智囊 / 雄略・紅拂女
曰:「將避地太原。」曰:「望氣者言太原有奇氣,吾將訪之。」靖因言州將子李世民,客與靖期會於汾陽橋,遂乘驢疾去。及期候之,相見大喜,靖詐言客善相,因友人劉文靜得見。「世民真天子矣!」廢然而返,遂邀靖夫婦至家,令其妻出見,酒極奢,因傾家財付靖,文簿匙鎖,共二十牀,曰:「贈李郎佐真主立功業也。」與其妻戎服躍馬,一奴從之,數步遂不復見。靖竟佐命,封衛公。〔吳長卿曰〕「紅拂見衛公,自以為不世之遇,視楊素蔑如矣;孰知又有一虯髯也,視李郎又蔑如矣。惜哉,不及見李公子也!」
新字:曰:「将避地太原。」曰:「望気者言太原有奇気,吾将訪之。」靖因言州将子李世民,客与靖期会於汾陽橋,遂乗驢疾去。及期候之,相見大喜,靖詐言客善相,因友人劉文静得見。「世民真天子矣!」廃然而返,遂邀靖夫婦至家,令其妻出見,酒極奢,因傾家財付靖,文簿匙鎖,共二十牀,曰:「贈李郎佐真主立功業也。」与其妻戎服躍馬,一奴従之,数歩遂不復見。靖竟佐命,封衛公。〔呉長卿曰〕「紅払見衛公,自以為不世之遇,視楊素蔑如矣;孰知又有一虯髯也,視李郎又蔑如矣。惜哉,不及見李公子也!」
書き下し
曰く、「将に地を太原に避けんとす」と。曰く、「望気の者は太原に奇気有りと言う。吾将に之を訪ねんとす」と。靖は因りて州将の子李世民を言う。客は靖と汾陽橋に期会し、遂に驢に乗りて疾く去る。期に及びて之を候い、相見えて大いに喜ぶ。靖は詐りて客は善く相すと言い、友人劉文靜に因りて見ゆるを得たり。客曰く、「世民は真の天子なり」と。廃然として返り、遂に靖の夫婦を家に邀え、其の妻をして出でて見えしむ。酒は極めて奢り、因りて家財を傾けて靖に付す。文簿匙鎖、共に二十牀。曰く、「李郎に贈り、真主を佐けて功業を立てしめん」と。其の妻と戎服して馬に躍り、一奴之に従い、数歩にして遂に復た見えず。靖は竟に命を佐け、衛公に封ぜらる。〔呉長卿曰く〕「紅拂は衛公に見えて、自ら不世の遇と為し、楊素を視ること蔑如たり。孰か知らん又た一虬髯有りて、李郎を視ること又た蔑如たるを。惜しいかな、李公子に及び見えざりしを」と。
現代語訳
客は「どこへ行くのか」と問い、靖は「太原に避難しようとしている」と答えた。客は言った。「気を望む者が、太原には不思議な気があると言っている。私もそこを訪ねようと思う」。靖はそこで、州の将軍の子の李世民のことを話した。客は靖と汾陽橋で会う約束をして、驢馬に乗ってすばやく去った。約束の日になって待つと、会って大いに喜んだ。靖は客が人相を見るのが上手だと偽って言い、友人の劉文靜の紹介で李世民に会えた。客は「世民はまことに天子だ」と言った。客は気落ちして帰り、そのまま靖の夫婦を自宅に招き、その妻に出てきて挨拶させた。酒宴はたいへん豪華で、そのうえ家財をすべて傾けて靖に与えた。帳簿や鍵などはあわせて二十寝台分にもなった。客は言った。「李郎に贈り、真の主君を助けて功業を立ててもらいたい」。客は妻と軍装をして馬に飛び乗り、一人の下僕がこれに従い、数歩行くとそのまま見えなくなった。靖はついに天命を受けた主君を助け、衛公に封ぜられた。〔呉長卿曰く〕「紅拂は衛公に会って、自らはめったにない巡り合わせだと思い、楊素を見下すこと取るに足らぬものと思った。ところがもう一人虬髯客がいて、李郎を見ることも同じように取るに足らぬものとした。残念なことに、李公子に会えなかったことだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』閔公元年 心苟くも瑕無くば士蒍曰く、「大子立つを得ず。之に都城を分かちて、位するに卿を以ってす。先づ之が爲に極めたり、又焉んぞ立つを得ん。