智囊 / 雄略・李成梁夫人
相傳李帥成梁夫人乃遼陽民家女也。遼民時苦寇掠,往往掘深井以藏貨財。此家以避寇去,獨留女伏守井中。有二寇入其室,覺井中有人,一人懸縋而下,得女甚喜,呼黨先牽女上,黨復臨視,欲下縋,女自後遽推墮,即以物壓蓋之,得繫馬於門,跨而走。數日寇退,父母俱還家,女言其故,相與斃二寇,取首邀賞。李帥時在伍,聞女智略,求為婦,後為一品夫人。
新字:相伝李帥成梁夫人乃遼陽民家女也。遼民時苦寇掠,往往掘深井以蔵貨財。此家以避寇去,独留女伏守井中。有二寇入其室,覚井中有人,一人懸縋而下,得女甚喜,呼党先牽女上,党復臨視,欲下縋,女自後遽推堕,即以物圧蓋之,得繋馬於門,跨而走。数日寇退,父母倶還家,女言其故,相与斃二寇,取首邀賞。李帥時在伍,聞女智略,求為婦,後為一品夫人。
書き下し
相伝う、李帥成梁の夫人は乃ち遼陽の民家の女なり。遼民は時に寇掠に苦しみ、往往にして深き井を掘りて以て貨財を蔵す。此の家は寇を避けて去り、独り女を留めて井中に伏して守らしむ。二寇有り、其の室に入り、井中に人有るを覚る。一人は縋を懸けて下り、女を得て甚だ喜び、党を呼びて先ず女を牽き上げしむ。党は復た臨み視て、縋を下らんと欲す。女は後より遽かに推し墮とし、即ち物を以て之に圧蓋し、馬を門に繋ぐを得て、跨りて走る。数日して寇退き、父母俱に家に還り、女は其の故を言う。相与に二寇を斃し、首を取りて賞を邀む。李帥は時に伍に在り、女の智略を聞き、求めて婦と為し、後に一品夫人と為る。
現代語訳
言い伝えでは、李成梁の夫人は遼陽の民家の娘であった。遼陽の民は当時、賊の略奪に苦しめられ、たびたび深い井戸を掘って財貨を隠していた。この家は賊を避けて立ち去り、娘だけを残して井戸の中に隠れて守らせた。二人の賊がその家に入り、井戸の中に人がいるのに気づいた。一人が縄を垂らして降り、娘を見つけて大いに喜び、仲間を呼んでまず娘を引き上げさせようとした。仲間はまた井戸をのぞき込み、縄を伝って降りようとした。娘は後ろから急に押して落とし、すぐに物でふたをして覆い、門につないであった馬を手に入れて、またがって走り去った。数日して賊が退き、両親がともに家に戻ると、娘は事情を話した。みなで二人の賊を殺し、首を取って褒賞を求めた。李将軍は当時軍隊にいて、娘の知恵と策略を聞き、求めて妻とし、のちに一品夫人となった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』雄略・遼陽婦遼陽の東山の虜、剽掠して一家に至るに、男子は俱に在らず、在る者は唯だ三四の婦人のみ。虜は虚実を知らず、敢えて其の室に入らず、院中に於いて弓矢を以て之を恐す。室中の両婦は縄を引き、一婦は矢を縄に安んじ、窓より繃して之を射る。数矢の後、賊は猶お退かず、矢竭く。乃ち大声もて詭り呼びて曰く、「箭を取り来たれ」と。繃より麻稭一束を以て地に擲ち、矢声を作す。賊は驚きて曰く、「彼の矢の多きこと是くの如し。制し易からず」と。遂に退き去る。〔評〕婦の縄を引き矢を発するは、猶お能く賊を退く。始めて賊は未だ嘗て人を畏れずんばあらざるを知る。人自ら過ぎて怯え、賊をして利を得せしむるのみ。
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『智囊』雄略・鄒僕妻梁の末、襄州都軍務の鄒景温は職を徐に移され、また都軍の務めを管した。勁僕があり、拳勇を自ら恃み、独り妻と驢を策いて行き、芒、碭の澤の間に至って、大声で言った、「聞く、ここは素より豪客が多いと。どうして一人として吾が曹と勝負を決する者がいないのか。」言い畢ると、五六人の盗が叢薄の間より躍り出た。一人の夫が後ろより双手で交抱し、搏って之を仆し、短刃を抽いて以てその喉を断った。蓋し其の不備を掩ったのである。ただ妻が側にあり、殊に惶駭せず、ただ矯って大呼して言った、「快いかな、今日方に吾が恥を雪いだ。吾は良家の子で、其の俘掠に遭って、ここに致った。誰が神明がないと言うか。」賊は其の誠と謂って殺さず、行李と二驢とともに、驅って南に邁き、五六十里に近づき、亳の北界の達孤荘の南に至って息んだ。荘の門に器甲があり、蓋し近戍の巡警の卒である。この婦は遂に径ちに村人の中堂に入った。盗もまた其の食を謀ると謂って疑わなかった。そこで其の総首に泣いて拝し、且つ其の夫が屠られた状を告げた。総首は潜かに其の徒を召し、一時に執縛した。ただ一盗だけが逸れた。械して亳城に送り、咸な棄市された。婦は襄陽に返り、尼となって終えた。
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『智囊』雄略・邑宰妾守る者は金を分かつを貪り、忍ぶ能わず、足は覚えず前む。宰は間を以て潜かに逸す。衆は金を懐にして既に饜き、出でて宰を失うを視、懼れて走らんと欲す。妾は弱き者一人を択びて力めて之を持し、大いに呼ぶ、「攫金の賊在り」と。衆は奮拳して斉しく毆り、歯甲俱に集う。妾は且に死せんとするも、終に釈かず、声愈いよ厲し。外の人を動かし、外の人入り、衆は竄り、其の一を獲たり。並びに妾の持する所の者と両人を、巡城の潘御史の中に送る。妾は群凶の淫貪の状を訴え、兼ねて失う所の鬻産の銀数を具す。此の両人は諱む能わず、尽く其の党の姓名を供す。頃之くして、悉く擒えて至り、銀は猶お懐に在り。而して犯官の逸出するを以て解と為す。御史は詔獄を視しむるに、則ち宰焉に在り、衆は語塞がり、乃ち罪を不肖の姪に委ぬ。御史は姪を収め、尽く箠の下に斃す。妾は故の金を取りて帰り、数を籍して宰に報じ、病むこと数日にして、乃ち死す。〔評〕獄中の囚の私に出入するは、法に非ざるなり。詔獄甚だし。方に群邏の押し至るや、宰を以て奇貨と為さざらんや。膽薄と言いて其の志を堅くし、金多しと言いて其の欲に中て、謔を忍びて以て之を堅くし、空橐を以て之を餌す。守者を怠らせて宰を逸すは、固より已に吾が算の中に在り。其の不意に出で、一弱を持して以て衆強を羈す。仮令い身は老拳の下に斃るるとも、罪人其れ免れんや。群凶先に我が死するに至りても、目は瞑すべきなり。婦の智は言うを必とせず。独り其の猝にして乱れず、死して怵れず、従容として功に就くは、丈夫の智の逮ばざる所有り。惜しむらくは伝うる者其の名を逸す。然りと雖も、千秋の下、一邑宰の妾有りて浣紗女、鋭司徒の妻、車中の女子の儔に在るを知らば、斯れ友無しと為さざるなり。
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