智囊 / 詭道・馮異・王晙
馮異與赤眉戰,使壯士變服與赤眉同,伏於道側。旦日,赤眉使萬人攻異前部。賊見勢弱,遂悉眾攻異。異乃縱兵大戰,日昃,賊氣衰,伏兵卒起,服色相亂,赤眉不復識別,眾遂驚潰。異追擊,大破之。吐蕃寇臨洮,次大來谷。安北大都護王晙率所部二千,與臨洮兵合,料奇兵七百,易胡服,夜襲敵營,去賊五里,令曰:「前遇寇大呼,鼓角應之。」賊驚,疑伏兵在旁,自相鬥,死者萬計。
新字:馮異与赤眉戦,使壮士変服与赤眉同,伏於道側。旦日,赤眉使万人攻異前部。賊見勢弱,遂悉衆攻異。異乃縦兵大戦,日昃,賊気衰,伏兵卒起,服色相乱,赤眉不復識別,衆遂驚潰。異追撃,大破之。吐蕃寇臨洮,次大来谷。安北大都護王晙率所部二千,与臨洮兵合,料奇兵七百,易胡服,夜襲敵営,去賊五里,令曰:「前遇寇大呼,鼓角応之。」賊驚,疑伏兵在旁,自相鬥,死者万計。
書き下し
馮異、赤眉と戦うに、壮士をして服を変えて赤眉と同じくし、道側に伏せしむ。旦日、赤眉、万人をして異の前部を攻めしむ。賊、勢いの弱きを見て、遂に衆を悉くして異を攻む。異乃ち兵を縦ちて大いに戦い、日昃くに、賊の気衰う。伏兵卒かに起こり、服色相い乱れ、赤眉復た識別せず、衆遂に驚き潰ゆ。異追撃して大いに之を破る。吐蕃、臨洮に寇し、大来谷に次す。安北大都護王晙、率うる所の二千を以て、臨洮の兵と合し、奇兵七百を料りて胡服に易え、夜、敵営を襲う。賊を去ること五里にして、令して曰く、「前に寇に遇わば大いに呼び、鼓角之に応ぜよ」と。賊驚き、伏兵の旁らに在るかと疑い、自ら相い闘い、死する者万を計う。
現代語訳
馮異が赤眉と戦ったとき、壮士に服装を変えさせて赤眉と同じ装いにし、道の脇に伏せさせた。翌朝、赤眉は一万人で馮異の前軍を攻めさせた。賊は味方の勢いが弱いと見て、とうとう全軍で馮異を攻めてきた。そこで馮異は兵を放って大いに戦い、日が傾くころには賊の気力が衰えた。そこへ伏兵が突然起こったが、服の色が入り混じって、赤眉はもう敵味方の区別がつかず、全軍が驚き崩れた。馮異は追撃して大いに破った。吐蕃が臨洮に侵入して大来谷に陣取った。安北大都護の王晙は、率いる二千の兵に臨洮の兵を合わせ、奇襲の兵七百を選んで胡人の服に着替えさせ、夜に敵営を襲った。敵陣から五里の所で命じた。「前方で敵に出会ったら大声で叫び、鼓や角笛で応えよ。」敵は驚き、伏兵が近くにいるのかと疑って、同士討ちを始め、死者は万を数えた。
解説
この章句が説くこと
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