智囊 / 不戰・高仁厚
仁厚念諸棄寨者所當誅殺甚眾,乃密召孔目官張韶,諭之曰:「爾速遣步探子將數十人,分道追走者,自以爾意諭之曰:「僕射幸不出寨,皆不知,汝曹速歸,來旦,牙參如常,勿憂也。」韶素長者,眾信之,至四鼓,皆還寨,唯楊茂言走至張把,乃追及之。仁厚聞諸寨漏鼓如初,喜曰:「悉歸矣。」詰旦,諸將牙集,以為仁厚誠不知也,坐良久,謂茂言曰:「昨夜聞副使身先士卒,走至張把,有諸?」對曰:「聞賊攻中軍,左右言僕射已去,遂策馬驂隨,既而審其虛,乃復還耳。」曰:「仁厚與副使俱受命天子,將兵討賊,若仁厚先走,副使當叱下馬,行軍法,代總軍事,然後奏聞,今副使既先走,又為欺罔,理當何如?」茂言拱手曰:「當死。」仁厚曰:「然。」命左右扶下斬之。諸將股栗,仁厚乃召昨夜所獲俘虜數十人,釋縛縱歸。群雄聞之懼,曰:「彼軍法嚴整如是,又可犯乎?」自是兵不復出。後君雄斬師立,出降。
新字:仁厚念諸棄寨者所当誅殺甚衆,乃密召孔目官張韶,諭之曰:「爾速遣歩探子将数十人,分道追走者,自以爾意諭之曰:「僕射幸不出寨,皆不知,汝曹速帰,来旦,牙参如常,勿憂也。」韶素長者,衆信之,至四鼓,皆還寨,唯楊茂言走至張把,乃追及之。仁厚聞諸寨漏鼓如初,喜曰:「悉帰矣。」詰旦,諸将牙集,以為仁厚誠不知也,坐良久,謂茂言曰:「昨夜聞副使身先士卒,走至張把,有諸?」対曰:「聞賊攻中軍,左右言僕射已去,遂策馬驂随,既而審其虚,乃復還耳。」曰:「仁厚与副使倶受命天子,将兵討賊,若仁厚先走,副使当叱下馬,行軍法,代総軍事,然後奏聞,今副使既先走,又為欺罔,理当何如?」茂言拱手曰:「当死。」仁厚曰:「然。」命左右扶下斬之。諸将股栗,仁厚乃召昨夜所獲俘虜数十人,釈縛縦帰。群雄聞之懼,曰:「彼軍法厳整如是,又可犯乎?」自是兵不復出。後君雄斬師立,出降。
書き下し
仁厚は諸の寨を棄てて走る者の当に誅殺せらるべきもの甚だ衆きを念い、乃ち密かに孔目官の張韶を召して、これに諭して曰く、「爾は速やかに歩探子将数十人を遣わし、道を分かちて走る者を追わしめ、自ら爾の意を以てこれに諭せ、『僕射は幸いに寨を出でず、皆知らず。汝曹は速やかに帰れ、来旦の牙参は常の如し、憂うるなかれ。』と。」と。韶は素より長者、衆これを信ず。四鼓に至り、皆寨に還る。ただ楊茂言のみ走りて張把に至り、乃ち追及さる。仁厚は諸寨の漏鼓の初めの如きを聞き、喜びて曰く、「悉く帰れり。」と。詰旦、諸将は牙に集まり、以て仁厚は誠に知らずと為す。坐すること良久しくして、茂言に謂いて曰く、「昨夜聞く、副使は身ら士卒に先んじて、走りて張把に至ると。諸れ有りや。」と。対えて曰く、「賊が中軍を攻むと聞き、左右は僕射は已に去ると言う。遂に馬に策ちて驂随す。既にして其の虚なるを審らかにし、乃ち復た還りしのみ。」と。曰く、「仁厚と副使は俱に命を天子に受け、兵を将いて賊を討つ。もし仁厚が先に走らば、副使は当に叱して馬より下し、軍法を行い、軍事を代総し、然る後に奏聞すべし。今、副使は既に先に走り、また欺罔を為す。理として当に何如すべき。」と。茂言は拱手して曰く、「当に死すべし。」と。仁厚曰く、「然り。」と。左右に命じて扶け下してこれを斬らしむ。諸将は股栗す。仁厚は乃ち昨夜獲る所の俘虜数十人を召し、縛を釈きて縦ち帰す。群雄はこれを聞きて懼れ、曰く、「彼の軍法は整うこと是くの如し、また犯すべけんや。」と。これより兵は復た出でず。後に君雄は師立を斬り、出でて降る。
現代語訳
仁厚は、砦を捨てて逃げた者のうち、誅殺すべき者があまりに多いことを考え、ひそかに孔目官の張韶を召して諭した。「おまえはすぐに歩兵の探索役の将数十人を遣わし、道を分けて逃げた者を追わせ、自分の考えとして彼らにこう諭せ。『僕射は幸いに砦を出られなかったので、誰も知らない。おまえたちはすぐに帰れ。明朝の参上は常のとおりだ、心配するな』と。」張韶はもともと温厚な人柄で、人々は信頼していた。四更になると、皆砦に戻った。ただ楊茂言だけは張把まで逃げており、そこで追いつかれた。仁厚は諸砦の漏刻の太鼓がいつもどおりに鳴るのを聞き、喜んで言った。「皆戻ってきた。」翌朝、諸将は役所に集まり、仁厚は本当に知らないと思った。しばらく座っていてから、楊茂言に言った。「昨夜聞いたところでは、副使は自ら士卒に先んじて、走って張把まで行ったとか。そうなのか。」答えた。「賊が中軍を攻めていると聞き、側近が僕射はすでに去られたと言いました。そこで馬に鞭打ってお供しました。そのうちにそれが虚報だと分かり、戻ってきたまでです。」仁厚は言った。「私と副使は共に天子の命を受け、兵を率いて賊を討っている。もし私が先に逃げたなら、副使は私を叱って馬から降ろし、軍法を行い、軍事を代わって総括し、その後に奏上すべきだ。いま副使はすでに先に逃げ、さらに偽りを言った。理としてどうすべきか。」楊茂言は拱手して言った。「死に当たります。」仁厚は言った。「そうだ。」左右に命じて助け下ろして斬らせた。諸将はふるえあがった。仁厚はそこで昨夜捕らえた俘虜数十人を召し、縛を解いて放ち帰した。群雄はこれを聞いて恐れ、言った。「あちらの軍法はこれほど整っている、どうして犯せようか。」これ以後、賊の兵は二度と出てこなかった。後に鄭君雄は楊師立を斬って、出て降った。
解説
この章句が説くこと
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