智囊 / 善言・韓億
億奉使契丹,時副使者為章獻外姻,妄傳太后旨於契丹,諭以南北歡好,傳示子孫之意。億初不知也,契丹主問億曰:「皇太后即有旨,大使何不言?」億對曰:「本朝每遣使,皇太后必以此戒約,非欲達之北朝也。」契丹主大喜曰:「此兩朝生靈之福。」是時副使方失詞,而億反用以為德,時推其善對。
新字:億奉使契丹,時副使者為章献外姻,妄伝太后旨於契丹,諭以南北歓好,伝示子孫之意。億初不知也,契丹主問億曰:「皇太后即有旨,大使何不言?」億対曰:「本朝毎遣使,皇太后必以此戒約,非欲達之北朝也。」契丹主大喜曰:「此両朝生霊之福。」是時副使方失詞,而億反用以為徳,時推其善対。
書き下し
億契丹に奉使す。時に副使は章献の外姻たる者にして、妄りに太后の旨を契丹に伝え、南北の歓好を諭し、子孫に伝え示さんとの意なりと。億初め知らざるなり。契丹主億に問いて曰く、「皇太后即ち旨有り、大使何ぞ言わざる」と。億対えて曰く、「本朝使いを遣わす毎に、皇太后必ず此を以て戒約す、之を北朝に達せんと欲するに非ず」と。契丹主大いに喜びて曰く、「此れ両朝の生霊の福なり」と。是の時副使方に辞を失い、而るに億は反って用いて以て徳と為す。時に其の善対を推す。
現代語訳
韓億は契丹に使いした。このとき副使は章献太后の外戚にあたる者で、みだりに太后の意向を契丹に伝え、南北が仲良くすることを説き、子孫にまで伝え示したいというお考えだと述べた。億ははじめそれを知らなかった。契丹の君主は億に尋ねた。「皇太后にそのような御意があるのに、大使はなぜ言わないのか」。億は答えた。「わが朝は使者を遣わすたびに、皇太后は必ずこのようにお戒めになります。それをことさら北朝にお伝えしようとしたのではありません」。契丹の君主は大いに喜んで言った。「これは両朝の民の幸いである」。このとき副使は言葉を誤ってしまっていたのに、億はかえってそれを美徳に転じた。当時の人は、その見事な応対を称えた。
解説
この章句が説くこと
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史記 秦本紀是に於て繆公晋君を虜にして以て帰り、国に令す、「斉宿せよ、吾将に晋君を以て上帝を祠らんとす」と。周の天子之を聞きて、曰く「晋は我が同姓なり」と、為に晋君を請ふ。夷吾の姊も亦繆公の夫人為り。夫人之を聞き、乃ち衰絰して跣し、曰く、「妾が兄弟相救ふ能はず、以て君命を辱めしむ」と。繆公曰く、「我晋君を得て以て功と為す。今天子為に請ひ、夫人是れ憂ふ」と。乃ち晋君と盟ひ、之を帰すことを許し、更めて上舎に舎せしめ、而して之に七牢を饋る。十一月、晋君夷吾を帰す。夷吾其の河西の地を献じ、太子圉をして秦に質たらしむ。秦子圉に妻はすに宗女を以てす。是の時秦の地東のかた河に至る。十八年、斉の桓公卒す。二十年、秦梁・芮を滅ぼす。二十二年、晋の公子圉晋君の病むを聞きて、曰く、「梁は、我が母の家なり。而るに秦之を滅ぼす。我兄弟多し、即し君百歳の後、秦必ず我を留めん。而して晋我を軽んじ、亦更に他子を立てん」と。子圉乃ち亡げて晋に帰る。二十三年、晋の恵公卒し、子圉立ちて君と為る。秦圉の亡げ去りしを怨み、乃ち晋の公子重耳を楚より迎へ、而して妻はすに故の子圉の妻を以てす。重耳初め謝し、後乃ち受く。繆公益礼して厚く之を遇す。二十四年春、秦人をして晋の大臣に告げしめ、重耳を入れんと欲す。晋之を許す。是に於て人をして重耳を送らしむ。二月、重耳立ちて晋君と為る。是を文公と為す。文公人をして子圉を殺さしむ。子圉は是を懐公と為す。其の秋、周の襄王の弟帯翟を以て王を伐ち、王出でて鄭に居る。二十五年、周王人をして難を晋・秦に告げしむ。秦の繆公兵を将ゐて晋の文公を助けて襄王を入れ、王の弟帯を殺す。二十八年、晋の文公楚を城濮に敗る。三十年、繆公晋の文公を助けて鄭を囲む。鄭人をして繆公に言はしめて曰く、「鄭を亡ぼして晋を厚くするは、晋に於ては得たり、而るに秦は未だ利有らず。晋の彊きは、秦の憂ひなり」と。繆公乃ち兵を罷めて帰る。晋も亦罷む。
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史記 鄭世家繆氏は、霊公を殺せし子公の族家なり。去疾曰く、「必ず繆氏を去らば、我将に之を去らんとす」と。乃ち止む。皆以て大夫と為す。襄公元年、楚、鄭の宋の賂を受けて華元を縦すを怒り、鄭を伐つ。鄭楚に背き、晋と親しむ。五年、楚復た鄭を伐ち、晋来りて之を救ふ。六年、子家卒す。国人復た其の族を逐ふ。其の霊公を弑せしを以てなり。七年、鄭、晋と鄢陵に盟ふ。八年、楚の荘王、鄭の晋と盟ふを以て、来りて伐ち、鄭を囲むこと三月、鄭城を以て楚に降る。楚王皇門より入る。鄭の襄公肉袒して羊を掔きて以て迎へて曰く、「孤辺邑に事ふること能はず、君王をして怒りを懐きて以て獘邑に及ばしむ。孤の罪なり。敢へて惟だ命を是れ聴かざらんや。君王之を江南に遷し、及び以て諸侯に賜ふも、亦惟だ命を是れ聴かん。若し君王、厲・宣王、桓・武公を忘れず、哀れみて其の社稷を絶つに忍びず、不毛の地を錫ひ、復た君王に改め事ふることを得しめば、孤の願ひなり。然れども敢へて望む所に非ざるなり。敢へて腹心を布き、惟だ命を是れ聴かん」と。荘王為に三十里を卻きて後に舎る。楚の群臣曰く、「郢より此に至るまで、士大夫も亦久しく労せり。今国を得て之を捨つ、何如」と。荘王曰く、「伐つ所為の者は、服せざるを伐つなり。今已に服す、尚何をか求めんや」と。卒に去る。晋、楚の鄭を伐つを聞き、兵を発して鄭を救ふ。其の来るや両端を持す、故に遅し。河に至る比、楚の兵已に去る。晋の将率或いは渡らんと欲し、或いは還らんと欲す。卒に河を渡る。荘王聞き、還りて晋を撃つ。鄭反りて楚を助け、大いに晋軍を河上に破る。十年、晋来りて鄭を伐つ。其の晋に反きて楚に親しむを以てなり。十一年、楚の荘王宋を伐つ。宋急を晋に告ぐ。晋の景公兵を発して宋を救はんと欲す。伯宗晋君を諫めて曰く、「天方に楚を開く、未だ伐つべからざるなり」と。乃ち壮士を求めて霍人解揚、字は子虎を得、楚を誆きて、宋をして降る毋からしめんとす。鄭を過る。鄭は楚と親し、乃ち解揚を執へて楚に献ず。
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