智囊 / 武案・郭登・趙遹
定襄侯郭登,智勇兼備,一年百戰,未嘗挫衄。以已意設為「攪地龍」、「飛天網」:鑿深塹,覆土木,人馬通行,如履實地;賊入圍中,令人發其機,自相擊撞,頃刻十餘里皆陷。〔議〕今其法想尚存,何不試之?政和中,晏州夷酋卜漏反。漏據輪囤,其山崛起數百仞,林箐深密;壘石為城,外樹木柵,當道穿坑井,僕巨木卉,布渠答,夾以守障。官軍不能進。時趙遹為招討使,環按其旁,有崖壁峭絕處,賊恃險不設備,又山多生猱;乃遣壯丁捕猱數千頭,束麻作炬,灌以膏蠟,縛之猱背。於是身率正兵攻其前,旦夕戰,羈縻之。而陰遣奇兵,從險絕處負梯銜枚,引猱上,既及賊柵,出火燃炬,猱熱狂跳,賊庐舍皆茅竹,猱竄其上,輒發火,賊號呼奔撲,猱益驚,火益熾,官軍鼓噪破柵。遹望見火,直前迫之,前後夾攻,賊赴火墮崖,死者無算。卜漏突圍走,追獲之。
新字:定襄侯郭登,智勇兼備,一年百戦,未嘗挫衄。以已意設為「攪地竜」、「飛天網」:鑿深塹,覆土木,人馬通行,如履実地;賊入囲中,令人発其機,自相撃撞,頃刻十余里皆陥。〔議〕今其法想尚存,何不試之?政和中,晏州夷酋卜漏反。漏拠輪囤,其山崛起数百仞,林箐深密;塁石為城,外樹木柵,当道穿坑井,僕巨木卉,布渠答,夾以守障。官軍不能進。時趙遹為招討使,環按其旁,有崖壁峭絶処,賊恃険不設備,又山多生猱;乃遣壮丁捕猱数千頭,束麻作炬,灌以膏蝋,縛之猱背。於是身率正兵攻其前,旦夕戦,羈縻之。而陰遣奇兵,従険絶処負梯銜枚,引猱上,既及賊柵,出火燃炬,猱熱狂跳,賊庐舎皆茅竹,猱竄其上,輒発火,賊号呼奔撲,猱益驚,火益熾,官軍鼓噪破柵。遹望見火,直前迫之,前後夾攻,賊赴火堕崖,死者無算。卜漏突囲走,追獲之。
書き下し
定襄侯郭登は、智勇兼ね備え、一年に百戦して、未だ嘗て挫衄せず。己の意を以て「攪地龍」「飛天網」を設く。深塹を鑿ち、土木を覆い、人馬通行して、実地を履むが如し。賊、囲中に入れば、人をして其の機を発せしむ。自ら相い撃撞し、頃刻にして十余里皆な陥る。〔議〕今其の法は想うに尚お存す。何ぞ之を試みざる。政和中、晏州の夷酋卜漏反す。漏は輪囤に拠る。其の山は崛起して数百仞、林箐深密にして、石を壘みて城と為し、外に木柵を樹て、道に当たりて坑井を穿ち、巨木を僕し、渠答を布き、夾むに守障を以てす。官軍進む能わず。時に趙遹は招討使たり。環りて其の旁らを按ずるに、崖壁の峭絶する処有り、賊は険を恃みて備えを設けず。又た山に猱多く生ず。乃ち壮丁を遣わして猱数千頭を捕え、麻を束ねて炬と作し、灌ぐに膏蠟を以てし、之を猱の背に縛る。是に於いて身ずから正兵を率いて其の前を攻め、旦夕に戦い、之を羈縻す。而して陰かに奇兵を遣わし、険絶の処より梯を負い枚を銜み、猱を引きて上らしむ。既に賊の柵に及べば、火を出して炬を燃やす。猱は熱きに狂い跳び、賊の廬舎は皆な茅竹なれば、猱は其の上に竄げ、輒ち火を発す。賊は号呼奔撲し、猱は益々驚き、火は益々熾んなり。官軍は鼓噪して柵を破る。遹、火を望み見て、直ちに前みて之に迫り、前後夾み攻む。賊は火に赴き崖より墮ち、死する者は無算なり。卜漏は突囲して走るも、追いて之を獲たり。
現代語訳
定襄侯の郭登は、知恵と勇気を兼ね備え、一年に百回戦って、一度も挫折したことがなかった。自分の考えで「攪地龍」「飛天網」を作った。深い堀を掘り、その上を土や木で覆い、人や馬が通行しても実地を踏むようであった。賊が囲みの中に入ると、人にその仕掛けを作動させた。賊は自ら突き当たり、たちまち十里あまりがすべて陥没した。〔議〕今もその方法は残っているだろう。なぜ試さないのか。政和年間、晏州の異民族の首領卜漏が反乱を起こした。卜漏は輪囤に拠った。その山は高くそびえて数百仞、林は深く密で、石を積んで城とし、外に木の柵を立て、道には穴を掘り、巨木を倒し、竹の障害物を敷き、これらで守りを固めた。官軍は進めなかった。このとき趙遹は招討使であった。そのあたりを一巡して調べると、崖が険しくそそり立つ所があり、賊は険しさを頼みにして備えを設けていなかった。また山には猿が多く住んでいた。そこで壮健な兵を遣わして猿数千頭を捕らえさせ、麻を束ねて松明とし、膏や蝋を染み込ませ、猿の背に縛り付けた。そうして自ら正規の兵を率いて前から攻め、朝夕戦って敵を引きつけた。そしてひそかに奇襲の兵を遣わし、険しい崖から梯子を背負い、声を出さずに猿を連れて登らせた。賊の柵に着くと、火を出して松明に火をつけた。猿は熱さに狂って跳ね、賊の家屋はみな茅や竹だったので、猿はその上に逃げ込み、たちまち火が起こった。