智囊 / 詭道・張弘范
張弘范討李璮於濟南,其父柔戒之曰:「汝圍城勿避險地。汝無怠心,則兵必致死。主者慮其險,苟有來犯,必攻救,可因以立功。勉之!」弘范營城西,璮出軍突諸將營,獨不向弘范。弘范曰:「我營險地,璮乃示弱於我,必以奇兵來襲。」遂築長壘,內伏甲士,而外為壕,開東門以待之。夜令士卒濬濠,益深廣,璮不知也,明日果擁飛橋來攻。未及岸,軍陷壕中,得跨壕而上者,遇伏皆死。元兵逼宋少帝於崖山,或請先用炮。弘范曰:「火起則舟散,不如戰也。」明日四分其軍,軍其東、南、北三面,弘范自將一軍,相去里餘,下令曰:「聞吾樂作,乃舉。違令者斬!」先麾北面一軍,乘潮而戰,不克。李恒等順潮而退。樂作,宋將以為且宴,少懈,弘范舟師犯前,眾繼之。預構戰樓於舟尾,以布幕障之,命將士負盾而伏,令曰:「聞金聲起戰,先金而妄動者死。」飛矢集如蝟,伏盾者不動,舟將接,鳴金撤障,弩弓火石交作,頃刻並破七舟,宋師大潰,少帝赴水死。
新字:張弘范討李璮於済南,其父柔戒之曰:「汝囲城勿避険地。汝無怠心,則兵必致死。主者慮其険,苟有来犯,必攻救,可因以立功。勉之!」弘范営城西,璮出軍突諸将営,独不向弘范。弘范曰:「我営険地,璮乃示弱於我,必以奇兵来襲。」遂築長塁,内伏甲士,而外為壕,開東門以待之。夜令士卒濬濠,益深広,璮不知也,明日果擁飛橋来攻。未及岸,軍陥壕中,得跨壕而上者,遇伏皆死。元兵逼宋少帝於崖山,或請先用炮。弘范曰:「火起則舟散,不如戦也。」明日四分其軍,軍其東、南、北三面,弘范自将一軍,相去里余,下令曰:「聞吾楽作,乃舉。違令者斬!」先麾北面一軍,乗潮而戦,不克。李恒等順潮而退。楽作,宋将以為且宴,少懈,弘范舟師犯前,衆継之。預構戦楼於舟尾,以布幕障之,命将士負盾而伏,令曰:「聞金声起戦,先金而妄動者死。」飛矢集如蝟,伏盾者不動,舟将接,鳴金撤障,弩弓火石交作,頃刻並破七舟,宋師大潰,少帝赴水死。
書き下し
張弘范、李璮を済南に討つ。其の父柔、之を戒めて曰く、「汝、城を囲むに険地を避くること勿れ。汝に怠る心無ければ、兵は必ず死力を尽くさん。主将は其の険を慮り、もし来り犯す者あれば必ず攻め救う。因りて功を立つべし。勉めよ」と。弘范、城の西に営す。璮、軍を出だして諸将の営を突くも、独り弘范には向かわず。弘范曰く、「我は険地に営す。璮は乃ち弱きを我に示すなり。必ず奇兵を以て来り襲わん」と。遂に長き塁を築き、内に甲士を伏せ、外に壕を為り、東門を開きて以て之を待つ。夜、士卒に令して濠を浚え、益々深く広くせしむるも、璮は知らず。明日、果たして飛橋を擁して来り攻む。未だ岸に及ばざるに、軍は壕中に陥り、壕を跨ぎて上るを得る者も、伏に遇いて皆死す。元兵、宋の少帝を崖山に逼る。或ひと請う、先ず炮を用いんと。弘范曰く、「火起これば舟は散ず。戦うに如かず」と。明日、其の軍を四つに分け、東・南・北の三面に軍し、弘范自ら一軍を将い、相い去ること里余。令を下して曰く、「吾が楽の作るを聞かば、乃ち挙げよ。令に違う者は斬る」と。先ず北面の一軍を麾き、潮に乗じて戦うも克たず。李恒ら潮に順いて退く。楽作る。宋将は且に宴せんとすと為して、少しく懈る。弘范の舟師、前を犯し、衆之に継ぐ。預め戦楼を舟尾に構え、布幕を以て之を障い、将士に命じて盾を負いて伏せしめ、令して曰く、「金の声を聞きて戦いを起こせ。金に先んじて妄りに動く者は死」と。飛矢の集まること蝟の如きも、盾に伏す者は動かず。舟の将に接せんとするに、金を鳴らして障いを撤し、弩弓・火石交ごも作り、頃刻にして並びに七舟を破る。宋師大いに潰え、少帝は水に赴きて死す。
現代語訳
張弘范が済南で李璮を討伐したとき、父の張柔は戒めて言った。「城を囲むときは、危険な場所を避けてはならない。おまえに怠る心がなければ、兵は必ず死力を尽くす。敵の主将はその場所の危険を気にして、もし攻めて来る者がいれば必ず攻めたり救ったりする。そこに手柄を立てる機会がある。励め。」弘范は城の西に陣を置いた。李璮は軍を出して諸将の陣を突いたが、弘范の陣にだけは向かってこなかった。弘范は言った。「わが陣は危険な場所にある。李璮はわざと弱みを見せているのだ。必ず奇襲の兵で襲ってくる。」そこで長い塁を築き、内側に武装兵を伏せ、外側に壕を掘り、東門を開けて待ち構えた。夜のうちに兵に濠をさらに深く広く掘らせたが、李璮は知らなかった。翌日、果たして飛橋を押し立てて攻めてきた。岸に着かないうちに軍は壕の中に落ち、壕を跨いで上がれた者も伏兵に遭って皆死んだ。のちに元軍は宋の少帝を崖山に追い詰めた。ある者が、まず大砲を使おうと願い出た。弘范は言った。「火が起これば船が散ってしまう。ふつうに戦うのがよい。」翌日、軍を四つに分け、東・南・北の三方に配し、弘范自身は一軍を率いて、他から一里あまり離れた。命令して言った。「わが楽の音が起こるのを聞いてから動け。命令に違う者は斬る。」まず北面の一軍を動かし、潮に乗って戦わせたが勝てなかった。李恒らは潮に従って退いた。そこで楽が鳴った。宋の将はこれから宴でも始まるのかと思い、少し気を緩めた。弘范の水軍は正面を突き、味方が続いた。あらかじめ舟の後尾に戦楼を作り、布の幕で覆い、将兵に盾を背負って伏せさせ、命じた。「鉦の音を聞いてから戦え。鉦より先に勝手に動く者は死刑だ。」矢がハリネズミのように集まっても、盾に伏した者は動かなかった。舟がまさに接しようとしたとき、鉦を鳴らして覆いを取り払い、弩や弓、火石が一斉に放たれ、たちまち七艘の舟を破った。宋軍は大いに崩れ、少帝は水に身を投げて死んだ。
解説
この章句が説くこと
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