中朝事実 / 中國章・豊葦原瑞穂国と大八洲・日本の名
天神謂伊弉諾尊・伊弉冊尊曰。有豐葦原千五百秋瑞穗之地。宜汝往循之。廼賜天瓊戈。〔瓊玉也。此云努。〕 一書曰。豐葦原千五百秋之瑞穗國者。大八洲未生以前。已有此名。而無形相。强字其形爲天瓊矛者也。大八州國者。卽瓊矛之所成。其中心號曰大日本日高見。名大日本者。由大日孁貴降靈。故有此名。 謹按。是謂本朝水土之始也。初既有此稱。則其水土之美不議而可知之。蓋豐者庶富之言也。葦原者草味之稱也。千五百者衆多之義。秋瑞穗者百穀盛熟之意也。天神之靈無不通。故知水土之沃壤。人物之庶富。敎化可以施焉。夫知其機之謂乎。二神從之。以遂其功。所其繁全在天神也。懿哉本朝開闢之義。悉因神聖之靈。是乃實天授之人與之也。故皇統有億兆之系。終與天壤無窮矣。 伊弉諾尊・伊弉冊尊。以磤馭廬島爲國中之柱。〔柱此云美簸志邏。〕廼生大日本〔日本此云耶麻騰〕豐秋津洲。始起大八洲國之號焉。〔耶麻止。又野馬臺。又耶麻堆。皆同。〕 謹按。磤馭廬島者自凝之島。言獨立而不倚之稱也。〔磤馭廬者自凝之辭也。〕二神立於天浮橋之上。以天之瓊矛指下而探之。是獲滄溟。其矛鋒滴瀝之潮凝成一島。是也。國中者中國也。柱者建而不拔之稱。恒久而不變也。大者無相對。日者陽之精明而不惑之稱。本者深根固蒂也。〔或曰。大日孁貴所靈降之地。故有此號。〕豐者盛大之稱。秋津者象其形也。〔蜻蛉此曰秋津。〕大八洲者。其始生八洲也。所謂土者陰之精。八者陰之極數。而統八方之義也。〔後世分天下。爲五畿七道。乃合八洲之義。〕蓋是本朝生成之初也。凡地之有洲。猶天之有星。地乃一陰水之相積。而其間有洲島之相顯。如天之積氣裏星宿相著也。其洲或連續而異其域。或相獨立而異其洲。本朝唯卓爾于洋海。禀天地之精秀。四時不違。文明以隆。皇統終不斷。其名實相應。可併考也。以日本號耶麻騰者。猶言山迹。上古人民。穴居野處。專凭山爲營窟。故人迹在山。神武帝東征之日。因其山迹之多。以建州。設都邑。乃稱號耶麻騰。今之倭州是也。自此以耶麻止爲天下之通稱〔神武帝起自大倭洲也。外國猶稱夏・殷・周也。〕也。或曰倭國。或曰倭奴國。猶曰吾國。〔吾此曰倭。國不知之。〕〔曰倭奴。以倭音假用。外以字義論說。尤差謬。〕竊按。其稱耶麻止者。神武帝朝已後。史書追稱呼也。〔神武帝紀曰。始有秋津洲之號也。然乃秋津亦追稱也。〕
新字:天神謂伊弉諾尊・伊弉冊尊曰。有豊葦原千五百秋瑞穂之地。宜汝往循之。廼賜天瓊戈。〔瓊玉也。此云努。〕 一書曰。豊葦原千五百秋之瑞穂国者。大八洲未生以前。已有此名。而無形相。強字其形為天瓊矛者也。大八州国者。即瓊矛之所成。其中心号曰大日本日高見。名大日本者。由大日孁貴降霊。故有此名。 謹按。是謂本朝水土之始也。初既有此称。則其水土之美不議而可知之。蓋豊者庶富之言也。葦原者草味之称也。千五百者衆多之義。秋瑞穂者百穀盛熟之意也。天神之霊無不通。故知水土之沃壤。人物之庶富。教化可以施焉。夫知其機之謂乎。二神従之。以遂其功。所其繁全在天神也。懿哉本朝開闢之義。悉因神聖之霊。是乃実天授之人与之也。故皇統有億兆之系。終与天壤無窮矣。 伊弉諾尊・伊弉冊尊。以磤馭廬島為国中之柱。〔柱此云美簸志邏。〕廼生大日本〔日本此云耶麻騰〕豊秋津洲。始起大八洲国之号焉。〔耶麻止。又野馬台。又耶麻堆。皆同。〕 謹按。磤馭廬島者自凝之島。