智囊 / 善言・梁適・孫沔
契丹遣使與中國書,所稱「大宋」、「大契丹」,似非兄弟之國,今輒易曰「南朝」、」「北朝」。上詔中書,密院共議,輔臣多言:「不從將生隙。」梁莊肅曰:「此易屈耳,但答言宋蓋本朝受命之土,契丹亦北朝國號,無故而自去,非佳兆。」其年賀正使來,復稱「大宋」如故。皇祐末,契丹請觀太廟樂人,帝以問宰相,對曰:「恐非享祀,不可習也。」樞密副使孫公沔曰:「當以禮折之,云:『廟樂之作,皆本朝所以歌詠祖宗功德也。他國可用耶,使人如能助吾祭,乃觀之。』」仁宗從其言,使者不敢復請。
新字:契丹遣使与中国書,所称「大宋」、「大契丹」,似非兄弟之国,今輒易曰「南朝」、」「北朝」。上詔中書,密院共議,輔臣多言:「不従将生隙。」梁荘粛曰:「此易屈耳,但答言宋蓋本朝受命之土,契丹亦北朝国号,無故而自去,非佳兆。」其年賀正使来,復称「大宋」如故。皇祐末,契丹請観太廟楽人,帝以問宰相,対曰:「恐非享祀,不可習也。」枢密副使孫公沔曰:「当以礼折之,云:『廟楽之作,皆本朝所以歌詠祖宗功徳也。他国可用耶,使人如能助吾祭,乃観之。』」仁宗従其言,使者不敢復請。
書き下し
契丹使いを遣わして中国に書を与う、称する所の「大宋」「大契丹」は、兄弟の国に非ざるに似たり。今輒ち易えて「南朝」「北朝」と曰う。上中書に詔し、密院と共に議せしむ。輔臣多く言う、「従わずんば将に隙を生ぜんとす」と。梁荘粛曰く、「此れ屈し易きのみ。但だ答えて、宋は蓋し本朝命を受けし土、契丹も亦た北朝の国号なり、故無くして自ら去るは、佳兆に非ず、と言えば可なり」と。其の年賀正使来たり、復た「大宋」と称すること故の如し。皇祐の末、契丹太廟の楽人を観んことを請う。帝以て宰相に問う。対えて曰く、「恐らくは享祀に非ざれば、習うべからざらん」と。枢密副使孫公沔曰く、「当に礼を以て之を折るべし。云えらく、『廟楽の作は、皆な本朝の祖宗の功徳を歌詠する所以なり。他国用うべけんや。使人如し能く吾が祭りを助けば、乃ち之を観よ』と」と。仁宗其の言に従い、使者敢えて復た請わず。
現代語訳
契丹が使者を遣わして中国に書簡を与えたが、そこで称する「大宋」「大契丹」の呼び方は、兄弟の国にふさわしくないように思われ、今回、急に「南朝」「北朝」と改めた。皇帝は中書省に詔を下し、枢密院と共に協議させた。補佐の臣の多くは言った。「従わなければ、隙が生じるでしょう」。梁荘粛は言った。「これは断りやすいことです。ただ、宋はわが朝が天命を受けた土地の名であり、契丹もまた北朝の国号であるから、理由もなく自ら捨てるのは良い兆しではない、と答えれば十分です」。その年、賀正の使者が来たが、また以前のとおり「大宋」と称した。皇祐の末、契丹が宗廟の楽人の演奏を見たいと請うてきた。帝は宰相に尋ねた。宰相は答えた。「祭祀でなければ、習わせるべきではないでしょう」。枢密副使の孫沔は言った。「礼で断るべきです。『宗廟の音楽は、いずれも本朝の祖宗の功徳を歌うためのものです。他国の者に見せてよいものではありません。使者がもし私どもの祭りを助けるというなら、見てもよいでしょう』と言うのです」。仁宗はその言葉に従い、使者はもう請わなかった。
解説
この章句が説くこと
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『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事且又朝鮮人来聘のとき三家の御方を三使の相伴に遊はさるゝこと、三使何れも三位なる故、三家の御方と位階相当したるとてかく定たることなるへし、是は五山の長老ともか料簡歟、又は道春なとか料簡なるへし、甚た事情に暗くして文盲なることなり、仔細は朝鮮人来聘のことは全く上方へは搆はぬ事にて、専ら武家はかりの取扱ひなり、されは公儀と朝鮮王とを同格と儀式を定めて、偖此方よりは上使を遣されす、朝鮮より計り聘使を差越す所を、日本へ手を下けたるすちに立てをくる所、是れ朝鮮日本往来の大格なり、
