智囊 / 小慧・江彪
諸葛令女庾氏婦既寡,誓云:「不復重出。」此女性甚正強,無有登車理。恢既許江思玄彪婚,乃移家近之,初誑女云:「宜徙。」於是家人一時去,獨留女在後。比其覺,已不復得出。江郎暮來,女哭詈彌甚,積日漸歇。江暝入宿,恒在對牀上。後觀其意轉帖,江乃詐魘,良久不寤,聲氣轉急,女乃呼婢云:「喚江郎覺!」江於是躍然就之,曰:「我自是天下男子,魘何與卿事?而煩見喚,既爾相關,那得不共語?」女嘿然而慚,情意遂篤。
新字:諸葛令女庾氏婦既寡,誓云:「不復重出。」此女性甚正強,無有登車理。恢既許江思玄彪婚,乃移家近之,初誑女云:「宜徙。」於是家人一時去,独留女在後。比其覚,已不復得出。江郎暮来,女哭詈弥甚,積日漸歇。江暝入宿,恒在対牀上。後観其意転帖,江乃詐魘,良久不寤,声気転急,女乃呼婢云:「喚江郎覚!」江於是躍然就之,曰:「我自是天下男子,魘何与卿事?而煩見喚,既爾相関,那得不共語?」女嘿然而慚,情意遂篤。
書き下し
諸葛令の女、庾氏の婦にして既に寡となり、誓いて云う、「復た重ねて出でず」と。此の女は性甚だ正強にして、車に登る理無し。恢は既に江思玄彪の婚を許し、乃ち家を移して之に近づく、初め女を誑きて云う、「宜しく徙るべし」と。是に於いて家人は一時に去り、独り女を留めて後に在らしむ。其の覚るに比びては、已に復た出ずるを得ず。江郎は暮に来たり、女は哭き詈ること弥いよ甚だし、日を積みて漸く歇む。江は暝に入りて宿し、恒に対牀の上に在り。後に其の意の転た帖くを観て、江は乃ち詐りて魘し、良や久しくして寤めず、声気転た急なり、女は乃ち婢を呼びて云う、「江郎を喚びて覚ませ」と。江は是に於いて躍然として之に就き、曰く、「我は自ら是れ天下の男子なり、魘は卿の事に何ぞ与らん、而るに煩わしく喚ぶを見る、既に爾く相関す、那ぞ共に語らざるを得んや」と。女は嘿然として慚じ、情意遂に篤し。
現代語訳
諸葛恢の娘は、庾氏に嫁いだが夫に先立たれ、「二度と再婚はしません」と誓っていた。この娘は性格がまっすぐで頑固で、嫁ぎ先の車に乗るはずがなかった。諸葛恢はすでに江彪(字は思玄)との結婚を承諾しており、そこで家を江氏の近くに移した。はじめは娘をだまして、「引っ越すのがよい」と言った。そして家人は一斉に出て行き、娘ひとりを後に残した。娘が気づいたときには、もう外に出ることができなかった。江郎は夕暮れに来たが、娘は泣き罵ることがますますひどくなり、日がたつにつれてようやく収まった。江は夜になると泊まり込み、いつも向かいの寝台の上にいた。のちに娘の気持ちがだんだん和らいできたのを見て、江はうなされるふりをした。しばらく目を覚まさず、息づかいがますます荒くなった。娘はとうとう下女を呼んで言った。「江郎を呼んで起こしなさい。」江はそこで勢いよく起き上がり、そばに寄って言った。「私は天下の男子だ。うなされたことが、あなたに何の関係がある。なのに呼んで起こしてくれた。これほど関わった以上、どうして一緒に語らずにいられようか。」娘は黙って恥じ入り、二人の情は深くなった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』小慧・孫綽王文度坦之の弟の阿智は悪しきこと乃ち翅ならず、当に年長くして人の与に婚する無し。孫興公綽に女の阿恒有り、亦た僻錯にして、復た嫁娶の理無し。孫は因りて文度に詣り、阿智に見えんことを求め、既に見えて、便ち佯り言う、「此れ定めて可なり、殊に人の伝うる所の如からず、那ぞ今に至るまで未だ婚する処有らざるを得ん。我に一女有り、乃ち悪しからず、但だ吾は寒士にして、卿と計るに宜しからず、阿智をして之を娶らしめんと欲す」と。文度は欣然として藍田に啓して云う、「興公は吾が家の阿智に婚せんと欲す」と。藍田は驚喜し、既に婚を成すに、女の頑囂は殆ど阿智に過ぐ、方に興公の詐を知る。〔評〕阿恒は夫を得、阿智は妻を得たり。一人智有れば、両家を方便にす。
