智囊 / 雄略・沈襄妾
錦衣衛經歷沈鍊,以攻嚴相得罪,謫田保安。時總督楊順、巡按路楷皆嵩客,受世蕃指「若除吾瘍,大者侯,小者卿。」順因與楷合策,捕諸白蓮教通虜者,竄鍊名籍中,論斬,籍其家。順以功蔭一子錦衣千戶,楷侯選五品卿寺。順猶怏怏曰:「相君薄我賞,猶有不足乎。」取鍊二子杖殺之,而移檄越,逮公長子諸生襄。至則日掠治,困急且死。會順、楷被劾,卒奉旨逮治,而襄得末減問戍。襄之始來也,只一愛妾從行,及是與妾俱赴戍所,中道微聞嚴氏將使人要而殺之,襄懼欲竄,而顧妾不能割,妾曰:「君一身,沈氏宗祧所繫,第去勿憂我。」襄遂紿押者:「城中有年家某,負吾家金錢,往索可得。」押者恃妾在,不疑,縱之去。
新字:錦衣衛経歴沈錬,以攻厳相得罪,謫田保安。時総督楊順、巡按路楷皆嵩客,受世蕃指「若除吾瘍,大者侯,小者卿。」順因与楷合策,捕諸白蓮教通虜者,竄錬名籍中,論斬,籍其家。順以功蔭一子錦衣千戸,楷侯選五品卿寺。順猶怏怏曰:「相君薄我賞,猶有不足乎。」取錬二子杖殺之,而移檄越,逮公長子諸生襄。至則日掠治,困急且死。会順、楷被劾,卒奉旨逮治,而襄得末減問戍。襄之始来也,只一愛妾従行,及是与妾倶赴戍所,中道微聞厳氏将使人要而殺之,襄懼欲竄,而顧妾不能割,妾曰:「君一身,沈氏宗祧所繋,第去勿憂我。」襄遂紿押者:「城中有年家某,負吾家金銭,往索可得。」押者恃妾在,不疑,縦之去。
書き下し
錦衣衛経歴の沈錬は、嚴相を攻むるを以て罪を得て、保安に謫田せらる。時に総督楊順、巡按路楷は皆嵩の客にして、世蕃の指を受く、「若し吾が瘍を除かば、大なる者は侯、小なる者は卿ならん」と。順は因りて楷と策を合わせ、諸の白蓮教の虜に通ずる者を捕え、錬の名を籍中に竄し、論じて斬とし、其の家を籍す。順は功を以て一子を錦衣千戸に蔭し、楷は五品の卿寺に侯選せらる。順は猶お怏怏として曰く、「相君は我に賞を薄くす。猶お足らざる有るか」と。錬の二子を取りて杖殺し、而して檄を越に移して、公の長子諸生襄を逮う。至れば則ち日に掠治せられ、困急して且に死せんとす。会たま順、楷は劾せられ、卒に旨を奉じて逮治せられ、而して襄は末減を得て戍に問われる。襄の始めて来たるや、只だ一愛妾のみ従行す。是に及びて妾と俱に戍所に赴く。中道に微かに嚴氏の将に人をして要して殺さしめんとするを聞き、襄は懼れて竄れんと欲するも、顧みるに妾を割く能わず。妾曰く、「君の一身は、沈氏の宗祧の繋がる所なり。第だ去れ、我を憂うること勿かれ」と。襄は遂に押者を紿きて曰く、「城中に年家の某有り、吾が家に金銭を負う。往きて索めば得べし」と。押者は妾の在るを恃みて疑わず、之を縦ち去らしむ。
現代語訳
錦衣衛経歴の沈錬は、宰相の厳嵩を弾劾したことで罪を得て、保安に流された。そのとき総督の楊順と巡按の路楷はどちらも厳嵩の腹心で、厳世蕃から指示を受けていた。「もし私のできものを取り除いてくれたら、大物は侯に、小物でも卿にしてやる」。楊順はそこで路楷と策を合わせ、白蓮教徒で外敵と通じている者たちを捕らえ、その名簿の中に沈錬の名を紛れ込ませ、斬罪と論じ、その家産を没収した。楊順はこの功績で一人の子を錦衣千戸に取り立ててもらい、路楷は五品の卿寺の官に選ばれる待遇を受けた。楊順はそれでも不満で言った。「宰相殿は私への褒美が薄い。まだ足りない所があるのか」。そこで沈錬の二人の子を取り押さえて棒で打ち殺し、さらに文書を越に回して、沈錬の長子で諸生の襄を捕らえた。襄が連れて来られると、毎日拷問を受け、苦しんで死にそうになった。ちょうどそのとき楊順と路楷が弾劾され、最後には勅命を受けて逮捕され裁かれ、襄は刑を軽くされて辺境の守備に回された。襄が最初に来たときは、ただ一人の愛妾だけが付き従っていた。ここに至って妾とともに配所へ向かった。道の途中で、厳家がひそかに人を遣わして待ち伏せて殺させようとしているとかすかに聞き、襄は恐れて逃げようとしたが、妾を捨てるに忍びなかった。妾は言った。「あなたの身は、沈家の跡継ぎがかかっています。ただ行ってください、私のことは心配しないで」。襄はそこで護送役人をだまして言った。「城中に親しい家の某がいて、うちに金を借りている。行って取り立てれば返してもらえる」。護送役人は妾が残っているのを頼りに疑わず、襄を行かせた。
解説
この章句が説くこと
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説苑・復恩北郭騒踵いで晏子に見えて曰く、「窃かに先生の義を悦び、願はくは母を養ふ所以を乞はん」と。晏子人をして倉粟府金を分ちて之を遺らしむ、金を辞して粟を受く。間有りて、晏子景公に疑はれ、出奔す、北郭子其の友を召して之に告げて曰く、「吾晏子の義を悦びて嘗て母を養ふ所以を乞ひし者なり。吾之を聞く、其の親を養ふ者は、身其の難に更る、と。今晏子疑はる、吾将に身を以て之を白さんとす」と。遂に公庭に造りて復する者を求めて曰く、「晏子は天下の賢者なり、今斉国を去らば、斉国必ず侵されん、方に必ず国の侵さるるを見んとせば、若かず先に死して頸を絶ちて以て晏子を白すに」と。逡巡して退き、因りて自殺するなり。公之を聞きて大いに駭き、馳に乗じて自ら晏子を追ひ、之に国郊に及び、請ひて之を反す、晏子已むを得ずして之に反る、北郭子の死を以て己を白すを聞き、太息して歎じて曰く、「嬰不肖にして、罪過固に其の所なり、而れども士身を以て之を明らかにす、哀しいかな」と。
