智囊 / 武案・安萬銓
適為賊巡檄者鳴鑼而至,壯士伏草間,俟其近,揮劍斬之,鳴鑼代為巡檄者,賊恬然不覺也。垂徽下引樹間人,樹間人復引下人,累累而起,至囤者可二三十人,便舉火發銃炮,大呼曰:「天兵上囤矣。」賊眾驚起,昏黑中自相格殺,死者數千人。奪徑而下、失足墜崖死者又千人。黎明,水西軍蟻附上囤,克宅令軍中曰:「賊非鬥格而擅殺、及黎明後殿者、功俱不錄。」自是一軍解體,相與賣路走賊。阿向始與其黨二百人免。囤營一空,焚其積聚,乃班師。留三百官兵戍囤。〔述評〕凱口之功奇矣!顧都御史幕下豈乏二壯士?而必令出自水西乎!宜土官之恃功驕恣,亂相尋而不止也。至於阿向之局未結,而遽爾班師,使薄戍孤懸,全無犄角,善後萬全之策果如是乎?其後月餘,阿向復糾黨襲囤,盡殺戍卒。向以中敵,今還自中。復忽按察僉事田汝成之戒,輕兵往剿,自取挫衄。昔日奇功,付之煨燼。吁!書生之不足與談兵也久矣,豈獨一克宅哉!田汝成上克宅書,談利害中窾,今略附於左。汝成聞克宅復勒兵剿囤,獻書曰:
新字:適為賊巡檄者鳴鑼而至,壮士伏草間,俟其近,揮剣斬之,鳴鑼代為巡檄者,賊恬然不覚也。垂徽下引樹間人,樹間人復引下人,累累而起,至囤者可二三十人,便舉火発銃炮,大呼曰:「天兵上囤矣。」賊衆驚起,昏黒中自相格殺,死者数千人。奪径而下、失足墜崖死者又千人。黎明,水西軍蟻附上囤,克宅令軍中曰:「賊非鬥格而擅殺、及黎明後殿者、功倶不録。」自是一軍解体,相与売路走賊。阿向始与其党二百人免。囤営一空,焚其積聚,乃班師。留三百官兵戍囤。〔述評〕凱口之功奇矣!顧都御史幕下豈乏二壮士?而必令出自水西乎!宜土官之恃功驕恣,乱相尋而不止也。至於阿向之局未結,而遽爾班師,使薄戍孤懸,全無犄角,善後万全之策果如是乎?其後月余,阿向復糾党襲囤,尽殺戍卒。向以中敵,今還自中。復忽按察僉事田汝成之戒,軽兵往剿,自取挫衄。昔日奇功,付之煨燼。吁!書生之不足与談兵也久矣,豈独一克宅哉!田汝成上克宅書,談利害中窾,今略附於左。汝成聞克宅復勒兵剿囤,献書曰:
書き下し
適たま賊の巡檄を為す者の鑼を鳴らして至る有り、壮士草間に伏し、其の近づくを俟ちて、剣を揮いて之を斬り、鑼を鳴らして代わりて巡檄と為り、賊は恬然として覚らず。徽を垂れて樹間の人を引き、樹間の人復た下の人を引き、累累として起ち、囤に至る者二三十人ばかり、便ち火を挙げ銃炮を発し、大いに呼びて曰く、「天兵囤に上れり」と。賊衆驚き起き、昏黒の中に自ら相格殺し、死する者数千人。径を奪いて下り、足を失いて崖に墜ちて死する者又千人。黎明、水西の軍、蟻のごとく附きて囤に上る。克宅、軍中に令して曰く、「賊の鬥格に非ずして擅に殺し、及び黎明の後に殿する者は、功は俱に録せず」と。是れより一軍解体し、相与に路を売りて賊を走らす。阿向始めて其の党二百人と免る。囤営一空にし、其の積聚を焚き、乃ち師を班す。三百の官兵を留めて囤を戍らしむ。〔述評〕凱口の功は奇なり。顧うに都御史の幕下に豈に二壮士を乏しからんや。而るに必ず水西より出ださしむるか。宜なり、土官の功を恃みて驕恣し、乱の相尋ぎて止まざるや。阿向の局の未だ結ばざるに、遽爾として師を班し、薄戍をして孤懸せしめ、全く犄角無からしむるに至りては、善後万全の策、果たして是くのごときか。其の後月余、阿向復た党を糾して囤を襲い、尽く戍卒を殺す。向に敵に中たりしが、今還りて自ら中たる。復た按察僉事の田汝成の戒めを忽せにし、軽兵もて往きて剿し、自ら挫衄を取る。昔日の奇功、煨燼に付す。吁、書生の与に兵を談ずるに足らざること久し、豈に独り一克宅のみならんや。田汝成、克宅に書を上り、利害を談じて窾に中たる。今略して左に附す。汝成、克宅の復た兵を勒して囤を剿するを聞き、書を献じて曰く、