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『智囊』狡黠・老嫗騙局万暦戊子、杭郡北門の外に居民有り。年は六十に望み、妻を喪う。二子の婦は皆美にして、翁に事えて孝敬なり。一日、忽ち老嫗の門に立つ有り。晨より午に至るまで、期待して至らざる者有るが若し。翁、出入すること数次、其の久しく立つを憐れみ、二子の婦に命じて其の故を詢わしむ。嫗曰く、「吾が子は忤逆す。将に之を官に訴えんとす。姐の子と期して同に往かんとするに、久しく候つも来たらず。腹も且に枵ならんとす」と。子婦これを憐れみて飯わしむ。言論甚だ相愜い、暮れに至るも期する者来たらず。因りて之を留めて宿せしむ。一たび住すること旬日。凡そ子婦の操作、悉く其の労に代わる。而して女工は尤も精なり。子婦は唯だ其の去らんことを恐れ、嫗は夫無くして子は不孝なり、煢煢として帰する無しと謂い、力めて翁に勧めて之を娶らしむ。翁乃ち与に合す。又旬余にして、嫗の子と姐の子と始めて尋ね覓めて来たる。拝跪して罪を告ぐ。嫗は猶お厲しく詈りて已まず。翁これを解き、乃ち留めて飲ましむ。其の人即ち翁を拝して繼父と為し、母の托する所有るを喜ぶ。此の如く往来すること三月。一日、嫗の孫来たりて、翁の一門を請う。云う、已に聘を行えりと。嫗曰く、「子婦の来たること何ぞ容易ならん。吾は翁及び両郎君と来たるのみ」と。往けば則ち酔いて返る。又月余にして、其の孫復た来たりて請う。云う、「某日、畢姻す。必ず二姆の同に降らんことを求む」と。
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『智囊』集哲・庾友妻庾友の婦は、桓宣武(桓温)の弟豁の女である。桓温が庾希を誅し、友にも及ぼうとしたとき、桓の女は裸足で進み入ろうとしたが、門番が禁じて入れなかった。女は声を厲しくして言った、「これは何の小人か。我が伯父の門に、我が前に進むことを許さぬのか。」そこで突き入り、号泣して請うて言った、「庾玉台は脚が短くて三寸、いつも人に頼っています。この上、賊を働けるでしょうか。」宣武は笑って言った、「婿のために自ら急ぐのだな。」ついに庾友の一門を許した。
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『智囊』雄略・陳覺妻陳覚、微かなる時は、宋齊丘の客と為る。兵部侍郎と為るに及び、其の妻李氏は妒悍にして、親ら匕を執りて爨ぎ、妾媵を置かず。齊丘は姿首ある婢三人を選びて之に与う。李も亦難色無く、三婢に奉侍すること舅姑の礼の若し。其の故を問えば、李曰く、「此れ令公の寵幸の人なり。之を見ること令公に面するが若し。何ぞ敢えて倨慢ならん」と。三婢は既に自ら安んぜず、宋の第に還らんことを求め、宋は笑いて之を許す。〔述評〕近ごろ一甲科の喪偶する有り、一土妓を眷す。継娶に及び、毎に托して言う外館に宿すと。深夜に潜かに妓の家に詣り、色を辨ずれば即ち帰る。継夫人は察知するも、絶えて言を漏らさず。其の再び往くを伺い、五鼓に其の童僕轎傘を集め、彼に往きて迎接し、夫人の命を伝う。甲科は大いに慚じ、遂に止む。亦た善く妒を用うる者なり。
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『智囊』狡黠・老嫗騙局子婦、其の請を允し、且つ衣飾を多く貨して、盛妝して往く。嫗の子婦出迎す。面黄にして病者の如し。日の晡なるに、嫗の子、二姆に迎親を請い、且つ曰く、「郷間の風俗は是くの若きのみ」と。嫗、佯りて曰く、「汝の妻、病むと雖も、今日は姑と称さる。何ぞ自ら往きて迎えずして、二位を煩わすや」と。其の子曰く、「規模雅ならず。以て重きを取る無し。既に来たれり、何ぞ一往を惜しまん」と。嫗乃ち之を許す。是に於いて嫗と病婦と及び二子婦、俱に船に下りて去る。更余にして返らず。嫗の子、假りに出でて覘うとして、孫又之に継ぎ、皆去れり。天明に及んで、遍く覓むれども蹤無し。之を房主に訪うに、則ち云う、「五六月前に来たりて房を租りて住めり。其の故を知らず」と。翁父子、悵悵として帰る。親友来たりて衣飾を取る。嚢を傾けて之を償う。而して二婦の家、女を覓むるも得ず、之を官に訟う。翁と子、恨み極まり、因りて自尽す。
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『智囊』集哲・吳生妓真定の呉生は庠に声有り、性は不羈なり。某妓を悦ぶも、橐中に実に余銭無し。妓其の才を憐れみ、因りて長ずる所を詢うに、曰く、「樗蒲に善し」と。妓乃ち生を他室中に館し、遇う所の凡そ樗蒲を愛する者には、輒ち生をして名を変え姓を変えて之と角せしむ。生は多く勝つ。因りて以て生の燈火の費に供す。妓は暇なれば則ち生に就いて宿し、生は暇なれば則ち書を読む。後に生は進士と成り、妓を娶らんと欲するも、妓適たま死す。因りて為に服を制して喪を執り、之を葬るに礼を以てし、人に言う毎に則ち涕を流す。〔評〕呉生は未だ醜を出ださず。此の妓は汧国夫人に勝ること多多なり。
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