智囊 / 制勝・王守仁
濠果使人探公不出,乃留兵萬餘守省城,而自引兵東下,公聞濠已出,遂急促各府兵,刻期會於豐城,時濠兵已圍安慶,眾議宜急往救,公謂:「九江、南康皆已為賊所據,而南昌城中精悍萬餘,食貨重積,我兵若抵安慶,賊必回軍死鬥,安慶之兵僅足自守,必不能出而夾攻。賊令南昌兵絕我糧道,九江、南康合勢撓攝,而四方之援又不可望,事其危矣!今我師驟集,先聲所加,城中必恐,並力急攻,其勢必下,此孫子救韓趨魏之計也!」偵者言:「新、舊廠伏兵萬餘,以備犄角。」公遣兵從間道襲破之,潰卒入城,城中知王師雨集,皆大駭,遂一鼓下之,濠聞我兵至豐城,即欲回舟,李士實諫,以為,必須徑往南京,既登大寶,則江西自服。」濠不聽,遂解安慶之圍,移兵泊阮子江,為歸援計。公聞濠兵且至,召眾議之,眾云:「宜斂兵入城,堅壁待援。」
新字:濠果使人探公不出,乃留兵万余守省城,而自引兵東下,公聞濠已出,遂急促各府兵,刻期会於豊城,時濠兵已囲安慶,衆議宜急往救,公謂:「九江、南康皆已為賊所拠,而南昌城中精悍万余,食貨重積,我兵若抵安慶,賊必回軍死鬥,安慶之兵僅足自守,必不能出而夾攻。賊令南昌兵絶我糧道,九江、南康合勢撓摂,而四方之援又不可望,事其危矣!今我師驟集,先声所加,城中必恐,並力急攻,其勢必下,此孫子救韓趨魏之計也!」偵者言:「新、旧廠伏兵万余,以備犄角。」公遣兵従間道襲破之,潰卒入城,城中知王師雨集,皆大駭,遂一鼓下之,濠聞我兵至豊城,即欲回舟,李士実諫,以為,必須径往南京,既登大宝,則江西自服。」濠不聴,遂解安慶之囲,移兵泊阮子江,為帰援計。公聞濠兵且至,召衆議之,衆云:「宜斂兵入城,堅壁待援。」
書き下し
濠、果たして人をして公の出でざるを探らしめ、乃ち兵萬餘を留めて省城を守らしめ、而して自ら兵を引いて東に下る。公、濠の已に出ずるを聞き、遂に急に各府の兵を促し、期を刻して豐城に會せしむ。時に濠の兵、已に安慶を圍む。眾議、宜しく急ぎ往き救うべしとす。公謂う、「九江、南康、皆な已に賊の據る所と為る。而して南昌城中は精悍萬餘、食貨重積す。我が兵、若し安慶に抵らば、賊は必ず軍を回して死鬪し、安慶の兵は僅かに自守するに足るのみにして、必ず出でて夾撃する能わず。賊をして南昌の兵に令して我が糧道を絕たしめ、九江、南康、勢いを合わせて撓攝し、而して四方の援は又望むべからざれば、事は其れ危うし。今、我が師、驟かに集まり、先聲の加わる所、城中必ず恐れん。力を並せて急に攻めば、其の勢い必ず下さん。此れ孫子の趙を救うに魏に趨くの計なり」と。偵者言う、「新、舊の廠に伏兵萬餘、以て犄角に備う」と。公、兵を遣わして間道より襲いて之を破る。潰卒、城に入り、城中、王師の雨のごとく集まるを知り、皆な大いに駭き、遂に一鼓にして之を下す。濠、我が兵の豐城に至るを聞き、即ち舟を回さんと欲す。李士實、諫めて以為えらく、「必ず須く徑ちに南京に往くべし。既に大寶に登らば、則ち江西は自ずから服せん」と。濠聽かず、遂に安慶の圍みを解き、兵を移して阮子江に泊し、歸援の計を為す。公、濠の兵の且に至らんとするを聞き、眾を召して之を議す。眾云う、「宜しく兵を斂めて城に入り、壁を堅くして援を待つべし」と。
現代語訳
