智囊 / 不戰・楊侃
稚乃使其子子彥與侃帥騎兵,自恒農北渡,據石錐壁。侃聲言:「停此以待步兵,且以望民情向背。而今送降名者,各自還村,俟台舉三烽,即舉烽相應。其無應烽者,乃賊黨也,當進擊屠之,以所獲賞軍士。」於是村民轉相告語,雖實未降者,亦詐舉烽,一宿之間,火光遍數百里。賊圍城者不測,各自散歸。修義亦逃還,與鳳賢俱請降。稚克潼關,遂入河東,寶夤出奔。
新字:稚乃使其子子彦与侃帥騎兵,自恒農北渡,拠石錐壁。侃声言:「停此以待歩兵,且以望民情向背。而今送降名者,各自還村,俟台舉三烽,即舉烽相応。其無応烽者,乃賊党也,当進撃屠之,以所獲賞軍士。」於是村民転相告語,雖実未降者,亦詐舉烽,一宿之間,火光遍数百里。賊囲城者不測,各自散帰。修義亦逃還,与鳳賢倶請降。稚克潼関,遂入河東,宝夤出奔。
書き下し
稚乃ち其の子子彦と侃とをして騎兵を帥い、恒農より北のかた渡り、石錐壁に拠らしむ。侃声言す、「此に停まりて以て歩兵を待ち、且つ以て民情の向背を望む。而して今、降名を送る者は、各おの村に還り、台の三烽を挙ぐるを俟ちて、即ち烽を挙げて相い応ぜよ。其の烽に応ずる無き者は、乃ち賊党なり。当に進撃して之を屠り、獲る所を以て軍士に賞すべし」と。是に於いて村民転た相い告語し、実に未だ降らざる者と雖も、亦た詐りて烽を挙ぐ。一宿の間に、火光数百里に遍し。賊の城を囲む者測らず、各おの散り帰る。修義も亦た逃げ還り、鳳賢と俱に降を請う。稚潼関に克ち、遂に河東に入る。宝夤出奔す。
現代語訳
稚はそこで、子の長孫子彦と楊侃に騎兵を率いさせ、恒農から北へ渡り、石錐壁に拠らせた。侃は触れ回った。「ここに留まって歩兵を待ち、また民の心の向背を見極める。今、降伏の名簿を送ってきた者は、それぞれ村に戻り、官の側が三つののろしを挙げるのを待って、すぐにのろしを挙げて応えよ。のろしに応えない者は、賊の仲間である。進撃してこれを皆殺しにし、得たものを兵士への褒賞とする」。そこで村民は互いに伝え合い、まだ降伏していない者でも、偽ってのろしを挙げた。一夜のうちに、火の光が数百里にわたって広がった。城を囲んでいた賊は事情が測れず、それぞれ散って帰った。修義も逃げ帰り、鳳賢とともに降伏を願い出た。稚は潼関に勝ち、そのまま河東に入った。宝夤は逃げ出した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公十八年 平陰の役冬十月、魯の濟に會し、溴梁の言を尋ね、同じく齊を伐つ。齊侯諸を平陰に禦ぎ、防門に塹して之を廣里に守る。夙沙衛曰く、「戰ふ能はずんば、險を守るに如くは莫し」と。聽かず。諸侯の士焉に門す。齊人多く死す。范宣子析文子に告げて曰く、「吾子を知る、敢へて情を匿さんや。魯人・莒人、皆車千乘を以って其の鄉より入らんことを請ふ。既に之を許せり。若し入らば、君必ず國を失はん。子盍ぞ之を圖らざる」と。子家以って公に告ぐ。公恐る。晏嬰之を聞きて曰く、「君固より勇無し。而して又是を聞く。久しき能はざらん」と。齊侯巫山に登りて以って晉の師を望む。晉人司馬をして山澤の險を斥はしめ、至らざる所と雖も、必ず旆して疏らに之を陳ね、車に乘る者をして左は實にし右は偽りならしめ、旆を以って先んじ、輿は柴を曳きて之に從ふ。齊侯之を見て、其の眾きを畏るるなり。乃ち脫して歸る。丙寅晦、齊の師夜に遁る。師曠晉侯に告げて曰く、「鳥烏の聲樂し。齊の師其れ遁れん」と。邢伯中行伯に告げて曰く、「班馬の聲有り。齊の師其れ遁れん」と。叔向晉侯に告げて曰く、「城上に烏有り。齊の師其れ遁れん」と。
