の學ぶ所、其の爲す所、人人之を毀譽して、而る後に黜陟す。其の索むる所太だ廣し。故に曰く、近臣は難く、遠臣は易しと。或ひと疑ふ、奸讒行はれず、と。愚謂へらく、人君の使令、其の禮を正し、其の制を嚴にし、以て其の道を致し、恒に敎令し、恒に省察すれば、則ち臣竟に其の私を顯すを得ず。若し一任して規らず、命を詳にして省みず、其の譽に從ひて之を試みず、其の功を重んじて之を察せざれば、則ち猶ほ新柱の久しくして朽ち、清水の塞がりて穢るるがごとし。夫れ彼の罪ならんや。

現代語訳

応神帝九年の夏四月、武内宿禰を筑紫に遣わして、民を監察させた。このとき武内宿禰の弟の甘美内宿禰は、兄を失脚させようとして、天皇に讒言した。「武内宿禰は常に天下を望む心があります。今聞くところでは、筑紫でひそかに謀って、『ひとり筑紫を裂き取り、三韓を招いて自分に朝貢させ、ついに天下を取ろう』と言っているそうです。」そこで天皇は使いを遣わして武内宿禰を殺させようとした。武内宿禰は嘆いていった。「私は二心なく忠をもって君に仕えてきた。今どうしてこの禍いに遭うのか。罪なくして死ぬのか。」このとき壱伎直真根子という者がいた。その人柄は武内宿禰の姿によく似ていた。ひとり武内宿禰が罪なくむなしく死ぬのを惜しみ、すぐ武内宿禰に語っていった。「いま大臣は忠をもって君に仕え、黒い心のないことは天下がみな知っています。どうかひそかにここを逃れ、朝廷に参って自ら無実を明らかにしてください。死ぬのはその後でも遅くありません。しかも世の人はいつも『私の姿は大臣に似ている』と言います。だから今、私が大臣に代わって死に、大臣の赤心を明らかにしましょう。」そして剣に伏して自ら死んだ。そのとき武内宿禰はひとり大いにこれを悲しんだ。ひそかに筑紫を離れ、海に浮かび、南海を回って従い、紀の水門に泊まった。かろうじて朝廷に至り、罪のないことを弁明した。天皇は武内宿禰と甘美内宿禰を取り調べられた。二人はそれぞれ固く主張して争った。是非は決しがたかった。天皇は勅して、神祇に祈って探湯(くかたち)をさせた。そこで武内宿禰と甘美内宿禰は、ともに磯城川の浜に出て探湯を行った。武内宿禰が勝った。すぐ横刀を取って、甘美内宿禰を打ち倒し、殺そうとした。天皇は勅して許させた。そして紀伊直らの祖に賜った。 素行はこう考える。良臣と奸臣は向かい合い、君子と小人は敵対する。だからどの世にも姦臣がいないことはない。思うに、奸佞や讒言の行いには、これまで必ずそれが生じる理由があった。今その者は遠出を謀り、その心を惑わし、その耳目をふさぎ、陰険でずる賢い性質で、波立つような弁舌を構えた。ましてそれが親戚であれば、ましてそれが兄弟であれば。帝が過ったのもむしろ当然ではないか。武内宿禰は六代にわたり補佐し、その言葉と功績は当時に多かった。もっとも長寿の老臣である。上は世を経ること久しく経歴が深く、先王の政、祖宗の典、古今の興衰治乱や文武の事跡、当時の沿革や廃止・採用の理由を、知らず行わないものはなかった。だから見聞のときにはっきりし、指図するときに鮮やかであった。天下の仰ぎ見る人といえる。それが一朝の讒言によって、必死の地に置かれた。ああ、危うかった。真根子とはどのような人であろうか。その忠に感じ、その讒言に憤り、速やかに死んでそれに代わった。天もまた善人を助けるのである。帝はなお決しかね、ついに探湯の誓いによって無実を明らかにした。讒言の口が是非を逆さまにし、邪正を混乱させることは、このようである。狭穂彦王は外戚の縁によって垂仁帝の社稷を危うくしようとし、平群真鳥は国政を専らにして武烈帝の位を奪おうとし、領巾を刺して王子を殺し、眉輪王は天皇を弑した。いずれも一朝一夕のことではない。讒〔僭は譖と同じ〕の始まりは、すでに久しく染み込んでいたのである。だから根使主の奸計は、十四年を経てのち発覚し、一族皆殺しの誅を受けた。金村臣の大忠は、六代を助けたが、人々の口を憂えて、住吉の宅に蟄居した。君主がこれに心を留めなければ、姦雄が国を奪う恥、邪悪な者が上を欺く讒言、側近が権を専らにする私心、搾取と媚びへつらいの欲が、寝床を削って肌に及ぶまで気づかれず、小人が志を得て、君子が屈する。鬼や蜮(水中から人に毒を吹く虫)となり、ぶんぶんと飛び回る青蠅のように、慎まずにいられようか。〔以上、奸臣の讒言を戒める。〕 以上、人を知る道を論じた。私が思うに、天下を治める道は人を得ることより大きなものはない。その人を得なければ労ばかりで功がなく、その人を得れば手をこまねいていても成就を仰ぎ待てる。ちょうど耳目や四肢が聡明で強く、心がそれを使いこなすようなものである。万機の煩雑さを君主がみな自分で裁決すれば、夜に灯油を継ぎ足して続けてもとうてい尽くせない。天下の広さを君主がすべて巡れば、手足にあかぎれやしもやけができるほど求めても、ついに尽くしきれない。明君は天を継いで基準を建て、良臣は君に代わって職を分担する。これが至誠の道である。およそ官は百、職は多いが、総じて大臣、守司、近親の三つにある。この三つの一つでも得なければ、治まったとはいえない。大臣は一種類ではない。文臣、武臣、旧老臣、勲功臣がある。それぞれがその道を得れば、政体が正しく、あらゆる備えがととのい、礼楽が興って風俗が厚くなる。