智囊 / 武案・李綱
因獻圖本,及兵部造試,所費不貲,而遲重難行,卒歸於廢。故有「鷓鴣車」之號,謂「行不得」也。夫古人戰皆用車,何便於昔而不便於今?殆考之未精,制之未善,而當事者遂以一試棄之耳。且如秦築長城,萬世為利;而今之築堡築垣者,皆云沙浮易圮。趙充國屯田,亦萬世為利;而今之開屯者,亦多築舍無成。是皆無實心任事之人,合群策以求萬全故也!法曷故哉?嗚呼!苟無實心任事之人,即盡聖祖神宗之法制,皆題之曰「鷓鴣」可也!
新字:因献図本,及兵部造試,所費不貲,而遅重難行,卒帰於廃。故有「鷓鴣車」之号,謂「行不得」也。夫古人戦皆用車,何便於昔而不便於今?殆考之未精,制之未善,而当事者遂以一試棄之耳。且如秦築長城,万世為利;而今之築堡築垣者,皆云沙浮易圮。趙充国屯田,亦万世為利;而今之開屯者,亦多築舎無成。是皆無実心任事之人,合群策以求万全故也!法曷故哉?嗚呼!苟無実心任事之人,即尽聖祖神宗之法制,皆題之曰「鷓鴣」可也!
書き下し
因りて図本を献ずるも、兵部の造試に及びて、費す所貲らず、而して遅重にして行き難く、卒に廃に帰す。故に「鷓鴣車」の号有り、「行き得ず」と謂うなり。夫れ古人の戦は皆な車を用う。何ぞ昔に便にして今に便ならざる。殆ど之を考えること精しからず、之を制すること善からず、而して当事者は遂に一試を以て之を棄てしのみ。且つ秦の長城を築くは、万世の利たり。而るに今の堡を築き垣を築く者は、皆な沙浮にして圮れ易しと云う。趙充国の屯田も、亦た万世の利たり。而るに今の屯を開く者も、亦た多く舎を築くのみにして成る無し。是れ皆な実心もて事に任ずる人無く、群策を合わせて以て万全を求むるが故なり。法、曷ぞ故あらんや。嗚呼、苟くも実心もて事に任ずる人無くんば、即ち聖祖神宗の法制を尽くすと雖も、皆な之に題して「鷓鴣」と曰うも可なり。
現代語訳
そこで図面を献上したが、兵部で試作して試験すると、費用はおびただしく、しかも重くて動きにくく、結局は廃止された。そのため「鷓鴣車(しゃこ車)」というあだ名が付いた。「行き得ず」(鷓鴣の鳴き声が「行不得也」に似る)という意味である。そもそも古人の戦いは皆な車を用いた。どうして昔には便利で今は不便なのか。おそらく、考察が精密でなく、製作が良くなかったのに、当事者はたった一度の試験でこれを捨てたのだろう。また、秦が長城を築いたのは万世の利となった。ところが今の堡や垣を築く者は、皆な砂地で崩れやすいと言う。趙充国の屯田も、また万世の利となった。ところが今の屯田を開く者も、多くは家屋を築くだけで成果がない。これらはみな、誠実に事に当たる人がおらず、多くの策を合わせて万全を求めないからだ。方法にどうして落ち度があろうか。ああ、もし誠実に事に当たる人がいなければ、聖祖・神宗の法制をすべて採用しても、どれにも「鷓鴣」と書いてよいだろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第十四さありて此度長篠にて勝頼公の人数甲州衆うへの原に加藤丹後を残し置き、其余は一円に立て是八千なり、上野衆四千信濃より六千合せて一万八千の内、鳶が巣に千又長篠城奥平押へに千おきて、残る一万六千をもつて七万あまりの人数の節所を三ツまで搆へ、柵の木を三重にふりて待ちかまへてゐる所へ、面もふらずかゝるは、敵四人こなた一人のつもりなれ共、節所と柵の木とを考れば是又敵に十万の加勢なり、縦へば十七万の人数の籠りたる城を一万六千にて責めたるごとくなり、信玄公つねの智略にも千籠りたる城をば、二四の人数にてせめんと定め給ふ、五千にてはことあやうしと有り、
