智囊 / 武案・太子晃
魏主以輕騎襲柔然,分兵為四道。魏主至鹿渾谷,遇敕連可汗。太子晃曰:「賊不意大軍猝至,宜掩其不備,速進擊之。」尚書劉潔曰:「賊營塵盛,其眾必多,不如須大軍至擊之。」晃曰:「塵盛者,軍士驚擾也,何得營上而有塵乎?」魏主疑之,不急擊。柔然遁,追之不及。獲其候騎,曰:「柔然不覺魏軍至,惶駭北走,經六七日,知無追者,始乃徐行。」魏主深悔之。〔述〕欒枝使輿曳柴而偽遁,是又詐揚塵以誘敵,不可不知。
新字:魏主以軽騎襲柔然,分兵為四道。魏主至鹿渾谷,遇勅連可汗。太子晃曰:「賊不意大軍猝至,宜掩其不備,速進撃之。」尚書劉潔曰:「賊営塵盛,其衆必多,不如須大軍至撃之。」晃曰:「塵盛者,軍士驚擾也,何得営上而有塵乎?」魏主疑之,不急撃。柔然遁,追之不及。獲其候騎,曰:「柔然不覚魏軍至,惶駭北走,経六七日,知無追者,始乃徐行。」魏主深悔之。〔述〕欒枝使輿曳柴而偽遁,是又詐揚塵以誘敵,不可不知。
書き下し
魏主、軽騎を以て柔然を襲い、兵を分かちて四道と為す。魏主、鹿渾谷に至り、敕連可汗に遇う。太子晃曰く、「賊は大軍の猝かに至るを意わず、宜しく其の備えざるに掩い、速やかに進みて之を撃つべし」と。尚書の劉潔曰く、「賊営の塵盛んなるは、其の衆必ず多し。大軍の至るを須ちて撃つに如かず」と。晃曰く、「塵盛んなるは、軍士驚擾するなり。何ぞ営上にして塵有るを得んや」と。魏主之を疑い、急ぎ撃たず。柔然遁れ、之を追うも及ばず。其の候騎を獲たり、曰く、「柔然は魏軍の至るを覚らず、惶駭して北に走り、六七日を経て、追う者無きを知り、始めて乃ち徐行せり」と。魏主深く之を悔ゆ。〔述〕欒枝、輿をして柴を曳かせて偽り遁げしむ。是れ又た詐りて塵を揚げ以て敵を誘うなり、知らざるべからず。
現代語訳
魏の君主は軽装の騎兵で柔然を襲い、軍を四つの道に分けた。魏主は鹿渾谷に着き、柔然の可汗の敕連に出くわした。太子の晃は言った。「敵は大軍が突然来るとは思っていません。備えのないところを突いて、すぐに進んで撃つべきです」。尚書の劉潔は言った。「敵の陣営に砂ぼこりが盛んに立っているのは、人数が多い証拠です。大軍が到着するのを待って撃つのがよいでしょう」。晃は言った。「砂ぼこりが盛んなのは、兵が驚いて慌てているからです。陣営の上に、ほこりが立つはずがありましょうか」。魏主は迷って、すぐには撃たなかった。柔然は逃げ去り、追ったが追いつけなかった。敵の斥候を捕らえて聞くと、「柔然は魏軍の到来に気づかず、慌てふためいて北へ逃げ、六、七日経って追っ手がいないと知って、ようやくゆっくり進みました」と言った。魏主は深く後悔した。〔述〕欒枝は、車に柴を引かせて偽って逃げさせた。これもまた、わざとほこりを立てて敵を誘うやり方であり、知っておかねばならない。
解説
この章句が説くこと
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