賊は叫びながら走り倒れ、猿はますます驚き、火はますます盛んになった。官軍は太鼓を鳴らし叫んで柵を破った。趙遹は火を見ると、まっすぐに前進して迫り、前後から挟み攻めた。賊は火に飛び込み崖から落ち、死者は数え切れなかった。卜漏は囲みを突破して逃げたが、追って捕らえた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 南越列伝使者皆東郷し、太后南郷し、王北郷し、相嘉・大臣皆西郷し、侍坐して飲む。嘉の弟将為り、卒を将ゐて宮外に居る。酒行はれ、太后嘉に謂ひて曰く、「南越の内属は、国の利なり、而るに相君苦だ便ならずとする者は、何ぞや」と。以て使者を激怒せしめんとす。使者狐疑して相杖り、遂に敢て発する莫し。嘉耳目の是に非ざるを見て、即ち起ちて出づ。太后怒り、嘉を鏦くに矛を以てせんと欲す、王太后を止む。嘉遂に出で、其の弟の兵を分かちて舎に就き、病と称し、王及び使者に見ゆるを肯ぜず。乃ち陰に大臣と乱を作さんとす。王素より嘉を誅するに意無し、嘉之を知る、故を以て数月発せず。太后淫行有り、国人附かず、独り嘉等を誅せんと欲するも、力又能はず。天子嘉の王に聴かず、王・王太后弱孤にして制すること能はず、使者怯えて決無きを聞く。又以為へらく王・王太后已に漢に附く、独り呂嘉乱を為す、以て兵を興すに足らずと、荘参をして二千人を以て往きて使ひせしめんと欲す。参曰く、「好を以て往かば、数人にて足れり。武を以て往かば、二千人以て為す足る無し」と。辞して可かず、天子参を罷む。郟の壮士、故の済北の相韓千秋奮ひて曰く、「区区たる越を以て、又王・太后の応ずる有り、独り相呂嘉害を為す、願はくは勇士二百人を得て、必ず嘉を斬りて以て報ぜん」と。是に於て天子千秋と王太后の弟樛楽とを遣はし二千人を将ゐて往かしめ、越の境に入る。呂嘉等乃ち遂に反し、令を国中に下して曰く、「王年少し。太后は、中国の人なり、又使者と乱し、専ら内属を欲し、尽く先王の宝器を持して入りて天子に献じて以て自ら媚び、多く人を従へ、行きて長安に至り、虜売して以て僮僕と為さんとす。自ら一時の利を脱するを取り、趙氏の社稷を顧み、万世の為に慮計するの意無し」と。乃ち其の弟と卒を将ゐて王・太后及び漢の使者を攻め殺す。
-
『甲陽軍鑑』品第十四さありて此度長篠にて勝頼公の人数甲州衆うへの原に加藤丹後を残し置き、其余は一円に立て是八千なり、上野衆四千信濃より六千合せて一万八千の内、鳶が巣に千又長篠城奥平押へに千おきて、残る一万六千をもつて七万あまりの人数の節所を三ツまで搆へ、柵の木を三重にふりて待ちかまへてゐる所へ、面もふらずかゝるは、敵四人こなた一人のつもりなれ共、節所と柵の木とを考れば是又敵に十万の加勢なり、縦へば十七万の人数の籠りたる城を一万六千にて責めたるごとくなり、信玄公つねの智略にも千籠りたる城をば、二四の人数にてせめんと定め給ふ、五千にてはことあやうしと有り、
-
『大和俗訓』巻之八・応接一人のするわざ、其善悪十分に知れて、明白なること有り。又其事の有様、其人の心の中、善きも悪しきも、明かに知らざること多し。我が心に悪ししと思ふことも、その実をよく尋ぬれば、道理あることあり。善しと思ふことにも、善からざることあり。かやうのこと唐もやまとも、古今多し。天下皆非なるの理なしと、古人もいへり。何事も、人のしわざに故あらんと思ひ、妄に人を悪みそしるべからず。又妄に誉むべからず。
-
『囲炉夜話』第二百三則・必ず諸を心に問ふ言は盡くは信ず可からず、必ず諸を理に揆る。事は未だ遽かに行ふ可からず、必ず諸を心に問ふ。
-
『驢鞍橋』卷上卯の夏夜話に曰く、我分別いつとなく失せ、慮知抔と云ふことなし。然る間云ひ損ひも有らんず事ぢやが、出次第に働きて、此年迄来れとも間に合はぬ事無し。総して若き時より無分別なる性也。然れども元より事の談合肝要の時に至ては、何たる分別者よりも我一言に究むる事多し。我もいな事に思ふ也。但しつゝきれて云ふ心か、夫れは元より中中强い位有り、事の談合に及んでは、聞くと早や胸すはつてつゝきれて云はるゝと也。
-
孫子・地形篇卒を視ること嬰児の如し、故に之と深谿に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故に之と俱に死すべし。厚くして使う能わず、愛して令する能わず、乱れて治むる能わざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る