智囊 / 雄略・遼陽婦
遼陽東山虜,剽掠至一家,男子俱不在,在者唯三四婦人耳。虜不知虛實,不敢入其室,於院中以弓矢恐之。室中兩婦引繩,一婦安矢於繩,自窗繃而射之。數矢後,賊猶不退,矢竭矣,乃大聲詭呼曰:「取箭來。」自繃上以麻稭一束擲之地,作矢聲,賊驚曰:「彼矢多如是,不易制也。」遂退去。〔評〕婦引繩發矢,猶能退賊。始知賊未嘗不畏人,人自過怯,讓賊得利耳。
新字:遼陽東山虜,剽掠至一家,男子倶不在,在者唯三四婦人耳。虜不知虚実,不敢入其室,於院中以弓矢恐之。室中両婦引縄,一婦安矢於縄,自窗繃而射之。数矢後,賊猶不退,矢竭矣,乃大声詭呼曰:「取箭来。」自繃上以麻稭一束擲之地,作矢声,賊驚曰:「彼矢多如是,不易制也。」遂退去。〔評〕婦引縄発矢,猶能退賊。始知賊未嘗不畏人,人自過怯,譲賊得利耳。
書き下し
遼陽の東山の虜、剽掠して一家に至るに、男子は俱に在らず、在る者は唯だ三四の婦人のみ。虜は虚実を知らず、敢えて其の室に入らず、院中に於いて弓矢を以て之を恐す。室中の両婦は縄を引き、一婦は矢を縄に安んじ、窓より繃して之を射る。数矢の後、賊は猶お退かず、矢竭く。乃ち大声もて詭り呼びて曰く、「箭を取り来たれ」と。繃より麻稭一束を以て地に擲ち、矢声を作す。賊は驚きて曰く、「彼の矢の多きこと是くの如し。制し易からず」と。遂に退き去る。〔評〕婦の縄を引き矢を発するは、猶お能く賊を退く。始めて賊は未だ嘗て人を畏れずんばあらざるを知る。人自ら過ぎて怯え、賊をして利を得せしむるのみ。
現代語訳
遼陽の東山の異民族の賊が、略奪をして一軒の家にやって来た。男たちはみな不在で、残っていたのはわずか三、四人の婦人だけであった。賊は中の様子が実際どうか分からず、あえて部屋に入らず、庭から弓矢で脅した。部屋の中の二人の婦人が縄を引き、一人の婦人が矢を縄につがえて、窓から引き絞って射た。数本射たあと、賊はまだ退かず、矢は尽きてしまった。そこで大声で偽って呼んだ。「矢を持って来い」。窓の枠から麻の茎の束を地面に投げ、矢の音のように聞かせた。賊は驚いて言った。「あちらには矢がこんなにたくさんある。簡単には制圧できまい」。そのまま退いて去った。〔評〕婦人が縄を引いて矢を放っても、賊を退けることができた。賊にもまた人を恐れないものはいないとわかる。人が自分で怖がりすぎて、賊に利を得させているだけだ。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』號令人、自ら大いに版に書し、之を其の署の隔に著く。守、必ず自ら其の先後を謀り、其の署に非ずして妄りに之に入る者は、斷ず。署を離れ左右し、共に他署に入り、左右、捕らえず、私書を挾み、行きて請謁し、及び行書を為し、守事を釋てて私家の事を治め、卒民、相い家室・嬰兒を盜む者は、皆な斷じて赦す無し。人、舉げて之を藉す。符節無くして軍中を横行する者は、斷ず。客、城下に在らば、數しば其の署を易えて其の養を易うる無し。敵を譽めて少なきを以て衆しと為し、亂を以て治と為し、敵の攻の拙きを以て巧と為す者は、斷ず。客と主人と、相い與に言い及び相い藉するを得る無し。客、射るに書を以てするも、譽むるを得る無し。外、内に示すに善を以てするも、應ずるを得る無し。令に従わざる者は皆な斷ず。禁じて矢書を舉げ若しくは書を以て寇に射るを得る無し。令を犯す者は、父母・妻子、皆な斷じ、身は城上に梟す。能く之を捕らえ告ぐる者有らば、之に賞するに黄金二十斤。時に非ずして行く者は、唯だ守及び太守の節を摻りて使いする者のみ。
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