-
『驢鞍橋』卷上卯の夏夜話に曰く、我分別いつとなく失せ、慮知抔と云ふことなし。然る間云ひ損ひも有らんず事ぢやが、出次第に働きて、此年迄来れとも間に合はぬ事無し。総して若き時より無分別なる性也。然れども元より事の談合肝要の時に至ては、何たる分別者よりも我一言に究むる事多し。我もいな事に思ふ也。但しつゝきれて云ふ心か、夫れは元より中中强い位有り、事の談合に及んでは、聞くと早や胸すはつてつゝきれて云はるゝと也。
-
『囲炉夜話』第二百三則・必ず諸を心に問ふ言は盡くは信ず可からず、必ず諸を理に揆る。事は未だ遽かに行ふ可からず、必ず諸を心に問ふ。
-
史記 南越列伝使者皆東郷し、太后南郷し、王北郷し、相嘉・大臣皆西郷し、侍坐して飲む。嘉の弟将為り、卒を将ゐて宮外に居る。酒行はれ、太后嘉に謂ひて曰く、「南越の内属は、国の利なり、而るに相君苦だ便ならずとする者は、何ぞや」と。以て使者を激怒せしめんとす。使者狐疑して相杖り、遂に敢て発する莫し。嘉耳目の是に非ざるを見て、即ち起ちて出づ。太后怒り、嘉を鏦くに矛を以てせんと欲す、王太后を止む。嘉遂に出で、其の弟の兵を分かちて舎に就き、病と称し、王及び使者に見ゆるを肯ぜず。乃ち陰に大臣と乱を作さんとす。王素より嘉を誅するに意無し、嘉之を知る、故を以て数月発せず。太后淫行有り、国人附かず、独り嘉等を誅せんと欲するも、力又能はず。天子嘉の王に聴かず、王・王太后弱孤にして制すること能はず、使者怯えて決無きを聞く。又以為へらく王・王太后已に漢に附く、独り呂嘉乱を為す、以て兵を興すに足らずと、荘参をして二千人を以て往きて使ひせしめんと欲す。参曰く、「好を以て往かば、数人にて足れり。武を以て往かば、二千人以て為す足る無し」と。辞して可かず、天子参を罷む。郟の壮士、故の済北の相韓千秋奮ひて曰く、「区区たる越を以て、又王・太后の応ずる有り、独り相呂嘉害を為す、願はくは勇士二百人を得て、必ず嘉を斬りて以て報ぜん」と。是に於て天子千秋と王太后の弟樛楽とを遣はし二千人を将ゐて往かしめ、越の境に入る。呂嘉等乃ち遂に反し、令を国中に下して曰く、「王年少し。太后は、中国の人なり、又使者と乱し、専ら内属を欲し、尽く先王の宝器を持して入りて天子に献じて以て自ら媚び、多く人を従へ、行きて長安に至り、虜売して以て僮僕と為さんとす。自ら一時の利を脱するを取り、趙氏の社稷を顧み、万世の為に慮計するの意無し」と。乃ち其の弟と卒を将ゐて王・太后及び漢の使者を攻め殺す。
-
『大和俗訓』巻之八・応接一人のするわざ、其善悪十分に知れて、明白なること有り。又其事の有様、其人の心の中、善きも悪しきも、明かに知らざること多し。我が心に悪ししと思ふことも、その実をよく尋ぬれば、道理あることあり。善しと思ふことにも、善からざることあり。かやうのこと唐もやまとも、古今多し。天下皆非なるの理なしと、古人もいへり。何事も、人のしわざに故あらんと思ひ、妄に人を悪みそしるべからず。又妄に誉むべからず。
-
孫子・地形篇卒を視ること嬰児の如し、故に之と深谿に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故に之と俱に死すべし。厚くして使う能わず、愛して令する能わず、乱れて治むる能わざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る