智囊 / 不戰・高熲
開皇初,帝嘗問高熲以取陳之策。熲曰:「江北地寒,田收差晚;江南土熱,水田早熟。量彼收穫之際,微徵士馬,聲言掩集,彼必屯兵御守,便可廢其農時;及彼聚兵,我還解甲,再三若此。賊以為常,後更集兵,彼必不信,猶豫之頃,我忽濟師,出其不意,破賊必矣!又江南土薄,舍多竹茅,所有儲積,皆非地窖,密遣行人,因風縱火。待彼修立,更復燒之。不出數年,自可令彼財力俱困。」帝用其策,卒以敝陳。
新字:開皇初,帝嘗問高熲以取陳之策。熲曰:「江北地寒,田収差晩;江南土熱,水田早熟。量彼収穫之際,微徴士馬,声言掩集,彼必屯兵御守,便可廃其農時;及彼聚兵,我還解甲,再三若此。賊以為常,後更集兵,彼必不信,猶予之頃,我忽済師,出其不意,破賊必矣!又江南土薄,舎多竹茅,所有儲積,皆非地窖,密遣行人,因風縦火。待彼修立,更復焼之。不出数年,自可令彼財力倶困。」帝用其策,卒以敝陳。
書き下し
開皇の初め、帝嘗て高熲に陳を取るの策を問う。熲曰く、「江北は地寒く、田収差や晩し。江南は土熱く、水田早く熟す。彼の収穫の際を量り、微かに士馬を徴し、声言して掩集せんとすれば、彼必ず兵を屯して御守せん。便ち其の農時を廃すべし。彼の兵を聚むるに及び、我は還りて甲を解き、再三此の若くす。賊以て常と為し、後に更に兵を集むるも、彼必ず信ぜず。猶予の頃、我は忽ち師を済し、其の不意に出づれば、賊を破ること必せり。又た江南は土薄く、舎は竹茅多し、有る所の儲積は、皆な地窖に非ず。密かに行人を遣わし、風に因りて火を縦つ。彼の修立を待ちて、更に復た之を焼く。数年を出でずして、自ずから彼をして財力俱に困しましむべし」と。帝其の策を用い、卒に以て陳を敝らせり。
現代語訳
開皇の初め、文帝はかつて高熲に陳を取る策を尋ねた。熲は言った。「江北は土地が寒く、田の収穫はやや遅れます。江南は土地が暑く、水田は早く熟します。彼らの収穫期を見計らい、わずかに兵馬を徴発し、奇襲の集結をするぞと言いふらせば、彼らは必ず兵を駐屯させて守りを固めます。これで農時を妨げることができます。彼らが兵を集めたころには、我は軍を戻して武装を解き、これを二度三度繰り返します。賊はこれを常のこととし、後にまた兵を集めても、彼らは必ず信じなくなります。ためらう間に、我が軍が突然渡河して不意を突けば、賊を破ることは確実です。また江南は土が薄く、家屋は竹や茅が多く、蓄えている物資はみな地下の穴蔵ではありません。ひそかに使者を遣わし、風に乗じて火を放ちます。彼らが修復を終えるのを待って、さらにまた焼きます。数年とたたないうちに、自然と財力ともに困窮させられます」。帝はその策を用い、ついに陳を疲弊させた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』三国権晋恵の庸弱に至りて、胡、中原を乱し、天子蒙塵して江表に播遷す。当時天下復た分裂す。五代に出入すること、三百余年。隋の文帝、図を受けて始めて陳を伐たんことを謀る。嘗て高熲に陳を取るの策を問う。熲曰く「江北の地は寒く、田の収むること差や晩し。江南の土は熱く、水田早く熟す。彼の収穫の際を量りて、微かに士馬を徴し、声して掩襲すと言わば、賊は必ず兵を屯して堅守せん。以て其の農時を廃するに足る。彼既に兵を聚むれば、我便ち甲を解く。再三此くの如くんば、賊以て常と為す。後に更に兵を集むるも、彼必ず信ぜず。猶予の頃、我乃ち師を済して陸に登りて戦わば、兵気益々倍せん。又た江南は土薄く、舎は竹茅多く、所有の儲積は皆地窖に非ず。密かに行人を遣わし、風に因りて火を縦ち、其の修立を待ちて、復た更に之を焼かば、数年を出でずして、自ら財力俱に尽くべし」と。
