智囊 / 不戰・周德威
晉王存勖大敗梁兵,梁兵亦退。周德威言於晉王曰:「賊勢甚盛,宜按兵以待其衰。」王曰:「吾孤軍遠來,救人之急,三鎮烏合,利於速戰。公乃欲按兵持重,何也?」德威曰:「鎮、定之兵,長於守城,短於野戰;吾所恃者騎兵,利於平原曠野,可以馳突。今壓城壘門,騎無所展其足;且眾寡不敵,使彼知吾虛實,則事危矣。」王不悅,退臥帳中,諸將莫敢言。德威往見張承業,曰:「大王驟勝而輕敵,不量力而務速戰,今去賊咫尺,所限者一水耳,彼若造橋以薄我,我眾立盡矣,不若退軍高邑,誘賊離營,彼出則歸,彼歸則出,別以輕騎,掠其餽餉,不過逾月,破之必矣!」承業入,褰帳撫王曰:「此豈王安寢時邪?周德威老將知兵,言不可忽也。」王蹷然而興,曰:「予方思之。」時梁王閉壘不出,有降者,詰之,曰:「景仁方多造浮橋。」王謂德威曰:「果如公言。」
新字:晋王存勖大敗梁兵,梁兵亦退。周徳威言於晋王曰:「賊勢甚盛,宜按兵以待其衰。」王曰:「吾孤軍遠来,救人之急,三鎮烏合,利於速戦。公乃欲按兵持重,何也?」徳威曰:「鎮、定之兵,長於守城,短於野戦;吾所恃者騎兵,利於平原曠野,可以馳突。今圧城塁門,騎無所展其足;且衆寡不敵,使彼知吾虚実,則事危矣。」王不悦,退臥帳中,諸将莫敢言。徳威往見張承業,曰:「大王驟勝而軽敵,不量力而務速戦,今去賊咫尺,所限者一水耳,彼若造橋以薄我,我衆立尽矣,不若退軍高邑,誘賊離営,彼出則帰,彼帰則出,別以軽騎,掠其餽餉,不過逾月,破之必矣!」承業入,褰帳撫王曰:「此豈王安寝時邪?周徳威老将知兵,言不可忽也。」王蹷然而興,曰:「予方思之。」時梁王閉塁不出,有降者,詰之,曰:「景仁方多造浮橋。」王謂徳威曰:「果如公言。」
書き下し
晋王存勖、梁兵を大敗せしめ、梁兵も亦た退く。周徳威、晋王に言いて曰く、「賊勢甚だ盛んなり、宜しく兵を按じて以て其の衰うるを待つべし」と。王曰く、「吾は孤軍遠来して、人の急を救う。三鎮は烏合にして、速戦に利あり。公乃ち兵を按じて持重せんと欲するは、何ぞや」と。徳威曰く、「鎮・定の兵は、城を守るに長じ、野戦に短し。吾が恃む所は騎兵にして、平原曠野に利あり、馳突すべし。今城壘の門に圧され、騎は其の足を展ぶる所無し。且つ衆寡敵せず、彼をして吾が虚実を知らしめば、則ち事危うし」と。王悦ばず、退きて帳中に臥す。諸将敢えて言う莫し。徳威往きて張承業に見えて曰く、「大王は驟かに勝ちて敵を軽んじ、力を量らずして速戦に務む。今賊を去ること咫尺、限る所は一水のみ。彼若し橋を造りて以て我に薄らば、我が衆立ちどころに尽きん。退軍して高邑に至り、賊を誘いて営を離れしめ、彼出づれば則ち帰り、彼帰れば則ち出で、別に軽騎を以て其の餽餉を掠むるに如かず。月を逾ゆるに過ぎずして、之を破ること必せり」と。承業入り、帳を褰げて王を撫して曰く、「此れ豈に王の安寝する時ならんや。周徳威は老将にして兵を知る、言は忽にすべからず」と。王蹷然として興き、曰く、「予は方に之を思う」と。時に梁王壘を閉じて出でず。降者有り、之を詰るに、曰く、「景仁方に浮橋を多く造る」と。王徳威に謂いて曰く、「果たして公の言の如し」と。
現代語訳