言独立而不倚之称也。〔磤馭廬者自凝之辞也。〕二神立於天浮橋之上。以天之瓊矛指下而探之。是獲滄溟。其矛鋒滴瀝之潮凝成一島。是也。国中者中国也。柱者建而不抜之称。恒久而不変也。大者無相対。日者陽之精明而不惑之称。本者深根固蒂也。〔或曰。大日孁貴所霊降之地。故有此号。〕豊者盛大之称。秋津者象其形也。〔蜻蛉此曰秋津。〕大八洲者。其始生八洲也。所謂土者陰之精。八者陰之極数。而統八方之義也。〔後世分天下。為五畿七道。乃合八洲之義。〕蓋是本朝生成之初也。凡地之有洲。猶天之有星。地乃一陰水之相積。而其間有洲島之相顕。如天之積気裏星宿相著也。其洲或連続而異其域。或相独立而異其洲。本朝唯卓爾于洋海。禀天地之精秀。四時不違。文明以隆。皇統終不断。其名実相応。可併考也。以日本号耶麻騰者。猶言山迹。上古人民。穴居野処。専凭山為営窟。故人迹在山。神武帝東征之日。因其山迹之多。以建州。設都邑。乃称号耶麻騰。今之倭州是也。自此以耶麻止為天下之通称〔神武帝起自大倭洲也。外国猶称夏・殷・周也。〕也。或曰倭国。或曰倭奴国。猶曰吾国。〔吾此曰倭。国不知之。〕〔曰倭奴。以倭音仮用。外以字義論説。尤差謬。〕窃按。其称耶麻止者。神武帝朝已後。史書追称呼也。〔神武帝紀曰。始有秋津洲之号也。然乃秋津亦追称也。〕
書き下し
天神、伊弉諾尊・伊弉冊尊に謂いて曰く、豊葦原の千五百秋の瑞穂の地有り、宜しく汝往きて循るべし、と。廼ち天瓊戈を賜う。〔瓊は玉なり。此れを努と云う。〕 一書に曰く、豊葦原の千五百秋の瑞穂国とは、大八洲未だ生れざる以前に、已に此の名有りて、形相無し。強いて其の形を字して天瓊矛と為すものなり。大八洲国とは、即ち瓊矛の成す所なり。其の中心を大日本日高見と号す。大日本と名づくるは、大日孁貴の降霊に由る、故に此の名有り、と。 謹んで按ずるに、是れ本朝の水土の始めを謂う。初めより既に此の称有らば、則ち其の水土の美は議せずして知るべし。蓋し豊とは庶富の言なり。葦原とは草昧の称なり。千五百とは衆多の義なり。秋瑞穂とは百穀盛熟の意なり。天神の霊は通ぜざる無し。故に水土の沃壌、人物の庶富を知り、教化以て施すべし。夫れ其の機を知るの謂か。二神之に従い、以て其の功を遂ぐ。其の繁、全て天神に在るなり。懿なるかな本朝開闢の義、悉く神聖の霊に因る。是れ乃ち実に天の授け人の与するなり。故に皇統は億兆の系有りて、終に天壌と窮まり無し。 伊弉諾尊・伊弉冊尊、磤馭廬島を以て国中の柱と為し、廼ち大日本〔日本、此れを耶麻騰と云う。〕豊秋津洲を生み、始めて大八洲国の号を起こす。〔耶麻止、又野馬台、又耶麻堆、皆同じ。〕 謹んで按ずるに、磤馭廬島とは自ら凝る島なり。独立して倚らざるの称を言う。〔磤馭廬とは自ら凝るの辞なり。〕二神、天浮橋の上に立ち、天の瓊矛を以て指し下して探る。是に滄溟を獲たり。其の矛の鋒より滴瀝する潮、凝りて一島と成る。是れなり。国中とは中国なり。柱とは建ちて抜けざるの称、恒久にして変ぜざるなり。大とは相対無きなり。日とは陽の精明にして惑わざるの称。本とは根を深くし蒂を固くするなり。〔或いは曰く、大日孁貴の霊降る所の地なり、故に此の号有り、と。〕豊とは盛大の称。秋津とは其の形に象るなり。〔蜻蛉を此れ秋津と曰う。〕大八洲とは、其の始め八洲を生むなり。