智囊 / 集哲・陳嬰母・王陵母
東陽少年起兵,欲立令史陳嬰為王。嬰母曰:「暴得大名不祥,不如有所屬,事成封侯;不成,非世所指名也。」嬰乃推項梁。王陵以兵屬漢,項羽取陵母置軍中。陵使至,則東向坐陵母,欲以招陵。陵母私送使者,泣曰:「願為妾語陵,善事漢王,漢王長者,毋以老妾故持二心。」遂伏劍而死。〔評〕嬰母知廢,勝於陳涉、韓廣、田橫、英布、陳豨諸人;陵母知興,勝於亞父、蒯通、貫高諸人。姜敘討賊,其母速之:馬超叛,殺刺史、太守,敘議討之,母曰:「當速發,勿顧我。」超襲執敘母,母罵超而死,明大義也;乃楚項爭衡,雌雄未定,而陵母預識天下必屬長者,而唯恐陵失之,且伏劍以絕其念,死生之際,能斷決如此,女子中偉丈夫哉!徐庶之不終於昭烈也,其母存也,陵母不伏劍,陵亦庶也。
新字:東陽少年起兵,欲立令史陳嬰為王。嬰母曰:「暴得大名不祥,不如有所属,事成封侯;不成,非世所指名也。」嬰乃推項梁。王陵以兵属漢,項羽取陵母置軍中。陵使至,則東向坐陵母,欲以招陵。陵母私送使者,泣曰:「願為妾語陵,善事漢王,漢王長者,毋以老妾故持二心。」遂伏剣而死。〔評〕嬰母知廃,勝於陳渉、韓広、田横、英布、陳豨諸人;陵母知興,勝於亜父、蒯通、貫高諸人。姜敘討賊,其母速之:馬超叛,殺刺史、太守,敘議討之,母曰:「当速発,勿顧我。」超襲執敘母,母罵超而死,明大義也;乃楚項争衡,雌雄未定,而陵母預識天下必属長者,而唯恐陵失之,且伏剣以絶其念,死生之際,能断決如此,女子中偉丈夫哉!徐庶之不終於昭烈也,其母存也,陵母不伏剣,陵亦庶也。
書き下し
東陽の少年兵を起こし、令史陳嬰を立てて王と為さんと欲す。嬰の母曰く、「暴かに大名を得るは不祥なり。属する所有るに如かず。事成らば侯に封ぜられ、成らざれば、世の指名する所に非ざらん」と。嬰乃ち項梁を推す。王陵は兵を以て漢に属す。項羽陵の母を取りて軍中に置く。陵の使い至れば、則ち東向して陵の母を坐せしめ、以て陵を招かんと欲す。陵の母は私かに使者を送りて、泣きて曰く、「願わくは妾の為に陵に語れ。善く漢王に事えよ。漢王は長者なり。老妾の故を以て二心を持つ毋れ」と。遂に剣に伏して死す。〔評〕嬰の母は廃を知り、陳渉、韓広、田横、英布、陳豨の諸人に勝る。陵の母は興を知り、亜父、蒯通、貫高の諸人に勝る。姜叙賊を討つに、其の母之を速かにす。馬超叛し、刺史、太守を殺す。叙討たんことを議す。母曰く、「当に速やかに発すべし、我を顧みる勿れ」と。超は襲いて叙の母を執らう。母は超を罵りて死す。大義に明らかなるなり。乃ち楚項争衡し、雌雄未だ定まらず。而るに陵の母は預め天下の必ず長者に属するを識り、而して唯だ陵の之を失わんことを恐れ、且つ剣に伏して以て其の念を絶つ。死生の際、能く断決すること此の如し。女子中の偉丈夫なるかな。徐庶の昭烈に終わらざるは、其の母の存せしなり。陵の母剣に伏せずんば、陵も亦た庶なり。
現代語訳
東陽の若者たちが兵を起こし、令史の陳嬰を王に立てようとした。嬰の母は言った。「急に大きな名声を得るのは不吉です。どこかに従うほうがよい。事が成れば侯に封ぜられ、成らなければ、世間に名指しされることもないでしょう」。嬰はそこで項梁を推した。王陵は兵を率いて漢に属した。項羽は陵の母を捕らえて軍中に置いた。陵の使者が来ると、陵の母を東向きに座らせ、陵を招こうとした。陵の母はひそかに使者を送り出し、泣いて言った。「どうか私のために陵に伝えてください。漢王によく仕えなさい。漢王は徳のある方です。老いた私のために二心を持ってはなりません」。そして剣に伏して死んだ。〔評〕嬰の母は没落を知り、陳渉、韓広、田横、英布、陳豨らに勝る。陵の母は興隆を知り、范増、蒯通、貫高らに勝る。姜叙が賊を討つとき、その母は急がせた。馬超が反乱して刺史や太守を殺した。叙は討伐を議した。母は言った。「速やかに出発しなさい、私のことは顧みるな」。馬超は襲って叙の母を捕らえた。母は馬超を罵って死んだ。大義に明らかである。楚と漢が覇権を争い、勝敗がまだ定まらないときに、陵の母はあらかじめ天下が必ず長者に帰すことを見抜き、ただ陵がそれを失うことを恐れ、剣に伏して彼の迷いを断った。生死の際に、これほど決断できるとは。女子の中の偉丈夫である。徐庶が昭烈帝(劉備)に最後まで仕えなかったのは、母が生きていたからである。陵の母が剣に伏さなければ、陵も徐庶と同じだったろう。
解説
この章句が説くこと
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