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『春秋左氏伝』文公十二年 国に陋なし春、郕伯卒す。郕人君を立つ。大子夫鍾と郕邽とを以って來奔す。公諸侯を以って之を逆ふ、禮に非ざるなり。故に書して曰く、「郕伯來奔す」と。地を書せざるは、諸侯を尊ぶなり。杞の桓公來朝す、始めて公に朝するなり。且つ叔姬を絕たんことを請ひて、昏を絕つこと無からんとす、公之を許す。二月、叔姬卒す。杞と言はざるは、絕てばなり。叔姬と書するは、女に非ざるを言ふなり。楚の令尹大孫伯卒し、成嘉令尹と為る。群舒楚に叛く。夏、子孔舒子平、及び宗子を執へ、遂に巢を圍む。秋、滕の昭公來朝す、亦た始めて公に朝するなり。秦伯西乞術をして來聘せしめ、且つ將に晉を伐たんとするを言ふ。襄仲玉を辭して曰く、「君先君の好を忘れず、魯國を照臨し、其の社稷を鎮撫し、之に重ぬるに大器を以ってす。寡君敢へて玉を辭す」と。對へて曰く、「不腆(ふてん)の敝器、辭するに足らざるなり」と。主人三たび辭す。賓答へて曰く、「寡君周公・魯公に福を徼(もと)めて、以って君に事へんことを願ふ。不腆なる先君の敝器、下臣をして諸を執事に致さしめ、以って瑞節と為し、好命を要結す。寡君の命を藉(し)きて、二國の好を結ぶ所以なり。是を以って敢へて之を致す」と。襄仲曰く、「君子有らずんば、其れ能く國せんや。國陋なること無し」と。厚く之に賄す。秦令狐の役の為の故に、
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『春秋左氏伝』定公十年 夾谷の会十年春、齊と平ぐ。夏、公、齊侯に祝其に會す。實は夾谷なり。孔丘、相たり。犁彌、齊侯に言ひて曰く、「孔丘は禮を知れども勇無し。若し萊人をして兵を以て魯侯を劫かさしめば、必ず志を得ん」と。齊侯、之に從ふ。孔丘、公を以て退きて曰く、「士、之に兵せよ。兩君好を合はするに、裔夷の俘、兵を以て之を亂す。齊君の諸侯に命ずる所以に非ざるなり。裔は夏を謀らず、夷は華を亂さず、俘は盟を干さず、兵は好に偪らず。神に於いては不祥と為し、德に於いては義を愆つと為し、人に於いては禮を失ふと為す。君必ず然らざらん」と。齊侯、之を聞き、遽かに之を辟く。將に盟はんとす。齊人、載書に加へて曰く、「齊の師、竟を出づるに、甲車三百乘を以て我に從はざる者は、此の盟の如き有らん」と。孔丘、茲無還をして揖して對へしめて曰く、「而、我が汶陽の田を反さずして、吾をして以て命に共せしむる者も、亦た之の如くならん」と。齊侯、將に公を享せんとす。孔丘、梁丘據に謂ひて曰く、
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『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
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『春秋左氏伝』文公三年 菁菁たる莪を賦す晉人其の公に無禮なりしを懼れ、盟を改めんことを請ふ。公晉に如き、晉侯に及びて盟ふ。晉侯公を饗し、《菁菁者莪》を賦す。莊叔公を以って降りて拜し、曰く、「小國命を大國に受く。敢へて儀を慎まざらんや。君之に貺(たま)ふに大禮を以ってす。何の樂しみか之に如かん。抑も小國の樂しみは、大國の惠なり」と。晉侯降りて辭す。登りて拜を成す。公《嘉樂》を賦す。
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『春秋左氏伝』襄公八年 彤弓を賦す晉の范宣子來聘し、且つ公の辱を拜し、將に師を鄭に用ゐんとするを告ぐ。公之を享す。宣子、摽有梅を賦す。季武子曰く、「誰か敢へてせんや。今、草木に譬ふれば、寡君の君に在るは、君の臭味なり。歡んで以て命を承けん、何の時か之れ有らん」と。武子、角弓を賦す。賓將に出でんとす。武子、彤弓を賦す。宣子曰く、「城濮の役に、我が先君文公、功を衡雍に獻じ、彤弓を襄王に受けて、以て子孫の藏と為す。匄や、先君の守官の嗣なり。敢へて命を承けざらんや」と。君子以て禮を知ると為す。
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