所謂る土は陰の精、八は陰の極数にして、八方を統ぶるの義なり。〔後世、天下を分けて五畿七道と為すは、乃ち八洲の義に合う。〕蓋し是れ本朝生成の初めなり。凡そ地に洲有るは、猶お天に星有るがごとし。地は乃ち一陰水の相積み、其の間に洲島の相顕るること、天の積気の裏に星宿の相著くが如し。其の洲、或いは連続して其の域を異にし、或いは相独立して其の洲を異にす。本朝は唯だ洋海に卓爾として、天地の精秀を禀け、四時違わず、文明以て隆んに、皇統終に断たず。其の名実相応ず、併せ考うべし。日本を以て耶麻騰と号するは、猶お山迹と言うがごとし。上古の人民、穴居野処し、専ら山に凭りて営窟と為す。故に人迹山に在り。神武帝東征の日、其の山迹の多きに因りて、以て州を建て、都邑を設く。乃ち耶麻騰と称号す。今の倭州是れなり。此れより耶麻止を以て天下の通称と為す。〔神武帝は大倭洲より起こるなり。外国の猶お夏・殷・周と称するがごとし。〕或いは倭国と曰い、或いは倭奴国と曰うは、猶お吾が国と曰うがごとし。〔吾を此れ倭と曰う。国は之を知らず。〕〔倭奴と曰うは、倭の音を以て仮用す。外より字義を以て論説するは、尤も差謬なり。〕竊かに按ずるに、其の耶麻止と称するは、神武帝朝已後に、史書追って称呼するなり。〔神武帝紀に曰く、始めて秋津洲の号有り、と。然れば乃ち秋津も亦た追称なり。〕
現代語訳
天神は伊弉諾尊・伊弉冊尊に言った。豊葦原の千五百秋の瑞穂の地がある。お前たちが行ってこれを治めるのがよい、と。そして天瓊戈(玉で飾った矛)を授けた。(瓊は玉である。これを「ぬ」と読む。) 一書に言う。豊葦原の千五百秋の瑞穂国とは、大八洲がまだ生まれる前からすでにこの名があり、形はなかった。強いてその形を名づけて天瓊矛としたのである。大八洲国は、その瓊矛が成したものである。その中心を大日本日高見と呼ぶ。大日本と名づけたのは、大日孁貴が霊を降したことによる。それでこの名がある、と。 素行はこう考える。これは本朝の風土の始めをいう。最初からこの呼び名があるなら、その風土の美しさは議論せずとも分かる。思うに、豊とは豊かで富むという言葉である。葦原とは草創のころの呼び名である。千五百とは多数の意味である。秋瑞穂とは多くの穀物が盛んに実る意味である。天神の霊は通じないものがない。だから風土の肥沃さ、人や物産の豊かさを知り、教化を施せると見たのである。それは機を知るということであろう。二神はこれに従って功を遂げた。その繁栄はすべて天神によるものである。見事なことだ、本朝開闢の意義は、すべて神聖の霊に由来する。これは実に天が授け、人が与したものである。だから皇統は億兆の系を重ね、ついには天地とともに窮まりがない。 伊弉諾尊・伊弉冊尊は磤馭廬島を国中の柱とし、大日本(日本は「やまと」と読む)豊秋津洲を生み、初めて大八洲国という呼び名が起こった。(耶麻止、また野馬台、また耶麻堆、みな同じである。) 素行はこう考える。磤馭廬島とは自ら凝り固まった島で、独り立って他に頼らない様子をいう。(磤馭廬とは自ら凝るという言葉である。)二神は天浮橋の上に立ち、天の瓊矛を指し下ろして探った。すると青海原に当たった。その矛の先からしたたり落ちた潮が凝り固まって一つの島になった。これがそれである。国中とは中国(日本)である。