現代語訳
ちょうどそこへ、賊の見回り役が銅鑼を鳴らしながらやって来た。壮士は草の間に伏せ、近づくのを待って剣を振るって斬り捨て、その銅鑼を鳴らして見回り役になりすました。賊は平然として気づかなかった。綱を垂らして木の上の者を引き上げ、木の上の者がまた下の者を引き上げ、次々と登って、砦に着いた者は二、三十人になった。そこで火をつけ銃砲を放ち、大声で「官軍が砦に上ったぞ」と叫んだ。賊は驚いて跳び起き、暗闇の中で同士討ちを始め、数千人が死んだ。道を奪い合って下り、足を踏み外して崖から落ちて死んだ者もまた千人に上った。夜明けとともに、水西の軍が蟻のように取りついて砦に登った。克宅は軍中に命じた。「賊が抵抗もしないのに勝手に殺した者、夜明け後に遅れて着いた者は、手柄を記録しない」。これで全軍の気持ちが離れ、仲間うちで賊に逃げ道を売って逃がしてしまった。阿向はようやく手下二百人とともに逃げ延びた。砦の中を空にして蓄えを焼き払い、軍を引き上げた。三百の官兵を残して砦を守らせた。〔述評〕凱口での功績は見事である。しかし、都御史の幕下にあの二人の壮士に当たる者がいなかったはずはないのに、どうしても水西の者に頼らねばならなかったのか。土官が手柄を鼻にかけて驕り高ぶり、乱が絶えないのも当然である。阿向との決着がまだつかないうちに急いで軍を引き上げ、わずかな守備兵を孤立させて互いに助け合う態勢も全く作らなかった。後始末の万全の策とは、果たしてこんなものか。その後一か月余りで、阿向はまた仲間を集めて砦を襲い、守備兵をすべて殺した。かつては敵が不意を突かれたが、今度は自分たちが不意を突かれたのだ。さらに按察僉事の田汝成の戒めをないがしろにし、軽装の兵で攻めに行って、自ら大敗を招いた。昔日の大功は灰になった。ああ、書生とは兵を語るに足りないと昔から言うが、克宅一人に限った話ではない。田汝成が克宅に上申した書は、利害を語って急所を突いている。今、略して以下に付ける。汝成は、克宅がまた兵を整えて砦を攻めると聞き、書を献じて言った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 項羽本紀今関に入りて、財物取る所無く、婦女幸する所無し、此れ其の志小に在らず。吾人をして其の気を望ましむるに、皆龍虎を為し、五采を成す、此れ天子の気なり。急ぎ撃ちて失ふ勿かれ。」と。楚の左尹項伯は、項羽の季父なり、素より留侯張良に善し。張良是の時沛公に従ふ、項伯乃ち夜馳せて沛公の軍に之き、私かに張良に見え、具に告ぐるに事を以てし、張良を呼びて与に倶に去らんと欲す。曰く、「倶に死する毋かれ。」と。張良曰く、「臣韓王の為に沛公を送る、沛公今事急有り、亡げ去るは不義なり、語らざるべからず。」と。良乃ち入りて、具に沛公に告ぐ。沛公大いに驚きて、曰く、「之を為すこと柰何(いかん)。」と。張良曰く、「誰か大王の為に此の計を為せし者ぞ。」と。曰く、「鯫生(そうせい)我に説きて曰く『関を距(ふせ)ぎ、諸侯を内(い)るる毋くんば、秦の地尽く王たるべし』と。故に之を聴く。」と。良曰く、「大王の士卒を料るに以て項王に当たるに足るか。」