智囊 / 不戰・李愬
時李光顏戰數勝,元濟率銳師屯洄曲以抗光顏。愬知其隙可乘,乃夜起師,祐以突將三千為前鋒,李忠義副之,愬率中軍三千,田進誠以下軍殿,出文城柵,令曰:「引而東。」六十里止,襲張柴,殲其戍,敕士少休,益治鞍鎧,發刃彀矢。會大雨雪,天晦,凜風偃旗裂膚,馬皆縮栗,士抱戈凍死於道十一二。張柴之東,陂澤阻奧,眾未嘗蹈也,皆謂投不測,始發。吏請所向,愬曰:「入蔡州取吳元濟。」士失色,監軍使者泣曰:「果落祐計。」然業從愬,人人不敢自為計。愬分輕兵斷橋道,以絕洄曲道;又以兵絕郎山道。行七十里,夜半,至懸瓠城,雪甚。城旁皆鵝鶩池,愬令擊之,以亂軍聲。
新字:時李光顔戦数勝,元済率鋭師屯洄曲以抗光顔。愬知其隙可乗,乃夜起師,祐以突将三千為前鋒,李忠義副之,愬率中軍三千,田進誠以下軍殿,出文城柵,令曰:「引而東。」六十里止,襲張柴,殲其戍,勅士少休,益治鞍鎧,発刃彀矢。会大雨雪,天晦,凜風偃旗裂膚,馬皆縮栗,士抱戈凍死於道十一二。張柴之東,陂沢阻奥,衆未嘗蹈也,皆謂投不測,始発。吏請所向,愬曰:「入蔡州取呉元済。」士失色,監軍使者泣曰:「果落祐計。」然業従愬,人人不敢自為計。愬分軽兵断橋道,以絶洄曲道;又以兵絶郎山道。行七十里,夜半,至懸瓠城,雪甚。城旁皆鵝鶩池,愬令撃之,以乱軍声。
書き下し
時に李光顔は戦って数々勝つ。元済は鋭師を率いて洄曲に屯し、以て光顔に抗す。愬はその隙の乗ずべきを知り、乃ち夜に師を起こす。祐は突将三千を以て前鋒と為し、李忠義これに副う。愬は中軍三千を率い、田進誠以下の軍は殿す。文城柵を出でて、令して曰く、「引きて東す。」と。六十里にして止まり、張柴を襲いてその戍を殲し、士に少し休めしめ、益々鞍鎧を治め、刃を発し矢を彀す。たまたま大雨雪ふり、天晦く、凛風は旗を偃し肌を裂き、馬は皆縮み栗え、士の戈を抱きて道に凍死する者、十に一二。張柴の東は、陂沢阻み奥まり、衆は未だ嘗て蹈まず、皆投じて不測に入ると謂う。始めて発するに、吏は向かう所を請う。愬曰く、「蔡州に入りて呉元済を取らん。」と。士は色を失い、監軍使者は泣きて曰く、「果たして祐の計に落ちたり。」と。然れども業に愬に従えば、人々敢えて自ら計を為さず。愬は軽兵を分かちて橋道を断ち、以て洄曲の道を絶ち、また兵をもて郎山の道を絶つ。行くこと七十里、夜半に懸瓠城に至る。雪甚だし。城の旁らには皆鵝鶩の池あり、愬は令してこれを撃たしめ、以て軍声を乱す。
現代語訳
そのころ李光顔は戦って何度も勝っていた。呉元済は精鋭の軍を率いて洄曲に駐屯し、李光顔に対抗していた。李愬は、その隙に乗じられると知り、夜に軍を起こした。李祐が突撃兵三千を率いて先鋒となり、李忠義がそれを補佐した。李愬は中軍三千を率い、田進誠以下の軍が後ろを守った。文城柵を出て、命じて言った。「東へ進め。」六十里で止まり、張柴を襲ってその守備兵を皆殺しにし、兵を少し休ませ、さらに鞍や鎧を整え、刃を研ぎ矢をつがえた。ちょうど大雪が降り、空は暗く、冷たい風が旗を倒し肌を裂き、馬は皆縮みふるえ、戈を抱いたまま道で凍死する兵が十人に一、二人いた。張柴の東は、土手や沼が入り組んで奥まっており、兵たちはまだ踏み入れたことがなく、皆、底知れぬところへ投じ入れられるのだと思った。出発するとき、役人がどこへ向かうのかと尋ねた。李愬は言った。「蔡州に入って呉元済を取る。」兵は顔色を失い、監軍の使者は泣いて言った。「やはり李祐の計略にはまった。」しかしすでに李愬に従っているので、誰もあえて自分の考えで動こうとしなかった。李愬は軽装の兵を分けて橋や道を断ち、洄曲へ通じる道を絶ち、また兵で郎山の道も絶った。七十里進んで、夜半に懸瓠城に着いた。雪はひどかった。城のそばには鵝鳥や鴨の池が多く、李愬は命じてこれを撃たせ、軍の声をかき消した。
解説
この章句が説くこと
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