柱とは建って抜けないという意味で、恒久に変わらないことである。大とは並ぶものがないこと。日とは陽の精が明るく、惑わないという意味。本とは根を深くし蒂を固めることである。(ある説では、大日孁貴が霊を降した地だからこの号があるともいう。)豊とは盛大の称。秋津とはその形に象ったものである。(蜻蛉をここでは秋津という。)大八洲とは、その始めに八つの洲を生んだのである。土は陰の精であり、八は陰の極数で、八方を統べる意味がある。(後世、天下を五畿七道に分けたのは、八洲の意に合う。)これが本朝生成の初めである。そもそも地に洲があるのは、天に星があるようなものである。地は一つの陰水が積み重なったもので、その間に洲や島が現れるのは、天の積もった気の中に星宿が輝くのと同じである。その洲は、あるものは連なって領域を異にし、あるものは独立して洲を異にする。本朝はただ大海の中に抜きん出て、天地の精秀を受け、四季は違わず、文明は盛んで、皇統は絶えなかった。その名と実が対応しており、あわせて考えるべきである。日本を「やまと」と呼ぶのは、「山迹」と言うのと同じである。上古の人々は穴に住み野に暮らし、もっぱら山に頼って住まいとした。だから人の足跡が山にあった。神武帝が東征した日、その山迹の多いのによって州を建て、都邑を設けた。そこで「やまと」と称した。今の倭州がこれである。これ以後、「やまと」が天下の通称となった。(神武帝は大倭洲から起こった。外国で夏・殷・周と称するのと同じである。)あるいは倭国といい、あるいは倭奴国というのは、自国を「わが国」というのと同じである。(吾を「わ」という。その国は知らなかった。)(倭奴というのは倭の音を借りたもので、外国から字義で論じるのは大きな誤りである。)ひそかに考えるに、「やまと」と称したのは、神武帝の時代以後に、史書が遡って呼んだものである。(神武帝紀にはじめて秋津洲の名があると記す。だとすれば秋津もまた後からの呼称である。)
解説

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『中朝事実』武德章・天瓊矛と日神の武備伊弉諾尊・伊弉冊尊、天浮橋の上に立ち、共に計りて曰く、底下に豈に國無からんや、と。廼ち天の瓊〔瓊は玉なり。此には努と曰ふ。〕矛を以て指し下して探る。是に滄溟を獲たり。其の矛の鋒より瀝滴る潮、凝りて一島と成る。之を名づけて磤馭盧島と曰ふ。 一書に曰く、天神、伊弉諾尊・伊弉冊尊に謂ひて曰く、豐葦原千五百秋瑞穗の地有り、宜しく汝往きて循ふべし、と。廼ち天瓊戈を賜ふ。是に二神、天上の浮橋に立ち、戈を投げて地を求む。因りて滄海を畫きて之を引き擧ぐ。卽ち戈の鋒より垂れ落つる潮、結びて島と爲る。名づけて磤馭盧島と曰ふ。 一書に曰く、豐葦原千五百秋の瑞穗國は、大八洲未だ生まれざる以前に、已に其の名有り。名字有りと雖も、形相無し。强ひて其の形を字して天瓊矛と爲す者なり。大八洲國は、卽ち瓊矛の成す所なり、と。 謹んで按ずるに、大八洲の成るは、天瓊矛より出づ。其の形、乃ち瓊矛に似たり。故に細戈千足國と號す。宜なるかな、中國の雄武なること。凡そ開闢以來、神器靈物甚だ多し。而して天瓊矛を以て初めと爲す。是れ乃ち武德を尊び、以て雄義を表すなり。 