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智囊 / 詭道・夫概王・鬥伯比・季梁

吳敗楚師於柏舉,追及清發,將擊之。闔閭之弟夫概王曰:「困獸猶鬥,況人乎?若知不免而致死,必敗我。若使先濟者知免,後者慕之,蔑有鬥心矣,半濟而後可擊也。」從之,大敗楚人,五戰及郢。楚武王侵隨,使求成焉,而軍瑕以待之。隨人使少師董成。鬥伯比曰:「我之不得志於漢東也,我則使然:我張吾三軍,以武臨之,彼則懼而協以謀我,故難圖也。漢東之國,隨為大,隨張,必棄小國,小國離,楚之利也。少師寵,請羸師以張之。」少師歸,請追楚師。季梁諫曰:「楚之羸,其誘我也!」乃止。〔述評〕當時微季梁,幾墮楚計。楚子反有言:「圍者,柑馬而秣之,使肥者應客。」故凡示弱者皆誘也。漢兵乘勝追匈奴。高帝聞冒頓居上谷,使人覘之。冒頓匿其壯士肥牛馬,見老弱羸畜,使者十輩來,皆言匈奴可擊。上復使劉敬往,敬還報曰:「兩國相擊,此宜矜誇見所長,今臣往,徒見羸瘠老弱,此必欲見短,伏奇兵以爭利,愚以為匈奴不可擊。」上不聽,果圍於白登。

新字:呉敗楚師於柏舉,追及清発,将撃之。闔閭之弟夫概王曰:「困獣猶鬥,況人乎?若知不免而致死,必敗我。若使先済者知免,後者慕之,蔑有鬥心矣,半済而後可撃也。」従之,大敗楚人,五戦及郢。楚武王侵随,使求成焉,而軍瑕以待之。随人使少師董成。鬥伯比曰:「我之不得志於漢東也,我則使然:我張吾三軍,以武臨之,彼則懼而協以謀我,故難図也。漢東之国,随為大,随張,必棄小国,小国離,楚之利也。少師寵,請羸師以張之。」少師帰,請追楚師。季梁諫曰:「楚之羸,其誘我也!」乃止。〔述評〕当時微季梁,幾堕楚計。楚子反有言:「囲者,柑馬而秣之,使肥者応客。」故凡示弱者皆誘也。漢兵乗勝追匈奴。高帝聞冒頓居上谷,使人覘之。冒頓匿其壮士肥牛馬,見老弱羸畜,使者十輩来,皆言匈奴可撃。上復使劉敬往,敬還報曰:「両国相撃,此宜矜誇見所長,今臣往,徒見羸瘠老弱,此必欲見短,伏奇兵以争利,愚以為匈奴不可撃。」上不聴,果囲於白登。

書き下し

吳、楚師を柏舉に敗り、追いて清發に及び、將に之を擊たんとす。闔閭の弟夫概王曰く、「困獸すら猶お鬪う、況んや人をや。若し死を致すを知りて免れずと知らば、必ず我を敗らん。若し先に濟る者をして免るるを知らしめ、後なる者をして之を慕わしめば、鬪心有ること蔑し。半ば濟りて後、擊つべし」と。之に從い、大いに楚人を敗り、五たび戰いて郢に及ぶ。楚の武王、隨を侵し、成を求めしめ、而して軍を瑕に軍して以て之を待つ。隨人、少師をして成を董さしむ。鬥伯比曰く、「我の漢東に志を得ざるや、我が則ち然らしむ。我、吾が三軍を張り、武を以て之に臨めば、彼は則ち懼れて協して以て我を謀る。故に圖り難し。漢東の國は、隨を大と為す。隨張らば、必ず小國を棄てん。小國離れば、楚の利なり。少師は寵ぜらる。請う、師を羸にして以て之を張らしめん」と。少師歸りて、楚師を追わんことを請う。季梁諫めて曰く、「楚の羸は、其れ我を誘うなり」と。乃ち止む。〔述評〕當時、季梁微かりせば、幾ど楚の計に墮ちん。楚の子反に言有り、「圍む者は、馬に柑して之に秣い、肥えたる者をして客に應ぜしむ」と。故に凡そ弱を示す者は皆な誘うなり。漢兵、勝に乘じて匈奴を追う。高帝、冒頓が上谷に居るを聞き、人をして之を覘わしむ。冒頓、其の壯士肥牛馬を匿し、老弱羸畜を見す。使者十輩來たり、皆な言う、匈奴は撃つべしと。上、復た劉敬を使わす。敬還りて報じて曰く、「兩國相い撃たば、此れ宜しく矜誇して長ずる所を見すべし。今、臣往くに、徒だ羸瘠老弱を見るのみ。此れ必ず短を見さんと欲し、奇兵を伏して以て利を爭わんとするなり。愚以為えらく、匈奴は撃つべからず」と。上聽かず、果たして白登に圍まる。