守司も一種類ではない。国主、郡県の司がいて、人物や事柄の儀礼にそれぞれの司がある。その選びが適任であれば、民は教化され、土地は開け、物事はそれぞれ所を得る。近親も一種類ではない。侍衛があり、給事があり、左右や親戚の別があって、一つの類に限らない。それぞれ適任を得れば、左右の涵養、朝夕のつつしみ、当直の衛士の威儀が正しくなり、宗室の子は城となり、親戚は垣根となる。だから大君は泰山のごとく枕を安んじ、北辰のように手を拱いて座し、四海が朝し、天下がみなともにする。労せずして功が成るのではないか。思うに人を得る道は人を知ることにある。人を知ることは非常に難しい。人を知るには、内にはその徳を主として知り、外にはその言行を察し、長く試みることである。もし知恵ばかりを重んじ言葉の敏さを貴べば、口先の達者が多弁にしゃべり、風俗は軽薄に流れる。もし徳ばかりを重んじ行いの篤さを尊べば、沈黙してただ従う者ばかりとなり、顔を墨で塗ったように押し黙り、落ち度の後始末をするだけの風俗となる。奸佞な者は利に聡く、何でもする。君主が深く居て高い座に坐り、事を自ら裁かず、深く沈黙して言葉が少なく、人に問いただすことをせず、功能の実を調べずに毀誉の偏りを信じ、恒久の様子を見ずに一時の事だけを取れば、ついに実情を得ることができない。だから昔の君主は、みずから万機を見て事物を察し、日々群臣に接して人材を調べた。大臣以下はそれぞれ職を奉じて意見を述べ、勤勉と忠をかくさなかった。それでも差がないわけではなかった。天の神々は、人を登用するたびに必ず衆議により、試みて任じた。あわせて鑑みるべきである。そもそも人を任じ使う道もまた易しくない。親しめばなれなれしさの失があり、遠ざければ隔たりの過ちがある。すでに大臣を得たなら、その礼を尽くし、その制を厳しくし、その禄を豊かにし、その位を高くし、事を任せて疑わない。これが大臣を敬うことである。守令については、任期を定め、考課を明らかにし、監察の巡察を正し、その礼を明らかにすれば、賢者を賢者として遇する道が立つ。近親については、風俗を正し、奸佞を避け、代々の臣を重んじ、老臣を慰め、親戚の分を明らかにする。これは親しい者を親しみ、群臣を思いやることである。その人を得てもこれを用いなければ、人材は必ず屈する。その人を用いてもその制度を整えなければ、奸佞な者が隙をうかがい、讒言する者が入り込む。臣下の登用、使いこなす難しさは、実に重大である。外朝(中国)の聖主である堯・舜は、すでに人を知ることを難しいとした。その登用では、必ず諮ってから試した。皋陶が歌って舜がこれに拝礼し、益が昌言を進めて禹がこれに拝礼し、周公が卜を献じて成王がこれに拝礼したのは、大臣を敬うことではないか。唐虞の四岳・十二牧、三代の方伯・連帥は、守令を選ぶことではないか。文武の聡明で斉しく聖なる君主のもと、大小の臣がみな忠良を抱くのは、感化の補いを待つことがまた切実だからではないか。まして百官諸司の任は、それぞれ心を尽くさざるをえない。あわせて考えるべきである。ある人が疑問をいう。「近臣を知るのは易しく、遠臣を知るのは難しいのではないか。」私は思う。近臣は知りがたく、遠臣は知りやすい。そもそも遠臣は君主の威を恐れ、大臣の命を重んじる。だからその行いは大きくは違わない。近臣は君の親しさになれなれしくなり、自分の近さに驕り、君の明るさのすきを察し、大臣の意に阿り、君の肌身と心を惑わす。その害はきわめて深い。君主の暴虐や昏迷は、昔から近親の邪悪に関わらなかったためしがない。これは近臣こそ知りやすいということではないか。近臣は君が自ら試す。その及ぶ範囲はもっとも狭い。遠臣については、その友とする者、宗とする者、学ぶ所、為す所を、人々が毀誉して、そののち昇降する。調べる範囲がきわめて広い。だから「近臣は難く、遠臣は易い」というのである。またある人が疑問をいう。「奸佞や讒言は行われないのではないか。」私は思う。君主が人を使うにあたり、その礼を正し、その制を厳しくして、その道を尽くし、常に教令し、常に省察すれば、臣はついに私心を現すことができない。もし任せきりにして調べず、命じっぱなしで省みず、その評判に従って試さず、その功績を重んじて察しなければ、新しい柱が久しくすれば朽ち、清水が塞がれば汚れるようなものである。それは彼らだけの罪であろうか。

解説

応神帝の時、弟の讒言で無実の罪を着せられた武内宿禰を、身代わりに死んだ真根子と探湯の誓いが救ったという記述を引き、素行は讒言は一朝で生じず、君主が人を知る努力を怠るところに入り込むと論じます。人を得るには内は徳を、外は言行を長く試し、任せたら疑わず、制度を整えよとも述べます。身近な者の方が知りにくいという見立ても素行の主張です。評判や一時の成果だけで人を判断しない姿勢は、現代の評価や人事にも通じます。
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この章句が説くこと

武内宿祢讒言探湯知人大臣・守令・近親考課

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