智囊 / 狡黠・曹操
魏武常行軍,廩谷不足,私召主者問:「如何?」主者曰:「可行小斛足之。」曹公曰:「善。」後軍中言曹公欺眾,公謂主者曰:「借汝一物,以厭眾心。」乃斬之,取首題徇曰:「行小斛,盜官谷。」軍心遂定。曹公嘗云:「我眠中不可妄近,近便斲人,亦不自覺,左右宜慎之。」一日陽眠,所幸一人竊以被覆之,因便斲殺。復臥,既覺,問:「誰殺我侍者?」自是每眠人不敢近。魏武言人欲危己,己輒心動,因語所親小人曰:「汝懷刃密來我側,我必說必動,執汝使行刑,汝但勿言,保無他故,當厚相報。」親者信焉,不以為懼,遂斬之。此人至死不知也。左右以為實,謀逆者挫氣矣。操少時,嘗與袁紹觀人新婚,因潛入主人園中,夜叫呼云:「有偷兒賊。」青庐中人皆出觀,操乃入,抽刃劫新婦。與紹還出,失道,墜枳棘中,紹不能得動,操復大叫云:「偷兒在此。」紹惶迫,自擲出,遂以俱免。
新字:魏武常行軍,廩谷不足,私召主者問:「如何?」主者曰:「可行小斛足之。」曹公曰:「善。」後軍中言曹公欺衆,公謂主者曰:「借汝一物,以厭衆心。」乃斬之,取首題徇曰:「行小斛,盗官谷。」軍心遂定。曹公嘗云:「我眠中不可妄近,近便斲人,亦不自覚,左右宜慎之。」一日陽眠,所幸一人窃以被覆之,因便斲殺。復臥,既覚,問:「誰殺我侍者?」自是毎眠人不敢近。魏武言人欲危己,己輒心動,因語所親小人曰:「汝懐刃密来我側,我必説必動,執汝使行刑,汝但勿言,保無他故,当厚相報。」親者信焉,不以為懼,遂斬之。此人至死不知也。左右以為実,謀逆者挫気矣。操少時,嘗与袁紹観人新婚,因潜入主人園中,夜叫呼云:「有偸児賊。」青庐中人皆出観,操乃入,抽刃劫新婦。与紹還出,失道,墜枳棘中,紹不能得動,操復大叫云:「偸児在此。」紹惶迫,自擲出,遂以倶免。
書き下し
魏武、常に行軍するに、廩谷足らず。私かに主者を召して問う、「如何せん」と。主者曰く、「小斛を行いて之を足すべし」と。曹公曰く、「善し」と。後に軍中に曹公は衆を欺くと言う。公、主者に謂いて曰く、「汝に一物を借りて、以て衆心を厭えん」と。乃ち之を斬り、首を取りて題して徇えて曰く、「小斛を行い、官谷を盗む」と。軍心は遂に定まる。曹公嘗て云う、「我が眠中には妄りに近づくべからず。近づけば便ち人を斲る。亦た自ら覚えず。左右は宜しく慎むべし」と。一日陽り眠る。幸する所の一人、竊かに被を以て之を覆う。因りて便ち斲殺す。復た臥し、既に覚むれば問う、「誰か我が侍者を殺せしぞ」と。是れより眠る毎に人敢えて近づかず。魏武は、人の己を危うくせんと欲すれば己は輒ち心動くと言い、因りて親しき所の小人に語りて曰く、「汝は刃を懐きて密かに我が側に来たれ。我は必ず説きて必ず動く。汝を執えて刑を行わしめん。汝は但だ言う勿かれ。他の故無きを保たん。当に厚く相報ゆべし」と。親者は焉を信じ、以て懼れと為さず。遂に之を斬る。此の人は死に至るまで知らざるなり。左右は以て実と為し、謀逆する者は気を挫く。操は少き時、嘗て袁紹と人の新婚を観る。因りて潜かに主人の園中に入り、夜に叫呼して云う、「偸児賊有り」と。青廬中の人は皆出でて観る。操は乃ち入り、刃を抽きて新婦を劫かす。紹と還り出ずるに、道を失い、枳棘中に墜つ。紹は動くを得る能わず。操は復た大いに叫びて云う、「偸児此に在り」と。紹は惶迫して、自ら擲ち出で、遂に以て俱に免る。
現代語訳
魏武帝の曹操は、ある時、行軍中に兵糧が足りなくなった。ひそかに担当者を呼んで尋ねた。「どうしたらよいか」。担当者は言った。「小さい升を使って配れば足りるでしょう」。曹公は言った。「よし」。のちに軍中で曹公が兵を欺いたという噂が立った。曹公は担当者に言った。「おまえから一つ物を借りて、皆の心を静めたい」。そこで担当者を斬り、首を取って札を立てて見せしめにして触れ回った。「小さい升を使い、官の穀物を盗んだ」。軍の心は落ち着いた。曹公はかつて言った。「私が眠っているときに、むやみに近づいてはならない。近づくと人を斬りつける。自分でも気がつかない。側近はよく気をつけよ」。ある日、寝たふりをしていた。寵愛していた一人の者が、そっと布団をかけてやった。曹操はそのまま斬り殺した。再び横になり、目を覚ますと問うた。