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『春秋左氏伝』荘公三十年・三十一年 子文、家を毀つ三十年春、王虢公に命じて樊皮を討たしむ。夏四月丙辰、虢公樊に入り、樊仲皮を執へ、京師に歸る。楚の公子元鄭を伐つより歸りて、王宮に處る。鬭射師諫むれば、則ち執へて之を梏す。秋、申公鬭班子元を殺す。鬭穀於菟令尹と爲り、自ら其の家を毀ちて以って楚國の難を紓ぶ。冬、魯の濟に遇ふ、山戎を謀るなり。其の燕を病ましむるを以っての故なり。三十一年夏六月、齊侯來たりて戎の捷を獻ず、禮に非ざるなり。凡そ諸侯四夷の功有れば、則ち王に獻じ、王以って夷を警む。中國には則ち否ず。諸侯相俘を遺らず。
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説苑・君道邾の文公繹に徙らんことを卜す。史曰く、「民に利あるも君に利あらず」と。君曰く、「苟くも民に利あらば、寡人の利なり。天烝民を生じて之に君を樹つるは、以て之を利するなり。民既に利あらば、孤必ず与らん」と。侍者曰く、「命長かるべきなり、君胡ぞ為さざる」と。君曰く、「命は民を牧するに在り、死の短長は時なり。民苟くも利あらば、吉孰か大ならん」と。遂に繹に徙る。
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説苑・立節晋の驪姫太子申生を献公に譖す。献公将に之を殺さんとす。公子重耳申生に謂いて曰わく、「此を為す者は子の罪に非ざるなり、子胡ぞ辞を進めざる、之を辞せば必ず罪を免れん」と。申生曰わく、「不可なり。我之を辞せば、驪姫必ず罪有らん。吾が君老いたり、驪姫微くんば寝ねて席に安んぜず、食して味を甘しとせず、如何ぞ吾が君をして恨みを以て終わらしめんや」と。重耳曰わく、「辞せずんば則ち速やかに去るに若かず」と。申生曰わく、「不可なり。去りて此を免るるは、是れ吾が君を悪しむなり。夫れ父の過を彰らかにして美を諸侯に取るは、孰か肯えて之を納れんや。入りては宗に困しみ、出でては逃に困しむ、是れ吾が悪を重ぬるなり。吾之を聞く、忠は君を暴かず、智は悪を重ねず、勇は死を逃れずと。是くの如き者は、吾身を以て之に当たらん」と。遂に剣に伏して死す。君子之を聞きて曰わく、「天命なるかな世子」と。詩に曰わく、「萋として斐たり、是の貝錦を成す。彼の人を譖る者、亦已に太甚し」と。
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説苑・復恩呉起魏の将と為り、中山を攻む、軍人に疽を病む者有り、呉子自ら其の膿を吮ふ、其の母之を泣く、旁人曰く、「将軍而の子に於て是くの如し、尚ほ何為れぞ泣くや」と。対へて曰く、「呉子此の子の父の創を吮ひて之を注水の戦に殺せり、戦ひて踵を旋らさずして死せり、今又之を吮ふ、安んぞ是の子の何くにか戦ひて死せんかを知らんや、是を以て之を哭するなり」と。
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説苑・善說孝武皇帝の時、汾陰にて寶鼎を得て之を甘泉宮に獻ず。群臣賀し、壽を上りて曰く、「陛下周鼎を得たり。」侍中虞丘壽王獨り曰く、「周鼎に非ず。」上之を聞き、召して問いて曰く、「朕周鼎を得たりとして、群臣皆以て周鼎と爲すに、壽王獨り以て非と爲すは何ぞや。壽王說有らば則ち生き、說無くんば則ち死せよ。」對えて曰く、「臣壽王安んぞ敢えて說無からんや。臣聞く、夫れ周の德は始め后稷に產まれ、公劉に長じ、大王に大いに、文武に成り、周公に顯る。德澤上に洞り、天下泉を漏らして通ぜざる所無し。上天報應し、鼎は周の爲に出づ。故に周鼎と名づく。今漢は高祖より周を繼ぎ、亦た德を昭かにし行いを顯し、恩を布き惠を施し、六合和同す。陛下の身に至りて愈々盛んに、天瑞並び至り、徵祥畢く見る。昔始皇帝親ら鼎を彭城に出だすも得ること能わず。天德有るを昭らかにし、寶鼎自ら至る。此れ天の漢に予うる所以にして、乃ち漢鼎なり、周鼎に非ざるなり。」上曰く、「善し。」群臣皆稱えて曰く、「萬歲。」是の日虞丘壽王に黃金十斤を賜う。
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