智囊 / 雄略・王翠翹
江南苦兵久,降且得官,終身共富貴。」海計遂決,督府大整兵,佯稱逆降,迫海寨。海信翹言,不為備。官兵突入,斬海首而生致翹。倭人殲焉。凱旋,督府設大饗於轅門,令翹歌而行酒,諸參佐皆起為壽。督府酒酣心動,降價與翹戲。夜深,席大亂。明日悔之。而以翹功高,不忍殺,乃以賜所調永順酋長。翹去,渡錢塘,歎曰:「明山遇我厚,我以國事誘殺之。殺一酋,更屬一酋,何面目生乎?」夜半,投江死。〔評議〕鳥盡弓藏,紅顏薄命,翠翹兼之。始疑西子沉江,真有是事!胡梅林脫略邊幅,其亂而悔,悔而使翹不得志以死,此舉殊不脫酸腐氣。吾謂翠翹有功,言於朝,旌之可也;若俠骨相契,雖納之猶可也;不則開籠放雪衣,亦庶幾不負其歸老之初意乎?梅林之功而獲罪,或者其天道與!
新字:江南苦兵久,降且得官,終身共富貴。」海計遂決,督府大整兵,佯称逆降,迫海寨。海信翹言,不為備。官兵突入,斬海首而生致翹。倭人殲焉。凱旋,督府設大饗於轅門,令翹歌而行酒,諸参佐皆起為寿。督府酒酣心動,降価与翹戯。夜深,席大乱。明日悔之。而以翹功高,不忍殺,乃以賜所調永順酋長。翹去,渡銭塘,嘆曰:「明山遇我厚,我以国事誘殺之。殺一酋,更属一酋,何面目生乎?」夜半,投江死。〔評議〕鳥尽弓蔵,紅顔薄命,翠翹兼之。始疑西子沈江,真有是事!胡梅林脱略辺幅,其乱而悔,悔而使翹不得志以死,此舉殊不脱酸腐気。吾謂翠翹有功,言於朝,旌之可也;若侠骨相契,雖納之猶可也;不則開籠放雪衣,亦庶幾不負其帰老之初意乎?梅林之功而獲罪,或者其天道与!
書き下し
「江南は兵に苦しむこと久しく、降れば官を得、終身ともに富貴であります。」海の計は遂に決し、督府は大いに兵を整え、佯て逆降と称して、海の寨に迫った。海は翹の言を信じ、備えをしなかった。官兵が突入し、海の首を斬って翹を生け捕りにした。倭人は殲された。凱旋し、督府は大饗を轅門に設け、翹に歌わせて行酒させ、諸参佐は皆起って寿を為した。督府は酒酣にして心が動き、降って翹に戯れた。夜深く、席は大いに乱れた。明日これを悔いた。しかし翹の功が高いので、殺すに忍びず、そこで調する所の永順の酋長に賜った。翹は去り、銭塘を渡って、歎じて言った、「明山は我を遇すること厚かった。我は国事を以てこれを誘殺した。一酋を殺して、更に一酋に属す。何の面目あって生きようか。」夜半、江に投じて死んだ。〔評議〕鳥尽きて弓蔵され、紅顔薄命は、翠翹が兼ねる。はじめ西子が江に沈んだというのは、真にこの事があったのではないかと疑う。胡梅林は辺幅を脱略し、その乱れて悔い、悔いて翹を志を得させずして死なせたのは、この挙は殊に酸腐の気を脱しない。吾は謂う、翠翹に功があり、朝に言って旌すべきであった。もし俠骨が相契ったなら、これを納れるのも猶お可である。そうでなければ籠を開いて雪衣を放ち、庶くは其の帰って老いる初意に負かないのではないか。梅林の功ありて罪を獲たのは、あるいは其れ天道であろうか。
現代語訳
「江南は長く戦乱に苦しんでいます。降伏すれば官職を得られ、一生ともに富貴を享受できます。」徐海の考えはついに決まり、総督府は大いに軍を整え、偽って降伏の使者と称して、徐海の砦に迫った。徐海は翹の言葉を信じ、備えをしなかった。官軍が突入し、徐海の首を斬り、翹を生け捕りにした。倭寇は殲滅された。凱旋すると、総督は軍営の門で大宴会を開き、翹に歌わせて酒を勧めさせ、幕僚たちはみな立ち上がって祝いの杯を挙げた。総督は酒がまわって心が動き、身分を下げて翹に戯れた。夜が更けて、席は大いに乱れた。翌日、総督はこれを後悔した。しかし、翹の功績が大きいので殺すに忍びず、そこで帰順させた永順の酋長に与えた。翹は去って、銭塘江を渡るとき、嘆いて言った。「明山は私を厚く遇してくれた。私は国事のために彼をだまして殺した。一人の頭目を殺して、また別の頭目に属する。どの面目で生きていられようか。」夜半、川に身を投げて死んだ。〔評議〕鳥が尽きれば弓はしまわれ、美人は薄命というが、翠翹はその両方を兼ね備えた。はじめて、西施が江に沈んだというのは、本当にそういうことがあったのではないかと疑う。胡梅林(胡宗憲)は細かなことにこだわらない人物だが、酒に乱れて後悔し、後悔して翹の志を遂げさせずに死なせたのは、この行いにはひどく世俗くさい気配を脱していない。