素戔嗚尊昇天の時、溟渤、之を以て鼓盪し、山岳、之が爲に鳴呴す。此れ則ち神性雄健にして之をして然らしむるなり。天照太神、素より其の神の暴惡を知る。來詣の狀を聞くに至り、乃ち勃然として驚きて曰く、吾が弟の來るは、豈に善意を以てせんや。謂ふに當に國を奪ふ志有るか。夫れ父母旣に諸子に任ず、各々其の境有り。如何ぞ當に就くべきの國を棄置して、敢へて此の處を窺窬せんや、と。乃ち髮を結びて髻と爲し、裳を縛りて袴と爲し、便ち八坂瓊の五百箇御統〔御統、此には美須磨屢と云ふ。〕を以て、其の髻・鬘及び腕に纏ふ。又た千箭の靱〔千箭、此には知能梨と云ふ。〕と五百箭の靱を背に負ひ、臂に稜威の高鞆〔稜威、此には伊都と云ふ。〕を著け、弓彌を振り起こし、劒の柄を急に握り、堅庭を蹈みて股を陷れ、沫雪の如く以て蹴散らし、〔蹴散、此には俱穢簸邏邏箇須と云ふ。〕稜威の雄詰〔雄詰、此には烏多稽眉と云ふ。〕を奮ひ、稜威の嘖讓〔嘖讓、此には擧廬毗と云ふ。〕を發して、徑ちに詰問す。 一書に曰く、日神、本より素戔嗚尊の武健にして物を凌ぐの意有るを知る。其の上り至るに及び、便ち謂へらく、弟の來る所以は、是れ善意に非ず。必ず當に我が天原を奪はんとす、と。乃ち丈夫の武備を設け、躬ら十握劒・九握劒・八握劒を帶ぶ。又た背上に靱を負ひ、又た臂に稜威の高鞆を著け、手に弓箭を握り、親ら迎へ防禦す。 一書に曰く、天照太神、弟に惡心有るを疑ひ、兵を起こして詰問す。 一書に曰く、日神曰く、吾が弟の上り來る所以は、復た好意に非ず。必ず我が國を奪はんと欲する者か。吾、婦女と雖も、何ぞ當に避くべけんや、と。乃ち躬ら武備を裝ふ、云云。 謹んで按ずるに、是れ日神、武備を裝ひ兵を起こすの義なり。日神の聖靈なる、天下誰か之に敵せん。而るに猶ほ大丈夫の備へを設けて以て防禦するは、是れ萬世に戒めを垂れ、備へを未然に設くるの謂なり。蓋し備とは豫め爲すの義なり。備へ有れば則ち安く、備へ無ければ則ち敗る。天下の事物、皆然り。況んや兵の用爲る、必ず不虞有り、不意有り。故に遠慮深思して、以て武備を裝へば、難に臨みて患ひ無し。素戔嗚尊は神の弟なり。而して其の武德を嚴にして之を責むる者は、其の無狀を以て天に臨み、八洲之が爲に泯滅し、黎元之が爲に沈淪せんことを思ふ。而して武威を裝ひて其の機を懲らすは、最も畏るべきなり。
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『中朝事実』中國章・中国の称と神武帝の東征・都の選び方皇祖高皇産霊尊、遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てて、以て葦原中国の主と為さんと欲す。 謹んで按ずるに、是れ本朝を以て中国と為すの謂なり。是より先、天照太神、天上に在して曰く、葦原中国に保食神有りと聞く、と。然れば則ち中国の称は、往古より既に此れ有るなり。凡そ人物の生成は、一日として未だ曾て水土を襲わずんばあらず。故に平易の土に生成すれば、平易の気を禀けて、性情自ら平易なり。険難の土に生成すれば、険難の気を禀けて、性情危険に堪う。豈に唯だ人のみならんや。鳥獣草木も亦た然り。是れ五方の民、皆な性有りて其の俗を異にする所以なり。蓋し中に、天の中有り、地の中有り、水土人物の中有り、時宜の中有り。