智囊 / 雄略・木蘭・韓保寧・黃善聰
其鄰即穩婆居,姊聊呼驗之,乃果處子,始相持慟哭,手為易去男裝。越日,英來候,再約同往,則善聰出見,忽為女子矣,英大驚,駭問,知其故,怏怏而歸,如有所失,蓋恨其往事之愚也,乃告其母,母亦嗟歎不已。時英猶未室,母賢之,即為求婚,善聰不從,曰:「妾竟歸英,保人無疑乎?」交親鄰里來勸,則涕泗橫流,所執益堅。眾口喧傳,以為奇事,廠衛聞之,乃助其聘禮,判為夫婦。〔述評〕木蘭十二年,最久;韓貞女七年,善聰逾年耳。至於善藏其用,以權濟變,其智一也。若南齊之東陽婁逞、五代之臨邛黃崇嘏,無故而詐為丈夫,竄入仕宦,是豈女子之分乎?至如唐貞元之孟嫗,年二十六而從夫,夫死而偽為夫之弟,以事郭汾陽;郭死,寡居一十五年,軍中累奏兼御史大夫。忽思煢獨,復嫁人,時年已七十二。又生二子,壽百餘歲而卒。斯殆人妖與?又不可以常理論矣!
新字:其鄰即穏婆居,姊聊呼験之,乃果処子,始相持慟哭,手為易去男装。越日,英来候,再約同往,則善聰出見,忽為女子矣,英大驚,駭問,知其故,怏怏而帰,如有所失,蓋恨其往事之愚也,乃告其母,母亦嗟嘆不已。時英猶未室,母賢之,即為求婚,善聰不従,曰:「妾竟帰英,保人無疑乎?」交親鄰里来勧,則涕泗横流,所執益堅。衆口喧伝,以為奇事,廠衛聞之,乃助其聘礼,判為夫婦。〔述評〕木蘭十二年,最久;韓貞女七年,善聰逾年耳。至於善蔵其用,以権済変,其智一也。若南斉之東陽婁逞、五代之臨邛黄崇嘏,無故而詐為丈夫,竄入仕宦,是豈女子之分乎?至如唐貞元之孟嫗,年二十六而従夫,夫死而偽為夫之弟,以事郭汾陽;郭死,寡居一十五年,軍中累奏兼御史大夫。忽思煢独,復嫁人,時年已七十二。又生二子,寿百余歳而卒。斯殆人妖与?又不可以常理論矣!
書き下し
其の鄰は即ち穏婆の居にして、姊は聊か呼びて之を験せしむるに、乃ち果たして処子なり。始めて相持して慟哭し、手ずから男装を易え去る。日を越えて、英来たりて候い、再び約して同往せんとするに、則ち善聰出でて見ゆ。忽ち女子と為る。英は大いに驚き、駭きて問い、其の故を知り、怏怏として帰り、失う所有るが如し。蓋し其の往事の愚なるを恨むなり。乃ち其の母に告ぐれば、母も亦嗟歎して已まず。時に英は猶お未だ室せず、母之を賢とし、即ち為に婚を求む。善聰従わず、曰く、「妾は竟に英に帰せんとするに、保人疑う無からんや」と。交親鄰里来たりて勧むるも、則ち涕泗横流し、執る所益ます堅し。衆口喧伝し、以て奇事と為す。廠衛之を聞き、乃ち其の聘礼を助け、判して夫婦と為す。〔述評〕木蘭は十二年、最も久し。韓貞女は七年、善聰は年を逾ゆるのみ。善く其の用を蔵し、権を以て変を済うに至りては、其の智は一なり。南斉の東陽の婁逞、五代の臨邛の黄崇嘏の若きは、故無くして詐りて丈夫と為り、竄りて仕宦に入る。是れ豈に女子の分ならんや。唐の貞元の孟嫗の若きに至りては、年二十六にして夫に従い、夫死して偽りて夫の弟と為り、以て郭汾陽に事う。郭死して、寡居すること一十五年、軍中累ねて奏して御史大夫を兼ねしむ。忽ち煢独を思い、復た人に嫁す。時に年已に七十二なり。又た二子を生み、寿は百余歳にして卒す。斯れ殆ど人妖か。又た常理を以て論ずべからず。
現代語訳
善聰の姉の隣はちょうど産婆の家であった。姉はためらいながら産婆を呼んで検べさせると、果たして処女であった。そこで初めて互いにすがって泣き叫び、自らの手で男装を脱がせた。数日たって、李英が訪ねて来て、また約束して一緒に行こうとした。すると善聰が出てきて会ったが、突然女の姿になっていた。李英は大いに驚き、あっけにとられて事情をたずね、いきさつを知ると、気落ちして帰り、何かを失ったかのようであった。それは、過去の自分の愚かさを悔やんだのである。そこで母に話すと、母もため息をついてやまなかった。当時李英はまだ妻がおらず、母は善聰を賢い女性だと思い、すぐに縁談を申し込んだ。善聰は従わず、言った。「私は結局李英に嫁ぐことになるのに、保証人が疑わないでしょうか」。親戚や隣人が来て勧めたが、涙を流してますます固く拒んだ。世間では噂が広まり、不思議な出来事と思われた。廠衛の役人がこれを聞き、結納の費用を助け、裁定して夫婦とした。〔述評〕木蘭は十二年で、いちばん長い。韓貞女は七年、善聰は一年を少し超えただけである。