宸濠は案の定、人をやって王陽明が出てこないかを探らせ、そこで一万余りの兵を残して省都の南昌を守らせ、自分は兵を率いて東へ下りました。王陽明は宸濠がすでに出撃したと聞くと、急いで各府の兵を促し、期日を定めて豊城に集めさせました。そのとき宸濠の軍はすでに安慶を包囲していました。大勢の意見は、急いで救援に行くべきだというものでした。王陽明は言いました。「九江と南康はすでに賊に占拠されている。そして南昌城中には精鋭一万余りがいて、食料と財貨がうずたかく積まれている。我が軍がもし安慶に向かえば、賊は必ず軍を戻して死に物狂いで戦い、安慶の兵はやっと自分を守れる程度で、出て挟み撃ちにすることはできないだろう。賊が南昌の兵に命じて我が糧道を断たせ、九江と南康が力を合わせて攪乱し、四方からの援軍も望めなければ、事態は危うい。今、我が軍は急に集まり、その先触れの威勢が及ぶところ、城中は必ず恐れる。力を合わせて急攻すれば、その勢いで必ず落ちる。これは孫子の言う、趙を救うために魏に向かう計略だ」。偵察の者が言いました。「新廠と旧廠に伏兵一万余りがいて、掎角の形に備えています」。王陽明は兵を送って間道から襲い、これを破りました。敗走兵が城に入り、城中の者は王師が雨のように集まると知って大いに驚き、一度の太鼓で城は落ちました。宸濠は我が軍が豊城に着いたと聞いて、すぐに舟を戻そうとしました。李士実は諫めて、「ぜひともまっすぐ南京に行くべきです。皇帝の位に登れば、江西は自然に従います」と言いました。宸濠は聞かず、安慶の包囲を解き、軍を阮子江に移して停泊し、救援に戻る計画を立てました。王陽明は宸濠の軍がまもなく来ると聞き、人々を集めて協議しました。人々は言いました。「兵を収めて城に入り、守りを固めて援軍を待つべきです」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 南越列伝使者皆東郷し、太后南郷し、王北郷し、相嘉・大臣皆西郷し、侍坐して飲む。嘉の弟将為り、卒を将ゐて宮外に居る。酒行はれ、太后嘉に謂ひて曰く、「南越の内属は、国の利なり、而るに相君苦だ便ならずとする者は、何ぞや」と。以て使者を激怒せしめんとす。使者狐疑して相杖り、遂に敢て発する莫し。嘉耳目の是に非ざるを見て、即ち起ちて出づ。太后怒り、嘉を鏦くに矛を以てせんと欲す、王太后を止む。嘉遂に出で、其の弟の兵を分かちて舎に就き、病と称し、王及び使者に見ゆるを肯ぜず。乃ち陰に大臣と乱を作さんとす。王素より嘉を誅するに意無し、嘉之を知る、故を以て数月発せず。太后淫行有り、国人附かず、独り嘉等を誅せんと欲するも、力又能はず。天子嘉の王に聴かず、王・王太后弱孤にして制すること能はず、使者怯えて決無きを聞く。又以為へらく王・王太后已に漢に附く、独り呂嘉乱を為す、以て兵を興すに足らずと、荘参をして二千人を以て往きて使ひせしめんと欲す。参曰く、「好を以て往かば、数人にて足れり。武を以て往かば、二千人以て為す足る無し」と。辞して可かず、天子参を罷む。郟の壮士、故の済北の相韓千秋奮ひて曰く、「区区たる越を以て、又王・太后の応ずる有り、独り相呂嘉害を為す、願はくは勇士二百人を得て、必ず嘉を斬りて以て報ぜん」と。是に於て天子千秋と王太后の弟樛楽とを遣はし二千人を将ゐて往かしめ、越の境に入る。呂嘉等乃ち遂に反し、令を国中に下して曰く、「王年少し。太后は、中国の人なり、又使者と乱し、専ら内属を欲し、尽く先王の宝器を持して入りて天子に献じて以て自ら媚び、多く人を従へ、行きて長安に至り、虜売して以て僮僕と為さんとす。自ら一時の利を脱するを取り、趙氏の社稷を顧み、万世の為に慮計するの意無し」と。乃ち其の弟と卒を将ゐて王・太后及び漢の使者を攻め殺す。
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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