「だれが私の侍者を殺したのか」。それ以来、眠るたびに、だれも近づこうとしなくなった。魏武はまた、人が自分を害しようとすると自分の心が動くと言い、親しくしていた小者に語った。「おまえは刃を隠して、こっそり私の側に来い。私は必ず気づいて心が動く。おまえを捕らえて処刑させよう。おまえはただ黙っていろ。何も事がないことを保証する。必ず厚く報いよう」。その親しい者はこれを信じ、恐れもしなかった。そして斬られた。この者は死ぬまで知らなかった。側近は事実だと思い、謀反を企てる者は気勢をそがれた。操は若いころ、袁紹と人の婚礼を見に行ったことがある。そこでこっそり主人の庭に入り込み、夜に叫んだ。「泥棒がいるぞ」。婚礼の青い天幕の中の人々はみな出て見に来た。操はその隙に天幕に入り、刃を抜いて新婦を脅した。袁紹とともに出てきたとき、道に迷い、とげのある茂みの中に落ち込んだ。袁紹は動けなかった。操はまた大声で叫んだ。「泥棒はここだ」。袁紹はあわてふためき、自分で跳び出し、そのままともに逃げおおせた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』狡黠・曹操〔述〕《世説》に又た載す、袁紹は曾て人をして夜に剣を以て操に擲たしむ。少し下りて著かず。操は後に来たる者は必ず高からんと度り、因りて牀上に帖臥す。剣至り、果たして高し、と。此れ謬りなり。操は多疑にして、其の儆備は必ず厳し。剣は何に由りて牀に及ばん。設し之有るとも、操は必ず臥を遷さん。寧んぞ復た危き地に居りて、身を以て智を試むるの理有らんや。
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『長短経』三国権〔曹操、字は孟徳。少くして機警にして権数有り、而して任侠放蕩にして、行業を治めず。故に世人未だ之を奇とせず。唯だ橋玄のみ焉を異とし、謂いて曰く「天下将に乱れんとす。命世の才に非ずんば、済うこと能わざるなり。能く之を安んずる者は、其れ君か」と。太祖、東郡太守と為り、東武陽を治め、頓丘に軍す。黒山の賊于毒等、東武陽を攻む。太祖、兵を引きて西のかた山に入り、毒等の本屯を攻む。諸将皆以為えらく、当に還りて自ら救うべしと。太祖曰く「昔、孫臏は趙を救いて魏を攻め、耿弇は西安に走らんと欲して臨菑を攻む。賊をして我の西するを聞きて還らしめば、是れ武陽自ら解くるなり。還らずんば、我は能く虜の家を敗り、虜は武陽を敗ること能わざること、必せり」と。乃ち行く。毒之を聞き、武陽を棄てて還る。太祖要撃して、大いに之を破る。
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『智囊』億中・曹操曹公の東征するや、議者は軍出でて袁紹其の後を襲い、進みて戦うを得ず、退きて拠る所を失わんことを懼る。公曰く、「紹の性は遅くして疑い多し、来たるは必ず速やかならず。劉備は新たに起こり、衆心未だ附かず。急に之を撃たば必ず敗らん。此れ存亡の機にして、失うべからず」と。卒に東して備を撃つ。田豊は果たして紹に説きて曰く、「虎の方に鹿を捕らうるに、熊は其の穴に拠りて其の子を啖う。虎は進みて鹿を得ず、退きて其の子を得ず。今、操は自ら備を征し、国を空しくして去る。将軍は長戟百万、胡騎千群、直ちに許都を指して其の巣穴を搗かば、百万の師は天より下り、炎火を挙げて以て飛蓬を焦がし、滄海を覆して以て漂炭に沃ぐが若し、消滅せざる者有らんや。兵機の変は斯須に在り、軍情は枹鼓より捷し。操聞かば、必ず備を舎てて許に還らん。我、其の内に拠り、備、其の外を攻めば、逆操の頭は必ず麾下に懸からん。此れを失いて図らずんば、操は国に帰るを得て、兵を休め民を息め、穀を積み士を養わん。方今、漢道は陵遲し、綱紀は弛絶す。而して操は梟雄の資を以て、跋扈の勢いに乗じ、虎狼の欲を恣にし、篡逆の謀を成す。百道より攻撃すと雖も、図るべからざるなり」と。紹は子の疾を以て辞し、許さず。豊は杖を挙げて地を撃ちて曰く、「夫れ此の難遇の機に遭いて、嬰児の故を以て其の会を失う、惜しい哉」と。