うまくその力を隠し、臨機応変で困難を乗り越えるという点では、その知恵は同じである。南斉の東陽の婁逞、五代の臨邛の黄崇嘏のようなのは、理由もないのに偽って男になり、入りこんで官職についた。これは女子の分であろうか。唐の貞元年間の孟嫗のようなのは、二十六歳で夫に従い、夫が死ぬとその弟のふりをして、郭汾陽に仕えた。郭が死に、寡婦として十五年暮らし、軍中から何度も上奏されて御史大夫の兼任を許された。ふと独りの身を思い、再び人に嫁いだ。そのとき年はすでに七十二であった。さらに二人の子を生み、百歳余りで死んだ。これはほとんど妖怪というべきである。もはや常識では論じられない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』雄略・木蘭・韓保寧・黃善聰秦、卒を発して辺を戍らしむ。女子木蘭、父の年老いたるを憫み、之に代わりて行く。辺に在ること十二年にして始めて帰り、人の知る者無し。韓氏保寧は、民家の女なり。明玉珍、蜀に乱れ、女は掠われんことを恐れ、乃ち男子の飾に易え、名を托して従軍し、雲南を征するに調せらる。往返七年、人の知る者無し。同伍と雖も亦覚る莫きなり。後に其の叔に遇い、一見して驚き異しみ、乃ち是れ女なるを明らかにし、携えて四川に帰る。当時皆呼びて「貞女」と為す。黄善聰は、応天淮清橋の民家の女、年十二。母を失い、其の姊は已に人に適き、独り父の業は線香を販ぐ。善聰の孤幼にして寄養する所無きを憐れみ、乃ち男子の装飾を為さしめ、之を携えて庐、鳳の間に旅遊すること数年、父も亦死す。善聰は即ち姓名を詭り、張勝と曰い、仍お其の業を習いて自活す。同輩に李英なる者有り、亦た香を販ぎ、金陵より来たりて、其の女なるを知らず。約して火伴と為す。寝食を同じくすること年を逾え、恒に疾有りと称し、衣襪を解かず、夜に乃ち溲溺す。弘治辛亥の正月、英と皆南京に返り、已に年二十なり。巾帽にて往きて其の姊に見え、乃ち姊を以て之を称す。姊言う、「我は初め弟無し、安んぞ此に来たるを得んや」と。善聰は乃ち笑いて曰く、「弟は即ち善聰なり」と。泣きて其の故を語る。姊は大いに怒り、且つ之を詈りて曰く、「男女群を乱し、我が家を玷辱すること甚だし。汝自ら明らかにすと雖も、誰か則ち之を信ぜん」と。因りて逐いて納れず。善聰は憤懣に勝えず、泣きて且つ誓いて曰く、「妹の此の身苟くも汚れたらば、死有るのみ。須く明白ならしめ、以て寸心を表すべし」と。
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『智囊』集哲・張說女・湖州妓張説の女は盧氏に嫁いだ。女はかつてその舅のために官を求めたが、説は語らず、ただ搘牀の亀を指して示した。帰って夫に告げて言った、「舅は詹事を得られます。」湖州の守が飲餞を設けた。客に木瓜を献ずる者があり、まだ見たことのないものであったので、伝えて客に示した。中使が袖に入れて帰り、「禁中にもまだこれはない。上に進めるべきだ」と言い、まもなく舟を解いて去った。郡守は罪を得ることを懼れ、楽しまず、宴を撤しようとした。官妓で灑糾を作す者が立って守に白して言った、「郎中にはどうぞ存分にお飲みください。私が思いますに、木瓜は一夜を経れば、必ず中流に棄てられるでしょう。」守がその説を問うと、言った、「この物は芳しく脆く、はじめ伝観のとき手で掐んで必ず損なっています。どうして献上できましょう。」たまたま使者を送って還った者が言うには、「果たして潰れ爛れて棄てられました。」守はそこで妓を召して厚く賜った。〔評議〕諺に言う、「智婦は男に勝る。」勝たなくとも及ばないことはない。吾は趙威后ら諸人に「見大」を得、崔敬女、絡秀ら諸人に「遠猶」を得、柳氏の婢に「通簡」を得、侯敏、許允、宰憲英の婦に「游刃」を得、叔向の母、伯宗の妻に「知微」を得、李新声、潘炎の妻らに「億中」を得、王陵、趙括、柴克宏の諸母に「識断」を得、屈原の姊、婁江の妓に「委蛇」を得、王佐の妾に「謬数」を得、李文姫に「権奇」を得、陶侃の母に「霊変」を得、張説の女に「敏悟」を得た。国の祚を経め家を治め、夫を相け子を勖ますその効は、また睹るべきである。
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