智囊 / 不戰・荀罌・伍員
按:吳璘制金,亦用此術。虜性忍耐堅久,令酷而下必死,每戰非累日不決。於是選據形便,出銳卒,更迭撓之,與之為無窮,使不得休暇,以沮其堅忍之氣,俟其少怠,出奇勝之。
新字:按:呉璘制金,亦用此術。虜性忍耐堅久,令酷而下必死,毎戦非累日不決。於是選拠形便,出鋭卒,更迭撓之,与之為無窮,使不得休暇,以沮其堅忍之気,俟其少怠,出奇勝之。
書き下し
按ずるに、呉璘の金を制するも、亦た此の術を用う。虜の性は忍耐堅久にして、令は酷にして下は必死なり。戦う毎に累日に非ざれば決せず。是に於いて形便に選び拠り、鋭卒を出だして、更迭して之を撓し、之と無窮を為して、休暇を得ざらしめ、以て其の堅忍の気を沮み、其の少しく怠るを俟ちて、奇を出だして之に勝つ。
現代語訳
考えるに、呉璘が金を抑えたのも、この術を用いたのである。敵の性質は忍耐強く粘り強く、軍令は苛烈で兵は必死に戦う。戦うたびに何日もかからなければ決着がつかない。そこで地形の有利な場所を選んで拠り、精鋭を出して、交代でこれを攻め乱し、際限なく続けて、休む暇を与えず、それで相手の粘り強い気力をくじき、少し怠るのを待って、奇策を出して勝った。
解説
南宋の呉璘が金軍に対して用いた戦い方を、先の晋と呉の例と同じ疲弊戦術として添えた付記です。金軍は忍耐強く、軍令が厳しいため兵は必死で、一回の戦いが何日も続きました。そこで呉璘は有利な地形に拠り、精鋭を交代で出して休む暇を与えず、敵の粘り強さを削いだ上で、わずかに気が緩んだ瞬間に奇策で勝ちました。強い相手の長所である粘りを、力で受けるのではなく、持久戦に引き込んで摩耗させる発想です。競合の強みをまともにぶつからずに時間の経過で弱める発想は、市場での戦い方にも応用できます。
この章句が説くこと
更迭撓之与之為無窮俟其少怠持久戦交代戦術奇襲
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