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『智囊』詭道・賀若弼賀若弼、京口を攻めんことを謀り、先ず老馬を以て多く陳の船を買いてこれを匿し、弊船五、六十艘を買いて、瀆内に置く。陳人これを覘い、中国に船無しと以う。又、緑江の防人の交代の際に、必ず広陵に集め、大いに旗幟を列ね、営幕野を被わしむ。陳人、隋兵大いに至ると以い、急ぎ兵を発して備えを為す。既にしてこれを知り、復た戒厳せず。又、緑江にて時に猟し、人馬喧噪す。是に及んで江を済るに、陳人遂に知覚せず。〔按〕賀若弼、京口を攻む。任忠、陳主に言いて曰く、「兵法に、『客は速戦を貴び、主は持重を貴ぶ』と。今、国家は食足り兵足る。宜しく台城を固守し、淮に縁りて柵を立つべし。北軍来たると雖も、与に交戦する勿かれ。兵を分かちて江を断ち、彼をして信を通ずるを得しむる勿かれ。臣に精兵一万、金翅三百艘を給わらば、江を下りて径ちに六合を掩わん。彼の大軍は必ず其の渡江の将士已に俘獲せらると謂い、自ら気挫けん。淮南の人は、臣と旧と相知悉す。今、臣の往くを聞かば、必ず皆景従せん。臣復た声を揚げて徐州に往き、彼の帰路を断たんと欲すと言わば、則ち諸軍は撃たずして自ら去らん。此れ良策なり」と。陳主従わず、以て亡ぶに至る。
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『智囊』不戰・高仁厚高仁厚は東川の楊師立を攻む。夜二鼓、賊党の鄭君雄ら勁兵を出して城北の副使の寨を掩撃す。楊茂言は御ぐこと能わず、衆を帥いて寨を棄てて走る。その旁の寨は副の走るを見て、また走る。賊は直ちに中軍に薄る。仁厚は令して寨門を大いに開かしめ、炬火を設けてこれを照らし、自ら士卒を帥いて両翼と為り、道の左右に伏す。賊は門の開くを見て、敢えて入らず、還り去る。仁厚は伏を発してこれを撃つ。賊は大いに敗る。
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『智囊』不戰・高仁厚明日、仁厚兵発し、雙流に至る。把截使白文出でて迎う。仁厚周く塹柵を視て、怒りて曰く、「阡能は役夫にして、その衆は皆耕民のみ。一府の兵を竭くして、歳余擒うること能わず。今塹柵を観るに、重複牢密なることかくの如し。宜なり、安眠飽食して寇を養い功を邀むるに。」と。命じて引き出だして斬らしむ。監軍力めて救い、乃ち免る。命じて悉く塹柵を平らげ、五百兵を留めてこれを守らせ、余兵は悉く自ら随えしむ。また諸寨の兵を召せば、相継いで皆集まる。阡能、仁厚の将に至らんとするを聞き、渾擎を遣わして五寨を雙流の西に立て、兵千人を野橋箐に伏せ、以て官軍を邀えんとす。仁厚詗い知り、人を遣わして戎服を釈き、賊中に入り、昨日諜に語りし所以のごとく告諭せしむ。賊大いに喜び呼噪し、争いて甲を棄てて降る。仁厚因りて撫諭し、その背に書き、帰りて寨中の未だ降らざる者に語らしむ。寨中の余衆争い出で、渾擎は狼狽して塹を逾えて走る。その衆執えて以て仁厚に詣る。仁厚械して府に送り、悉く命じて五寨及びその甲兵を焚き、ただ旗幟のみを留む。
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