神皇正統記 / 巻二 民のかまど
民間の貧きことをおぼして、三年の御調を止られき。高殿にのぼりてみ給へば、にぎはゝしくみえけるによりて、 高屋にのぼりてみれば煙立民のかまどはにぎはひにけり とぞよませ給ける。さて猶三年を許されければ、宮の中破て雨露もたまらず。宮人の衣壊て其よそほひ全からず。御門は是をたのしみとなむおぼしける。かくて六年と云に、国々の民各まゐり集て大宮造し、色〳〵[の]御調を備へけるとぞ。ありがたかりし御政なるべし。
書き下し
民間の貧きことをおぼして、三年の御調を止られき。高殿にのぼりてみ給へば、にぎはゝしくみえけるによりて、 高屋にのぼりてみれば煙立民のかまどはにぎはひにけり とぞよませ給ける。さて猶三年を許されければ、宮の中破て雨露もたまらず。宮人の衣壊て其よそほひ全からず。御門は是をたのしみとなむおぼしける。かくて六年と云に、国々の民各まゐり集て大宮造し、色々の御調を備へけるとぞ。ありがたかりし御政なるべし。
現代語訳
民の暮らしが貧しいことを思われて、三年のあいだ税を取ることをやめられた。高殿に登って眺められると、ようやく賑わって見えたので、「高屋にのぼりてみれば煙立つ、民のかまどはにぎはひにけり」とお詠みになった。それでもなお三年を延ばして免除されたので、宮殿は破れて雨露も防げず、宮に仕える人々の衣は破れてその装いも整わなかった。天皇はそれを楽しみとさえ思っておられた。こうして六年めになったとき、国々の民がそれぞれ集まって来て大宮を造り、さまざまな貢ぎ物を備えたという。まことにありがたい政であった。
解説
仁徳天皇の「民のかまど」の逸話で、日本の為政者の理想像としてもっとも長く語り継がれてきた話である。ここで見ておきたいのは、税を止めた期間である。三年で賑わいが見えたのに、さらに三年延ばした。その間、宮殿は雨漏りし、仕える者の衣は破れた。しかも「御門は是をたのしみとなむおぼしける」——天皇はそれを楽しみにしていたという。我慢していたのではない。そして結末が効いている。六年後、民が自分から集まって来て宮を建てた。命じて建てさせたのではない。先に与えた分が、時間をおいて自発的に返ってきたという構図である。目に見える成果が出た時点でやめず、もう一巡待てるかどうか。投資を回収に転じる時期の判断として読むと、この逸話は急に生々しくなる。
この章句が説くこと
民のかまど仁徳天皇三年の御調先に与える
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