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史記 張耳陳余列伝范陽の令乃ち蒯通をして武信君に見えしめて曰く、「足下必ず将に戦ひ勝ちて然る後に地を略し、攻め得て然る後に城を下さんとす。臣竊かに以て過てりと為す。誠に臣の計を聴かば、攻めずして城を降し、戦はずして地を略し、檄を伝へて千里定むべし。可ならんか」と。武信君曰く、「何の謂ぞや」と。蒯通曰く、「今范陽の令宜しく其の士卒を整頓して以て守戦すべき者なり。怯にして死を畏れ、貪にして富貴を重んず。故に天下に先んじて降らんと欲するも、君の秦の置く所の吏なるを以て、誅殺すること前の十城の如くならんことを畏る。然れども今范陽の少年亦方に其の令を殺し、自ら城を以て君を距がんとす。君何ぞ臣に侯印を齎して、范陽の令に拝せざる。范陽の令則ち城を以て君に下らん。少年も亦敢て其の令を殺さず。范陽の令をして朱輪華轂に乗り、燕・趙の郊に駆馳せしめよ。燕・趙の郊之を見て、皆曰はん、此れ范陽の令、先に下る者なりと。即ち喜ばん。燕・趙の城は戦ふ毋くして降るべきなり。此れ臣の所謂檄を伝へて千里定まる者なり」と。武信君其の計に従ひ、因りて蒯通をして范陽の令に侯印を賜はしむ。趙の地之を聞き、戦はずして城を以て下る者三十余城。邯鄲に至り、張耳・陳餘、周章の軍関に入り、戯に至りて卻くを聞く。又諸将陳王の為に地を徇へ、多く讒毀を以て罪を得て誅せらるるを聞き、陳王の其の筴を不とし以て将と為さずして校尉と為すを怨む。乃ち武臣に説きて曰く、「陳王蘄に起こり、陳に至りて王たり。必ずしも六国の後を立てず。将軍今三千人を以て趙の数十城を下し、独り河北に介居す。王たらずんば以て之を塡むる無し。且つ陳王讒を聴く。還り報ずれば、恐らくは禍より脱れざらん。又其の兄弟を立つるに如かず。不なれば、即ち趙の後を立てよ。将軍時を失ふ毋かれ。時は間に息を容れず」と。武臣乃ち之を聴き、遂に立ちて趙王と為る。陳餘を以て大将軍と為し、張耳を右丞相と為し、邵騒を左丞相と為す。
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『墨子』號令人、自ら大いに版に書し、之を其の署の隔に著く。守、必ず自ら其の先後を謀り、其の署に非ずして妄りに之に入る者は、斷ず。署を離れ左右し、共に他署に入り、左右、捕らえず、私書を挾み、行きて請謁し、及び行書を為し、守事を釋てて私家の事を治め、卒民、相い家室・嬰兒を盜む者は、皆な斷じて赦す無し。人、舉げて之を藉す。符節無くして軍中を横行する者は、斷ず。客、城下に在らば、數しば其の署を易えて其の養を易うる無し。敵を譽めて少なきを以て衆しと為し、亂を以て治と為し、敵の攻の拙きを以て巧と為す者は、斷ず。客と主人と、相い與に言い及び相い藉するを得る無し。客、射るに書を以てするも、譽むるを得る無し。外、内に示すに善を以てするも、應ずるを得る無し。令に従わざる者は皆な斷ず。禁じて矢書を舉げ若しくは書を以て寇に射るを得る無し。令を犯す者は、父母・妻子、皆な斷じ、身は城上に梟す。能く之を捕らえ告ぐる者有らば、之に賞するに黄金二十斤。時に非ずして行く者は、唯だ守及び太守の節を摻りて使いする者のみ。
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