智囊 / 小慧・竇公
唐崇賢竇公善治生,而力甚困。京城內有隙地一段,與大閹相鄰,閹貴欲之,然其地止值五六百千而已。竇公欣然以此奉之,殊不言價。閹既喜甚,乃托故欲往江淮,希三兩護戎緘題。閹為致書,凡獲三千緡,由是甚濟。東市有隙地一片,窪下停污,乃以廉值市之,俾婢嫗將蒸餅盤就彼誘兒童,若拋磚瓦中一指標,得一餅。兒童奔走競拋,十填六七,乃以好土覆之,起一店停波斯,日獲一緡。
新字:唐崇賢竇公善治生,而力甚困。京城内有隙地一段,与大閹相鄰,閹貴欲之,然其地止値五六百千而已。竇公欣然以此奉之,殊不言価。閹既喜甚,乃托故欲往江淮,希三両護戎緘題。閹為致書,凡獲三千緡,由是甚済。東市有隙地一片,窪下停汚,乃以廉値市之,俾婢嫗将蒸餅盤就彼誘児童,若抛磚瓦中一指標,得一餅。児童奔走競抛,十填六七,乃以好土覆之,起一店停波斯,日獲一緡。
書き下し
唐の崇賢の竇公は善く生を治むるも、力は甚だ困し。京城内に隙地一段有り、大閹と相い鄰す、閹貴は之を欲するも、然れども其の地は止だ五六百千に値するのみ。竇公は欣然として此を以て之に奉じ、殊に価を言わず。閹は既に甚だ喜び、乃ち故に託して江淮に往かんと欲し、三両の護戎に緘題せんことを希む。閹は為に書を致し、凡そ三千緡を獲、是に由りて甚だ済う。東市に隙地一片有り、窪下して汚を停む、乃ち廉値を以て之を市い、婢嫗をして蒸餅の盤を将て彼に就きて児童を誘わしめ、若し磚瓦を拋ちて中の一指標に中つれば、一餅を得たり。児童は奔走して競い拋ち、十に六七を填む、乃ち好土を以て之を覆い、一店を起こして波斯を停む、日に一緡を獲たり。
現代語訳
唐代の崇賢坊に住む竇公は、生計を立てることが上手だったが、資力はとても苦しかった。都の中に空き地が一区画あり、有力な宦官の屋敷と隣り合っていた。その宦官はこの土地を欲しがったが、土地の値は五、六百千にすぎなかった。竇公は喜んでそれを宦官に差し上げ、値段のことは一言も言わなかった。宦官はたいへん喜んだ。そこで竇公は口実を作って江淮へ行きたいと言い、二、三人の軍の長官への紹介状を頼んだ。宦官は書状を書いてくれ、竇公は合わせて三千緡を得て、おおいに助かった。東市には空き地が一区画あり、低く窪んで汚水がたまっていた。竇公は安い値で買い取り、下女や老女に蒸し餅の盆を持たせ、そこで子どもたちを誘わせた。「煉瓦や瓦のかけらを投げて、中の一本の目印に当たったら、餅を一つあげる」と言った。子どもたちは走って来て競って投げ入れ、十のうち六、七が埋まった。そこで良い土をかぶせ、店を一軒建て、ペルシャ人の商人を泊まらせて、日に一緡の収入を得た。
解説
この章句が説くこと
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史記 南越列伝使者皆東郷し、太后南郷し、王北郷し、相嘉・大臣皆西郷し、侍坐して飲む。嘉の弟将為り、卒を将ゐて宮外に居る。酒行はれ、太后嘉に謂ひて曰く、「南越の内属は、国の利なり、而るに相君苦だ便ならずとする者は、何ぞや」と。以て使者を激怒せしめんとす。使者狐疑して相杖り、遂に敢て発する莫し。嘉耳目の是に非ざるを見て、即ち起ちて出づ。太后怒り、嘉を鏦くに矛を以てせんと欲す、王太后を止む。嘉遂に出で、其の弟の兵を分かちて舎に就き、病と称し、王及び使者に見ゆるを肯ぜず。乃ち陰に大臣と乱を作さんとす。王素より嘉を誅するに意無し、嘉之を知る、故を以て数月発せず。太后淫行有り、国人附かず、独り嘉等を誅せんと欲するも、力又能はず。天子嘉の王に聴かず、王・王太后弱孤にして制すること能はず、使者怯えて決無きを聞く。又以為へらく王・王太后已に漢に附く、独り呂嘉乱を為す、以て兵を興すに足らずと、荘参をして二千人を以て往きて使ひせしめんと欲す。参曰く、「好を以て往かば、数人にて足れり。武を以て往かば、二千人以て為す足る無し」と。辞して可かず、天子参を罷む。郟の壮士、故の済北の相韓千秋奮ひて曰く、「区区たる越を以て、又王・太后の応ずる有り、独り相呂嘉害を為す、願はくは勇士二百人を得て、必ず嘉を斬りて以て報ぜん」と。是に於て天子千秋と王太后の弟樛楽とを遣はし二千人を将ゐて往かしめ、越の境に入る。呂嘉等乃ち遂に反し、令を国中に下して曰く、「王年少し。太后は、中国の人なり、又使者と乱し、専ら内属を欲し、尽く先王の宝器を持して入りて天子に献じて以て自ら媚び、多く人を従へ、行きて長安に至り、虜売して以て僮僕と為さんとす。自ら一時の利を脱するを取り、趙氏の社稷を顧み、万世の為に慮計するの意無し」と。乃ち其の弟と卒を将ゐて王・太后及び漢の使者を攻め殺す。
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