と。沛公默然として、曰く、「固より如かず、且つ之を為すこと柰何。」と。張良曰く、「請ふ往きて項伯に謂ひ、沛公敢へて項王に背かざるを言はん。」と。沛公曰く、「君安んぞ項伯と故有る。」と。張良曰く、「秦の時臣と游ぶ、項伯人を殺す、臣之を活かす。今事急有り、故に幸ひに来りて良に告ぐ。」と。沛公曰く、「君と孰れか少長なる。」と。良曰く、「臣より長なり。」と。沛公曰く、「君我が為に呼び入れよ、吾兄として之に事ふるを得ん。」と。張良出でて、項伯を要(むか)ふ。項伯即ち入りて沛公に見ゆ。沛公巵酒を奉じて寿を為し、約して婚姻を為し、曰く、「吾関に入りて、秋豪も敢へて近づく所有らず、吏民を籍し、府庫を封じて、将軍を待つ。将を遣はして関を守らしむる所以の者は、他盗の出入と非常とに備ふるなり。日夜将軍の至るを望む、豈に敢へて反かんや。願はくは伯具に臣の敢へて徳に倍(そむ)かざるを言へ。」と。項伯許諾す。沛公に謂ひて曰く、「旦日蚤く自ら来りて項王に謝せざるべからず。」と。沛公曰く、「諾。」と。是に於て項伯復た夜去り、軍中に至り、具に沛公の言を以て項王に報ず。
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『春秋左氏伝』襄公十八年 太子、剣を抜きて鞅を断つ十二月戊戌、秦周に及びて雍門の萩を伐つ。范鞅雍門に門す。其の御追喜、戈を以って犬を門中に殺す。孟莊子其の橁を斬りて、以って公の琴と為す。己亥、雍門及び西郭・南郭を焚く。劉難・士弱、諸侯の師を率ゐて、申池の竹木を焚く。壬寅、東郭・北郭を焚く。范鞅揚門に門す。州綽東閭に門す。左驂迫りて、東門の中に還り、枚を以って闔を數ふ。齊侯駕して、將に郵棠に走らんとす。大子と郭榮と馬を扣へて曰く、「師速やかにして疾し、略するなり。將に退かんとす。君何ぞ懼れん。且つ社稷の主は、以って輕んずべからず。輕んずれば則ち眾を失ふ。君必ず之を待て」と。將に之を犯さんとす。大子劍を抽きて鞅を斷つ。乃ち止む。甲辰、東のかた侵して濰に及び、南のかた沂に及ぶ。
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『春秋左氏伝』襄公九年 宋の大火と天道九年春、宋災あり。樂喜、司城と為り、以て政を為す。伯氏をして里を司らしむ。火の未だ至らざる所は、小屋を徹し、大屋を塗り、畚挶(ほんきょく)を陳ね、綆缶(かうふ)を具へ、水器を備へ、輕重を量り、水潦を蓄へ、土塗を積み、丈城を巡り、守備を繕ひ、火道を表す。華臣をして正徒を具へしめ、隧正に令して郊保を納れ、火所に奔らしむ。華閱をして右官を討めしめ、官ごとに其の司を庀(をさ)めしむ。向戌をして左を討めしむること、亦た之の如し。樂遄をして刑器を庀めしむること、亦た之の如し。皇鄖をして校正に命じて馬を出さしめ、工正に車を出さしめ、甲兵を備へ、武守を庀めしむ。西鉏吾をして府守を庀めしめ、司宮・巷伯に令して宮を儆めしむ。二師、四鄉の正に令して敬んで享せしむ。祝宗、馬を四墉に用ゐ、盤庚を西門の外に祀る。晉侯、士弱に問ひて曰く、「吾之を聞く、宋災あり、是に於てか天道有るを知ると。何の故ぞ」と。對へて曰く、「古の火正は、或いは心に食し、或いは咮(ちう)に食し、以て火を出內す。是の故に咮を鶉火と為し、心を大火と為す。陶唐氏の火正閼伯(あつはく)、商丘に居りて大火を祀り、而して火もて時を紀す。相土之に因る。故に商は大火を主とす。商人、其の禍敗の釁(きざし)を閱するに、必ず火に始まる。是を以て日に其の天道有るを知るなり」と。公曰く、「必すべきか」と。對へて曰く、「道に在り。國亂れて象無ければ、知るべからざるなり」と。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「罪無くして士を殺さば、則ち大夫以て去る可し。罪無くして民を戮せば、則ち士以て徙る可し。」