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『智囊』億中・曹操何進、袁紹と宦官を誅せんことを謀るも、何太后聴かず。進は乃ち董卓を召し、兵を以て太后を脅さんと欲す。曹操聞きて之を笑い、曰く、「閹豎の官は、古今宜しく有るべし。但だ世主は当に之に権寵を仮して、此に至らしむべからず。既に其の罪を治めんとせば、当に元悪を誅すべし、一獄吏にて足れり、何ぞ必ずしも紛紛と外将を召さんや。尽く之を誅さんと欲せば、事は必ず宣露せん、吾は其の敗を見る」と。卓未だ至らずして進は殺さる。袁尚・袁熙は遼東に奔り、尚お数千騎有り。初め、遼東太守公孫康は遠きを恃みて服せず、操が烏丸を破るに及び、或ひと操に説きて遂に之を征せば、尚の兄弟は擒にすべしと。操曰く、「吾は方に康をして尚・熙の首を斬り送らしめんとす。兵を煩わさず」と。九月、操、兵を引きて柳城より還る。康は即ち尚・熙を斬り、其の首を伝う。諸将其の故を問う。操曰く、「彼は素より尚らを畏る。吾之を急にせば則ち力を並せ、之を緩にせば則ち相い図る。其の勢い然り」と。
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『智囊』敏悟・楊修楊修、魏武の主簿たり。時に相国の門を作り、始めて榱桷を構う。魏武自ら出でて看、門に題して「活」の字を作して便ち去る。楊見て、便ち令してこれを壊さしむ。曰く、「門中の活は『闊』の字なり。王は正に門の大なるを嫌うなり」と。人、魏武に一杯の酪を餉る。魏武少許を啖い、蓋の頭上に「合」の字を題して以て衆に示す。衆、能く解する莫し。次いで楊修に至る。修便ちこれを啖いて曰く、「公、人に一口を啖わしむ、また何ぞ疑わん」と。魏武嘗て「曹娥碑」の下を過ぐ。楊修従う。碑の背上に題して「黄絹幼婦外孫斉臼」の八字を作すを見る。魏武、修に謂いて曰く、「解するや否や」と。答えて曰く、「解す」と。魏武曰く、「卿、未だ言うべからず。我の思うを俟て」と。行くこと三十里、魏武乃ち曰く、「吾已に得たり」と。修をして別に知る所を記さしむ。修曰く、「黄絹は色糸、字において『絶』たり。幼婦は少女、字において『妙』たり。外孫は女子、字において『好』たり。斉臼は五辛を受くる器、字において『辞』たり。所謂『絶妙好辞』なり」と。魏武もまた記すに、修と同じ。歎じて曰く、「吾が才、卿に去ること乃ち三十里」と。操、既に漢中を平らげ、劉備を討たんと欲するも進むを得ず、守らんと欲するもまた功を為し難し。護軍、進止を知らず。操、教を出だし、唯だ曰く、「鶏肋」と。外曹、能く暁る莫し。楊修曰く、「夫れ鶏肋は、これを食らえば則ち得る所無く、これを棄つれば則ち殊に惜しむべし。公の帰る計、決せり」と。乃ち私に語りて営中に戒装せしむ。俄にして操果たして班師す。〔述評〕徳祖、聡穎太だ露わにして、操の忌む所と為る。それ免るるを能わんや。晋・宋の人主、多く臣下と詩・字を争勝す。故に鮑照は累句多く、僧虔は拙筆を用いる。皆以て禍を避くるなり。
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『智囊』不戰・韓世忠・程昱広西の賊曹成は衆を擁して郴、邵に在り。世忠は既に閩寇を平らげ、師を永嘉に旋らし、まさに休息に就かんとするが若し。忽ち処、信を由りて径ちに豫章に至り、営を江浜に連ぬること数十里。群賊はその至るを虞らず、大いに驚く。世忠は人を遣わしてこれを招き、成は遂に降り、戦士八万を得たり。程昱は鄄城を守り、兵は僅かに七百人。操は袁紹が黎陽に在りて将に南に渡らんとするを聞き、兵三千を以てこれに益さんと欲す。昱は肯んぜず、曰く、「袁紹は十万の衆を擁し、自ら向かう所前なしと以う。今、昱の兵少なきを見れば、必ず来たり攻めず。もし益すに兵を以てすれば、則ち必ず攻め、攻むれば則ち必ず克たん。」と。紹は果たして昱の兵少なきを以て、肯えて攻めず。操は賈詡に謂いて曰く、「程昱の胆は、賁、育に過ぐ。」と。〔評〕七百と三千とは、均しく十万の敵に非ず。而して兵を益すの名は、以て寇を招くに足る。昱の見は曹公に勝ること遠し。
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