之を逃るるに如かず、罪をして至らしむる無かれ。吳の大伯と爲る、亦た可ならずや。猶ほ令名有り、其の及ぶよりは與し。且つ諺に曰く、『心苟くも瑕無くば、何ぞ家無きを恤へん』と。天若し大子に祚せば、其れ晉無からんや」と。卜偃曰く、「畢萬の後必ず大ならん。萬は、盈數なり。魏は、大名なり。是を以って始めて賞す、天之を啟けり。天子を兆民と曰ひ、諸侯を萬民と曰ふ。今之に名づくるに大を以ってし、以って盈數に從ふ、其れ必ず眾有らん」と。初め、畢萬晉に仕へんことを筮し、《屯》の《比》に之くに遇ふ。辛廖之を占ひて曰く、「吉なり。《屯》は固く、《比》は入る、吉孰れか焉より大ならん。其れ必ず蕃昌せん。《震》土と爲り、車馬に從ひ、足之に居り、兄之に長たり、母之を覆ひ、眾之に歸す。六體易らず、合して能く固く、安くして能く殺す、公侯の卦なり。公侯の子孫は、必ず其の始めに復らん」と。
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易経・遯卦周易 第三十三卦。艮下乾上。易経。遯は、亨る。小しく貞しきに利ろし。初六、遯るるに尾たり、厲し、往く攸有るに用うる勿かれ。六二、之を執うるに黄牛の革を用う、之を説くに勝うる莫し。九三、系りて遯る、疾有りて厲し、臣妾を畜えば吉。九四、好しとして遯る、君子は吉、小人は否ず。九五、嘉く遯る、貞にして吉。上九、肥かに遯る、利ろしからざる无し。彖に曰く、
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史記 李斯列伝離宮別館を治め、天下に周遍す。明年、又巡狩し、外は四夷を攘ふ。斯皆力有り。斯の長男由は三川の守と為り、諸男は皆秦の公主を尚り、女は悉く秦の諸公子に嫁ぐ。三川の守李由告帰して咸陽に至る。李斯家に置酒す。百官の長皆前みて寿を為し、門廷の車騎千を以て数ふ。李斯喟然として歎じて曰く、「嗟乎、吾之を荀卿に聞く、曰く『物は大いに盛んなるを禁ず』と。夫れ斯は乃ち上蔡の布衣、閭巷の黔首なり。上其の駑下を知らず、遂に擢きて此に至る。当今人臣の位に臣の上に居る者無し。富貴極まれりと謂ふべし。物極まれば則ち衰ふ。吾未だ税駕する所を知らざるなり」と。始皇の三十七年十月、行きて出でて会稽に游び、海上に並ひて、北のかた琅邪に抵る。丞相斯・中車府令趙高の符璽令の事を兼ね行ふもの、皆従ふ。始皇に二十余子有り。長子扶蘇、数々直諫するを以て、上之をして兵を上郡に監せしめ、蒙恬将たり。少子胡亥愛せられ、従はんことを請ふ。上之を許す。余子従ふ莫し。其の年七月、始皇帝沙丘に至り、病甚だし。趙高をして書を為りて公子扶蘇に賜はしめて曰く、「兵を以て蒙恬に属し、喪と咸陽に会して葬れ」と。書已に封じ、未だ使者に授けずして、始皇崩ず。書及び璽皆趙高の所に在り。独り子胡亥・丞相李斯・趙高及び幸宦者五六人のみ始皇の崩ぜしを知り、余の群臣は皆知る莫きなり。李斯以為へらく、上外に在りて崩じ、真の太子無し、故に之を秘すと。始皇を轀輬車の中に置き、百官事を奏し食を上ること故の如し。宦者輒ち轀輬車の中より諸々の奏事を可とす。趙高因りて扶蘇に賜ふ所の璽書を留め、而して公子胡亥に謂ひて曰く、「上崩じ、諸子を王に封ずるの詔無くして独り長子に書を賜ふ。長子至らば、即ち立ちて皇帝と為り、而して子は尺寸の地無し。之を為すこと奈何」と。胡亥曰く、「固より也。
