智囊 / 制勝・韓雍
天順初,兩廣亂,韓公雍往討。師次大藤峽,道隘,旁夾水田。有儒生、里老數百人,跪持香曰:「我輩苦賊久矣,今幸天兵至,得為良民,願先三軍鋒。」公遽叱曰:「是皆賊也,為我縛斬之。」左右初亦疑。既縛而袂中利刃出,乃悉斷頸,截手足,刳腸胃,分掛箐棘中,累累相屬,賊大驚沮。公嘗出兵,令五鼓戰,將領聞賊已覺,恐遲失事,二更即發,大破之。公賞其功,而問以違令之罪,以軍令當斬,乃具聞請釋,曰:「萬一不用命而敗,奈何?」人謂公得將將之體。〔評〕街亭馬謖、好水川任福之敗,皆以違令致之。必不貪功,而後功成於萬全,公之慮遠矣。
新字:天順初,両広乱,韓公雍往討。師次大藤峡,道隘,旁夾水田。有儒生、里老数百人,跪持香曰:「我輩苦賊久矣,今幸天兵至,得為良民,願先三軍鋒。」公遽叱曰:「是皆賊也,為我縛斬之。」左右初亦疑。既縛而袂中利刃出,乃悉断頸,截手足,刳腸胃,分掛箐棘中,累累相属,賊大驚沮。公嘗出兵,令五鼓戦,将領聞賊已覚,恐遅失事,二更即発,大破之。公賞其功,而問以違令之罪,以軍令当斬,乃具聞請釈,曰:「万一不用命而敗,奈何?」人謂公得将将之体。〔評〕街亭馬謖、好水川任福之敗,皆以違令致之。必不貪功,而後功成於万全,公之慮遠矣。
書き下し
天順の初め、兩廣亂れ、韓公雍往きて討つ。師、大藤峽に次るに、道隘く、旁らに水田を夾む。儒生、里老數百人有り、跪きて香を持ちて曰く、「我が輩、賊に苦しむこと久し。今幸いに天兵至り、良民と為るを得たり。願わくは三軍の鋒に先んぜん」と。公、遽かに叱して曰く、「是れ皆な賊なり。我が為に縛りて斬れ」と。左右、初めは亦た疑う。既に縛るに及びて、袂の中より利刃出ず。乃ち悉く頸を斷ち、手足を截ち、腸胃を刳り、箐棘の中に分かち掛け、累々として相い屬ぬ。賊、大いに驚き沮む。公、嘗て兵を出だし、五鼓に戰わしむる令あり。將領、賊の已に覺れるを聞き、遲れて事を失わんことを恐れ、二更に即ち發して、大いに之を破る。公、其の功を賞して、而して違令の罪を問う。軍令を以て當に斬るべし。乃ち具に聞して釋さんことを請う。曰く、「萬一、命を用いずして敗れなば、奈何せん」と。人、公は將を將いるの體を得たりと謂う。〔評〕街亭の馬謖、好水川の任福の敗は、皆な令に違うを以て之を致す。必ず功を貪らず、而る後に功は萬全に成る。公の慮り遠し。
現代語訳
天順の初め、両広が乱れ、韓雍公が討伐に向かいました。軍が大藤峡に駐屯したところ、道は狭く、その脇に水田が広がっていました。儒生や村の長老が数百人、ひざまずいて香を捧げて言いました。「私どもは長い間、賊に苦しんでまいりました。今幸いに天子の軍が来られ、良民となることができました。どうか全軍の先頭に立たせてください」。韓雍はいきなり叱りつけました。「こいつらはみな賊だ。私のために縛って斬れ」。側近たちは最初は疑いました。しかし縛ってみると、袖の中から鋭い刃物が出てきました。そこで全員の首を斬り、手足を切り、内臓を抜き、いばらの茂みに分けて掛け、ずらりと連ねました。賊は大いに驚いて気勢をそがれました。韓雍はあるとき出兵して、五更に戦えと命じたことがありました。将領は賊がすでに気づいたと聞いて、遅れて機会を失うことを恐れ、二更に出発して大いに賊を破りました。韓雍はその功を賞しながら、命令違反の罪を問いました。軍令では斬罪に当たりますが、詳しく上奏して許しを願いました。そして言いました。「もし万一、命令に従わずに敗れていたらどうなるのか」。人々は、韓雍は将を統率する者の心得を得ていると言いました。〔評〕街亭の馬謖、好水川の任福の敗北は、いずれも命令に背いたことが原因です。功を貪らないからこそ、功が万全に成り立ちます。韓公の思慮は深いものです。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』通簡・張遼張遼は曹公の命を受けて長社に屯す。発するに臨み、軍中に謀反する者有り、夜驚乱して火起こり、一軍尽く擾る。遼は左右に謂いて曰く、「動く勿れ。是れ一営尽く反するに非ず、必ず変を造す者有りて、人を動乱せしめんと欲するのみ」と。乃ち軍中に令して曰く、「反せざる者は安坐せよ」と。遼は親兵数十人を将いて陣の中に立つ。有頃にして、即ち首謀者を得て之を殺す。〔馮述評〕周亜夫は兵を将いて七国を討つに、軍中嘗て夜驚す。亜夫は堅臥して起きず、頃之にして自ら定まる。呉漢は大司馬と為り、嘗て寇の夜に漢の営を攻むる有り、軍中驚擾す。漢は堅臥して動かず、軍中は漢の動かざるを聞き、皆な還りて部を按ず。漢は乃ち精兵を選び夜に擊ち、大いに之を破る。此れ皆な静を以て動を制するの術なり。然れども紀律素より厳なるに非ざれば、動かざらんと欲すと雖も、得べからず。
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