智囊 / 武案・公子偃・房伯玉・宗慤・朱滔
魯莊公十年,齊師、宋師次於郎。公子偃曰:「宋師不整,可敗也,宋敗齊必還,」乃自雩門竊出,蒙臯比而先犯之。大敗宋師,齊師乃還。〔述評〕城濮之戰,胥臣蒙馬以虎皮,先犯陳、蔡,本此。魏主為南陽太守房伯玉所敗,乃自引兵襲克宛,伯玉嬰內城拒守。宛城東南有橋,魏主過之。伯玉使勇士數人衣斑衣,戴虎頭帽,伏竇下。突出擊之,魏主人馬俱驚。檀和之等攻林邑,林邑王傾國來戰,以具裝被象,前後無際,宗慤曰:「吾聞外國有獅子,威服百獸。」乃制其形,與象相拒,象果奔走,遂克林邑。朱滔圍深州,李惟岳以田悅援後至。惟岳將王武俊以騎三千,方陣橫進,滔繪帛為狻猊象,使猛士百人蒙之,鼓噪奮馳。賊馬驚亂,因擊破之。
新字:魯荘公十年,斉師、宋師次於郎。公子偃曰:「宋師不整,可敗也,宋敗斉必還,」乃自雩門窃出,蒙皋比而先犯之。大敗宋師,斉師乃還。〔述評〕城濮之戦,胥臣蒙馬以虎皮,先犯陳、蔡,本此。魏主為南陽太守房伯玉所敗,乃自引兵襲克宛,伯玉嬰内城拒守。宛城東南有橋,魏主過之。伯玉使勇士数人衣斑衣,戴虎頭帽,伏竇下。突出撃之,魏主人馬倶驚。檀和之等攻林邑,林邑王傾国来戦,以具装被象,前後無際,宗慤曰:「吾聞外国有獅子,威服百獣。」乃制其形,与象相拒,象果奔走,遂克林邑。朱滔囲深州,李惟岳以田悦援後至。惟岳将王武俊以騎三千,方陣横進,滔絵帛為狻猊象,使猛士百人蒙之,鼓噪奮馳。賊馬驚乱,因撃破之。
書き下し
魯の荘公十年、斉師、宋師、郎に次る。公子偃曰く、「宋師は整わず、敗るべきなり。宋敗るれば斉は必ず還らん」と。乃ち雩門より竊かに出で、皐比を蒙りて先に之を犯す。大いに宋師を敗り、斉師乃ち還る。〔述評〕城濮の戦に、胥臣、馬に虎皮を蒙らせて、先に陳、蔡を犯す。本は此に在り。魏主、南陽太守の房伯玉に敗らるる所と為り、乃ち自ら兵を引きて宛を襲い克つ。伯玉は内城に嬰りて拒守す。宛城の東南に橋有り、魏主之を過ぐ。伯玉、勇士数人をして斑衣を衣、虎頭帽を戴かしめ、竇下に伏せしむ。突出して之を撃つ。魏主の人馬倶に驚く。檀和之ら林邑を攻む。林邑王、国を傾けて来たり戦う。具装を以て象に被せ、前後際無し。宗慤曰く、「吾聞く、外国に獅子有り、威は百獣を服すと」と。乃ち其の形を制して、象と相拒ぐ。象果たして奔走し、遂に林邑に克つ。朱滔、深州を囲む。李惟岳、田悦を以て援く。後れて至る。惟岳の将の王武俊、騎三千を以て、方陣もて横に進む。滔、帛に狻猊の象を繪き、猛士百人をして之を蒙らしめ、鼓噪して奮馳す。賊の馬驚き乱れ、因りて撃ち破る。
現代語訳
魯の荘公十年、斉軍と宋軍が郎に駐屯した。公子偃は言った。「宋軍は隊列が整っていない。敗れるはずだ。宋が敗れれば斉は必ず引き上げる」。そこで雩門からひそかに出て、虎の皮を馬にかぶせて先に宋軍を攻めた。大いに宋軍を破り、斉軍も引き上げた。〔述評〕城濮の戦いで、胥臣が馬に虎の皮をかぶせて先に陳と蔡を攻めたのは、この例に基づく。魏主は南陽太守の房伯玉に敗れ、自ら兵を率いて宛を襲い勝った。伯玉は内城にこもって守った。宛城の東南に橋があり、魏主はそこを通った。伯玉は勇士数人に斑模様の衣を着せ、虎の頭の帽子をかぶらせ、橋の穴の下に伏せさせた。突然出て撃つと、魏主の人も馬もともに驚いた。檀和之らが林邑を攻めた。林邑王は国をあげて来て戦った。馬具のような鎧を象にかぶせ、前後が切れ目なく続いた。宗慤は言った。「聞くところでは、外国には獅子がいて、その威厳は百獣を従わせるという」。そこでその形を作り、象とにらみ合わせた。象は案の定、逃げ走り、ついに林邑に勝った。朱滔が深州を囲んだ。李惟岳は田悦を援軍としたが、遅れて着いた。惟岳の将の王武俊は、騎兵三千で方陣を組んで横から進んだ。滔は布に狻猊の図を描き、猛士百人にかぶせ、鬨の声を上げて奮い走らせた。敵の馬は驚き乱れ、そこで撃ち破った。
解説
この章句が説くこと
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