智囊 / 制勝・韋睿
梁天監四年王師北伐,命韋睿督軍,攻小峴城。既至,城中忽出數百人,陣於門外,睿曰:「城中二千餘人,閉門堅守,足以自完,而無故出人於外,此必其驍勁者也,先挫其勁,城一鼓可拔。」諸將疑不前,睿指其節曰:「朝廷授此,非以為飾,法不可犯也!」兵遂進,殊死戰,魏兵大潰,急攻之,城遂拔。睿進攻合肥,先按行山川,曰:「吾聞之:『汾水可灌平陽,絳水可灌安邑。』」乃為之堰肥水,堰成,而魏援兵大至。諸將俱,請表益兵。睿笑曰:「賊已至而請兵,雖鞭之長,能及馬腹乎?」初戰不利,諸將議退巢湖,又議走保三叉,睿怒曰:「將軍死綏,有前無卻,妄動者斬!」乃取傘扇麾幢樹堤下,示無動意,而更築壘於堤以自固。久之,堰水滿,魏救兵無所用,城竟潰。
新字:梁天監四年王師北伐,命韋睿督軍,攻小峴城。既至,城中忽出数百人,陣於門外,睿曰:「城中二千余人,閉門堅守,足以自完,而無故出人於外,此必其驍勁者也,先挫其勁,城一鼓可抜。」諸将疑不前,睿指其節曰:「朝廷授此,非以為飾,法不可犯也!」兵遂進,殊死戦,魏兵大潰,急攻之,城遂抜。睿進攻合肥,先按行山川,曰:「吾聞之:『汾水可灌平陽,絳水可灌安邑。』」乃為之堰肥水,堰成,而魏援兵大至。諸将倶,請表益兵。睿笑曰:「賊已至而請兵,雖鞭之長,能及馬腹乎?」初戦不利,諸将議退巣湖,又議走保三叉,睿怒曰:「将軍死綏,有前無却,妄動者斬!」乃取傘扇麾幢樹堤下,示無動意,而更築塁於堤以自固。久之,堰水満,魏救兵無所用,城竟潰。
書き下し
梁の天監四年、王師北伐し、韋睿に命じて軍を督せしめ、小峴城を攻む。既に至るに、城中より忽ち数百人出で、門外に陣す。睿曰く、「城中二千余人、門を閉じて堅く守らば、以て自ら完うするに足る。而るに故無くして人を外に出すは、此れ必ず其の驍勁なる者ならん。先ず其の勁を挫かば、城は一鼓にして抜くべし」と。諸将疑いて前まず。睿其の節を指して曰く、「朝廷此れを授けしは、以て飾りと為すに非ず。法は犯すべからざるなり」と。兵遂に進み、殊死して戦い、魏兵大いに潰ゆ。急に之を攻め、城遂に抜く。睿進みて合肥を攻む。先ず山川を按行して曰く、「吾之を聞く、『汾水は平陽に灌ぐべく、絳水は安邑に灌ぐべし』と」。乃ち之が為に肥水を堰く。堰成りて、魏の援兵大いに至る。諸将俱に懼れ、表して兵を益さんことを請う。睿笑いて曰く、「賊已に至りて兵を請うは、鞭の長しと雖も、能く馬腹に及ばんや」と。初め戦いて利あらず、諸将議して巣湖に退かんとし、又議して三叉に走り保たんとす。睿怒って曰く、「将軍は綏に死す。前有りて却く無し。妄りに動く者は斬る」と。乃ち傘扇麾幢を取りて堤下に樹て、動く意無きを示し、更に塁を堤に築きて以て自ら固む。久しくして、堰の水満ち、魏の救兵は用うる所無く、城竟に潰ゆ。
現代語訳
梁の天監四年、王の軍が北伐し、韋睿に命じて軍を統率させ、小峴城を攻めました。到着すると、城中から突然数百人が出てきて、門の外に陣を敷きました。韋睿は言いました。「城中には二千人あまりがいる。門を閉じて固く守れば、十分に自分を保てる。それなのにわざわざ人を外に出したのは、きっと精鋭だろう。先にその精鋭をくじけば、城は一度の太鼓で落とせる」。諸将は疑って進みません。韋睿は自分の節(将軍の印)を指して言いました。「朝廷がこれを授けたのは、飾りのためではない。軍法は犯してはならない」。兵はそこで進み、決死で戦い、魏兵は大いに潰れました。急いで攻めて、城はついに落ちました。韋睿は進んで合肥を攻めました。まず山や川を見て回って言いました。「私はこう聞いている。『汾水を使えば平陽に水を注げ、絳水を使えば安邑に水を注げる』と」。そこで肥水をせき止めました。せき止めが完成すると、魏の援軍が大挙して到着しました。諸将は皆恐れて、上表して兵の増援を願い出ました。韋睿は笑って言いました。「賊がもう来てから増援を求めても、鞭が長くても馬の腹には届かない」。最初の戦いで不利になると、諸将は巣湖に退こうと議論し、さらに三叉に逃げて守ろうと議論しました。韋睿は怒って言いました。「将軍は退かずに死ぬものだ。前に進むことはあっても、退くことはない。