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智囊 / 雄略・沈襄妾

久之不返,押者往年家詢之,云:「未嘗至。」還復叩妾,妾把其襟大慟曰:「吾夫婦患難相守,無傾刻離,今去而不返,必汝曹受嚴氏指,戕殺我夫矣。」觀者如市,不能判,聞於監司,監司亦疑嚴氏真有此事,不得已,權使妾寄食尼庵,而立限責押者跡襄。押者物色不得,屢受笞,乃哀懇於妾,言:「襄實自竄,毋枉我。」因以間亡命去。久之,嵩敗,襄始出訟冤,捕順、楷抵罪,妾復相從。襄號小霞,楚人江進之有「沈小霞妾傳」。〔評〕嚴氏將要襄殺之,事之有無不可知。然襄此去實大便宜,大乾淨。得此妾一番撒賴,即上官亦疑真有是事,而襄始安然亡命無患矣!順、楷輩死,肉不足喂狗,而此妾與沈氏父子並傳,忠智萃於一門,盛矣哉!

新字:久之不返,押者往年家詢之,云:「未嘗至。」還復叩妾,妾把其襟大慟曰:「吾夫婦患難相守,無傾刻離,今去而不返,必汝曹受厳氏指,戕殺我夫矣。」観者如市,不能判,聞於監司,監司亦疑厳氏真有此事,不得已,権使妾寄食尼庵,而立限責押者跡襄。押者物色不得,屡受笞,乃哀懇於妾,言:「襄実自竄,毋枉我。」因以間亡命去。久之,嵩敗,襄始出訟冤,捕順、楷抵罪,妾復相従。襄号小霞,楚人江進之有「沈小霞妾伝」。〔評〕厳氏将要襄殺之,事之有無不可知。然襄此去実大便宜,大乾浄。得此妾一番撒頼,即上官亦疑真有是事,而襄始安然亡命無患矣!順、楷輩死,肉不足喂狗,而此妾与沈氏父子並伝,忠智萃於一門,盛矣哉!

書き下し

久しくして返らず。押者は往きて年家に詢うに、云う、「未だ嘗て至らず」と。還りて復た妾を叩くに、妾は其の襟を把りて大いに慟して曰く、「吾が夫婦は患難に相守り、傾刻も離るる無し。今去りて返らず。必ず汝が曹、嚴氏の指を受けて、我が夫を戕殺せしならん」と。観る者市の如く、判ずる能わず、監司に聞こゆ。監司も亦嚴氏の真に此の事有るを疑い、已むを得ず、権に妾をして尼庵に寄食せしめ、而して限を立てて押者に襄を跡めしむ。押者は物色して得ず、屡しば笞を受け、乃ち妾に哀懇して言う、「襄は実に自ら竄れり。我を枉ぐる毋かれ」と。因りて間に亡命して去る。久しくして、嵩敗れ、襄は始めて出でて冤を訟え、順、楷を捕えて罪に抵らしめ、妾は復た相従う。襄は小霞と号し、楚人江進之に「沈小霞妾伝」有り。〔評〕嚴氏の将に襄を要して之を殺さんとするは、事の有無知るべからず。然れども襄の此の去るは実に大いに便宜にして、大いに乾浄なり。此の妾の一番の撒賴を得て、即ち上官も亦真に是の事有りと疑い、而して襄は始めて安然として亡命して患い無し。順、楷の輩の死するは、肉は犬に喂うに足らず。而して此の妾は沈氏の父子と並び伝わり、忠智一門に萃まる。盛んなるかな。

現代語訳

しばらくたっても襄は戻らなかった。護送役人が年来の知り合いの家を訪ねて聞くと、「来たことがない」と言われた。戻って妾を問いただすと、妾は役人の襟をつかんで大声で泣き叫んで言った。「私たち夫婦は苦難のなか互いに守り合い、片時も離れたことがありません。いま出かけて戻らないのは、必ずあなたがたが厳家の指図を受けて、私の夫を殺したからです」。見物人が市場のように集まり、判断がつかず、監司の耳に入った。監司も、厳家が本当にこのようなことをしたのかもしれないと疑い、やむを得ず、とりあえず妾を尼寺に身を寄せさせて、期限を区切って護送役人に襄の足取りを探させた。護送役人は探し回っても見つけられず、たびたび鞭打たれ、ついに妾に泣きついて言った。「襄は本当に自分で逃げたのです。私を冤罪に落とさないでください」。そこで妾は機を見て亡命して去った。しばらくして、厳嵩が失脚し、襄は初めて出て冤罪を訴え、楊順と路楷を捕らえて罪に服させ、妾はまた襄に従った。襄は小霞と号し、楚の人の江進之に「沈小霞妾伝」がある。〔評〕厳家が襄を待ち伏せて殺そうとしたというのは、本当にあったかどうか分からない。しかし襄がここで逃げたのは、実に大いに都合がよく、大いにあと腐れがなかった。この妾がひとしきり駄々をこねて見せたおかげで、上官もまことにそのようなことがあったのかと疑い、そのため襄はやっと安心して亡命でき、心配がなくなった。楊順や路楷らは死んでも、その肉は犬に食わせるにも足りない。ところがこの妾は沈家の父子とともに名を伝えられ、忠義と知恵がこの一門に集まった。盛んなことである。

解説

妾は、夫を逃がしたあと、取り乱した演技で護送役人を責め立て、役所全体を巻き込んで時間を稼ぎました。単に逃がしただけでなく、その後に起きる疑いの矛先を厳家に向けさせたところに、計算が光ります。事件を自分に有利な物語に仕立てて、周囲の疑いを別の方向へ誘導したのです。馮夢龍は厳家が殺そうとしたかどうかは確かでないとしつつ、その場の演出が結果を大きく左右した点を高く評価しています。現代の危機対応でも、事実関係だけでなく、周囲がどう受け取るかを設計する視点が大切だと考えさせられます。

この章句が説くこと

把其襟大慟撒頼沈小霞時間稼ぎ危機対応世論誘導

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