私が思うに、翠翹には功があるのだから、朝廷に申し上げて表彰するのがよかった。もし侠気が通じ合ったなら、側室に迎えてもまだよい。そうでなければ、籠を開いて白い鳥を放つように自由にしてやれば、故郷に帰って老いたいという最初の願いに背かなかったであろう。梅林が功績を立てながら罪に問われたのは、あるいは天の道なのだろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』飭令第五十三民に餘食有れば、粟を以て爵を出ださしむ、必ず其の力を以てすれば、則ち農怠らず。三寸の管も當毋ければ、滿たすべからざるなり。官爵を授け、利禄を出だすに功を以てせざるは、是れ當無きなり。國功を以て官と爵とを授くる、此れを以て智謀を成し、威勇を以て戰ふと謂ふ、其の國敵無し。國功を以て官と爵とを授くれば、則ち治むる者省かれ、言塞がる有り、此れを治を以て治を去り、言を以て言を去り、功を以て爵を與ふる者と謂ふなり。故に國力多くして、天下之を能く侵す莫きなり。兵出づれば必ず取り、取れば必ず能く之を有ち、兵を案じて攻めざれば必ず富む。朝廷の事、小なる者も毁たず、功を效して官爵を取れば、廷に辟言有りと雖も、以て相干すを得ざるなり、是れを數を以て治むと謂ふ。力を以て攻むる者は、一を出だして十を取り、言を以て攻むる者は、十を出だして百を喪ふ。國力を好む、此れを難を以て攻むと謂ふ。國言を好む、此れを易を以て攻むと謂ふ。
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史記 李斯列伝趙高斯を治め、榜掠すること千余、痛みに勝へず、自ら誣服す。斯の死せざる所以の者は、自ら其の弁を負み、功有り、実に反心無く、幸ひに書を上りて自ら陳ぶるを得て、二世の寤めて之を赦さんことを幸ひとすればなり。李斯乃ち獄中より書を上りて曰く、「臣丞相と為りて民を治むること、三十余年なり。秦の地の狭隘なるに逮ぶ。先王の時秦の地は千里に過ぎず、兵は数十万。臣薄材を尽くし、謹んで法令を奉じ、陰かに謀臣を行らしめ、之に金玉を資し、諸侯に游説せしめ、陰かに甲兵を修め、政教を飾り、闘士を官にし、功臣を尊び、其の爵禄を盛んにす。故に終に以て韓を脅かし魏を弱め、燕・趙を破り、斉・楚を夷げ、卒に六国を兼ね、其の王を虜にし、秦を立てて天子と為す。罪の一なり。地広からざるに非ざるも、又北のかた胡・貉を逐ひ、南のかた百越を定め、以て秦の彊を見す。罪の二なり。大臣を尊び、其の爵位を盛んにし、以て其の親を固くす。罪の三なり。社稷を立て、宗廟を修め、以て主の賢を明らかにす。罪の四なり。剋画を更め、斗斛度量文章を平らかにし、之を天下に布き、以て秦の名を樹つ。罪の五なり。馳道を治め、游観を興し、以て主の意を得たるを見す。罪の六なり。刑罰を緩め、賦斂を薄くし、以て主の衆を得るの心を遂げ、万民主を戴き、死すとも忘れず。罪の七なり。斯の若き臣為る者は、罪死するに足ること固より久し。上幸ひに其の能力を尽くさしめ、乃ち今に至るを得たり。願はくは陛下之を察せよ」と。書上る。趙高吏をして棄て去りて奏せざらしめて曰く、「囚安くんぞ書を上るを得ん」と。
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史記 傅靳蒯成列伝陽陵侯傅寛は、魏の五大夫の騎将を以て従ひ、舎人と為り、横陽に起つ。従ひて安陽・杠里を攻め、趙賁の軍を開封に撃ち、及び楊熊を曲遇・陽武に撃ち、首を斬ること十二級、爵卿を賜はる。従ひて霸上に至る。沛公立ちて漢王と為るや、漢王寛に封号共徳君を賜ふ。従ひて漢中に入り、遷りて右騎将と為る。従ひて三秦を定め、食邑雕陰を賜はる。従ひて項籍を撃ち、懐に待ち、爵通徳侯を賜はる。従ひて項冠・周蘭・龍且を撃ち、将ゐる所の卒騎将一人を敖下に斬り、食邑を益す。淮陰に属し、斉の歴下の軍を撃破し、田解を撃つ。相国参に属し、博を残し、食邑を益す。因りて斉の地を定め、符を剖きて世世絶ゆること勿からしめ、封ぜられて陽陵侯と為る、二千六百戸、前に食む所を除く。斉の右丞相と為り、斉に備ふ。