むやみに動く者は斬る」。そこで傘や扇、旗を堤の下に立てて、動かない意志を示し、さらに堤に塁を築いて自らを固めました。やがて堰の水が満ち、魏の救援軍は役に立たず、城はついに崩れました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・地形篇卒を視ること嬰児の如し、故に之と深谿に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故に之と俱に死すべし。厚くして使う能わず、愛して令する能わず、乱れて治むる能わざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり。
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孫子・行軍篇斥沢を絶つには、惟だ亟やかに去りて留まること無かれ。若し軍を斥沢の中に交うれば、必ず水草に依りて衆樹を背にす。此れ斥沢に処るの軍なり。平陸には易きに処りて、右に高きを背にし、前は死し後は生く。此れ平陸に処るの軍なり。凡そ此の四軍の利は、黄帝の四帝に勝ちし所以なり。
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『長短経』地形険形に曰く、我先に之に居らば、必ず高陽に居りて以て敵を待て〔高陽の地に居りて、以て敵人を待つ。敵人其の下陰より来たらば、之を撃ちて、勝つなり〕。若し敵先に居らば、則ち引きて之を去り、従うこと勿かれ〔地険しければ、先に人に至るべからざるなり〕。夫れ遠形は、鈎勢にして、以て戦いを挑み難く、而して利あらず〔挑は、敵に近づくなり。遠形は、国を去ること遠きなり。地鈎等しく、独り便利なる無し。先に之に挑み戦えば、利あらず〕。凡そ此の六者は、地の道なり。皆将の至任にして、察せざるべからず。
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『長短経』地形我得れば則ち利あり、彼得るも亦た利ある者を、争地と為す〔少を以て衆に勝ち、弱を以て強に勝つべし。山水の阨口、険固の利有りて、両敵の争う所を謂う。故に経に曰く、争地は、吾将に其の後に趣かんとす、と〕。我以て往くべく、彼以て来たるべきを、交地と為す〔道上相交錯し、平地に数道有りて、往来交通し、絶つべき無きなり。故に経に曰く、交地は、吾将に其の結を固めんとす、と〕。諸侯の地三属し〔我と敵と相対して、旁に他国有るなり〕、先に至りて天下の衆を得る者を、衢地と為す〔先に其の地に至らば、諸侯の衆を交結して助けと為すべきなり。故に経に曰く、衢地は、吾将に其の守りを謹まんとす、と〕。
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李衛公問対・卷下太宗曰く、「太公云ふ、『歩兵を以て車騎と戦ふ者は、必ず丘墓・険阻に依る』と。又『孫子』に云ふ、『天隙の地、丘墓・故城は、兵処るべからず』と。如何。」靖曰く、
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『長短経』地形人の反り難きの地に入ること深く、城邑に倍くこと多き者を、重地と為す〔遠く己が城郭を去りて深く敵地に入れば、心意を専らにす。故に之を重地と謂う。故に経に曰く、重地は、吾将に其の食を継がんとす、と〕。山林・険阻・沮沢を行き、凡そ行き難きの道なる者を、汜地と為す〔汜は、浸洳の地なり。故に経に曰く、汜地は、我将に其の途を進めんとす、と〕。由りて入る所の者隘く、従りて帰る所の者迂にして、彼寡にして以て吾が衆を撃つべき者を、囲地と為す〔入らんと欲する所は阨険、帰らんと欲する道は遠きなり。久しきを持すれば則ち糧乏し。故に敵は少を以て吾が衆を撃つべき者なり。囲地と為す。故に経に曰く、囲地は、吾将に其の闕を塞がんとす、と〕。
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