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史記 刺客列伝千金の資幣物を持ちて、厚く秦王の寵臣中庶子蒙嘉に遺る。嘉為に先づ秦王に言ひて曰く、「燕王誠に大王の威を振怖し、敢て兵を挙げて以て軍吏に逆らはず、願はくは国を挙げて内臣と為り、諸侯の列に比し、貢職を給すること郡県の如くにして、先王の宗廟を奉守するを得んと。恐懼して敢て自ら陳べず、謹んで樊於期の頭を斬り、及び燕の督亢の地図を献じ、函封し、燕王庭に拝送し、使をして以て大王に聞せしむ。唯だ大王之に命ぜよ」と。秦王之を聞き、大いに喜び、乃ち朝服し、九賓を設け、燕の使者に咸陽宮に見ゆ。荊軻、樊於期の頭の函を奉じ、而して秦舞陽地図の柙を奉じ、次を以て進む。陛に至り、秦舞陽色変じ振恐す。群臣之を怪しむ。荊軻顧みて舞陽を笑ひ、前みて謝して曰く、「北蕃蛮夷の鄙人、未だ嘗て天子に見えず。故に振慴す。願はくは大王少しく之を仮借し、使を前に畢ふるを得しめよ」と。秦王軻に謂ひて曰く、「舞陽の持つ所の地図を取れ」と。軻既に図を取りて之を奏す。秦王図を発く。図窮まりて匕首見る。因りて左手に秦王の袖を把り、而して右手に匕首を持ちて之を揕す。未だ身に至らず。秦王驚き、自ら引きて起つ。袖絶ゆ。剣を抜かんとするも、剣長く、其の室を操る。時に惶急し、剣堅く、故に立ちどころに抜くべからず。荊軻秦王を逐ふ。秦王柱を環りて走る。群臣皆愕き、卒かに意はざるに起こり、尽く其の度を失ふ。而して秦の法、群臣の殿上に侍する者は尺寸の兵を持つを得ず。諸郎中の兵を執るもの皆殿下に陳なり、詔召有るに非ずんば上るを得ず。急なる時に方り、下の兵を召すに及ばず。故を以て荊軻乃ち秦王を逐ふ。而して卒かに惶急し、以て軻を撃つ無く、而して手を以て共に之を搏つ。是の時侍医夏無且、其の奉ずる所の薬嚢を以て荊軻に提つ。秦王方に柱を環りて走り、卒かに惶急して、為す所を知らず。左右乃ち曰く、「王剣を負へ」と。
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説苑・建本豊牆磽下は未だ必ずしも崩れざるも、流行潦至れば、壊るること必ず先んず。樹の本浅く、根垓深からざるは、未だ必ずしも橛れざるも、飄風起こり暴雨至れば、抜けること必ず先んず。君子是の国に居りて、仁義を崇めず賢臣を尊ばざるも、未だ必ずしも亡びざるも、然れども一旦非常の変有らば、車馳せ人走り、指して禍至れば、乃ち始めて喉を干し唇を燋がし、天を仰ぎて歎じ、庶幾わくは天其れ之を救わんと、亦難からずや。孔子曰わく、「其の前を慎まずして其の後を悔ゆれば、悔ゆると雖も及ぶ無し」と。詩に曰わく、「其れ啜りて泣く、何ぞ嗟くも及ばん」と。本を先に正さずして末に憂いを成すを言うなり。
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