智囊 / 制勝・沈希儀
常欲剿一巢,乃佯臥病,所部入問病,謝不見。明日入問,希儀起曰:「吾病,思鳥獸肉,若輩能從我獵乎?」即起出獵,出賊一二里而止營,軍中乃知非獵也。最後計擒其尤黠猾善戰者,支解之,四懸城門,見者股栗。常以悲風淒雨,天色冥冥夜,察諸賊所止宿,散遣人齎火若炮,衣毳帽,與草色同,潛賊巢中,夜炮舉,賊大駭曰:「老沈來矣!」挈妻子逃至山頂,兒啼女咷,往往寒凍死,或觸崖石死,妻子相怨:「汝作賊何利至此?」明詗之,則寂無人,已相聞,愈益驚;陰詗之,則老沈固在參府不出也。自此賊膽落。或易面為熟瑤,而柳城旁一童子牽牛行深山,無敢詗者矣。後熟瑤既聞公威信,徵調他巢,雖懼仇,不敢不往,甚而大雨,瑤懼失期,泅溪水以應。論者以為自廣西為將,韓觀、山雲之倫,能使瑤不為賊,希儀則使瑤人攻賊,前此未有也。
新字:常欲剿一巣,乃佯臥病,所部入問病,謝不見。明日入問,希儀起曰:「吾病,思鳥獣肉,若輩能従我猟乎?」即起出猟,出賊一二里而止営,軍中乃知非猟也。最後計擒其尤黠猾善戦者,支解之,四懸城門,見者股栗。常以悲風淒雨,天色冥冥夜,察諸賊所止宿,散遣人齎火若炮,衣毳帽,与草色同,潜賊巣中,夜炮舉,賊大駭曰:「老沈来矣!」挈妻子逃至山頂,児啼女咷,往往寒凍死,或触崖石死,妻子相怨:「汝作賊何利至此?」明詗之,則寂無人,已相聞,愈益驚;陰詗之,則老沈固在参府不出也。自此賊胆落。或易面為熟瑤,而柳城旁一童子牽牛行深山,無敢詗者矣。後熟瑤既聞公威信,徴調他巣,雖懼仇,不敢不往,甚而大雨,瑤懼失期,泅渓水以応。論者以為自広西為将,韓観、山雲之倫,能使瑤不為賊,希儀則使瑤人攻賊,前此未有也。
書き下し
常に一巢を剿せんと欲し、乃ち佯り病に臥す。所部、入りて病を問うに、謝して見えず。明日入りて問うに、希儀起きて曰く、「吾が病は、鳥獸の肉を思う。若が輩、能く我に從いて獵せんか」と。即ち起ちて獵に出で、賊を出ずること一二里にして營を止む。軍中、乃ち獵に非ざるを知る。最後に計りて其の尤も黠猾にして戰いに善き者を擒にし、之を支解し、四たび城門に懸く。見る者股栗す。常に悲風淒雨、天色冥冥の夜を以て、諸賊の止宿する所を察し、人を散遣して火若しくは炮を齎し、毳帽を衣て、草色と同じくし、賊巢の中に潛ましむ。夜に炮舉がり、賊大いに駭き、曰く、「老沈來れり」と。妻子を挈えて山頂に逃げ、兒は啼き女は咷き、往々にして寒凍して死し、或いは崖石に觸れて死す。妻子相い怨む、「汝、賊と作って何の利あって此に至る」と。明るく之を詗るに、則ち寂として人無し。已に相い聞きて、愈々益々驚く。陰かに之を詗るに、則ち老沈は固より參府に在りて出でず。此れより賊の膽落つ。或いは面を易えて熟瑤と為るも、柳城の旁らの一童子、牛を牽きて深山を行くに、敢えて詗する者無し。後に熟瑤既に公の威信を聞き、他の巢を徵調するに、仇を懼ると雖も、敢えて往かずんばあらず。甚だしきは大雨にも、瑤は期に失せんことを懼れ、溪水を泅ぎて以て應ず。論者以為えらく、廣西に將と為りて、韓觀、山雲の倫は、能く瑤をして賊と為らざらしむ。希儀は則ち瑤人をして賊を攻めしむ。前に此れ有らざるなり。
現代語訳
沈希儀は、ある巣窟を討とうとして、病気を装って寝込んだことがありました。部下が見舞いに入っても、断って会いません。翌日に見舞いに来ると、沈希儀は起き上がって言いました。「私の病は鳥や獣の肉が食べたくなることだ。おまえたち、私について狩りに行けるか」。すぐに起き上がって狩りに出て、賊の領域を出て一二里のところで陣を止めました。軍中の者はようやく狩りではなかったと知りました。最後に、特に狡猾で戦いに巧みな者を計略で捕らえ、手足を引き裂き、四つの城門に掛けました。見る者は股が震えました。いつも、悲しい風と冷たい雨、空が暗い夜に、賊の泊まる所を探り、人を散らして遣わし、火や砲を持たせ、毛織の帽子をかぶり、草の色に紛れさせて、賊の巣窟にひそませました。夜に砲が上がり、賊は大いに驚いて、「老沈が来たぞ」と言いました。妻子を連れて山頂に逃げ、子どもは泣き叫び、凍えて死ぬ者や、崖の岩にぶつかって死ぬ者もいました。妻子は互いに怨みました。「おまえが賊になって何の得があってこんなことになったのか」。朝になって調べると、ひっそりとして人はいません。そのうち噂が伝わって、いよいよ驚きました。ひそかに探ると、老沈はもともと参将府にいて外に出ていませんでした。これ以来、賊は肝を落としました。顔を変えて帰順した瑤族のふりをしても、柳城のそばの一人の子どもが牛を引いて深山を行くだけで、誰もあえて偵察しようとしません。後に、帰順した瑤族は公の威信を聞き、他の巣窟に徴調されると、仇を恐れながらも、行かないわけにいきませんでした。大雨のときでさえ、瑤族は期日に遅れることを恐れて、谷川を泳いで応じました。論者は言いました。広西で将となり、韓観や山雲の類は、瑤族を賊にならないようにしたが、沈希儀は瑤人に賊を攻めさせた。これまでにないことだった。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』號令人、自ら大いに版に書し、之を其の署の隔に著く。守、必ず自ら其の先後を謀り、其の署に非ずして妄りに之に入る者は、斷ず。署を離れ左右し、共に他署に入り、左右、捕らえず、私書を挾み、行きて請謁し、及び行書を為し、守事を釋てて私家の事を治め、卒民、相い家室・嬰兒を盜む者は、皆な斷じて赦す無し。人、舉げて之を藉す。符節無くして軍中を横行する者は、斷ず。客、城下に在らば、數しば其の署を易えて其の養を易うる無し。敵を譽めて少なきを以て衆しと為し、亂を以て治と為し、敵の攻の拙きを以て巧と為す者は、斷ず。客と主人と、相い與に言い及び相い藉するを得る無し。客、射るに書を以てするも、譽むるを得る無し。外、内に示すに善を以てするも、應ずるを得る無し。令に従わざる者は皆な斷ず。禁じて矢書を舉げ若しくは書を以て寇に射るを得る無し。令を犯す者は、父母・妻子、皆な斷じ、身は城上に梟す。能く之を捕らえ告ぐる者有らば、之に賞するに黄金二十斤。時に非ずして行く者は、唯だ守及び太守の節を摻りて使いする者のみ。
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