五歳にして斉の相国と為る。四月、陳豨を撃ち、太尉勃に属し、相国を以て丞相噲に代はりて豨を撃つ。一月、徙りて代の相国と為り、屯を将ゐる。二歳にして、代の丞相と為り、屯を将ゐる。孝恵の五年卒し、謚して景侯と為す。子頃侯精立ち、二十四年にして卒す。子共侯則立ち、十二年にして卒す。子侯偃立ち、三十一年、淮南王と謀反するに坐して死し、国除かる。信武侯靳歙(きんきゅう)は、中涓を以て従ひ、宛朐に起つ。済陽を攻む。李由の軍を破る。秦の軍を亳の南・開封の東北に撃ち、騎の千人将一人を斬り、首五十七級、捕虜七十三人、爵封号臨平君を賜はる。又藍田の北に戦ひ、車司馬二人・騎長一人を斬り、首二十八級、捕虜五十七人。霸上に至る。沛公立ちて漢王と為るや、歙に爵建武侯を賜ひ、遷りて騎都尉と為す。従ひて三秦を定む。別れて西のかた章平の軍を隴西に撃ち、之を破り、隴西の六県を定め、将ゐる所の卒車司馬・
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史記 傅靳蒯成列伝凡そ首を斬ること九十級、虜百三十二人。別れて軍を破ること十四、城を降すこと五十九、郡・国を定むること各一、県二十三。王・柱国各一人、二千石以下五百石に至るまで三十九人を得たり。高后の五年、歙卒し、謚して粛侯と為す。子亭代はりて侯たり。二十一年、国人を事とすること律を過ぐるに坐し、孝文の後三年、侯を奪はれ、国除かる。
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『春秋左氏伝』成公二年 功を帥に譲る鄭に及び、介をして幣を反さしめ、而して夏姬を以て行く。將に齊に奔らんとす。齊師新たに敗る。曰く、「吾勝たざるの國に處らず」と。遂に晉に奔りて、郤至に因りて、以て晉に臣たり。晉人邢の大夫と為す。子反重幣を以て之を錮がんと請ふ。王曰く、「止めよ。其の自ら為に謀るや則ち過てり。其の吾が先君の為に謀るや則ち忠なり。忠は社稷の固めなり。蓋ふ所多し。且つ彼若し能く國家を利せば、重幣と雖も、晉將に可とせんや。若し晉に益無くんば、晉將に之を棄てん。何ぞ錮ぐを勞せん」と。晉の師歸る。范文子後れて入る。武子曰く、「吾が爾を望むを為すこと無からんや」と。對へて曰く、「師功有り、國人喜びて以て之を逆ふ。先づ入らば、必ず耳目を屬せん。是れ帥に代りて名を受くるなり。故に敢へてせず」と。武子曰く、「吾免るるを知る」と。郤伯見ゆ。公曰く、「子の力なるかな」と。對へて曰く、「君の訓なり、二三子の力なり。臣何の力か之れ有らん」と。范叔見ゆ。之を勞ふこと郤伯の如し。
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『春秋左氏伝』定公九年 鄧析を殺して竹刑を用ゐる九年春、宋公、樂大心をして晉に盟ひ、且つ樂祁の尸を逆へしめんとす。辭して、偽りて疾有りとす。乃ち向巢をして晉に如きて盟ひ、且つ子梁の尸を逆へしむ。子明、桐門の右師に謂ひて出でしめんとして曰く、「吾は猶ほ衰絰す。而るに子は鍾を擊つ。何ぞや」と。右師曰く、「喪、此に在らざるが故なり」と。既にして人に告げて曰く、「己は衰絰して子を生めり。余何の故に鍾を舍てん」と。子明、之を聞き、怒りて公に言ひて曰く、「右師、將に戴氏に不利ならんとす。肯へて晉に適かざるは、將に亂を作さんとするなり。然らずんば疾無からん」と。乃ち桐門の右師を逐ふ。鄭の駟歂、鄧析を殺して、其の竹刑を用ゐる。君子謂ふ、子然、是に於いて不忠なり、と。苟も以て國家に加ふべき者有らば、其の邪を棄てて可なり。靜女の三章は、彤管を取る。竿旄の「何を以てか之に告げん」は、其の忠を取るなり。故に其の道を用ゐて其の人を棄てず。詩に云ふ、「蔽芾たる甘棠、翦る勿かれ伐る勿かれ、召伯の茇りし所」と。其の人を思へば、猶ほ其の樹を愛す。況んや其の道を用ゐて、其の人を恤まざらんや。子然は以て能を勸むる無し。夏、陽虎、寶玉・大弓を歸す。書して得と曰ふは、器用なればなり。凡そ器用を獲るを得と曰ひ、用を得るを獲と曰ふ。
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