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『春秋左氏伝』成公二年 背城借一諸侯何ぞ害せん。然らずんば、寡君の使臣に命ずるや、則ち辭有り。曰く、「子君の師を以て敝邑に辱くす。不腆の敝賦、以て從者を犒ふ。君の震を畏れ、師徒橈敗す。吾子惠みて齊國の福を徼め、其の社稷を泯ぼさず、舊好を繼がしめば、唯だ是れ先君の敝器土地は敢へて愛まず。子又許さずんば、請ふ餘燼を收合して、城を背にして一を借らん。敝邑の幸あらば、亦た云に從はん。況んや其れ不幸ならば、敢へて唯だ命を是れ聽かざらんや」と。魯・衛諫めて曰く、「齊我を疾めり。其の死亡する者は、皆親暱なり。子若し許さずんば、我を讎とすること必ず甚だしからん。唯だ子なれば則ち又何をか求めん。子其の國寶を得、我も亦た地を得て難に紓ぶ。其の榮多し。齊・晉も亦た唯だ天の授くる所なり、豈に必ずしも晉ならんや」と。晉人之を許す。對へて曰く、「群臣賦輿を帥ゐて、以て魯・衛の為に請ふ。若し苟くも以て口を藉る有りて、寡君に復せば、君の惠なり。敢へて唯だ命を是れ聽かざらんや」と。禽鄭師より公を逆ふ。
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葉隠・聞書第一方々(ほうぼう)招請(しょうせい)に参られ心入(こころい)れになり、話など致され候由(そうろうよし)。この前(まえ)数年(すうねん)の内も、人の為になることばかりを楽(たの)しみ、極々(ごくごく)の奉公好(ほうこうず)きなり。それゆゑ一(ひと)かど御用(ごよう)には立たれ候。人は得意な方に老耄する者なれば、奉公老耄(ほうこうろうもう)、人の為になりても老耄はあぶなきなり。老人は他出せぬが重(おも)くして、しまりよきなり。
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史記 留侯世家矰繳有りと雖も、尚ほ安くにか施す所あらん」と。歌ふこと数闋、戚夫人噓唏して流涕す、上起ちて去り、酒を罷む。竟に太子を易へざりし者は、留侯の本此の四人を招きし力なり。留侯上に従ひて代を撃ち、奇計を馬邑の下に出だし、及び蕭何を相国に立つ、上と従容として天下の事を言ふ所甚だ衆きも、天下の存亡する所以に非ず、故に著さず。留侯乃ち称して曰く、「家世々韓に相たり、韓の滅ぶるに及び、万金の資を愛しまず、韓の為に讐を彊秦に報い、天下振動す。今三寸の舌を以て帝者の師と為り、万戸に封ぜられ、列侯に位す、此れ布衣の極みなり、良に於て足れり。願はくは人間の事を棄て、赤松子に従ひて游ばんと欲するのみ」と。乃ち辟穀を学び、道引して身を軽くす。会々高帝崩じ、呂后留侯を徳とし、乃ち彊ひて之に食はしめて、曰く、「人生一世の間、白駒の隙を過ぐるが如し、何ぞ自ら苦しむこと此くの如きに至るや」と。留侯已むを得ず、彊ひて聴きて食ふ。後八年にして卒し、謚して文成侯と為す。子不疑代はりて侯たり。子房始め見る所の下邳の圯上の老父の太公の書を与へし者、後十三年高帝に従ひて済北を過ぎ、果たして穀城山下の黄石を見、取りて之を葆祠す。留侯死し、并せて黄石と葬る。冢に上る伏臘毎に、黄石を祠る。留侯不疑、孝文帝五年不敬に坐し、国除かる。太史公曰く、学者多く鬼神無しと言ふ、然れども物有りと言ふ。留侯の見る所の老父の書を予ふるが如きに至りては、亦た怪しむべし。高祖困しみに離ること数々なり、而して留侯常に功力有り、豈に天に非ずと謂ふべけんや。上曰く、「夫れ策を帷帳の中に運らし、勝ちを千里の外に決するは、吾子房に如かず」と。余以為へらく其の人は計魁梧奇偉ならんと、其の図を見るに至りては、状貌婦人好女の如し。蓋し孔子曰く、「貌を以て人を取れば、之を子羽に失ふ」と。留侯も亦た云ふ。
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