故に外〔羅か〕朝に土中に服するの説有り、迦維に天地の中なりとの言有り、南人も亦た天の中を得たりと曰う。愚按ずるに、天地の運る所、四時の交わる所、其の中を得れば、則ち風雨寒暑の会偏らず、故に水土沃にして人物精なり。是れ乃ち中国と称すべし。万邦の衆、唯だ本朝及び外朝のみ其の中を得たり。而して本朝は神代に既に天御中主尊有り、二神国中の柱を建つ。則ち本朝の中国たること、天地自然の勢いなり。神神相生まれ、聖皇連綿として、文武事物の精秀、実に以て相応ず。是れ豈に誣称ならんや。 神武帝、神代の迹を継ぎ、日向国の宮崎宮に都す。曰く、東に美地有り、青山四周せり。彼の地は必ず以て天業を恢弘し、天下に光宅するに足るべし。蓋し六合の中心か、と。遂に東征して初めて中州を平らげ、大倭国の畝傍山の東南、橿原の地を観て、帝宅を経始す。 謹んで按ずるに、運は鴻荒に属し、時は草昧に鍾る。蚰龍鳥虫は処を得、異人は疆を分かちて陵躒す。唯だ此の西辺のみ以て治むべし。故に天孫先ず此に降り、多くの年を歴て、以て正を養う。神武帝に逮び、王沢既に霑い、当に天業を恢弘し天下に光宅するに足るべし。故に此の東征有り、始めて中州の実を拡ぐ。蓋し西は金、東は木なり。西より東に及ぶは、征伐の相剋なり。東より西に及ぶは、化育の相生なり。左旋右行は、乃ち天地日月五行の道、至誠息む無きなり。聖皇の征治は、乾坤以て法るべし。或ひと疑う、二神磤馭廬島を以て国中の柱と為し、廼ち大日本を生む。然れば乃ち天孫の降、何ぞ西偏に在るや、と。愚竊かに謂えらく、是れ末季の俗意を以て、上古の霊神を量るなり。甚だ意見臆説に渉るなり。神聖の道は悠久にして、其の功成る。先ず其の易きに因りて其の極を建て、其の過化を考えて其の業を洪にす。故に其の成るや久しく、其の根本や固し。実に万世不抜の大基なり。博厚は地に配し、高明は天に配し、悠久にして疆り無し。二神の国中の柱と為すは、大日本の中州と為すべき所以の言なり。二神の聖、既に万世に鑑みて、此の洲を以て中国と為し、天孫を以て此の洲に主たらしむ。其の天鑑の巍巍たるかな。
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『神皇正統記』巻一 序かの国よりは倭と書たれど、返牒には日本とも倭とものせられず。是より上代には牒ありともみえざる也。唐の咸亨の比は天智の御代にあたりたれば、実には件の比より日本と書て送られけるにや。又此国をば秋津州といふ。神武天皇国のかたちをめぐらしのぞみ給て、「蜻蛉の臀舐の如くあるかな。」との給しより、此名ありきとぞ。しかれど、神代に豊秋津根と云名あれば、神武にはじめざるにや。此外もあまた名あり。細戈の千足国とも、磯輪上の秀真の国とも、玉垣の内国ともいへり。又扶桑国と云名もあるか。「東海の中に扶桑の木あり。日の出所なり。」とみえたり。日本も東にあれば、よそへていへるか。此国に彼木ありと云事きこえねば、たしかなる名にはあらざるべし。凡内典の説に須弥と云山あり。此山をめぐりて七の金山あり。其中間は皆香水海なり。金山の外に四大海あり。此海中に四大州あり。州ごとに又二の中州あり。南州をば贍部と云。是は樹の名なり。南州の中心に阿耨達と云山あり。山頂に池あり。池の傍に此樹あり。迊七由旬高百由旬なり。