説苑 / 說叢
寸而度之,至丈必差;銖而稱之,至石必過;石稱丈量,徑而寡失;簡絲數米,煩而不察。故大較易為智,曲辯難為慧。
新字:寸而度之,至丈必差;銖而称之,至石必過;石称丈量,径而寡失;簡糸数米,煩而不察。故大較易為智,曲弁難為慧。
書き下し
寸にして之を度れば、丈に至りて必ず差う。銖にして之を稱れば、石に至りて必ず過つ。石稱丈量は、徑にして失少なし。絲を簡び米を數うるは、煩にして察せず。故に大較は智を為し易く、曲辯は慧を為し難し。
現代語訳
一寸単位で長さを測っていくと、一丈にまで積み重なると必ず誤差が生じる。一銖単位で重さを量っていくと、一石にまで積み重なると必ず誤差が生じる。石(重さの大単位)や丈(長さの大単位)でまとめて量る方が、手っ取り早くて誤りが少ない。糸を一本一本選り分けたり米粒を一粒一粒数えたりするのは、煩雑なだけで結局正確には把握できない。だから大づかみに捉える方がかえって知恵として働きやすく、こまごまとした弁論はかえって明晰な判断としては働きにくい。
解説
微細な単位での積み重ねはかえって誤差を蓄積させ、大づかみな捉え方の方がむしろ正確で実用的であるという、統計的にも興味深い逆説を示す章である。「大較は智を為し易く、曲辯は慧を為し難し」は、細部にこだわりすぎる議論よりも、大局を捉える判断の方が真の知恵として機能するという教えであり、些末なディテールの正確さに固執するあまり全体像を見失いがちな現代の分析過剰への戒めとなる。物事を判断する際には、時に大づかみな視点を持つことの価値を教えてくれる一節である。
この章句が説くこと
大局観精密さの罠実用知
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