晋王の李存勖が梁軍を大破し、梁軍も退いた。周徳威は晋王に言った。「敵の勢いはたいへん盛んです。軍を押さえて、その衰えるのを待つのがよろしいでしょう」。王は言った。「私は孤軍で遠くから来て、人の急を救いに来た。三鎮は烏合の衆で、速戦に利がある。公が軍を押さえて慎重に構えようというのはなぜか」。徳威は言った。「鎮・定の兵は城を守るのが得意で、野戦は不得手です。私たちが頼りにするのは騎兵で、平原や広野で有利に馳せ突くことができます。今は城壁の門に押さえられ、騎兵は足を伸ばす場がありません。しかも衆寡敵せずで、敵に我が虚実を知られれば、事は危うくなります」。王は不機嫌になり、退いて帳の中に臥した。諸将は誰も口を開けなかった。徳威は張承業に会いに行って言った。「大王は急に勝って敵を軽んじ、力量を量らずに速戦を目指しておられる。今、賊との距離は目と鼻の先、隔てるのは一筋の川だけです。もし彼らが橋を造って我々に迫れば、我々の軍はたちまち尽きます。高邑まで退き、賊を誘って陣を離れさせ、彼らが出れば帰り、彼らが帰れば出て、別に軽騎で糧食の輸送を襲うのが一番です。一月とたたないうちに、必ず破れます」。承業は入って、帳を上げ王をなだめて言った。「これは王が安らかに寝ている時ではありません。周徳威は老将で兵を知っており、その言葉をないがしろにしてはなりません」。王ははっとして起き上がり、「私もちょうど考えていた」と言った。そのとき梁王は陣門を閉じて出てこなかった。降伏者がいて詰問すると、「景仁は今、浮橋をたくさん造っています」と答えた。王は徳威に言った。「やはり公の言ったとおりだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
言志四録・言志晩録 別存 第三十四条 奏疏の通患公嘗て余に語りて曰く、「古人の奏疏は、固より忠言讜論多く、時弊に切中す。然れども事未だ発せずして之を言へば、率ね用ゐられず。已に発して之を言へば、遂に及ばず。是れ古今の通患なり」と。余其の言の的然たるに服す。
-
『甲陽軍鑑』品第四十二明けくれ雑談を聞給ふ故なりと馬塲美濃高坂弾正に語る也信玄公軍法之御挨拶人一馬塲美濃軍の被成様申上る一山県三郎兵衛御働きなされてよきとすゝめ申上る一内藤修理何方へ御働きと指図申上る、其様子は北条家をかすめ給ふにも、伊豆か相摸か、はちかたか、関東にては新出·足利か、家康にては遠州か三河か信長東美濃か、扨は越後かと様子を積りて内藤申上る一高坂弾正者二ツなく敵国へふかく働き或は御一戦必ず御延引と計り申上、能く隠密するにより働きまへにしれず、但し侍大将衆は存候なり一文のいる事には小山田弥三郎をめして、七書·五経の古語をいはせて聞給ふ一何国先方衆にも疑ひ有るなしの御用心の事は土屋右衛門尉·三枝勘解由左衛門·真田喜兵衛·曽根内匠申上るに少しも私しなし一陣取、或は他国にて陣塲をみたつる事原隼人佐次第に被成候也一他国より御客来の挨拶、又は状文の取引は跡部大炊介·長坂長閑是の両人なり、
-
史記 孟子荀卿列伝その後、騶子の属有り。斉に三騶子有り。その前は騶忌、琴を鼓するを以て威王に干め、因りて国政に及び、封ぜられて成侯と為りて相印を受く、孟子に先だつ。
-
『韓非子』初見秦第一大王誠に其の説を聴きて、一挙にして天下の従破れず、趙挙がらず、韓亡びず、荆・魏臣とせず、斉・燕親しまず、霸王の名成らず、四隣の諸侯朝せずんば、大王臣を斬りて以て国に徇え、以て王の為に謀りて忠ならざる者の戒めと為せ。
-
『呻吟語』外篇・治道・進言に四難有り言を進むるに四難有り。「人を審らかにし、己を審らかにし、事を審らかにし、時を審らかにす」。一つも未だ審らかならざる有らば、事必ず濟らず。
-
『韓非子』難言第三言順比滑沢、洋洋纚纚然たれば、則ち見て以て華にして実ならずと為さる。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る