現代語訳

呉は楚軍を柏挙で破り、追って清発に至り、そこで楚軍を攻撃しようとしました。闔閭の弟の夫概王は言いました。「追い詰められた獣でさえ戦う。まして人間はなおさらだ。もし死を覚悟して逃れられないと知れば、必ず我が軍を破るだろう。先に川を渡った者が助かったことを知り、後の者がそれを羨めば、戦う気持ちはなくなる。半分渡ったところで攻撃すべきだ」。呉王はこれに従い、大いに楚軍を破り、五たび戦って郢に至りました。楚の武王が隨を攻めたとき、講和を求めさせながら、軍を瑕に駐屯させて待ちました。隨は少師に講和の交渉を担当させました。鬥伯比は言いました。「我が楚が漢水の東で思うようにならないのは、我々自身がそうさせているからだ。我が三軍を広げて武力で臨めば、彼らは恐れて協力して我々を謀る。だから手を出しにくい。漢水の東の国では、隨が大国だ。隨が驕れば、必ず小国を見捨てる。小国が離れれば、楚の利益になる。少師は寵愛されている。軍を弱く見せて少師を驕らせましょう」。少師は帰って、楚軍を追撃することを願いました。季梁が諫めて言いました。「楚の軍が弱そうなのは、我々を誘っているのだ」。そこで追撃は止めになりました。〔述評〕あの当時、季梁がいなければ、ほとんど楚の計略に落ちるところでした。楚の子反に言葉があります。「包囲する側は、馬を繋いで飼葉を与え、肥えた馬を客に応対させる」。だから弱さを示す者はみな誘っているのです。漢軍は勝ちに乗じて匈奴を追いました。高帝は冒頓が上谷にいると聞き、人に探らせました。冒頓は屈強な兵や肥えた牛馬を隠し、老いた者や弱い者、痩せた家畜だけを見せました。使者が十組来ましたが、みな匈奴は討てると言いました。高帝は再び劉敬を遣わしました。劉敬が戻って報告しました。「両国が戦おうとするとき、本来は誇示して自分の長所を見せるものです。今、私が行ってみると、ただ痩せた老弱の者を見ただけです。これは必ず短所を見せようとして、奇兵を伏せて利を争おうとするものです。愚考では、匈奴は討つべきではありません」。高帝は聞き入れず、案の定、白登で包囲されました。

解説

この段の中心は、弱く見せることの危うさです。楚が軍を羸にして隨を誘った計は、季梁の洞察によって見破られましたが、劉敬の警告を聞かなかった高帝は、白登で包囲されました。馮夢龍は、弱さを示す者はみな誘いだと断じています。現代の管理職も、相手が不自然に弱みを見せたり、条件を緩めてきたりしたときは、すぐに乗らず、なぜ今それを見せるのかと考える習慣が大切です。複数の使者が同じ結論を述べても、一人の冷静な意見に耳を傾ける度量が、判断の質を決めると読めます。

この章句が説くこと

困獣猶鬥半ば済る羸師誘い白登疑う力

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